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「そっち行ったぞ!」
「逃がすな!囲い込め!」
辺りは見渡す限りどこまでも続く一面の平原。
そんな大自然の中で、屈強な若い男たちが白い毛の四足獣の群れを追い込んでいた。
男たちは手に持った長い木の棒を使って草を払ったり、地面を叩いて音を出したりしながら獣たちを威嚇している。
そうしながら獣の群れを囲む輪を小さくしているようだ。
獣の群れはその輪の中で円陣を組み、鋭い鳴き声を上げ今にも男たちに襲い掛からんとその身を低くする。しかし決してその隊列を崩そうとはしなかった。
よく見るとその円陣の中心には体の小さな子供が何頭か大人たちに守られていた。
この獣は自分たちがこの囲いを突破しようと攻勢に出れば、守る者が居なくなった子供に危険が及ぶと理解しているのだろう。
「よし、仕上げだ!一気に行くぞ!」
「あいよ!息を合わせるぞ!せーっの!」
男たちは掛け声とともに一歩前へ進む。
たかが一歩ではあるが、囲いに加わる男たち全員が一歩内側に進んだのだ。
その輪の内径は一気に狭まる。そして続けざまに上がる掛け声に合わせて一歩、また一歩と踏み出していく。
囲いは着実に群れへと近づいて行き、獣たちは更に警戒を強め声を荒げていた。
そしてこのまま何事もなく進み、男たちが群れへとたどり着くかと思われたその時。
一人の男の持っていた木の棒が獣に触れた。
「あっ!?やばっ!」
すぐにその男は棒を手元に引き寄せたがもう遅い。
もともと興奮状態だったのだろう、触れられた獣は大きな叫び声を上げパニックを起こし、その男を目掛けて走り出した。
そしてその興奮は群れへと伝播する。
つまりは群れの獣全てがパニックに陥り、がむしゃらに走り出したのである。
「うおぉぉぉ!?」
「囲みを崩すな!押さえろ!」
男たちは腕を大きく広げて一頭も逃すまいとその囲みを強固な物にする。
しかし数十頭はいる獣の勢いは止まらず、数頭が抜け出て男たちの後方へと走り出してしまった。
「抜けたぞ!追え!」
「まずい!あっちには…っ!」
先ほどから音頭を取っていたリーダー格の男が何かに気付き、その日に焼けた顔を強張らせた。
「―――坊主しかいねぇ!」
目の前には興奮しきった真っ白な獣。
それが自分を目掛け、勢い良く突進して来たら人はどうするだろうか。
一目散に走って逃げる?硬直し立ち尽くす?それとも神に祈りを捧げ運命に身を委ねる?
今まさにその状況に身を置くこの少年は、そのどれも選ばなかった。
足を肩幅まで広げ腰を落とし、獣を真正面から睨み付ける。手には先を輪に結んだロープを持っていてまるで迎え撃つかのように構えをとった。
それを認識したのか白い獣は少年の少し手前で土煙を上げながら立ち止まり、鋭い威嚇の声を上げる。
美しい少年だ。
それは絵画や彫刻のような人工的な物では無い。自然の中で育まれた健康的でしなやかな、まるで野生の獣のような美しさだ。
灰色の髪は無造作に伸びており、あまり手入れがされていないようでボサボサだ。
髪から垣間見えるその顔はまだ幼く、着ている服もあちこち擦り切れていて汚れが目立つ。
顔の造形自体も可もなく不可もなく、と言ったところか。10人に聞けば10人がまぁまぁ整っていると答えるだろう。あくまでもまぁまぁなのだが。
一見すると何処にでも居そうな農民の子供にしか見えない。
しかし注意深い者ならば気が付くだろう。意志の強そうな深い深い空色の瞳と、その子供らしからぬ堂々とした態度は一般的な子供とは到底言えないと。
少年は目の前で止まった獣に全く物怖じせず、瞳は爛々と輝いていた。
そしてその表情は不敵に笑っており、獣が突進してくるのを今か今かと待ちわびているかのようだ。―――その内心とは裏腹に。
(うぉぉぉぉ!?なんにもトラブル無く進むから何か起きないかなーって思ってたらほんとに起きた!そしてこっちに来た!どうすりゃいいんだよオイ!?)
余裕の表情で笑みを浮かべているが、本当は冷や汗をかきそうなのを必死に我慢しているだけだった。その証拠に少年の顔を良く見ると口元がヒクヒクと痙攣していた。
(落ち着け!落ち着けーっ!今日まで血の滲むような訓練をしてきただろ!全ては今日この日、この時の為!あれを思い出すんだ!)
少年が必死に落ち着こうとしている間も目の前の獣は荒く息を吐き、苛立ったように蹄で地面を何度も掻く。
(向かって来たところでひょいっと躱してロープを首に引っ掛ければいいんだ!訓練では完璧だったんだから簡単だ!………簡単か?………簡単、なのか?)
訓練では感じる事の無かった『実戦』の、生の獣の重圧に晒された少年は委縮しないようにと強がって笑うだけで精一杯だった。笑っていないとこの雰囲気に飲み込まれてしまいそうだったのだ。
そうやって睨み合う事十数秒。少年の目に獣越しに数人の男たちがこちらに向かってくるのが見えた。
だがその姿はまだまだ遠い。獣に気付かれないよう、刺激しないように慎重に近づいているのだろう。
(あっ!みんなが来る!た、助かった………。ん!?助かったって何だよ!?これぐらいのこと俺一人でも平気だし!ぶっちゃけ全然余裕だったし!)
大人たちの姿を確認したことで安心したのか、フッと少年の気が緩む。
そしてその隙を、獣は決して見逃す事は無かった。
今まで溜め込んできた力を一気に爆発させ、凄まじい勢いで少年に突進したのである。
「うわぁぁぁ!?」
「坊主!避けろ!!」
大人たちの声が少年の耳に届き、驚きで固まってしまった足を動かして何とかその身を躱す。だが幸か不幸か少年の持っていたロープが獣の首に引っかかってしまった。
と言うよりも結果的には絶妙なタイミングで突進を避け、ロープの輪が直前まで少年のいた場所に残され、獣はその輪の中に吸い込まれるように自ら頭を差し入れていた。
「ッ!?」
突然の事態に目を白黒させた獣だがその勢いは止まらず、少年の体を引きずったまま小高い丘を駆け登って行く。
「えぇぇぇ!?うぎゃーーー!」
少年自身もロープが偶然獣の首に掛かった事に驚いていたが、このままでは逃げられてしまうと思ったのか手を放そうとしなかった。
そうしてそのまま丘の頂上を越え、大人たちから少年と獣の姿が見えなくなってしまった。
「おーい坊主ー。無事かー?」
焦ることなくゆっくりとやって来た日に焼けた青年が、これまたゆっくりと声を掛ける。
しばらくして顔や体中が土で汚れ、あちこちに草や葉っぱを付けた少年が丘の上に姿を現した。
その胸には同じように汚れてしまった白いモフモフの『仔羊』を抱いて。
「ひつじっ!捕まえたーーーっ!」
大人たちに見えるよう仔羊を持ち上げ、少年が満面の笑みで大きな声を出した。そしてそれに負けじと仔羊もメェ~と元気な鳴き声を上げている。
少年の名はアルフリート・ヘイルムーン。
それはアルテリーゼ最北端の地ヘイルムーン領で迎えた、5度目の春の日の事。
柔らかな日差しに包まれた少年は健やかに、そして逞しく成長していた。




