27
草原の中を一輌の馬車がゆっくりと進んでいる。
引く馬は二頭だけ、御者も一人という小さな馬車だ。しかし荷物を満載しているのか、揺れるたびに荷台からガチャガチャと音が鳴る。
馬車の周りには徒歩で10名ほどが随伴している。皆革鎧を着て手に槍を持ち、布製の大きな背嚢を背負っているので兵士と推測される。
それを裏付けるように馬車には一本の旗がはためいていた。
空の色のような、目の覚める鮮やかな青地に白い一本の剣。その周りに小さな十本の剣が描かれている。
一騎討ちで十人抜きをしたディルトラントの功績を称えられ決められた、ヘイルムーン家の紋章だ。
「………」
「………」
ガタゴトと上下するその馬車に揺られながら、アルとフィンは無言で荷台に座っていた。
荷台には座席などは無く、それどころか荷物が所狭しと積まれていてかろうじてその隙間に座っているような状態だ。
クッション代わりに薄い布を尻に敷いてはいるが、その効果の程は疑わしい。
馬車には申し訳程度に幌が張られているが、ちゃんと雨風が凌げるのか疑問なほどにみすぼらしく、所々穴が空いていたり擦り切れたりしている。
とてもじゃないが貴族の子息が乗るような馬車ではない。荷物の間で身を縮こまらせ息を潜めているとまるで密航者になった気分だ。
この馬車はアル達の住む村から数ヶ月に一度、交易の為に隣の『ヴァイツェッカー領』まで出る物だ。本来ならアルやフィンのような貴族が乗る馬車ではない。
ゴムのタイヤやバネのサスペンションなど当然この世界に有るはずも無く、馬車は上下左右に踊るように揺れる。破損する事が多いのだろう、荷台には替えの車軸と車輪も積まれていた。
交通量が少ないからか道も整備されているとは言えず、所々草が生えていたり小石が転がっていたりしている。
それを避けたり踏んだりすればまた揺れる。容赦なく揺れる。
「………」
「………」
2人は別に気まずくて黙っているのではない。揺れが酷くて喋ると舌を噛んでしまうのだ。
早朝、出発前にフィンから『馬車は酷く揺れる』だとか『喋ると舌を噛む』やら『気分が悪くなったらすぐに報告を』等と聞かされていたアル。
しかし幼少期に乗って以来の馬車、そしてその時にはあまり見れなかった外の景色を前にアルのテンションは上がりに上がった。
アルの頭からフィンの忠告なんてすぽーんと抜け落ち、我慢出来る筈もなくはしゃいだ。それはもうビックリするくらいはしゃいだ。
その結果。
アルは乗車数分で喋るのを諦め、数十分後にはたんこぶを作り、数時間後には寝るのを諦めた。幸いまだ吐き気は感じていないが、それも時間の問題かもしれない。
なんとか一日を乗り切り、陽も落ち暗くなり始めたので野営をしようと兵士達が準備を始めた頃。突然興奮したアルが「キャンプ!野営!焚き火だー!」と叫んで周りを困惑させたが、それ以外は特に何も起こる事なく一夜を過ごした。
流石に疲れきっていたのか、騒いだ後のアルは泥のように眠りに落ちた。
翌朝、日の出と共に起こされたアルはしばらくぼけーっと放心していた。
半分寝ているのか目を閉じながら朝食を取り、促されるまま馬車に乗り込んだ後もまだ寝ぼけていた。しかし馬車の旅にも多少は慣れたのか、頭が前後に船を漕いでも荷物にぶつけてたんこぶを作る事は無くなった。
そして3日目ともなると幌に顔を押し付け、擦り切れた隙間から外の景色を眺めて過ごせる程には慣れた。
(あ、また砦………あれも石造りで、うーんやっぱり今は使ってなさそう。これで5つ目…っと)
アルが見ているのは石造りの堅牢な砦。ここがまだクロトミュスコフの領土だった頃に築かれた物だ。
遠目でも分かるほど大きく、そして古い。
近づくにつれそれがさらに際立つ。
見上げる程の高さに積み上げられた石の壁は未だ頑丈そうだ。きっと何度も戦火を耐えてきたのだろう。
門は木製だったのか、金具の部分を残してすっかり朽ちてしまっている。遠くからでは分からなかったが石壁も所々崩れたり、蔦が這っているようだ。
「誰もいません。大丈夫そうです」
「ご苦労」
内部を捜索した兵士から報告を受けると、アルとフィンを乗せた馬車は砦の門を潜り中庭に入っていった。
使われていない無人の砦は時に野盗達の根城にされてしまう事も有る。なので危険が無いか、最近使われた形跡は無いかと確認をしたのだ。
「うーん、背中バッキバキだぁ…」
馬車を降りたアルは狭い車内で縮こまっていた体を伸ばす。フィンも流石に凝ったのか肩と腰を動かしていた。
「ここも使ってないんだね」
「えぇ。昨日と今日見た5つの砦は全て使ってないですね」
「ふーん…」
なぜ?とは聞かなかったし、フィンもなぜか分かりますか?と聞く事はなかった。
聞けば教えてくれたかもしれないが、それではつまらない。
「まだあちらの迎えは到着していないようですね。軽食でも取って待ちますか」
フィンは兵士に指示を出し火起こしの準備をさせる。
兵士達は手分けをして焚き木を集め、草の繊維をほぐした火口に火打ち石を打つ。息を吹きかけしばらくすると真っ白な煙が昇り、赤々とした火が燃え上がった。
次に兵士は慣れた様子で折りたたみの五徳を設置し、砦の井戸から汲んだ水を鉄瓶に入れ火にかけた。
そして懐から布に包まれた木の根っこのような物を数本取り出し、鉄瓶の中に入れる。
その様子をアルはじっと見ていた。
この旅ではずっと野営をしているのだが、かまどの石の組み方や焚き火の起こし方、テントの設営の仕方など。
前世でキャンプに行ったことが無いアルにはどれも新鮮で興味深いものだった。
昨日の夜には「手伝わせて!」とお願いしてみたのだが、兵士達からやんわりと断られていた。
5年前ヘイルムーンに向かう時にも同じように野営していたのだろうが、正直アルは全然覚えていなかった。きっと他のことに興味が向いていたのだろう。
兵士は黒麦パンと羊の干し肉を焚き火で軽く炙り、温まったパンの背にナイフで切れ込みを入れる。そこに干し肉を薄くスライスしたものを数枚挟んだ。
「出来ました。どうぞ、アルフリート様」
「ありがとう!」
受け取ったパンからは独特の肉臭さが立ち昇る。
わずかな塩とハーブのような野草しか使っていないのでどうしても羊肉の匂いが消せないのだ。香辛料なんて高価な物は当然無い。
アルは最初この匂いが苦手だった。しかし今ではすっかり慣れ、むしろ羊肉はあまり食べられないご馳走なので大好物となった。
「お茶もどうぞ」
硬い黒麦パンを噛みちぎっていると、別の兵士からお茶の入った木のカップを差し出された。先ほど鉄瓶に入れた木の根っこから作った茶だ。
「あふぃはとー!(ありがとう!)」
受け取ったカップには真っ黒いお茶がたっぷりと入っていて、なんとも『体に良さそう』な匂いが漂っている。
カップを傾け一口啜ると、これまたなんとも言えない『体に良さそう』な味が口に広がった。
この苦さが肉の匂いを消してくれるので、まぁ合っていると言えば合っている。恐らくこの地方では昔から肉臭さを消す為に飲まれているのだろう。
ただ苦い物は苦い。
この茶が苦手なレイなんて「あれはお茶じゃない!木の根っこの煮汁だ!」と力説していたが、それについてはアルも同意だ。
(みんな普通に飲んでるけど、苦くないのかな…)
フィンや兵士達にもパンとお茶が行き渡ったようで半分程が休憩している。残り半分が警備をしているので後で交代するのだろう。
カップを傾ける彼らの様子を見ても特に苦そうな顔はしておらず、くつろいだ様子で談笑していた。
フィンがパンを食べ終え、茶をちびちびと飲んでいるのを確認したアルは馬車の中で聞けなかった事を聞くためににじり寄って行った。
「フィン、これから向かうヴァイツェッカー領ってどんな所なの?」
相変わらず無表情だったフィンは顎に手を当て、おやっと声を上げる。
「ふむ、教えていませんでしたか。ヴァイツェッカー領というのはヘイルムーンの南に位置する子爵領です。建国以来ずっと最北の領地だったのですが今はヘイルムーンが最北となりました。つまり5年前まではクロトミュスコフとの国境がここだったのです」
「おぉーずっと国境を守ってたって事だね」
「そういう事です。実際『王国の盾』と呼ばれていますしね。ですので兵の数も多く練度も高い、こと防衛戦に関しては国内随一と言っていいでしょう」
「うーんそうなると兵の訓練とか用兵術とか色々聞いてみたいけど、教えてくれるかな?」
「交渉次第でしょうが…難しいかもしれません。先方はこちらにあまり良い印象を持っては無いでしょうからね」
「そうなの?」
「今まで『王国の盾』という確固たる地位を築いていたヴァイツェッカーですが、今はその役目をヘイルムーンが奪ってしまいましたからね。口や態度には出しませんが内心面白くはないと思いますよ。それに少し『血筋』に事情が有りまして…」
「血筋?」
「はい。現当主の祖父に当たる人物がクロトミュスコフの元貴族です」
「え!?そんな事有るの!?」
「普通は有りません。50年ほど前になりますか、当時もアルテリーゼとクロトミュスコフは争っていたのですが、とある戦の開戦直前に突然嫡男を連れて亡命して来ました」
「はぁー…大事件だ…」
「えぇ、それはもう大騒ぎだったらしいですね。1000人規模の指揮官だったらしいですから尚更です。作戦や部隊の配置に兵糧の備蓄量など、多くの軍事機密と引き換えに亡命を望みました」
「それ絶対に疑われるよね?」
「勿論です。わざと嘘の情報を教え、こちらを惑わせる作戦かと思われたそうです。ですが確証は無く、結局のところ一緒に亡命した嫡男を人質に取り『戦で身の証を立てろ』となりました」
その話を聞いてアルはうわー…と顔をしかめた。
「えげつないけど、しょうがないか…信じるのも難しいよね。それでそれで?」
「彼は貸し与えられた部隊と共に最前線に配置され、そこで勇猛果敢に戦い多大な戦果を挙げました。彼の情報は正確だったのです。そのお陰もあり戦はアルテリーゼの勝利でした」
「おぉすっごい!それで領地を貰えたんだね!」
まるで物語のような展開にアルは興奮を抑え切れない。目をキラキラと光らせ、年相応の期待に満ちた表情で続きを促す。
「…いえ、彼はその戦で討ち死にしました」
「えぇ!?死んじゃったの!?」
「クロトミュスコフにとっては許し難い裏切り者ですから、それはもう相当狙われたらしいです。むしろそこに兵が集中しすぎて他が手薄になったりと、戦術的にも影響が出ていたとの事です」
「あー、そりゃあ亡命して敵国に情報を流した本人が前線にいたら狙われるよねぇ…体のいい捨て駒にされたんじゃないの?」
扱いに困ったアルテリーゼ側が初めから見殺しにするつもりで最前線へ送ったのではないか、とアルは考えた。
「さぁ、それはどうだったのかわかりません。ともかくもたらされた情報は正確で、本人の戦果と討ち死にという結果から身の証は立てられたとなりました。そして人質だった嫡男は解放されとある貴族に養子に入り、その後ヴァイツェッカー家の娘と結婚し領主となったそうです。現当主はその子供ですね」
「はぁー、すっごいねぇ〜…」
「………凄さで言えばディルトラント様も負けてないと思いますが」
剣だけで英雄となり、領地と爵位を貰うなどそれこそ物語の主人公のようだ。
「普段のお父さんを見ているとね、凄さがいまいち実感出来ないというか…フィンもそう思わない?」
「それについては何も申し上げられません」
フィンも薄々そう感じていたのか言及は避けた。しかしそれはもう答えを言っているような物だ。
「まぁお父さんの事は置いといて…さっきの話で気になったんだけど、クロトミュスコフは戦の作戦とか情報が漏れたんだよね。何で作戦とか変えなかったの?」
アルの疑問はもっともだ。事前に作戦を知られていたのなら変えればいいだけだろう。
しかしフィンはゆっくり首を振る。
「変えたくても変えられません。兵の大半は民兵、つまりは農民です。事前に教え込まれた事をするのが精一杯で、戦の直前や最中に突然作戦や陣形を変更されてもまともに対応できずに右往左往してしまいますよ。なのでバレているのを承知でそのまま戦うしかなかったのです」
「なるほどねー。物語だと自分の手足のように部隊を動かす指揮官とか出てくるけど、現実では難しそうだね」
「英雄譚のようには行きませんね。実際はこんな物です」
歴史に名を残す程の優れた指揮官、それと普段からその指揮官に付き従う優れた正規兵。両者が揃って初めて『出来るかも』というものらしい。
「それにしてもクロトミュスコフとの国境を守る領主になるって、王家から『身の証を立てるため、これからも最前線で戦い続けろ』って言われてるのと同じ事じゃない?信用されてないのかな」
敵国から亡命し、正に命を掛けて勝ち取った信用なのにその後最前線に送られる。それだけ聞くと確かに信用されていない気がする。
「それはどうでしょうか。養子縁組とは言え実際に領主になり、かなりの兵力を預けられていますから。もし本当に信用していないのならもっと僻地の、それこそ未開拓地などに送られ形だけの領主として飼い殺しにするのが定石だと思うのですが」
「あぁそっか、信用出来ない領主にこんな大事な場所は任せられないか。もしクロトミュスコフに裏切ったら大変な事になっちゃうもんね」
裏切り者の子孫がまた裏切って今度はクロトミュスコフに付く。そんな者を相手が信用するかどうかは別だが、絶対に起こらないとは言えないだろう。
王家からすれば国境という重要な場所を任せる事で『信用している』とアピールするのが狙いか。
もしくはクロトミュスコフに対して『亡命者であっても手柄を立てれば登用する』というメッセージかも知れない。
「あー、最後にもうひとつだけ聞きたい事があるんだけど…」
「はぁ何でしょうか」
アルはカップを傾け中身をフィンに見せた。真っ黒いお茶はまだ半分ほど残っている。
「…苦くない?」
「…苦いです」
フィンのカップには、まだなみなみとお茶が入っていた。
「アルフリート様、フィンドルト様。あちらを」
しばらくそうしていると兵が何かに気付いた。指し示す方に視線をやると、遠くから20人程の兵士がやって来るのが見える。
一瞬辺りに緊張が走るが、先頭の者が掲げている旗を確認したフィンがアルだけでなく周りの兵にも聞こえるよう、心持ち大きな声を出す。
「白地に城壁と盾。間違いありません、ヴァイツェッカー家の紋章です」
「おー、お迎えかな?」
ヴァイツェッカー家の兵士達は重い鎖帷子を着て鉄の兜を被り、身長の倍はあろうかという長槍を持っている。にも関わらず歩調を乱す事なく歩みを進めるのは流石と言うべきか。
(ウチとは装備が段違い、体格もまるで違うし兵の練度も相当高そう。流石は『王国の盾』と呼ばれるだけはあるね)
一方ヘイルムーンの兵士は薄い革鎧に短槍という出で立ちだ。今までは特に何とも思っていなかったが、こうやってヴァイツェッカーの兵士と見比べるといかにも貧相だ。
向こうが堂々としているのに対し、こちらは萎縮しているのかどこか挙動不審なのもそれに拍車を掛ける。
兵士達はアルの目の前まで来ると整列し、代表の者が一人進み出て兜を脱ぎ背筋の伸びた綺麗な礼をした。精悍な顔つきの、中々誠実そうな若者だ。
「私はヴァイツェッカー家に仕えるフェルマーと申します。失礼ですが、アルフリート・ヘイルムーン様でお間違いないでしょうか」
「はい、私がアルフリートです」
初対面の大人に畏まられ、内心ドキドキしながらもアルは一歩前に出て受け答える。こういった対応は「貴族なら出来て当然です」とフィンに言われ出発前に練習した成果だ。
貴族とは言ってもまだたったの5歳の子供だ、完璧ではないだろうが失礼にならない程度には形になっている。
その努力の跡が見て取れたのだろう、フェルマーは何か微笑ましい物でも見たかのように表情を崩した。
「ようこそヴァイツェッカー領へ。これより我らが城までご案内致します」
アルもそれに応えるように子供らしく無邪気ににっこりと笑う。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
(重い鎖帷子を着て礼をしても体が全くブレない。普通は前のめりにならないよう爪先に力を込めて踏ん張る物だけど、この人はその様子を感じさせない。そして相手が子供だからといって侮ることも無い。まぁそういった人物だからこそ迎えに寄越されたんだろうけど。…フェルマーさんか、覚えとこっと)
笑顔の裏では子供らしくない事を考えていた。




