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 その日、アルはとても運が良かった。


 たまたま朝早く目が覚めたら朝食の準備をしていたニーナと出くわし、味見という名のつまみ食いをさせてもらえた。

 そのあとレイと遊んでいたら村の子供と合流し、初対面だったのに仲良くなれた。

 領内の視察で家を空けていたディルトが予定より早く帰って来れた、なんて事もあった。


 そして最も運が良かった事と言えば。


 普段忙しく事務仕事をしているフィンが、何の気まぐれかアルに勉強を教えてくれると言った事だった。











「おー!ここに入るの久しぶりだ!」


「どうぞ、そこの椅子に掛けてください」


 フィンに招かれ、文官達の仕事部屋に入ったアルが珍しそうにきょろきょろと室内を見回す。今日は文官達は休みなので誰もおらず静まり返っていた。

 部屋の中央には向かい合わせの机が6っつ置かれ、その上には経理の書類や資料が雑然と乗せられている。

 みな羊皮紙なので草の繊維で作った紙より分厚くかさばり、中にはクルクルと丸められ床に散らばっている物まであった。


 壁際には隙間なく書棚が置かれ、様々な資料が収められているようだ。ただあちこち溢れかえっており、お世辞にも整理されているとは言い難い。はっきり言ってしまえば汚い。


 特に子供の興味を引きそうな物は無いが、アルにとっては違ったらしい。まるで宝物を見つけた時のように目をキラキラと輝かせている。

 この5年間で集められた領内の様々な資料だ。アルにとっては正に宝の山に見えるのだろう。


「そんなに珍しいですか?」


「珍しいって言うか、面白そう!」


「………面白そう?書類が?」


 絵も描いてない、文字だけの書類なんて子供が見ても面白いとはフィンには思えなかった。大人でも仕事でなければ見たくもない代物だろう。

 仕事が生き甲斐だ、と公言しているフィンですら決して面白そうなどとは思わない。


(まぁ物珍しいだけでしょう。文字もまだ教えられていませんし、何が書いてあるか分からないですからね。普段入れない場所に入れて興奮しているのでしょうね)


 と、フィンは勝手に納得した。


 この仕事部屋は普段から子供の出入りが禁じられていた。

 子供が入っては仕事の邪魔になるのは当然だし、重要な書類も多く保管されている。それをイタズラにでも使われたらたまったものでは無いからだ。

 それに積み重ねられた資料や書類が崩れたら、子供なんて簡単に埋まってしまうだろう。


 一度あまりの汚さに見兼ねた侍女―――サーシャ達が勝手に掃除したところ「あれが無いこれが無い」「使いにくい元に戻せ」「手の届く場所に資料を全部置いていたのに!」などと大不評を買った。

 怒ったサーシャが「文句があるんだったら自分達で掃除しな!」っと反撃し、文官達と侍女達の大ゲンカに発展してしまった。


 最後には「仕事の邪魔だ。どちらも出て行け」というフィンの仲裁(?)によって一応は決着したが、双方わだかまりがあったようでしばらくはギクシャクしていた。

 ただ最近ではお互いフィンの悪口を言い合う仲になり、すっかり意気投合しているようだが。


 その侍女や文官達に『キツネ顔』だの『キツネ目』だのと呼ばれているフィン。吊り上がった目は本当に細く、閉じているのか開いているのか分からないほどだ。色白で面長なのもキツネを連想させるのに一役買っているのかもしれない。


 仕事中でも首元までしっかりとボタンを留め、黒い髪はオールバックに整えている。いついかなる時も身だしなみに気を使い、貴族として恥ずかしくない言動を心がけ、周りにもそれを求める。

 神経質で、正論ばかり言って融通の利かない役人―――そんなイメージがぴったり当てはまるような人物だ。


 父親が国王バルタザールの秘書官として長年務め、その縁もあってかヘイルムーンの筆頭事務官に任ぜられたらしい。

 だが縁故と言うわけでは無く、まだ20代前半と若いがその仕事ぶりを評価され抜擢されたという話だ。


 実際この5年間よく働き、彼がいなければここヘイルムーンはすぐに破綻していただろう。ディルトも経理はフィンに頼りっぱなしで、いつも頭が上がらないようだった。


 先ほど身だしなみがしっかりしていると言ったが、今日に限っては違うらしい。

 よく見ると目の下にくっきりと隈が出来ており、着ているシャツにも皺が目立つ。うっすらとヒゲも伸びているようだ。


 実のところ昨日は徹夜で一睡もしておらず、領内の経理を一手に引き受けるという日々の激務を物語っていた。


 そのせいなのか今は妙に気分が高揚していて「フィン!勉強教えて!」という、普段ならば絶対に応じるはずの無いアルのお願いを二つ返事で快諾し、今に至る訳である。


「ふぅ…」


 フィンは自分の椅子に深く座り、侍女に淹れさせた茶を一口飲む。

 この地方でよく飲まれる、苦味の強い茶だ。普段はそれほど好んで飲みはしないが、今はこの渋みが心地良い。


 そうしているうちに気分が落ち着き、体がどこまでも沈み込んで行くような感覚に包まれた。今になって徹夜の疲れが出たのか猛烈な眠気まで感じる。

 そして次第に『面倒くさい』やら『何故私が子供のお守りをしなければならんのだ』という考えがムクムクと膨らんで来た。


 そもそもフィンは子供が嫌いだ。

 ギャンギャン喚いてうるさいわ、細かい事をいちいち『これなに?あれなに?』と聞いて来るわ、イタズラを仕掛けて仕事の邪魔をしてくるわで、鬱陶しくて仕方がない。

 しかも邪険に扱って泣き出されでもしたら途端にこっちが悪者にされてしまう。自分とは一生相容れない存在だと思っている。


(適当にあしらってお帰り頂こう)


 そう決めたフィンはどうすれば穏便にアルを帰せるかと思案する。勉強を教えると約束してしまった手前、あまりに理不尽な理由では角が立ってしまうだろう。

 何とかアルを納得させられ、そして出来れば今後も通用する上手い言い訳は無いものか………とフィンは考えを巡らせ、一石二鳥のいい案を思いついた。


「さて坊っちゃん、勉強を教える前にテストをしましょう。私が教えるに足るかを見るテストです。もし答えられなければ正解するまでは自習をしてもらいます」


「おぉ?おーテスト!いいね!」


 絶対に答えられない問題を出し、今日のこの場は取り敢えず諦めてもらおうという思惑だ。次回からは『あの問題は解けましたか?』と聞けばいい。そうすれば体良くあしらわれているとアルが気付くまで、ずっと煩わされずに済むだろう。

 この程度の言葉で簡単に騙せるなんて所詮は子供か、とフィンは内心でほくそ笑む。


「準備はよろしいですか?それでは行きますよ」


「おー、どんと来ーい!」


 そんな思惑を知らないアルは呑気に答えるだけで、自分がフィンの手のひらの上だという事に気付いていない。






「アルテリーゼでは税を白麦で納めているのはご存知ですね?では『なぜ白麦で税を納めるのか』お答え下さい」






「………んん?」


 フィンは余裕の表情でお茶を一口飲む。

 答えられる訳がない。この問題はフィンが15歳の時、父の後を継いで文官になりたいと言った際に父親から出されたものだった。


 寝食も忘れ昼夜問わず必死に考え、父が納得する答えを出すまでに3カ月もかかったのだ。

 そもそもアルはまだたったの5才。問題の意味を正しく理解しているのかすら怪しい。


「………」


 問題を聞いてから黙りこくっているアルを見て、さすがに少し大人気なかったか、と罪悪感を感じ始めたフィン。


「えー、質問がおありでしたらどうぞ。多少のヒントくらいならお答え致しますよ」


「………」


 そう言われてもアルは微動だにせず無言で俯いている。

 …いや、注意深く見ると唇がもごもごと動いているのがわかる。小さな声で何か呟いているようだった。


「白麦を集めてどうする?………お金に変えないといけない………誰かに売る?………誰に?………いや『誰が買う?』」


「ぼ、坊っちゃん?」


 税として集められた大量の白麦はどうにかしてお金に変えないと意味がない。

 白麦をお金に変える方法なんて簡単に考えて売るしかない。だが一体誰が買うのか。そもそも白麦は誰が使うのか。


「白麦を使う、食べるのは貴族………買うのも貴族?………いや、税の分と食べる分を考えて生産するはず………わざわざお金を出して買う訳がない………じゃあ商人?」


 ぐるぐるとアルの頭の中で考えが巡る。目の前にいるフィンの事も視界に入ってはいるが焦点が合っておらず見てはいない。


「江戸時代も税、年貢は米だった………武士に払われる給料も米………どうやって大量の米を処理してた?」


「…エドジダイ?…コメ?」


 漏れ聞こえる言葉に聞き覚えのない単語があったが、今それについてアルに聞いても返事は無いだろう。


「坊っちゃん?聞こえていますか?」


 そのままブツブツと呟きながら考え込んでいるアル。その様子を見てフィンは内心頭を抱える。

 面倒くさくて適当にあしらったはずなのに、何故だか余計に面倒な事態に陥ってしまった。


「あぁ、どうしてこんな事に…」


 今更ながら「時間制限をすれば良かった…」と天を見上げるフィン。後悔先に立たずと言うが、自分のあまりの迂闊さに眩暈を覚えた。


 そのままどうする事も出来ず、ただ時ばかりが無駄に過ぎて行った。

 そして熱かった茶がすっかり冷め、そろそろ陽も傾いてきた頃。アルの目がフィンに向き、ゆっくりと焦点が合っていった。


「フィン、分かったよ。税を白麦で納める理由、それはね―――」






「王家の権威を守るため、じゃないかな」










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