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「アルフリート・ヘイルムーン様がお見えです」


「お通ししろ」


 返事をしたヴァイツェッカー卿は反射的に椅子から立ち上がってしまったのを後悔した。


 同格の貴族の嫡男を応接間ではなく執務室で出迎えるという明らかな無礼を働いているのに、そこで礼儀に則り立って出迎えてしまったら一貫性が無い。ここは尊大に座ったままの方が良かったのではないか、と僅かな時間に考えたがもう遅い。突然座ってしまってもそれはそれで無礼だろうが、あまりにも不自然過ぎる。

 ここにフェルマーが居れば忠告してくれたかもしれないが、残念ながら彼は退室してしまった。


(ええい!ごちゃごちゃと考えても仕方が無い!どうせ俺の頭では考えた所でいい案が浮かぶ訳も無い!なるようになれだ!)


 ヴァイツェッカー卿は結局そのまま執務机の横に立ち、アル達を出迎えた。


 部屋に入ってきたのは幼い少年と目付役なのかキツネのような顔をした男だ。少年は物怖じせず堂々と執務机の前に置かれた椅子まで歩き、しっかりとヴァイツェッカー卿の目を見て礼をする。


「お初にお目にかかります。ディルトラント・ヘイルムーンが一子、アルフリート・ヘイルムーンです。こちらは共のフィンドルト」


「フィンドルト・マクファーソンです」


「リンクレット・ヴァイツェッカーで…ゴホンッ!…だ。どうぞお座り下さい」


 釣られて『です』と言いかけたヴァイツェッカー卿だが、すんでのところで誤魔化した。少なくとも本人は誤魔化せたと思っている。


「…はい、失礼します」


 一瞬、アルの口元がニヤっと動いたような気がしたが気のせいだろう。


「この度は突然の訪問にも関わらず、暖かく迎え入れて下さり誠に有難う御座います」


「いや、気にする事ではあ…ゴホッ!失礼」


 またも口を滑らせて『ありません』と丁寧になりそうだったのを咳で誤魔化した。


「ディルトラント殿と奥方にお変わりありませんか?この5年間『新米貴族』には中々に大変だったでしょう」


「はい、なんとか。おかげさまで父も母も変わりなく」


 わざと『新米貴族』と呼び、ヘイルムーン家を軽んじる態度を取ったヴァイツェッカー卿。しかしアルには嫌味が通じていないのか、それとも受け流しているのか冷静に受け答える。


「っ…それはよかった。しかしアルフリート殿は変わられましたな。5年前から随分と成長なされた。やはりヘイルムーンのような『僻地』では逞しくないと生きていけないのでしょうな」


 実はヴァイツェッカー卿は5年前アルに会っていた。ヘイルムーンへ向かう途中のディルトとレーテ、そして家臣団が数日世話になったのだ。その時レーテに抱かれたアルにも対面している。


「あぁ!やはりお会いしていましたか。申し訳ございません、その時の事を覚えていなくて…」


「うっ…いや、あの時は赤子だったのだから無理もない」


「そう言って頂けると恐縮です」


 ヴァイツェッカー卿の必死の嫌味も虚しく空回りだ。なぜだか手玉に取られているような錯覚すら覚える。


 この短いやり取りだけでヴァイツェッカー卿の胃は限界を迎えキリキリと痛んだ。

 ヴァイツェッカー卿はクロトミュスコフとの、つまり敵国との混血である。それ故に誰からも文句のつけようの無い『完璧なアルテリーゼ貴族』として幼少の頃から振る舞い、そして生きてきた。そのため彼は基本的に礼儀正しく伝統や格式を重んじている。

 そんなヴァイツェッカー卿が自らそれを破るような無礼を働いているのだ。しかも年端もいかぬ子供相手に。

 その事に彼の胃は耐えられず悲鳴を上げていた。


「さて長旅でお疲れでしょうし、そろそろ本題に入りましょうか。なんでも交渉事があるとか」


 しばらく嫌味を交えながらも社交辞令として会話を続けていたが、胃の痛みに耐えかねたヴァイツェッカー卿はそろそろ頃合いだろうとフィンを見て促す。アルはただのお飾り、訪問する為の口実で交渉相手はフィンだと思っているのだろう。

 もちろんそれは至極当然の考えだ。普通であれば。


「………」


「………?」


 しかしフィンは無言。微動だにせず何も始めようとはしない。

 そのまましばらく静寂が続き、さすがに不審に思ったヴァイツェッカー卿が一応の責任者であるアルに視線を向ける。


 そしてその時を待っていたかのように、アルはにっこりと笑った。


「はい。交渉を始めましょう」


(なっ!?こいつ…っ!)


 ヴァイツェッカー卿は不快感を隠す事なく顔に出した。眉根が寄り目が吊り上がる。体が一瞬膨れ上がったように見えたのは錯覚か。


(5歳の子供が交渉役だとッ!?俺にはそれで十分という事かッ!)


 ヴァイツェッカー卿は長年国境を守り続けてきた歴戦の将としての自負が有る。しかし交渉事や腹の探り合いなどはあまり得意ではないとも自覚していた。

 だからと言って僅か5歳の子供と同等と見られるなど、顔面に泥を投げつけられたような気分だ。

 今まで感じていた罪悪感など一瞬で消え去り、アルを鋭く睨み付ける。


(舐めた真似をしてくれたな小僧ッ!)


 その怒気を孕んだ厳しい視線を受けてもアルは平然としていた。


(鈍感なのか神経が図太いのか、それとも子供だからどんな無礼をしても許されると思っているのか。いずれにしてもその愚かさは許し難いぞ)


「…いいだろう。話してみろ」


 口調がすでに交渉をするような物ではないが、これはヴァイツェッカー卿にとっての最後通牒だ。アルとフィンに向かって不快に感じている、怒っていると伝えたつもりだ。

 これでもまだ伝わらないのならばそれ相応の対応をさせてもらう、という意味も込められている。


「はい。それでは単刀直入に」


(ここまで言っても理解しないか。これはそれを許した周りの大人達の責任だな…)


 室内のピリピリとした空気を物ともせずアルが交渉を始めようとするのをヴァイツェッカー卿は覚めた目で見ていた。すでに『怒るに値しない』と断じ、見放した目だ。

 だがアルは笑ったままで、その事に気付いているのかいないのか。


「人とお金を貸して下さい」


 そのアルの言葉が理解出来なかったのか、ヴァイツェッカー卿は普段は決して見せる事の無い間の抜けた表情を晒した。


 しかし、次の瞬間にはその顔を真っ赤に染め上げた。












「何を考えているのだ!無礼にも程があろう!」


 部屋の隅に控えていたヴァイツェッカー卿の側近から怒声が上がった。

 主人の怒りに染まった顔を見て瞬時にマズイと判断し、先に声を上げたのだろう。


「…まぁ待て。まずは話を聞こうではないか」


(相手は子供ッ!相手は子供ッ!!相手は子供ッ!!!)


 ヴァイツェッカー卿は必死に自分を抑え平静を保とうと努力した。しかし目元がピクピクと痙攣を起こしてしまい、上手くごまかせているとは本人も思っていないだろう。

 いい加減このガキを何とかしろ!という気持ちを込めて斜め後ろに座っているフィンを睨み付ける。しかしフィンは開いているのか閉じているのか分からない目で受け流した。


「ありがとうございます。ではまず人員についてですが、街道整備の為にお借りしたいのです。今回の旅で痛感致しましたがヘイルムーンの道はあまりに酷い。このままでは交易の発展など望めもしないでしょう」


「………」


「翻ってヴァイツェッカー領の道は素晴らしいです。これは長年のヴァイツェッカー卿の…いえ、先祖代々からの努力と研鑚の賜物でしょう」


「フンッ、おだてた所で…何も、出ぬぞ」


 口ではそう言い、しかめっ面を保っているが鼻の穴がぷっくりと膨らんだのをアルは見逃さなかった。


「大体なぜ我らがヘイルムーンに人と金を貸せねばならないのだ。我らに何の得が有る」


 ヴァイツェッカー卿の疑問はもっともだ。ヘイルムーンに貸しを作った所で今のところ大した意味が有るとは思えない。


「そうですね。今すぐに何か利がある訳では有りません」


「…話にならぬな」


 この話の流れはアルの想定内だ。したがって返答も用意している。


「仮に、仮にです。ヴァイツェッカー卿が人を貸して下さると許可して下さったのなら、ヘイルムーンは『兵』をお借りしたいと思います」


「兵だと?街道整備の人員ではないのか?」


「えぇ、兵です。兵に街道整備をしてもらいます。失礼ですがヴァイツェッカー卿、今この領では兵を持て余し気味ではありませんか?」


「ッ!」


 ヴァイツェッカー卿の目が驚きで見開かれた。

 そしてその直後アルを鋭く睨み付ける。どうやら警戒心が一段階上がったようだ。


「何故そのような事を。兵が余るなどあり得ぬ」


「…5年前、国境守備の任を解かれてから兵の数を減らしていないのではないですか?国境守備を任された領には王家から兵の維持費が頂けるとか。先ほど共のフィンドルトに確認しましたが、ヘイルムーンでも少なくない額を拝領しているそうです」


「…それで?」


「王家から維持費を頂いていないのに、以前と変わらない数の兵を維持し続けるのはかなりの負担ではないですか?」


「………」


 ヴァイツェッカー卿はそれほど口が上手くない。答えに窮し沈黙してしまったが、それは認めたのと同じだ。


「兵を減らしたくない理由も分かります。いざクロトミュスコフと戦が起こった時、いち早く兵を動かせるのはここヴァイツェッカー領です。その時に備え兵を確保するのは当然の事でしょう。しかし―――」


 アルは言葉を区切り、ヴァイツェッカー卿の反応を伺う。無言のところを見ると話を続けても問題無いようだ。


「しかし、その戦がいつ起こるのか誰にも分かりません。明日なのか1年後なのか、もしかしたら10年後かもしれません」


 いつか必ず起こると分かっている戦だ、それを前にして兵を減らしたくはない。だがいつ起こるか分からないその時まで兵を維持し続けるのは金銭的にも、そして人員的にも負担が大きすぎる。


「考えてみて下さい。街道整備は1年や2年では終わらないでしょう。その間ヴァイツェッカーの兵はヘイルムーンに居続ける事になります。クロトミュスコフとの戦がいつ起きるか分かりません。しかしもしその時、ヴァイツェッカーの兵が『偶然』ヘイルムーンに居合わせたとしたら…」


「…ッ!」


 アルとしてはいつ起こるか分からない戦に備え、精強で経験豊富なヴァイツェッカーの兵が欲しい。その為には兵がヘイルムーンに居る理由が無ければならない。


 ヴァイツェッカーとしてもクロトミュスコフと戦が起こった時、偶然ヘイルムーンに居合わせた『元』国境守備隊がどこよりも早く戦果を上げ、その存在を国内外にアピールする事が出来れば名声は更に上がる事だろう。


 王国の盾ヴァイツェッカー、国境守備を退いたがその武にいささかの陰りも見えぬ、と。


 しかし、いい面ばかりでは無い。


「…いつ起こるか分からぬ戦、その為だけに我らの兵を街道整備という名目で貸せと?しかもそれにかかる費用もこちらに出せだと?それは虫が良過ぎるのではないか?」


 ヴァイツェッカーから兵と金を出しヘイルムーンの街道整備をさせ、いざ戦が起これば兵として戦場に加わってもらう。

 アルの言うようにクロトミュスコフと戦が起こればヴァイツェッカーに戦功を立てる機会が訪れる。だがそれまでヴァイツェッカーはタダ働き、いやむしろ金を払ってわざわざヘイルムーンの街道整備をしてやるという大盤振る舞いだ。

 これではあまりにもヘイルムーン側が得をしている、不公平だと思われても仕方がない。


「…ヴァイツェッカー卿はヘイルムーンに港を作ろうとしている事はご存じですか?」


 なのでアルは『最大の利益』をヴァイツェッカー卿に提示する。


「何を突然…そんな事は知っている。アルテリーゼ王家と海運諸王トールキンの肝入りの計画であろう」


「ええそうです。では将来港が完成し、いざトールキンとの交易が開始された時、荷はどこを通るでしょうか?」


「それは海に決まっている」


「ええ、もちろん海です。ですが今私が言っているのは『陸』の話です」


「陸だと?それは―――」


 ヴァイツェッカー卿の目が限界まで見開かれた。


「輸入された荷はヘイルムーンから王都へ、輸出される荷は王都からヘイルムーンへと運ばれます。その間にあるのはここ『ヴァイツェッカー領』です。つまり輸入も輸出も『荷は全てヴァイツェッカー領を通る』ことになります」


 ヘイルムーンは現状ヴァイツェッカーとしか陸で繋がっていない。なので交易の人と荷は全てヴァイツェッカーを通る事になる。

 ヴァイツェッカーから南の街道を通れば王都に繋がっているし、東西も他の領に繋がっている。


 元々ここは長年に渡りクロトミュスコフとの国境で、文字通り最後の砦だった。

 戦が起これば国中の領から兵が集まって来る、むしろ集まらなければならないという下地がある。なので他の領へと繋がる街道が整備されている。


 つまりヴァイツェッカー領は交通のインフラがある程度整っているのだ。


 アルは将来ヴァイツェッカー領をヘイルムーンと王都との『荷と人の通り道』にするだけでなく、輸出品と輸入品の『集積地』に出来ないかと考えていた。


 ヘイルムーンに荷揚げされた輸入品を一旦全てヴァイツェッカーに集め、そこから整備された街道を通り国中の領に運ぶ。

 輸出品は逆に国中からヴァイツェッカーに集められ、そこからヘイルムーンへ運び、港から輸出される。


 アルはヴァイツェッカー領を物流のハブ化、大拠点とする未来を夢想していた。


 しかし今はヴァイツェッカー卿にそこまで明かすつもりは無い。

 ヴァイツェッカー領の物流の拠点化というカードはアルにとって最大と言っていい切り札だ。まだまだ将来の交渉のために残しておきたい。

 なのでヴァイツェッカー卿には現状でも想定出来る、とても分かりやすく効果的な利益を提示する。


「荷を運ぶのは人と馬です。であれば食べる物も泊まる場所も必要でしょうし、消耗品の補充もするかもしれませんね。それらはヴァイツェッカー領の新たな資金源となる筈です」


「………」


「それにヘイルムーンまでの『陸の交易路』を警備する為に兵も必要になるでしょう。王家との交渉次第ですが、そうなれば国境守備隊では無く『交易路守備隊』として兵の維持費を請求出来るかもしれません」


 アルは現時点でヴァイツェッカー卿が一番食い付きやすいであろう『兵数の維持』というカードを切った。


「………」


 ヴァイツェッカー卿は金勘定が苦手だ。商売の嗅覚も鈍い。しかしそんな彼でも嗅ぎつけられるほどの商機が有った。

 そして何より元国境守備隊を交易路守備隊として王家に認めさせ、今の兵力を維持出来るかもしれない。

 その魅力は何物にも変え難い。


「ヘイルムーンへの救援を考え、兵の数を維持して下さった事に感謝しております。たとえ国境守備隊としての力をアピールするためという思惑が有ったとしてもそれは変わりません。そう思われるのは当然の事ですし、結果的にヘイルムーンと国を守る事になりますから」


「…感謝を言われるような事では」


「これは『先行投資』とお考え下さい。交易路のための街道整備と兵の貸し出し、そしてその費用。決して安くはなく、時間も掛かりますが見返りも大きい物となります。どうか、ご検討をお願い致します」











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