15
「でへへ…」
「…」
捕まえた仔羊を青年に渡した後、アルはにやにやと笑いながらその周りをうろついていた。
青年は無視する事に決めているのか、アルを全く見ようとせず仔羊を抱えたまま無言で歩いている。しかしやはり鬱陶しいようで、その眉間には深い皺が刻まれていた。
「でへへ…」
「……」
そんな青年の表情を知ってか知らずか、いや確実に知っていながらアルは敢えて付きまとっているのだろう。
「でへへ…」
「だぁーーー鬱陶しい!言いたいことが有るならはっきり言いやがれ!」
我慢しきれなかったのかついに青年が声を荒らげる。しかしそれを待っていたのか、アルはにやぁっと意地の悪そうな笑みを浮かべた。とても5歳児とは思えない『良い笑顔』だ。
「えぇー?別に何も言う事なんてないよぉ?むしろルートの方が言う事有るんじゃないのかなぁ?今日の朝何か言ってたよねぇ?何だっけ?………あ、そうそう!『おめぇの手伝える事なんか何も無えよ!ガキは邪魔にならねぇように野っぱらで遊んでろ!』だったよね?」
相当根に持っていたのだろう、今朝青年―――ルートがアルに対して言った言葉を一言一句間違えることなく覚えていたようだ。
しかもご丁寧に子供を馬鹿にしたような表情と声色まで真似て。いやルートが言った以上の嫌味まで込めて。
「くっ、こンのクソガキ…っ!」
面倒臭い奴に面倒臭い事を言っちまった!と、ルートはこめかみに青筋を立てながら今朝の自分を責める。
だが間違ったことは言っていないという自信があった。
羊の追い込みは大人でも怪我をする事がある危険な作業なのだ。興奮した羊達は群れで何を仕出かすか分かったものじゃない。今日のように暴れて逃げ出す事だってある。
そんな時近くで子供がウロウロしていたらどんな事になってしまうか。
怪我で済めばいいが、万が一という事だって無いとは言えない。
………そう『今日のように』だ。
何か重大な事に気が付いたルートはそれまでの不機嫌な表情を一変させ、にやぁっとアルに負けない程の『良い笑顔』を見せた。
「いやぁ、今朝は俺も言い過ぎだったな。あのまま羊に逃げられてたら皆で探さないといけなかったからな。助かったぞアル」
先程までとは一転してにこやかに褒められたアルは、突然の事に戸惑いを隠せずに言い淀む。
「お、おぅ…なんだよ突然、気持ち悪ぃな…」
アルとルートの嫌味を交えた掛け合いはいつもの事だった。だがアルは別にルートの事が嫌いでこんな事を言っているのでは無い。むしろその逆だ。
アルはディルトの息子だ。つまりここヘイルムーン領の領主、ディルトラント・ヘイルムーンの一人息子である。
そんな身分の子供が、毎日のように村に遊びに来ていたら周りの大人達はどう思うだろうか?
無下に扱うわけにもいかず、かといってどこまで親しくして良いものかと対応に困ってしまうのは当然の反応だったろう。
そんな中、ルートだけは普通の村の子供たちと同じように扱ったのだ。
幼い子供にありがちな、大人から見れば危険に見える事をしそうになると諫めて止めてくれる。だが過保護という訳ではなく、悪い事をすれば強烈なゲンコツを落として叱る。
子供と同じ目線で本気になって相手をしてくれるルートにアルが懐くのは当然の事だった。
好きな相手に意地悪をして気を引きたかったのだ。まさしく子供のやる事である。精神年齢は今年で丁度二十歳になるのだが。
「ほ、褒められる事なんて滅多に無いから…なんか恥ずかしいな!でへへ…」
「褒めてねぇぞ」
照れたようににやけていたアルは、ぽかーんと間抜けな顔をきっかり5秒晒した後、意地悪な笑顔を見せ楽しそうに眺めるルートにようやく気が付いた。
「はぁ!?なんだそりゃ!褒めてないのかよ!」
「いやぁ褒めたいのはやまやまなんだがな、おめぇのオヤジさんのしでかした事でチャラだ」
オヤジというのはもちろんディルトラントの事だ。ルートにとっては領主もオヤジ呼ばわりらしい。
「へ?なんでお父さんの事が出てくるんだ?………あ、まさかさっきの―――」
何か思い当たるフシでもあったのだろうか、だがアルはその続きを口にすることは出来なかった。
「アルーーーーーーっ!」
「ぐぇ!」
胸に突然の衝撃、そして思いっきり抱きしめられたアルは思わず潰れたカエルの様な声を漏らし、目を白黒させた。
「アルっ!どこも怪我してないよね!?よく頑張ったね!」
ぶつかるように、というか事実ぶつかってから力強く抱きしめ、その後怪我が無いか確かめるように体中をぺたぺた触っている。誰あろうアルの父、ディルトだった。
「お、お父さん!?なんでここに!?って言うかくすぐったいからやめて!」
「アルの反応が冷たい!あっ!これが俗に言う反抗期!?レーテに知らせないとっ!今日はお祝いだね!」
「何で反抗期になるとお祝いするんだよ!?あとまだ反抗期じゃないよ!いくら何でも早すぎでしょ!オレ5歳だよ!」
無精ヒゲを生やしアルと同じように体中に土や草が付いたこの男が、ここヘイルムーンの領主だと聞かされて一体誰が信じられるだろうか。
着ている物も隣のルートと変わらない麻で織られた粗末な物だ。
顔つきは以前よりやや痩けただろうか?この5年でさらに精悍になったように見える。だが息子の前では相変わらずの甘々っぷりのようで目尻が下がりっぱなしだ。
「息子の成長を喜ばない親なんていないよ!アル、今日は本当によく頑張ったね。一人で羊捕まえたの見てたよ!まだまだ子供だと思ってたけどこうやって大人になっていくんだね、お父さんびっくりだよ」
「そんな大げさな…」
「大げさじゃないさ。僕の腕の中で眠っていたあの小さなアルが、今ではほら…こんなに立派になって」
昔を懐かしむように、ディルトはアルの髪をくしゃっと優しく撫でる。
「うぅ、オレもうそんな子供じゃないんだから…」
口ではそう言っているがくすぐったそうに目を細め、アルもまんざらでもなそうだった。
「仲がいいのは結構だけどよ、忘れちゃいねぇよなディルトの旦那。今日の打ち上げで皆に酒一杯奢りだぜ?」
「うぐっ!も、もちろん忘れてないさ!一番安い黒麦酒が一杯銅貨3枚で、大体40人だから………あははっ、またニーナさんとフィンに怒られる…」
ルートの一言で虚ろな瞳で乾いた笑いを上げるディルト。
フィンというのは国王から借りている家臣の一人で、ここヘイルムーンの経理を一手に引き受けている事務方のトップの名前である。
狐のように細い目で、静かに理詰めで責めてくるその顔を思い出したアルは、無意識の内にうげっと顔をしかめた。何度もいたずらを仕掛けてはそうやって怒られたのだった。
「ちょ、ちょっと待って!何の話!?お父さん一体何したの!?」
「何って、そりゃあ………あはは」
「笑って誤魔化さない!」
ぽりぽりと頭を掻いてとぼけようとするディルトと、それを許さないアル。
そんな親子のやりとりを黙って見ていたルートが、ついには堪えきれずに笑い声を漏らす。
「くっくっ、俺は言ったよな?礼は言わないぞ、お前のオヤジのした事とチャラだってな」
「や、やっぱりさっき羊が逃げた原因って―――」
アルとルート、二人の視線がディルトに突き刺さる。
当のディルトは頭をちょこんっと傾げ、てへっと舌を出す。が、30手前のヒゲ面のオッサンがやっても全く可愛くは無い。イラっとするだけである。
「えっと、ごめんね?」
「やっぱりお父さんのせいかよ!」
アルたちが子羊を連れて村の男たちの下へ戻ると、羊を一カ所に集めて羊毛を刈っている真っ最中だった。
男たちは3人ずつのグループに分かれ、それぞれで一頭ずつ羊を押さえつけて作業に当たっている。
慣れた様子でハサミを操り、毛を刈ってはそのまま地面に落とす。落ちた毛は子供たちによって拾われ、両手で抱えるほど溜まったら籠に入れて運び一カ所に集められていた。
見ると羊毛が山になって積まれていて、子供たちはそこで籠を逆さにして中身をぶちまけた後、思いっきりジャンプして羊毛の山に飛び込んでいる。
その度に羊毛がぶわっと宙を舞い、集めているんだか散らかしているんだか分かったもんじゃない。
ただ羊毛の山から顔を出す子供たちはみんな笑顔だ。
髪や服に付いた毛を払い合ったり、逆に付け合ったりと実に楽しそうだ。
その様子を見ていたアルもその子供たちの仲間に入って一緒に羊毛を拾い集め、山に飛び込んで笑い合ってみたかった。
だがアルが行っても微妙な雰囲気になってしまうだろう。アルも村の子供たちもどちらも一歩引いてしまうからだ。
アルは前世でも友達を作れるような状況では無かったため、同年代の子供とどう接したら良いか分からず躊躇してしまう。友達の作り方を知らないのだ。
村の子供たちにしてもアルの『領主の子供』という肩書のせいで委縮してしまっていた。
ディルトやルートもこの状況を知ってはいたが、下手に大人が世話を焼くより子供たちに任せた方が良いと知っていたので、敢えて見て見ぬふりをしていた。
そんな微妙でもどかしい子供たちの一方で、毛を刈られ終わった羊たちは寒そうに身を寄せ合い固まっていた。首から下に毛が無い羊の姿は情けないような可哀想なような、何とも言いようのない哀愁が漂っている。
普段は柵の中でのんびりと暮らしている羊達だが、年に一度のこの春の時だけは人間に追い回され押さえつけられ、そして無理矢理に毛を刈られて寒い思いをするという散々な目に遭っていた。
「ディルトの旦那!ルートも!逃げた羊捕まえてきたのか!」
一頭刈り終え、一息ついたように顔を上げた男がこちらに気付いたようだ。
「いやぁみんなごめん!僕のせいで手間を取らせちゃったね」
「しょうがねぇなぁ旦那は!」
「いつもの事だからもう慣れたもんだぜ」
「ちげぇねぇや!酒も奢ってもらえるしな!」
周りの男たちから笑い声が上がり、当のディルトも釣られて笑いだす。
肩をバシバシと叩き気軽に話しかけてくる村人たちの態度は領主に対してあまりにも馴れ馴れしい。だがディルトは全く気にしていない。
そもそも領主自らが村人と一緒に羊の追い込みを行ったり、こんな風に笑い合ったりすること自体が普通なら有り得ないのだが。
「流石の『大岩転がし』も羊相手にはかたなしかよ!」
「十人がかりで抜く切り株だって一人で抜いちまうのにな」
「酒、酒忘れるなよ!」
ディルトはここでは『浮遊剣』とは呼ばれていない。『大岩転がし』やら『切り株抜き』やら、アルに言わせればかっこ悪い異名を数多く付けられている。
だが当のディルトはこの名前をいたく気に入っているようで、彼に言わせれば戦争でしか役に立たない『浮遊剣』なんて名前より、ずっと皆の役に立っていそうな名前。なのだそうだ。
「いやぁ、みんなそんなに褒めなくても…あ、あと羊捕まえたのはアルだよ!」
ここでディルトがアルの背中をずずいっと押して前に立たせる。
「え?アルフリート…様が?」
周りの大人達から視線が集まる。
「う、うん。捕まえられてよかったよ!それじゃ俺もう行くね!」
その視線に耐えられなくなったアルは逃げるように走り出し、作業している大人達と楽しそうに手伝う子供達から離れた小高い丘の草の上に座る。
みんなの輪の中に入って仲間になりたいと思っているのだが、どうも一歩引いてしまっているようだ。
ぼーっと村人たちや辺りの景色を眺めながら、アルは村の現状について考えを巡らせていた。
(もっともっと羊を増やさないと。羊毛を交易の主軸の一つにしたいんだけどね。ただ冬を越せるだけの牧草が確保出来ないのが何とも…。牧草作る畑があるなら黒麦作った方がいいし。難しいもんだね)
栄養状態が良く、気候も暖かい地方ならば年に2回毛を刈る事が出来るそうだが、生憎とここヘイルムーンは北方の地。一年の半分は冬という悪条件ではそのどちらも当てはまっていなかった。
刈られた羊の毛は草や土などの汚れを落とし、寄り合わせて糸に加工した後村人達の着る服や毛布になる。
羊の数が増え取れる毛の量も増えれば交易に回せるのだが、今の状態では村で消費するだけで精一杯だ。
そして羊の数を増やしたくてもそう簡単にはいかない。
冬の間は羊達の食べる草が生えない。というか雪で埋もれてしまう。
なのでわざわざ畑で牧草を作り羊達の飼料として越冬させるのだが、正直人間の食べる物ですら足りない中では十分な量の牧草を用意出来なかった。
なので、その年収穫した牧草の量で越冬させる羊の数を決める。
例えばこの村には150頭の羊がいるとしよう。そしてその年100頭の羊が越冬出来るだけの牧草が収穫出来たとする。そうなればどうするか。
冬を迎える前に50頭を肉にするのだ。
謝肉祭や収穫祭として村人総手で行われ、その時の肉が塩漬けや薫製にされ次の年の謝肉祭まで大事に使われる。
1年分の肉をこの時に生産し村の食料庫で保管、それぞれの家へ分配する。分配された家でも計画的に使い次の分配まで食いつなぐ。
現代のように冷蔵庫に肉が無いからスーパーに買いに行こう、とは行かない。お金があっても物がないのだ。
そんなことを繰り返しているのだから何時までたっても羊の数が増えない。もちろん大人達だって分かっているのだが、だからと言って一朝一夕に解決出来る物では無かった。
ディルトが領主として開拓を進め、自ら先頭に立ってドロだらけになりながら毎年畑を増やしてはいるのだが、それでもまだまだ足りない。
税の問題もある。
領主就任から5年間続いた税の免除は今年で終わる。終わってしまう。
来年の収穫から遂に国に税を納めなければならないのだが………そこにも大きな問題が横たわっていた。
「おーいアル!ちょっとこっち来い」
「………ん?何だよー?」
一人で考え込んでいたアルを遠くからルートが手招きをして呼んでいる。何事かと思って立ち上がり、ルートの下へ歩いて行ってみると今度は足元を指差しているようだ。
「やってみるか?」
そこには小さな羊。
地面に仰向けで押さえつけられ、何とも物悲しい瞳でアルをじっと見ている。
見間違えるはずが無い。先程アルが捕まえた仔羊だ。
「っ! やる!」
去年一昨年と、遠くから見ているだけだった羊の毛刈りがやっと出来る!
喜び勇んだアルはルートから道具を受け取る。そしてそれは子供の手には大きくて重い、鉄製のハサミだった。
握りバサミと呼ばれるそれは一枚の鉄の板をU字型に曲げ、その両端に刃を付けた物。支点となる部分を握力で曲げて刃を閉じる簡単な構造だ。
アルは2回3回と握ってみて使い心地を確かめる。子供の力では少し辛い。
「………出来そうか?」
「当然っ!気を付ける事はある?」
鼻息荒く答えるアルにルートは満足げに笑い、助言を送る。
「自分が怪我しない事と羊を怪我させない事。毛の刈り残しなんて気にするな、後でいくらでも出来るからな」
「わかった!」
うるうるとした瞳を向ける仔羊の頭を一回撫でてから、アルは意を決してお腹の毛を掴み、ゆっくりとハサミを入れていった―――




