【改稿前】
「……少女は…いや、少女だったものはぴちゃりぴちゃりと湿った足音をたてて少年の後を尾行て歩く。
少年は逃げ続ける。
もう学校には自分しか残っていないことも、学校から逃げ出せないことも、知りながら逃げ続ける。
もう何度思ったことか、肝試しなんてやるんじゃなかった、と。
行くあてもなく、終に辿り着いてしまった突き当たりの教室に転げ入る。
何の因果か、そこは悪夢が始まった理科室だった。
いくつもの赤い足跡は教室中に散らばり、一緒に来ていた三人分の友達だったものは、その死体を開かれ、蹂躪され、あらゆる方向に折れ曲がり、無惨な姿となって放置されている。
生臭い、鉄の臭いがする教室の端まで走り、机の裏に隠れる。
とにかく願い続けた。
助けて
だれか助けて。と
ガラリと扉が開き、二度と聞きたくなかった足音が耳朶を打った。
ぴちゃり、ぴちゃり
入り口辺りから聞こえる足音が怖くて、少年はギユッと目を瞑る。
『人ガキタ……肉ダ、ニク…オイシイ……食ベル…カラダ…』
無邪気な声が人の肉を求めてさまよう。
『…人……探ス…子供……ヤワラカイ…男ノコ………探ス…探ス…殺ス…探ス……オイシイ…』
ぴちゃりぴちゃりという足音はしばらく動いていたが少しすると遠ざかっていった。
少年は、ほぅと体の力を抜く。
もしかしたら助かったのかもしれない。
そんな安堵とともにゆっくりと目を開けると、
『…………ニク…………』
目の前に、口を三日月型に歪めて笑う逆さまの爛れた少女の顔が…」
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
絹を裂くような甲高い悲鳴が建物を震わせる。
そして、パッと明かりが着いた。
「翔、初めての合宿怪談の感想はどうだ?」
「ど、ど、ど、どうって……あれはちょっと…」
「ちょっと…か。今回のはあまり怖くなかったかもしれんな。参加者の半分はつまらなかったのか寝てるし、ホラーが苦手な健人も今年は笑っている。」
翔が健人の方を向く。健人は焦点の定まらない目でどこか虚空を見ながら笑っている。
「あはははは〜……あ…おばあちゃんが川の向こうにいる………お〜い…おばあちゃ〜ん…僕はここだよ〜………ははははは〜……こっちだよ〜……」
(………)
「ほらな、笑って…」
「おい。」
俺の言葉を遮るように翔が突っ込む。
二人の沈黙と一人の笑い声。
「おーい、和ー。」
なんとも言い難い雰囲気を打ち破ったのは由恵の声。後ろには少し顔色の悪い佐井、浪岡、川内、それに別室でじいちゃんと一緒に小さい子たちを相手にしている筈の沙月の姿も。
「結果報告。倒れた子が8人、腰が抜けた子が4人、まだ動ける猛者が5人。高校生の方は浪岡さんは足が震えてしばらく動けなかったくらい。男子の方は……全員動けるみたいだね。」
スゴいスゴいと手を叩く由恵。
「由恵、とりあえず倒れたより上のランクに健人の現状を書いておいてくれ。」
「へ?健人はもう立って歩い……………ふえっ!?ちょ、健人!しっかりしなさい。起きろ健人!………………………ハァッ!」
スパァーン!
健人が頭の中で川を渡り始めたところで由恵の掌底が顎に炸裂。僅かな空中浮遊を経てそのまま伸びてしまう。
「そっちの三人は………まあそんなに怖くなかっただろうな。由恵と一緒に効果音を担当してたし…」
ブンブンと全力で首を振る三人。
「分かっていてもあの音はおどろおどろし過ぎますわ…」
「自分の手で開始させなけれいけないという強迫観念もまた…」
「むしろ倒れていく人を一人二人と数えていく岩木の姉の方が怖かったり…」
浪岡、佐井、川内と順に答える。
あまり怖くないよう、やることのある由恵の元へ回したのだが……
「とりあえず今までの怖かった分は翔で発散しろ。翔は三人をなだめながらここに待機、健人にも同じように伝えておいてくれ。」
「待機って………これから何かするのか?」
翔の質問に対し、倒れた人間を部屋まで持っていくために立ち上がりながら答える。
「まだ時期的には早いかもしれんが………肝試しだ。」
ニヤリと笑う和久に四人全員が息を呑んだ。
佐井明里は、正直とてつもなく怯えていた。
当初はあの怪談で十分怖かったので肝試しなんてする気はなかったのだが、誰が翔とペアになるかな…から始まった倉石君の言葉に乗せられてしまい、気が付けばもう自分の番を開始してしまっていた。
例の怪談を意識したのか場所は廃校。しかも理科室に行って黒板に何か書かなくてはいけないという過酷なルール付きだ。
期待していた自分のペアは浪岡さん。翔君のペアは倉石君の妹さんにとられてしまった。
キュ、キュ、と学校の廊下と靴底のゴムが擦れて不気味な音が鳴る。
「………ねぇ、浪岡さん。」
恐怖に押し潰されそうな自分を奮い立たせ、唯一近くにいる存在に声をかける。
「な、なんですの…?」
声が震えている。
同じなんだなと思うと心のどこかが少し落ち着いた。
「その…黒板に一言書くと言っていましたけど、具体的にはどのように書けばいいんでしょうか?」
「そうですわね……少なくとも誰が書いたのかを判別させるために名前は必要であると思いますわ。」
ごもっともなことで。
他愛もない言葉を繰り返していく内に目的地の理科室に着いた。
遂に来たという使命感と怪談からの恐怖が全身を緊張させているのを感じながら、月明かりの差す静かな一室をそっと開ける。
薄暗い理科室はまるで別世界のように静謐な空気に満たされ、使われなくなった机や椅子は寂しそうに佇んでいた。
本当に夏なのか疑ってしまうほど涼しく、窓の外の木々がカサカサと音を鳴らすのに合わせて悪寒が走り抜ける。
冷や汗が背中を伝う。
「は、早く終わらせて帰りますわよ!」
浪岡さんの声に頷き黒板の前に行く。
書かれていたのは、白いチョークで書かれた『達成 倉石和久』と黄色いチョークで書かれた『二人っきりでの共同作業♪ 由恵』、そして真ん中の方に書かれている真っ赤な『たすけて』の文……字………
………!?い、いやいや待て、自分たちの前にやったのは倉石君と岩木君のお姉さんのペアだけ。だからあそこにあったのは倉石君たちの名前だけで、つまり三つ目の書き込みがあるのはおかしいわけで、だけどあの二人ならより怖がらせるために追加で書くことも有り得るけど、それでも二人の仕業でないならつまるところ残された答えは一つしかないわけで―――――!!!
パニックに陥っている佐井の耳にゴトリという無機質な音が届く。
心のどこかが警報を発していて、自分自信も見たくないと思っているのだが、それでも体は勝手に動き音のした方を向いてしまった。
それはピクリとも動かなくて、
顔をこちらに向けていて、
その顔の半分に肌色はなく、
その下の筋肉や歯が見えていて、
生気のない眼が真っ直ぐこちらを見ていて、
「………キィャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ…」
闇夜に木霊する少女二人の悲鳴が和久の耳まで届く。
「成功だね。」
由恵に頷き返し冷たく光る校舎を見上げる。
「ああ。人体模型が残っていてよかったよ。」




