自伝文学 告白文学 日記文学 超カルトなブックリスト20選 極私的な独断による選択
人間って、、それなりに人生を生きて来て、そうして、、ある年代に達すると、、
それまでのことをなんとなく書いておきたいって心境になるものなのでしょうね?
というわけで身分の上下を問わずこの手の「マイヒストリー」的な書物が
昔からいっぱいあるんですね。
こういう、まあ、自分史的な書き物を分類すると
自分史
家族史
私小説
旅行記
道中記
伝記
自伝・伝記
日記・書簡集
回想録
なんとかの告白
なんとかの生涯
などという風に分類できましょうか。
それこそ膨大な量のこの手の書き物が残されていますね。
それを全部把握など余人をもってしても不可能でしょう。
というわけでここはもう、私の勝手な独断でいくつかの、この手のものの中から超カルトなものを選び出してご紹介してみましょうか。
というのが今回の試みなのです。
さあそういうわけで、皆様、心して、とくと、御覧うじあれ。
さてそれでは、、、そもそも、
物語・文学の始まりは
おそらく、、
自分の身近な人から聞いた世間話、、でしょうね。
或いは自分自身が人生で見聞きした、くさぐさの体験談などが
適宜、脚色?されて物語となった、、という
まあそれが物語の始まりでしょう。ですからこれらは、もちろん。自伝・伝記そのものではないです
物語化する過程で、相当脚色、して膨らませています。
ありもしないことを付け加えたり
面白おかしく潤色したり、、
相当実話を空想で膨らませています。
ですからほとんどフィクションですね。
これに対して、
自伝とか。伝記文学は
まあ、あまり脚色せずになるべく本当らしく?
最初から「これは私の人生で、出あった真実?の事件ですよ。」という
ふれこみで?
真実の自伝ですとか、、あるいは誰か他人が書いた有名人物の真実の人生描写ですよとか、
それがいわゆる、伝記。自伝ですね。
物語じゃないですよ、ほんとの自伝ですよという。
それが自伝文学です。
とはいえ実は相当自分に都合よく描写するのが常識?ですけどね?
だってそうでしょ、
自分で自分の自伝書いて、自分のことを、馬鹿で、悪者で、間抜けと、、書くはずないじゃないですか。「自伝や伝記は嘘に満ちている」という格言がある通りです。
意識的にせよ無意識にせよ、自分をよく書くのが当たり前でしょ?
まあそういう意味ではその人の真実の姿は永久に闇の中?でしょうけどね。
有名人の伝記なんて嘘と見栄とで脚色されつくしてるんですよ。
誰も都合の悪い事実は伏せますからね。まして有名人なら世間医知られたくないことは自分の名誉のためにも伏せます。
そういう意味では教養小説とある意味、かぶる(だぶる)ともいえるでしょう。教養小説はフィクションですから、
さてそれでは前置きはこのくらいにして私が独断で選んだ個々の作品を見てゆきましょうか、。
☆「自省録」ローマ皇帝マルクス・アウレリウス 完全訳あり
自覚的に?自伝として書かれたものとなると、
「自省録」ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの書いた、これがおそらくは嚆矢でしょうか?
これはそのタイトル通りに自らの人生を振り返り反省した?
自省録ですね。すごい真摯なまじめな自省の文章です。浮いたところなど一片もありません。真摯さが全編にみなぎっています。
☆聖アウグスチヌスの「告白」 完全訳あり
宗教者の書いた自伝というのも古代から実に多いです。
まあ福音書も広い意味では伝記?ですものね?
或いは「私はいかにして〇〇になったか」的な、という宗教自伝は腐るほどありますが
その中で有名なのが
聖アウグスチヌスの「告白」でしょう。
みずからの生い立ちと、どうしてキリスト教徒になったのか
詳しく誠実に描かれていますね。もちろん主筋はキリスト教の発揚ですが。
自伝文学としてもけっこう面白く読めますね。
☆ルソー「告白」 完全訳あり
近世になるともう自伝文学のオンパレードです。
「何とかの生涯」とか
「何とかの伝記」とか
実に多いですね。
その中でやはり、
これが白眉でしょうね。
ルソーの「告白」です。戦前の邦訳は「懺悔録」(岩波文庫)となっています。
まあ確かに懺悔の要素ありありですよね。
生の告白文学として、これは画期的なものでした。
「包み隠さずすべてをさらけ出した」、、と、ルソーが言ってる通り
全て清濁を告白しています。そういう意味では、告白文学の白眉でしょう。
というか告白文学の嚆矢、元祖。鼻祖です。とはいえ叙述の品位は保たれていてまあ上品な告白?となっています。
☆ムッシューニコラ レチフドラブルトンヌ 抄訳のみあり
原書で全6巻という大長編です。邦訳の完訳本はなし、抄訳がありますが5分の1です。
「下水のルソー」というあだ名の通り、こちらはモロ、性的な自叙伝となっています。
下品で卑猥で、庶民の欲望がモロだしの、野性的自叙伝です。そういう意味では興味深いですね。
こういう下品で卑猥な内容を分厚い6巻本という大長編に書き綴ったその根性たるや大したものですよね。
☆「カザノヴァ回想録」ジャコモ・カサノヴァ 完訳あり
生の告白?性的自叙伝としては
「カザノヴァ回想録」が本格的?でしょうね。
性と冒険に半生をささげたこの男は老境に達してもう何もできなくなったとき、
ドックスの古城で図書館係という寒々とした老後を送ったカサノヴァが言うことを聞かなくなった老体で青春の光輝を回想録するという、人生を二度楽しむ方法を思いついたのである。
性的要素も多いですが、それ以上に当時の人情風俗描写は迫真的です。
今では当時の風俗(性風俗)を知るための第一級資料となっています。風俗史の文献となったのです。歴史文献としても出色です。叙述はそれなりの品位があって、レチフのような下品さは在りません。結構、お上品?です。文学作品としても十分読ませられる内容です。
☆「わが秘密の生涯」マイシークレットライフ 匿名作家 完訳本あり
これに比べると同類とはいえ、「わが秘密の生涯」は、文学的な価値はゼロです。カザノヴァは冷静な世情観察者として当時の風俗・人物・事件を克明に記録して残した価値は絶大でしょうね。
叙述には文学的な価値もあります。
それに対して「我が秘密、、、」の著者は記するのはもっぱら性だけ、2500人という相手との性体験だけですからね、他はほぼ、皆無です。しかも邦訳本で全12冊という大長編ですから、それがすべて性の記録のみだからもう催淫どころかうんざりして、やがては、嫌悪感、そしてうんざりしてしまいますね。これを読み通すのは楽しみどころかむしろ苦行ですよ、これでもかこれでもか、という性体験描写は正直、キツイです。ビフテキとピザと、とんかつを毎日3食強いられるような、そういういやーな嫌悪感があります。しまいには吐き気を催します。そういう意味でこれは悪書でしょうね。
☆フランク・ハリスの『わが生と愛』(原題: My Life and Loves) 完訳あり
性的自叙伝としてはフランク・ハリスの『わが生と愛』(原題: My Life and Loves)のほうが面白いし飽きさせませんね。20世紀に書かれています。モーパッサンの秘話?も書かれていますね。
彼は旅行者として世界を回って性体験を重ねたようです。アフリカ中東、、さらには
、明治期の日本にも来て芸者?と交情を深めています。
かなりウソ?も書かれているようです。まあほら話としてもけっこうおもしろいですね。
こうして近代になると
無名の庶民まで自伝を書くようになって
江戸期の無名武士の書いた家計簿とか
フランス革命時代の無名人が書いた日記とか
今となれば歴史資料として価値が認められたものもありますね。
そうして現代、、
自伝は誰でも書く、自分史へと変換してきました。
そんな自分史としては
こんなのはどうでしょう。
☆シモーヌ・ビュイユの「工場日記」
これを初めて読んだ時の感動を今も忘れられません。
☆「アナイス・ニンの日記」もいいですが
私はやっぱりこれ「工場日記」ですね。
まあこれら以外にも日記文学・自伝文学の珠玉の逸品は
どこかにかくれていて、あなたが探し出すのを待っているのかもしれませんね?
さらにさらに私の極個人的なお勧め伝記・日記・自伝文学は以下の通りです。
☆古代ギリシャ哲学者列伝 岩波文庫
古代ギリシャのありとあらゆる哲学者たちの逸話集、
☆あるヨギの自叙伝 ヨガンダ
ヨガナンダ師の自叙伝ですが、悟りの階梯の書でもあるのです。
☆アミエルの日記 岩波文庫
岩波文庫で全12冊という、長大な日記です。瞑想と自省のこんな日記が残されてるなんて
ほとんど、奇跡ですよね?
☆三大陸周遊記 イブンバトウータ
アラブ世界の大旅行者の旅行記・見聞録です。
☆大唐西域記 玄奘
あの三蔵法師の旅行記です。西遊記はフィクションですが、これはもちろん実録です。
☆近世奇人伝 岩波文庫
江戸期の奇人たちの生きざまを伝える人物伝の白眉です。
売茶翁の談が私は好きです。
☆エセー モンテーニュ
ご存じの随筆録です。説明不要なほど有名な随筆です。
☆泥棒日記 ジャンジュネ
これは創作ですが、自伝としても読み替える?ことができる?
☆入唐求法巡礼行記 円仁
中国への日本人留学僧が書いた実録です。
☆オーベルマン セナンクール著
孤独な放浪者、セナンクールが綴った魂の告白の書です。
まだまだいくらでもこの手の書物は在りますが本日はとりあえず、ここまでとします。
(注)私がご紹介している書籍については、
その書籍について私は責任は負いません。
あくまでも、自己責任でお読みください。