33
アルがヴァイツェッカー領に旅立ってから約2週間ほどが経った。
その間村では何事も無く、良く言えば平穏な。悪く言えば退屈な日常がのんびりと続いていた。
「それでね、うちの弟がバカでさー。この間の雨の日に泥んこで帰って来たのね。汚いから洗って!って言ったら、こうすれば服も体も一気に洗えるじゃん!って雨の中飛び出していったの!」
「あー男の子はやるよねー。でどうなったの?」
「案の定風邪ひいて寝込んだわ!」
「あっはっは!」
とある家の庭先で年頃の少女達が集まり、糸車を回して毛糸を紡いでいた。
少女達はゴミと汚れを落とした羊毛を途切れないように細く手で引き伸ばし、もう片方の手で取っ手のついた滑車を回している。そうする事で撚りを掛けられた羊毛が糸となって紡錘に巻き取られて行く。
簡単そうに見えるかもしれないが、慣れないと糸が途切れたり、糸に太いところと細いところが出来てでこぼこになってしまったりと意外に難しい作業だ。
糸車は貴重なのか1つしか無いようで、少女達は交代しながら作業している。
糸車を扱っていない少女は出来上がった毛糸で毛糸玉を作ったり、羊毛のゴミ取りをしながらおしゃべりに興じているようだ。
「ねーバカだよねー。エイルちゃんもそう思わない?」
「………」
エイルもその少女達に混じり一緒に作業をしていた。だがどういう訳かいつもと少し様子が違う。
「エイルちゃーん?」
「………」
普段から無口なエイルだったが、話しかけられて返事をしないなんて事は無い。多少テンポが遅れても必ず言葉を返していた。
しかし今日に限っては虚ろな目で遠くを見つめ、友人たちの声が届いていないのかまるで無反応だ。
「あーダメダメ。心ここにあらずって感じね」
「うーん、昨日よりヒドイね」
エイルはここ数日ずっとそんな調子だった。
アルが旅立った初日こそ普段通りに過ごしていたのだが、2日目にはそわそわしだし、5日目になるとぼーっと過ごす時間が増えた。
そして10日を超え今に至るともうほとんど放心していた。しかし手だけはしっかりと動き手際良く毛糸玉を作っている。
「こんな状態でも作業は私より早いんだよねー」
「………」
アルが生まれてから今まで2人はずっと家族同然に過ごして来た。この5年間、文字通り1日も離れる事が無かったほどだ。
それだけにこの2週間はエイルにとって初めての経験ばかりだった。
何をしても楽しくなく、何を食べても美味しくない。
エイルは心にぽっかりと穴が開いたような、体の半分が無くなってしまったような喪失感を感じていた。
「まぁアルフリート様が帰って来れば治るでしょ。…それよりもあなた、ここにまだゴミが残ってるじゃない。ちゃんとやんなさいよ」
「えぇーこれくらいは良いんじゃない?誰も気にしないよ」
目ざとく羊毛に残るゴミを見つけた少女がそう指摘するが、言われた方の少女は面倒くさそうに言い返す。
「ダメよ!紡いだ後だと取るの大変なんだから今やった方が楽でしょ!」
「真面目だなぁ…」
「あなたが不真面目なだけよ!」
「あーあー聞こえなーい」
耳に手を当て聞こえないふりをする少女がぷいっと横を向くと、何やら遠くで人だかりが出来ているのが目に入った。
「あれ…?なんか向こう騒がしくない?」
「またそうやって話逸らす!」
「違うって、ほらあっち。人だかりが出来てるよ」
「んー…?あらほんとだ」
少女が目を凝らすとそこにはヘイルムーンの旗を掲げた1台の馬車と見た事のない頑丈そうな数台の馬車、そして高そうな装備を身に付けた大勢の兵士が見えた。
アル達が出発した時は馬車1台と兵士10人ほどだったので随分と数が多い。
「エイルちゃーん、アルフリート様帰って来たみたいだよ。ほらあれ」
「………え」
焦点の合っていない目をぱちくりと瞬かせたエイルは、言われるままに少女の指差した方を眺める。
するとなんの偶然か、人だかりの隙間からアルが馬車を降りるところが一瞬だけ見えた。
「…あっ、あ!えっと―――」
エイルは焦った様子で遠くの人だかりと自分の手元にある作りかけの毛糸玉を交互に見る。すぐにアルの元に向かいたいが、作業を途中で放り出してしまうのは…と葛藤しているようだ。
「あーこっちはやっておくから行っといでよ。気になって仕方ないでしょ?」
「あ、ありがとう!」
友人の助け船にエイルはそう感謝を言うと、作りかけだった毛糸玉を少女に手渡し大慌てで駆け出して行った。
「おーおー、微笑ましいねー。アルフリート様の事になると目の色変わるんだから」
「実際どうなの?弟的な感情なのか、それとも男の子として見てるのか…」
「さぁどうなんだろうねー。ま、なるようになるんじゃない?」
そう言うと少女はエイルから受け取った毛糸玉を適当に丸めてぽいっと放り投げた。
「あーっ!またそんな適当にやって!絡まってたらどうするのよ!」
「…ほんと、真面目だねぇ」
「だからっ!あんたが不真面目過ぎるのよ!」
ふーっと大きく息を吐き、私は心を落ち着かせました。
久しぶりにアルに会うんですから、みっともなく慌てふためいた姿なんて見せるわけにはいきません。私はお姉さんですし。
それにしても今日はやけに暑いですね。顔が火照ってしょうがないです。
まだ夏と言うには早い季節なのに汗をかいてしまいました。髪が額に張り付いて邪魔です。
汗を拭い、髪を整えて準備完了です。さぁアルを探しましょう。
…とは言ったものの、人が多すぎてちょっと探せないですね。
なんだか見慣れない鎧を着た兵士の方が大勢います。アルが出発した時こんなにいましたっけ?馬車も多い気がしますが、正直言ってぜんぜん覚えてないです。
「―――それでね、こちらが代表として来てくれたフェルマーさん」
アルの声が聞こえました!
私は人だかりの隙間を縫うように進み、声のした方向に向かいました。こういう時は子供の小さい体は便利ですね。
「フェルトマイト・ヴァイツェッカーと申します。お目にかかれて光栄です、ヘイルムーン卿」
「へ、ヘイルムーン卿!?僕の事は気安くディルトラントと…って、ヴァイツェッカー?ヴァイツェッカーってあのヴァイツェッカー?」
「えぇ、そのヴァイツェッカーです。本日は父の名代として参りました。父がよろしくと」
「あ、はいこちらこそよろしくお願いします…いや、ありがとうございます?えーっと、いったい何がどうなってこういう事になってるのか、いちから順に説明して貰えると…」
アルとディルトさん、それに知らない男の人が集まってお話ししてますね。邪魔になるといけないので終わるまで待ちましょうか。
「―――という訳で『街道整備』の為に来てくれた200人の兵士の皆さんだよ」
それにしてもアルとは2週間も会えなかったのですが、その間に随分と大人っぽくなったような気がします。ちょっと背伸びました?
「はぁ、なるほど…街道整備。あくまでも街道整備を手伝って下さるだけという訳ですね?」
「ええ、その通りです。陣地から遠く離れた地での作業ですから、それに加えて行軍訓練、野営訓練、工兵訓練にもなりますね。もちろん有事の際は『ヴァイツェッカー兵』として私の指揮下に入ります」
そうやってアルを見続けていたらアルの方も私に気付きました。パッと表情を明るくして手を振ってくれます。かわいい。
「アル、後でどんな交渉をしたのか詳しく教えてね………」
しばらくしてお話がひと段落ついたのか、アルがこちらに駆け寄って来てくれました。
「エイル姉ちゃん!ただいまー!」
「…おかえり」
どうしましょう!話したい事がたくさん有ったはずなのに何故か一つも出て来なくなってしまいました。
それにアルの笑顔が眩しすぎて直視出来ません!
思わず私が目を逸らすと、アルが大事そうに脇に抱えているものが目に入りました。
立派な革の装丁がされた、分厚くて重そうな…恐らく本です。
私は本を読んだ事は無いですが、流石にあれが本だという事ぐらいは分かります。
「あっこの本?フレイさんが貸してくれたんだ」
私がじっとその本を見ていた事にアルが気付き、抱え直して見せてくれました。アル優しい。
ですがそれよりも今なんて言いました?
「………フレイ、さん?」
誰ですか?女の子ですか?女の子ですね?
「そうそうフレイニーヤさん。ヴァイツェッカー家の御息女で俺と同い年の女の子。むこうで仲良くなったんだ」
「………可愛い子?」
私の興味の矛先が本からその女の子に変わりました。もう本なんかどーでもいいです。
「えっ?あーまぁ可愛い、かな?将来きっとすっごい美人になると思うよ」
「………へぇ」
何故でしょう無性にイライラしてきました。
私が毎日アルの事を考えご飯も喉を通らないほど心配していたのに、当のアルは訪問先で可愛い女の子とイチャイチャしていたわけですかそうですか。
「向こうを出立する時に帰らないでーって泣かれちゃったんだけど、本を返す時に必ず感想を聞かせるって約束してなんとか納得してもらったんだ」
「………」
つまり本を返す時は直接会いに行くわけですね。そして感想も手紙で済ませるのではなく、実際に会って『聞かせる』と。ふーん。
「貸してもらった本はフレイさんお勧めの物語で、挿絵もいっぱい有るみたいだからエイル姉ちゃんも後で一緒に読もう?」
「………え、一緒に?」
今一緒にって言いました?アルと2人で?一緒に?同じ本を?
「うん、一緒に」
アルのその一言で私の想像が空に浮かぶ雲のように一気に膨らみました。それはもうぶわーっと一瞬で。
一冊の本を2人で読むんですから、きっと同じテーブルで隣り合って座るのでしょう。肩を寄せ合って、何なら顔も寄せないと読めないかもしれませんね。それならいっそ同じイスに座って…いやアルを私の膝に乗せて抱き抱えるように…
「エイル姉ちゃん?」
寝る時間になっても続きが気になって隠れて読むかもしれません。同じベッドに潜り込んで布団を被り、お母さんに見つからないようにロウソクは点けず月明かりだけで。
それは、ちょっと、なんて言うか…えへへ…
「………」
「えーと、ダメかな?」
「ダメなわけない!」
おっと思わず大きな声が出てしまいました。
私の声にアルは驚いていましたがすぐに笑顔に変わりました。
「やった約束ね!あとこれ、エイル姉ちゃんにお土産!」
そう言ってアルが取り出したのは2つに折られた羊皮紙でした。受け取って開いてみると、そこには小さな黄色い押し花が3輪納められていました。
花びら一枚一枚が折れないよう丁寧に広げられ、キレイに押されています。
「押し花?きれい…」
「えへへ〜、旅の途中で俺が作ったんだよ!」
「…ありがとう、アル」
「どういたしまして!」
私は押し花の入った羊皮紙をぎゅっと胸に抱きました。
アルからの初めてのお土産、しかも手作りです。これは一生の宝物になりますね。大事にしまっておきましょう。
「あっ!ディアドラさん!これお土産の押し花なんだけど…よかったら貰って!」
………ちょっと待って下さい。私だけじゃないんですか?
ディアドラさんにもあげるんですか?しかもそっちの方が大きくないですか?
これは話し合いが必要ですね。
納得のいく説明が聞けるまで夜通し付き合って貰いますから。覚悟はいいですかアル!
「くふっ、くふふ…」
アルが村に帰還したのと同じ頃。
アイネイアは王城スワンチカの自室で忍び笑いを漏らしながら手紙を読んでいた。
「………姫様、率直に言って気持ち悪いです」
そんな様子をアトミカは執務机の前に立ちながら見下ろしている。その顔は呆れを通り越してすっかり諦めているようだ。
「仕方ないじゃない。自分の思い通りに事が運ぶとね、どうしても笑いがこみ上げてきて…くふっ」
アイネイアの読んでいる手紙には特徴的な紋章が描かれていた。
絡み合う3匹の蛇が輪になっている、東の大国『カルディア帝国』の紋章だ。
「カルディアの返答は何と?」
「全面的に合意よ。すぐにでも動く…と言うより確実にもう動いてるでしょうねこれは」
アイネイアは再びくふふっと笑い無造作に手紙を机に放った。机の上を滑る手紙をアトミカは落ちないようにそっと手で押さえ、それに目を落とす。
アイネイアは随分とぞんざいに扱っているが、自国より格上の国からの手紙。しかも国の紋章が描かれている以上、これは正式な国書のはずだ。
「一体何をしたらカルディアのような大国が手紙一枚で動くのですか?」
詳細は書かれていなかったのか、一通り読んでもアトミカには分からない事だらけだった。そもそもアトミカはこの手の話は得意ではない。
「うーんそうね、一言で言うのなら『10年時を進める方法』かしらね?」
「…はぁ」
アトミカはそれ以上聞くことはしなかった。聞いたところで自分には理解出来ないだろうと思ったし、自分は知らなくても問題無い事だと思っていたからだ。
「アトミカ。これを」
そう言ってアイネイアは机の引き出しから小さな筒を取り出し、アトミカに手渡す。
それはクロトミュスコフの『眠れる竜』の紋章が入った手紙用の筒だった。すでに蝋で封がしてある。
「事前に返事を用意されていたのですか?」
「想定通りの内容だったもの。無駄な時間は省いた方が良いでしょう?」
「………そうですか」
それはアイネイアの思惑通りに事が運んでいる事の証左だった。
アトミカはこの幼い王女が一体どこまで先の事を見通しているのかと感嘆した。しかしそれと同時に何か想定外の出来事一つで足元を掬われそうな危うさも感じてしまっていた。
だからこそ、そうならない様に自分がお守りしなければ…と思うのだが、このままではいつか取り返しの付かない失敗をしてしまうのではないか。
むしろ今のうちに致命傷にならない程度の失敗を経験した方が長い目で見れば有益なのではないか、とも考えていた。
だからと言ってわざと失敗するように仕向ける、なんて事をする筈がなかったが。
「姫様、失礼します」
「ん」
アトミカはそう断ってからガラスの格子窓を開ける。
高い塔の上だ、冷たく強い風が容赦無く吹き込む。その風が彼女の長く艶やかな黒髪をたなびかせた。
するとアトミカはその髪を無造作に一房掴み、手にしたナイフで躊躇無くばっさりと切った。そして口の中で何か不思議な言葉を呟く。
「――、―、―――」
びゅうびゅうと吹く風の音のせいでそばに居るアイネイアでもその声は聞き取れない。だがたとえ聞こえたとしてもその言葉の意味は理解出来なかっただろう。
アトミカが呟きを終えると手の中の髪がまるで生き物の様に蠢き、握りこぶし大の球形にまとまった。
その姿形は見ようによっては卵のようであり、力強く脈動する様子は心臓のようにも見える。
アイネイアとアトミカ、2人の視線を浴びながらしばらく脈動を繰り返したそれは、ほどなくして孵化の時を迎えた。
卵から孵ったそれは2本足で立ち、腕の代わりにコウモリに似た皮膜の翼を持った不思議な生き物。
鱗で覆われた体はアトミカの髪色と同じ漆黒。しなやかで長い尾は蛇のようだ。
顔はトカゲにも見えるが明らかに違う。頭頂部に2本の大きな角が伸び、首筋から背そして尾の先まで一筋に棘が生えている。
―――それはどこからどう見ても、小さな『竜』だった。
その小さな竜はアトミカの顔を見つめると「ピュイ!」と甲高い鳴き声を上げ、ぶるぶると体を振るわせた。
すると手のひらに乗る程度だった体はみるみる大きくなり、あっという間に大型の猛禽類程にまで成長した。手の上では狭くなったのかひょいっとアトミカの肩に飛び移る。
「いつ見ても不思議ね。それは異能?それとも魔術の類いなのかしら?」
「………姫様にお話しするような物では」
「はいはい、興味を持つなって事ね。分かったわよ」
「………」
アトミカは無言のまま肩に乗った子竜に手紙の入った筒を差し出す。すると子竜は鼻を近づけ確かめる様にフンフンと匂いを嗅ぎ、大きく口を広げ筒を咥えた。そしてごくりと飲み込みその腹に収める。
「行け」
「クワァ!」
アトミカの命を受けた子竜は窓からその身を乗り出し、大空に向かって勢い良く飛び立った。
生まれたばかりなのにもう飛び方を知っているのか、子竜は空中で器用に翼を動かし方向を変え、東の空へ向かって一直線に飛んで行った。
尋常な速度ではない。あっという間に豆粒ほどの大きさになり、そしてすぐに見えなくなった。
「さて、お父様に進言しましょう『時が来た』と。そしてカルディアの動きが確認出来たらいよいよあの計画を実行に移すわ」
子竜の行方を見届けたアイネイアは椅子から立ち上がりそう宣言した。
その背はアトミカの腰辺りまでしか無い。
忘れがちだがアイネイアはまだ8歳の幼い少女なのだ。本当ならまだ遊びたい盛りのやんちゃな年頃のはずだ。一日中部屋に閉じ篭り陰謀を巡らせるなんて事は普通の状態ではない。
しかも今度は自分自身が動こうとしている。
「姫様に危険な事はして頂きたくないのですが…考え直しては頂けませんか?」
「却下よ。そもそもあの計画の為に戦争を起こそうとしてるのよ?ここでやめたら意味が無いじゃない」
「………」
何を言っても無駄だとは分かっていた。可愛らしい見た目とは裏腹にこの少女は頑固なのだ。
アトミカの本音としてはアイネイアが歴史に名を残すような偉業を成したり、救国の英雄として讃えられるような事を望んでいる訳ではなかった。
ただただ平穏に、そして幸せにその人生を全うして欲しいだけだ。
しかしアイネイア自身がそれを望んではいない事も、そして周りがそれを許さない事も知っている。
「信頼しているわアトミカ。ついて来てくれるわね?」
だからアトミカはこう答えるのだ。
「どこまでもお供し、お守り致します」
(それが、あの子を―――貴女の母親を守れなかった私の贖罪であり、未だ無様に生き続ける意味…)
「ふふ、ありがとう。ではまずはお父様の元へ行きましょうか。そしてその後は手筈通り極秘裏に出立の準備を整えるわよ」
「はい」
アイネイアはその幼い顔には似合わない獰猛な笑みを浮かべた。その視線の先は窓の外、南の空とその下に広がるであろう地を眺める。
「さて、どんな所なのかしらね?ヘイルムーンは」




