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「…だれ?」


 窓の外を眺めていたのだろうか、イスに腰掛け佇んでいた少女はアルに気付くと振り返ってそう呟いた。


「えっ、あ…えっ?」


 アルは書庫内に自分以外の誰かがいるとは思っていなかった。

 なので驚いてしまい、体と思考を硬直させてしまった。その拍子に持っていた3冊の本を落としそうになってしまう。


「わっ!おっとっと!」


 慌てて抱え込み、本を落とす事だけは回避出来た。しかしそのアルの慌てふためく姿を少女は目を丸くして見ていた。


「し、失礼しました!俺…いえ私は隣のヘイルムーンから来ましたアルフリート・ヘイルムーンです初めまして!あっ!ディルトラントの息子です!」


 羞恥で頬を赤く染めたアルはなんとか名乗り、ぺこりと頭を下げる。

 せっかく覚えた貴族向けの礼儀作法や言葉使いだったが、突然の事には対応できずすっかり剥がれ落ちてしまった。


(ヴァイツェッカー卿は妻の書庫だと言ってた…その書庫に1人でいるって事はつまり関係者、身内だよね…うっわー言葉使いミスったー!)


 少女は目を丸くしたまま、思わずといった様子で声を漏らす。


「わっすごい、びっくり」


「え?すごい?びっくり?」


 少女の予想外の反応に、アルは思わずオウム返しをしてしまった。


「あっ違いました!…えっと、初めまして。わたしはリンクレット・ヴァイツェッカーの一人娘、フレイニーヤ・ヴァイツェッカーです。よろしくおねがいしますね」


 そう言って少女は立ち上がるとスカートの端をちょこんと掴み頭を下げた。陽の光を浴びて輝く長い金髪がさらさらと肩から零れ落ちる。


「…あっ、はい!よろしくお願いします!」


 その姿をぼーっと見ていたアルは弾かれたように頭を下げた。


「本を読みに来たの?」


「そ、そうです。ヴァイツェッカー卿から書庫に入る許可を頂いたので我慢出来ず早速来てしまいました」


「そうなんだ。それじゃあ良かったらこっちでいっしょに読みましょう?」


「は、はい!失礼します」


 誘われたアルはフレイニーヤと向かい合わせのイスに座り、テーブルの上に3冊の本を置いた。

 一方フレイニーヤも読みかけだった本に目を落とす。一緒に読みましょうと言われたが、流石に同じ本を2人で読むという意味ではなかったようでアルは胸を撫で下ろした。


 こっそりと対面に座るフレイニーヤの様子を窺ってみると、彼女の開いている本は文字が大きく、またページの半分に絵が描いてあった。子供向けの絵本の様な物なのだろうか。

 アルはそのまま気付かれないようにフレイニーヤを観察する。


 輝くような長い金髪に、垂れ目がちのまるで翡翠のような緑色の目。その大きな目は本に向けられ、楽しそうに細められていた。

 恐らくアルと同じ年頃だろう。もちろん今でも十分可愛らしいが、将来はきっと目の覚めるような美女に成長するに違いない。


(あの強面のヴァイツェッカー卿からよくこんな子が生まれたな…よっぽど奥さんが美人だったのか、それとも隔世遺伝でもしたのかな?)


 アルはそんな失礼な事を想像していた。

 目の前に初対面の女の子がいるのに落ち着いて本が読めるだろうか…?と心配していたアルだったが、諦めて本を開きいざ『歴史』を読み始めるとその心配は杞憂に終わった。


 神話とも歴史ともつかないこの大陸の古代史から始まり、3000年前に滅んだとされる魔導文明の事や、その後1000年にも及ぶ空白文明の事など、どちらかと言うと現実味の無い物語のような内容の本だった。

 アルは「ちょっと想像してたのと違うなぁ」と思いながらも、読み進めるうちにぐいぐいと引き込まれて行った。

 内容そのものが面白かったのも有るが、何より『本を読む』という行為そのものが楽しく、アルはその世界に没頭した。


「…」


「…」


 一方フレイニーヤの方もアルの事は気にせず、自らの本の世界に没頭していた。











 数時間はそのままだったろうか。

 時間の事も、そしてもちろん目の前の少女の事も忘れアルは読み耽り、『歴史』の一巻を読み終えた頃には日が傾きかけていた。


「はぁ…」


 アルが読了の余韻に浸り、ため息を吐きながら顔を上げるとこちらをじっと見つめていたフレイニーヤと目が合った。


「うぇっ!?な、なんでしょうか………」


「なに読んでるのかなーって。それお母さまの本よ、むずかしい本読めるのね」


「あぁ…いえ、はい」


 納得し、謙遜しようとしたが実際に読んでいたので否定するのもおかしいか…と思い肯定した。

 アルはフレイニーヤとの距離感がどうも掴みにくく尻込みしてしまっていた。最近はルートやレイのお陰で村の子供達と仲良くなったアルだったが、基本的には人付き合いが下手なのだ。


 フィンやヴァイツェッカー卿のような大人相手なら割り切って、ある意味演じる様に対応出来るが、同年代の子にはどこまで素を出していいのかいまいち掴めてないのだ。


「お茶にも気づかないくらい集中してたのねー」


 そう言われてアルは初めてお茶が用意されていた事に気がついた。すっかり冷めているので淹れられてから相当時間が経っているのだろう。


「あ、全然気づきませんでした…」


「えへへ、わたしといっしょだ」


 そう言ってにへらっと笑うフレイニーヤの前にも冷めたお茶が置かれていた。どうやら彼女もついさっき気づいたらしい。気を利かせた侍女が淹れてくれたのだろう。


「同じですね」


「うん、おんなじ」


 2人で笑い合うと緊張がほぐれていくのを感じた。

 やはり同じ趣味を持っていると親近感が湧くのか、さっきまで感じていた壁が少しは取り払われた気がする。


「フレイニーヤさんはどんな本を読んでたんですか?」


「えへへ…これ」


 そう言って見せてくれた本の表紙には火を吹く竜と、それに立ち向かう騎士の絵が描かれていた。古代の壁画のような、なんとも味の有る絵だ。

 題名は『よくばり竜とよくなしの騎士』とある。


「へぇー面白そうですね!どんな物語なんですか?」


 そう聞かれたフレイニーヤは目を輝かせ、嬉々として話し出す。


「あのねあのね!昔あるところによくばりな竜がいてね!宝物をぜーんぶ持って行っちゃってみんな困っていたの!そこによくなしの騎士さまがあらわれてね!それでねそれでね―――」


 本について語り合えるフレイニーヤの喜びは相当な物のようで、さっきまでの良家のお嬢さま、といった雰囲気なんて吹き飛んでしまっていた。

 その様子から本について語るのが相当好きらしいと分かる。

 どうやらヴァイツェッカー家中には本を読む者はフレイニーヤとその母親だけだったらしい。


「そこでね!よくなしの騎士さまはこう言ったの!『それなら、一緒に返しに行こう』って!よくばり竜はどうしても騎士さまが欲しくて欲しくてたまらなくなって、結局騎士さまと2人で宝物を返しに行く旅に出ることになったの!」


 侍女が夕食の準備ができたと知らせに来るまで、2人は夢中になって本の話を続けた。














 アルは着替えのために部屋へ戻るというフレイニーヤと別れ、自身も当てがわれた自室に戻った。そこで待っていたフィンと合流し、夕食会の行われる食堂へと向かう。


「…随分とお話しされていた様で」


 先導するヴァイツェッカー家の侍従に聞こえないよう、小声でフィンが口にした。


「あー、フレイニーヤさんのこと?御息女がいるなんて知らなかったからびっくりしたよ。何で教えてくれなかったの?」


 事前にフィンからヴァイツェッカー家の事を聞いていたが、フレイニーヤのようなアルと同年代の娘がいるとは聞かされていなかった。そもそも子供の存在すら一言も言っていなかった気がする。


「私は事務官です。元々他人に興味が無く、数字にしか食指が動かない男です。そんな人間が他家の家族構成まで知っているとお思いですか?」


「え?あー…ごめんなさい?」


 フィンの「他家との外交など私を当てにするな」という、開き直りとも取れる発言だったが、そこまではっきり言われるとアルは何も言い返せなかった。


「それはそれとして、そのフレイニーヤ嬢と気が合われたようで」


「んー?本が好きっていう共通点も有るけど、どうやら同年代の話し相手がいなかったみたいだね。話せるのが楽しくて仕方ないって様子だったよ」


「ほう、それはまた…」


 ―――随分な箱入りっぷりで、という言葉はフィンの喉に押し込まれた。

 流石にこんな事をヴァイツェッカー家の侍従が聞いたらいい気はしないだろう。

 

「庭や厩で働いてる子とも知り合いらしいけど、彼らは話し相手とか遊び相手じゃないらしい。なんでですか?って聞いたら『だって、貴族じゃないでしょう?』って本当に不思議そうな顔で言ったんだ。生まれながらの貴族ってスゲーって思ったよ」


「…私も生まれながらの貴族ですが、そこまでじゃないですね」


「あーフィンはねー、平民だろうが貴族だろうが『平等に』興味無いもんねー」


 さっきの意趣返しのつもりか、アルはニヤニヤと悪い笑顔を浮かべながらフィンを見る。


「ええまぁ、他人に興味が無いのは今に始まった事ではないですし、特に不便も感じませんね」


「…あっそう」


 フィンにはまるで通じないようだったが。






 案内され食堂に入ると、そこにはすでにヴァイツェッカー卿が立って待っていた。その横には落ち着いた色合いのドレスを纏った女性と、淡いピンクのドレス姿のフレイニーヤもいた。そして何故か正装したフェルマーもいる。


 アルはこの女性とは初対面だが十中八九ヴァイツェッカー夫人だろうと当たりを付ける。夕食会でヴァイツェッカー卿と並んでアルを迎えているし、何より輝くような金髪がフレイニーヤとよく似ていた。

 フェルマーについては違和感を感じたが「護衛かな?」と思い深く考える事はなかった。


「お待たせ致しました。本日はお招き頂きましてありがとうございます」


「よく参られた。ささやかな宴だが今日は旅の疲れを癒していって欲しい。こちらは妻のメイベラージュと娘のフレイニーヤです」


「メイベラージュ・ヴァイツェッカーです。よろしくお願いしますね、アルフリート様」


「はい。よろしくお願いします、ヴァイツェッカー夫人」


「こんばんは、アルフリート様」


 そう言ってフレイニーヤは両親には見えないよう、小さく手を振った。


「こんばんは、フレイニーヤ様」


 アルは手を振るわけにはいかなかったので、代わりににっこりと笑う事でそれに答えた。


 初対面の時とは違い、至って友好的な挨拶だ。

 これは親睦を深める為にヴァイツェッカー家が主催した夕食会なのだから、ヴァイツェッカー側が変な事を言ってわざわざ波風を立たせるような事はする筈がない。ないのだが―――


「アルフリート様、どうか私の事はメイベルと呼んで下さい」


 そんな常識などメイベラージュには関係無かったらしい。


「………え?あの、えっ?」


 初対面の女性、しかも同格の貴族の夫人を愛称で呼ぶなんて普通は有り得ない。


 愛称で呼ぶのは親しい者だけ、それが既婚の女性なら家族だけだ。

 アルが困惑し、助けを求めるようにヴァイツェッカー卿に視線を向けたのは当然だろう。


「メイベル、それは…」


 ヴァイツェッカー卿も非常識だと思ったのか言葉を濁す。


「これから『長い付き合い』になるんですもの。どうか気安くメイベルとお呼びくださいませ」


「いやいやちょっと待て…」


「もー、貴方は頭が硬いわね。でしたらメイベラージュと。それなら構わないでしょう?」


 言葉遣いは丁寧で微笑みながら話す夫人だが、決して譲らない有無を言わせぬ圧力が有った。そんな夫人には逆らえないのか、ヴァイツェッカー卿も口をつぐんでしまう。どうやら完全に尻に敷かれているようだ。


「は、はい。えーっと、ではメイベラージュ様、と…」


 いくら本人が良いと言っても流石に呼び捨てなんて不味いだろう、と判断したアルはファーストネームに『様』を付ける形でお茶を濁した。しかしそれは想定通りだったのか、メイベラージュはにっこりと笑う。


「ええ、それでお願いしますわ。アルフリート様」


 始めに無理難題を吹っ掛け、想定していた落とし所を「さっきよりはマシか」と相手に思わせ選ばせる、という古典的な方法にアルはものの見事に引っ掛かった。


 そして本当の目的は別にあったのだとアルが気付いた時にはもう遅い。


「お母さまだけずるいわ。それなら私の事はフレイと呼んでくださいな」


「………はい、分かりましたフレイさん。では私の事はアルと」


(あーそうだよねー、そりゃこうなるよねー。これを見越してメイベラージュ様は名前で呼んでくれなんて言ったのか…良いように誘導されたなこりゃ)


「ありがとうございます。でも私はアルフリート様とお呼びいたしますね。年ごろの淑女はみだりに殿方を愛称で呼んだりしませんから!」


 背伸びしたい年頃なのだろう、フレイはフフンっと鼻息荒くお姉さんぶってそう言った。

 自分の未熟さを痛感し渋い顔をしていたアルだったが、フレイの幼く、微笑ましいすまし顔を見ているうちに「ま、別にいいか」と思い直した。


 ヴァイツェッカー家と長い付き合いになるのはアルも願っていた事だし、親しくなる事に不利益は無い筈だ。

 …問題は『親しくなり過ぎる事』と『ヴァイツェッカー家がそれを望んでいる事』そして『アルがその事を全く想定していない事』なのだが、まだ5才のアルは自分がそういう対象になるとは思っていなかった。

 5才の貴族の子息なら許嫁の1人や2人はいて当たり前なのだが、今まで他家との関わりが無く、そして貴族としての教育が欠落しているアルには想像の埒外だった。

 知識としては知ってはいたが、それを自分に置き換えるほどの現実感は無かった。


「そろそろ私の事も紹介して頂けませんか?」


 今までやり取りを一歩引いて静観しているだけだったフェルマーが口を開く。そこでアルはようやく先ほど感じた違和感の正体に気が付いた。

 フェルマーのヴァイツェッカー卿や夫人との立ち位置が近いのだ。とても護衛としての距離では無い。


「…そうだな。アルフリート殿、紹介させて頂く。これは我が愚息、フェルトマイトです」


「フェルトマイト・ヴァイツェッカーです。よろしくお願い致します。どうか私の事も気安くフェルマーとお呼び下さい」


 そう言ったフェルマーは悪戯っぽくアルに笑いかけた。


「はいっ!? フェルマーさんがヴァイツェッカー卿の!? …あっ失礼致しました!…フェルト、マイト様」


 慌てて言い直すアルだったが、フェルマーは首を振って答える。


「どうかお気になさらずフェルマーと。そしてこれまで黙っていた非礼をお許し下さい。ヴァイツェッカー家の家訓で男子は成人後、身分を隠して5年間は軍に所属すると決められているのです」


「その決まりをいい事に身分を明かさぬままアルフリート殿を出迎え、その人となりを見ろ、と指示したのは私だ。正式に謝罪させて頂く」


 そうしてヴァイツェッカー卿とフェルマーは揃って頭を下げた。身分を偽って貴族の子息を出迎えたのだから非はヴァイツェッカー家に有る。しかしそれをわざわざ正直に言う必要も無い筈だ。


「い、いえお気になさらず…あーではなくて、謝罪を受け入れます。お二人ともどうか頭をお上げ下さい。同じ立場でしたら私も同じ事をしたでしょうし、それを明かしてくれたという事は『それに値する』と判断して頂いたと思っていいのですね?」


 そのアルの返答を聞き頭を上げたヴァイツェッカー卿はニヤリと不敵に笑った。フェルマーは「さて、それはどうでしょうか」などと言っているが雰囲気は柔らかい。


「………むずかしいお話しはまだおわらない?」


 フレイにはまだ理解出来なかったのだろう、退屈そうにメイベラージュの袖を引っ張っていた。


「ふふ、そうねお話しはお終いにして食事にしましょう。当家の料理人が腕によりをかけて作ったのよ、冷めないうちに食べないと怒られるわね」


 その言葉を合図に話は一旦終わりとなり、アルは案内されるままに席に着いた。その際、隣に座ったフレイが「今日はすっごい御馳走なの。アルフリート様のおかげね」と悪戯っぽく囁いた。







 




「―――ええ、その間は家名を名乗る事を許されず、いち兵士として領民と共に学べ、という事ですね」


「なるほど。素晴らしい教えですね」


 夕食は終始和やかに進み、今はデザートとして出された果物を食べながら歓談していた。


 四等分に切られたリンゴや桃のような物に恐らく柑橘類の果汁を煮詰めたソースがかかっている。見た目を考慮してか緑が鮮やかなハーブの葉まで飾られ、白い皿との対比がよく映える。

 果物といえばそのまま丸かじりするのが普通だったアルには衝撃的な甘さと美しさだ。

 デザートだけでなく、夕食で出された料理はどれも手の込んだ洗練された物で、今までアルが見た事もない料理の数々だった。


 ミルクと何かの野菜で作られたとろりとした濃厚なスープに始まり、ハーブとパン粉を纏った川魚のグリルは全く臭み無く口の中でほどけ、鹿肉のワイン煮込みは噛み締める程に野趣溢れる肉の味が広がる素晴らしい物だった。

 当然のように出された白パンは驚く事に焼きたてで、乳白色の新鮮なバターが添えられていた。芳ばしいパンの香りとなめらかなバターの舌触りにアルは至福のひと時を過ごした。


 西方辺境領にいた頃はもちろん、ヘイルムーンでも食べる機会が無かった白パンだ。ようやく食べる事が出来たアルは感動するのと同時にチクリと罪悪感を感じた。

 ヘイルムーンで帰りを待っている両親やエイルの夕食は恐らく今日も黒パンと味の薄いスープだろう。


「ふふ、料理は気に入って頂けたようね?」


 そんなアルの様子を見ていたメイベラージュは微笑みかける。


「あ、はいとても。こんな美味しいものを初めて食べました」


「料理人に伝えておくわね。きっと喜ぶわ」


(ふーん、どうも相手にペースを握られると弱いみたいね。駆け引きについてはまだまだと言ったところかしら?美味しい物を食べて気が緩むなんて年相応に子供らしいとも言えるけど)


「………」


 笑顔の裏でメイベラージュは冷静にアルを観察していた。

 ヴァイツェッカー卿はそんな妻をチラリと見たが、黙々と食事を続けていた。


「ところで書庫はいかがでした?何か面白い本は見つかりましたか?」


「あ、はい!素晴らしかったです!歴史という本を読ませて頂きました。恥ずかしながらこの大陸の歴史について不勉強でしたので、大変興味深かったです」


「まぁそれはそれは。他には何か―――」


「アルフリート様!」


 メイベラージュとの会話中に突然隣に座るフレイが身を乗り出して来た。さっきからアルと話したくてうずうずしていたのだが、ついに我慢出来なくなったようだ。


「フレイ、お行儀が悪いわ」


「あっ!ごめんなさいお母さま。でもお母さまやお兄さまばっかりアルフリート様とお話ししてるから…私もお話ししたいのに」


 フレイはぷーっと不満気に頬を膨らませ母と兄を交互に見た。


「すみませんフレイさん。では、もしよろしかったらフレイさんが今まで読んだ本の中で面白かったお話しをお聞かせ願いませんか?」


 フレイは本について語る時は興奮し、饒舌になると身をもって知っていたアル。本の事を聞けば機嫌が治るのでは、と考え提案してみる。

 すると案の定フレイは満面の笑みを浮かべ、キラキラと目を輝かせて矢継ぎ早に話し出した。


「はいっ!お願いされました!えっと『ひとりぼっちの耳長魔女』がいいかな…それとも『毛玉の塔の狐姫』とか?あーでもでも『雪熊達と世直し姫さま』も―――」


 しかしそんな楽しそうなフレイを遮ったのはフェルマーだ。


「フレイ、アルフリート殿と私達はこれから大事な話があるんだ。それにそろそろ自室に戻って就寝の準備をする時間じゃないのかな?今日は夕食がいつもより長かったからね」


「お兄さま!?せっかくお客さまが来てくださったのだから、今日ぐらい夜更かししたって…」


「フレイ?」


「………」


 言い聞かせるような、それでいて反論を許さないようなフェルマーの声にフレイは押し黙り、ぷるぷるとその体を震わせた。

 しばらく気まずい沈黙が続き、アルが(えっ、俺何か言ったほうがいい?)と困惑し始めた頃、顔を真っ赤にしたフレイは勢い良く立ち上がった。


「お兄さまなんて大っ嫌い!」


 そう叫んだフレイは止める間もなく食堂を飛び出してしまった。


 アルは(うわー、これはフォローするの大変だ…話を促したのは俺だし、何か埋め合わせしないとダメだろうなー…)と後の事を考え憂鬱になった。


「…申し訳ないアルフリート殿。娘は少々わがままに育ってしまって」


「いえ、お気になさらず。それに元気で感情豊かなのはいい事だと思います」


「そう言って頂ければ」


 社交辞令では無く本心からアルはそう言ったのだが、貴族令嬢としてそれはどうなのか。ヴァイツェッカー卿は渋い顔をするしかなかった。


 フレイが飛び出すというハプニングがあったが、話が一区切りついたのを見計らい給仕達がデザートの皿を下げに来た。

 貴族はそれに対していちいち礼など言わないそうだが、アルはなんだか申し訳なくて声には出さずわずかに頭を下げた。

 ヴァイツェッカー家の者達にもそれぞれ給仕が行き、皿やナイフ、フォーク等を片付けている。


 その中の一人、フェルマーに付いていた給仕の動きが驚いた様にピタリと止まった。


「すまないが、水を一杯貰えるかな」


「…? ッ! た、只今お持ち致します」


 何故か慌てふためいた給仕が水差しを手に戻り、フェルマーのカップに水を注ぐ。それをフェルマーは一口だけ口に含むとゆっくり立ち上がった。


「さて、そろそろ本題に入りましょう。場所を変えたいのですがよろしいですか?」


「はい、構いません。よろしくお願いします」


 アルはついに来たか、と美味しい料理で緩んでしまった気持ちを引き締める。


「…場所は私の執務室で良いだろうか。今準備させよう」


 ヴァイツェッカー卿は侍従を呼び部屋を用意させるために指示を出す。それを確認したフェルマーはアルに向き直り、一つ提案した。


「アルフリート殿、部屋が整うまで中庭にでも出ませんか?夜風に当たれば頭が冴えますよ」


 確かに少し頭を切り替える切っ掛けが欲しい。このままの雰囲気で続けると思考が鈍りそうだった。


「それは良い考えですね、お供します」


「ではアルフリート殿こちらへ。父上、そういう事ですので準備が終わりましたら中庭へ誰かお願いします」


「ああ、わかった」


 フェルマーとアルは連れ立って退室し、2人だけで通路を進む。しばらく歩き、昼間兵士達が訓練していた中庭に出た。


 フェルマーの言った通り、火照った頬に冷たい夜風が気持ちいい。

 警備の兵もいないのか、中庭にはアルとフェルマー以外に人影が無かった。節約のためだろうか灯りもほとんどついていない。


 アルは庭に降りると深呼吸し、夜の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 フェルマーはそんなアルの小さな背中をじっと見ていた。











「どういう事だ!探せ!」


 アルとフェルマー、そしてヴァイツェッカー卿と夫人が退室した食堂で怒号が飛んでいた。


 ヴァイツェッカー家の給仕や侍女達が床に這いつくばり、一心不乱に何かを探していた。

 家具の隙間や花瓶の中など、普通に考えれば有り得ない場所ですらひっかき回しているので、相当まずい事態が起こっているのだろう。


「し、執事長、ご報告が…」


 指示を出していた執事長に話しかけて来たのは先ほどフェルマーに付いていた給仕だ。何故か顔が青ざめている。

 彼は執事長に近づくと耳元で囁いた。


「………な、に?」


 報告を終えた給仕は脂汗を垂らしながら後ろへ下がる。他の給仕や侍女達も何事かと動きを止め様子を窺っていた。


「フェルトマイト様が、ナイフを………?」











 フェルマーは右手の袖に隠していた食事用のナイフを音も無く手の中に滑り落とした。

 そのナイフを握ったまま、ゆっくりと背後からアルに近づく。


「アルフリート殿」


「はい、何でしょうか?」


 呼ばれたアルは何も警戒する事無く振り返る。

 そのアルの白い首筋に、フェルマーはまるで肩についた糸くずを取るかの様に、ごく自然な動作でナイフを押し当てた。


「君には、ここで死んでもらう」











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