閑話 エイルリーン2
母は若いころから針子のお仕事をしていたそうです。
一日中、ずっと目を酷使するお仕事です。それが祟ったのかここ数年で目を悪くしました。
特にこの半年は調子が悪く『レーテの家の手伝いがあるから』と言って針子のお仕事を断っていましたが、本当の理由は病気でした。
実を言うと家事を行うのも大変なほどです。なので私がずっとついて回り、お手伝いをしていました。母はレーテお姉さんには絶対に知られたくないようで、普段と変わらないよう必死に振る舞っていました。
『私たちの事はいいから、少し針子のお仕事したらいいのに』
と度々レーテお姉さんに言われていましたが、
『あなたがもっとしっかりしないと、心配で仕事が手に着かないのよ』
なんて言って強がって隠していました。
ですが確実に目は悪化していて、物を掴もうとして手を空振る…なんてことが増えてきました。
そんな時です。
いつもと同じように母と私がレーテお姉さんの家で家事のお手伝いをしていて、アルが寝ている寝室へ掃除に入りました。
三度目の光が溢れたのです。
でも光はアルの身体に吸い込まれるのではなく空中を漂い、疲れたのか目頭を揉んでいた母の瞼に吸い込まれていきました。
私はその光景をだらしなく口を開けて見ていましたが、我に返り声を上げます。
「お母さん!」
「わっ、びっくりした。エイルどうしたの?」
手を放して私を見つめる母の目はわずかに焦点が合っておらず、いつもと変わらない様子でした。
「…何でもない」
「そう?さて、お掃除の続き続き」
私たちはそのまま掃除を続けました。その最中ちらりとアルを見ましたが、気持ちよさそうに眠っているだけでした。
そしてその日の夜中の事です。ふと目が覚めた私は母の寝室に明かりが灯っている事に気が付きました。
まさかと思いそっと部屋を覗くと、そこにはロウソクを灯し針仕事をする母の姿が有りました。
「…っ!」
私は夢を見ているのでしょうか?思わず息を飲み、部屋へと入ってしまいました。
「あ、ごめんねエイル。起こしちゃった?」
そう言って顔を上げる母は私の幼いころ、まだ目が悪くなっていない時の姿そのままでした。
「…お母さん。目は、大丈夫?」
すると母はにっこりと笑い手に持っていた縫い針と黄色い布を掲げます。
「うん。今日はなんだか調子がいいの。だから今の内に縫っておこうかと思って。…そうだ、エイルこれ肩に当ててみて」
母は今縫っていた黄色い布を私の肩に当て、丈の長さを確認しているようでした。
「これなんだと思う?エイルの宣誓式の衣装よ。絶対に間に合わせるから期待していてね」
そう笑顔を見せる母は、決して強がって無理をしている様子では無さそうでした。本当に調子がいいのでしょう、母の目はしっかりと私の目を見つめていました。
なんだか随分久しぶりに目線を合わせた気がします。
「…私も、手伝う」
私は母の隣に座り、お手伝いをすると宣言しました。眠気なんて感じません。ダメと言われても絶対にここを動きませんよ?
「…うん。ありがとう、エイル。じゃあここの刺繍やってみる?ちょっと難しいけど」
しょうがない子ね、と母は笑いますが私は頑固なのです。そんな所ばっかり似ているのです。
「…やる!」
その日から私たち親子に新しい日課が出来ました。
それは本当に楽しい時間で、正直今まで針仕事に全く興味が無かったのですが、母と一緒に行うお裁縫は大好きになりました。
そして私には分かっていました。あの子が、アルが母の目を治してくれたんだと。
その理由も方法も私には分かりません。もしかしたらアル自身にも分かっていないのかもしれません。それでも母の目を治してくれたという結果に変わりはありません。
私は話すことが苦手ですから、面と向かってなんて言えないです。なので心の中で言いますね。
―――ありがとう、アル。
いつか必ず直接言うから、それまで待っていてね!
そして迎えた宣誓式当日、私は母と一緒に縫った白いブラウスと黄色いジャンパースカートを着て壇上に立っていました。
一緒に宣誓式に参加している子供たちは村長の有り難くて長ーいお話を真面目に聞いています。10歳や15歳のお姉さんお兄さんもいますが、まぁまだ子供でいいですよね?
ですが私にはそのお話は全く耳に入ってきませんでした。何を言っていたのか今でもさっぱり思い出せません。
私の意識はもっと別のところに向けられていたのです。
宣誓式は村の集会所の中で行われているのですが、その天井付近で。
とってもキレイな七色の光が踊っていたのです。
それは幾重にも折り重なった光の衣。
赤、青、黄、緑、橙、紫、白。
まるで光で出来たカーテンのように、七つの色それぞれの光が揺らめいていました。
始めはまたアルが何かしたのかと思い、後ろにいるレーテお姉さんを探そうとしましたが途中で思い直しました。
アルの時とは光が違いますし、宣誓式の最中に一人だけ後ろを振り返っていたら恥ずかしいですからね。
周りの大人や子供たちに変わりは有りませんし、やっぱり私にしか見えていないようです。
しばらく眺めていましたが相変わらず天井付近で光っているだけで、特に害も益も無さそうでした。
アルの光といい、この七色の光といい。世の中には不思議なことが沢山ありますね。考えても分からない事だらけです。
いえ、ごめんなさい。正直に言うと考えるのが面倒になっただけです。
キレイだなー。不思議だなー。何だろうなーと半ば思考を放棄して天井の光を眺めていたら、いつの間にか村長の話は終わり、どんどん式が進んでいました。
いけないいけない。今は式に集中しないとですね。
「―――では、汝の仕える神にここで宣誓せよ」
式は終盤に差し掛かかり、いよいよ子供たちから神様への宣誓です。
15歳、10歳、5歳と年齢順に一人づつ村長の前まで進み出て、仕える神様の名を告げるのです。
「はい、自分は大地母神マイヤ様にお仕え致します」
手にクワを持った15歳のお兄さんが一番初めに宣誓しました。名前は確か―――えっと…忘れました。
だって10歳も年上なんですから接点なんてまるで無いんですよ。覚えている訳がないじゃないですか!そもそも話したことも無いかもしれません。うん、きっとそうです。今日が初対面です。そうに決まっています。
心の中でうんうんと頷いていたら子供たちが次々と宣誓し、遂に私の順番になりました。
「ここは神の御前である。ここで語ることに嘘偽りは無いか」
「はい」
私は村長の前に進み出て、問いに答えます。
「カーライルとニーナリィムの娘、エイルリーン。汝に相違無いか」
「はい」
私は母と同じ服飾神様に仕えようと思っていました。お裁縫楽しくなってきましたし。
ですが何故でしょうか、あの天井の光を見ていたら。
特に七つの色の中で一番目立たない、白い光を見ていたら。
私の心に何か芽生えるものが有ったのです。
「よろしい。では、汝の仕える神にここで宣誓せよ」
気が付いたら私は、
「…はい、私は運命神様にお仕え致します」
そう答えていたのです。
天井で揺らめくその白い光は一層輝いて見えました。
宣誓式が終わりました。さぁ待ちに待ったお祭りです。肉祭りです。
私はもうこれでもか!というほどお肉を食べました。レーテお姉さんに美味しいお肉の食べ方も教わりましたし、夢のような時間でした。ふぅ…満足です。
「運命の相手って…。エイルはまだ5歳よ?」
「あら、歳は関係ないわよ」
「そうね~、いつ出会えるかなんて分からないものね~」
「もしかしたらもう会ってるかもね」
何の事でしょう?私の事が話題になっているようですがお肉に夢中で聞いていませんでした。
運命の相手だとか、もう会っているかもだとか言われています。
私が運命神様に宣誓したからでしょうか?
正直なんで創造神様や服飾神様にしなかったのかは今でも分かりません。
でも特に後悔は有りませんし、むしろすっきりした気分ですね。あと2回宣誓式が有るので、もし他の神様に仕えたくなったら変えることが出来るのも理由でしょうか。
運命の相手…というのはちょっとピンと来ませんが。
そもそも仲の良い異性なんて一人もいません。何故か私は同年代の男の子に怖がられているのです。思い当たる事なんて全く無いのですけど。
やっぱりあれですかね、ガキ大将だった年上の子を坂道で背後から蹴り落した事が原因でしょうか。それともいじめっ子を豚の糞の山に投げ飛ばした事?スカートめくりをした子に泥団子を無理やり食べさせた事なんかも有りましたね。いやそれともそれとも―――
ともかく運命の相手に心当たりが無いのです。
私だって年頃のレディですから恋愛には興味が有ります。ですが相手が居ないのですからどうしようも有りません。
気になる相手…と言えばアルの事は気になってますけど。まだ赤ちゃんですし、恋愛とかそういう事では有りませんね。ちょっと不思議で可愛い弟といったところでしょうか?
「………」
そんな事を考えながらお肉を飲み込んだ後、アルを見つめていたらアルも私の事を見つめてきました。今日も瞳の奥の光がきれいです。
「あーぅ?」
ちょこんっと首を傾げて不思議そうな顔をしています。あー可愛いですね。
アルとは5歳離れているわけですが、よく考えると大人になれば5歳差なんて普通ですよね。確か父と母もそのくらい離れていたはずですし。
「…」
「…」
そのまま見つめていたらアルの顔が次々と変わっていきました。不思議そうだった顔が驚いた顔に。そしてすぐに嬉しそうな顔になり、恥ずかしそうな顔になりと百面相です。
その顔が面白くてついつい笑ってしまいました。
「………ふっ」
おっといけない。口を閉じたままだったので鼻だけで笑ってしまいました。私としては口角をキュっと上げて優しそうに「うふふっ」と笑ったつもりだったのですが。表情って難しいですね。
「あうぁ!」
アルはそんな私の表情が面白かったのか、レーテお姉さんの腕の中で大喜びです。
「あうぅあう!」
もう一回やって!とねだっているようですがもうダメです。私はそんな安い女ではないのですよ?
「うん?アルちゃんどうしたのかな?おっぱい欲しい?」
「うーぅ!あう!」
あ、お母さんそのお肉いらないなら私もらいますよ?
「エイル、お友達が来てるわよ」
母の言葉で私は現実に引き戻されました
アルが生まれてから今日までの事を思い出しながら歩いていたら、もう村外れまで着いていたようです。
そして母の視線の先を見ると、男の子と女の子がいました。
私は母に断ってからカゴを地面に置き、二人の下に歩いて向かいました。何の用でしょうか。
長い黒髪が似合う女の子はルクレちゃんです。私と同い年なので6歳ですね。
ふわふわした金髪の男の子は誰でしたっけ…見覚えが有るような気もするのですが。
「エイルちゃんおはよう」
「…おはよう」
ルクレちゃんが笑顔で挨拶してくれました。私も笑顔でお返しします。うまく笑顔が出来ているかは自信有りませんが。
隣の男の子は無言で立ったままです。誰でしょうこの子は、全く礼儀がなってませんね。シメましょうか。
そんな私の視線に気づいたのか、ルクレちゃんが隣の男の子をつつき促します。
「ほら、ザックも」
「………よう」
眉を寄せて渋々といった感じで挨拶してきました。態度が悪いですね、やはりシメましょうか。
「もう!ザックがどうしてもって言うからずっと待ってたのに。そんなんだから最後まで気づいて―――」
「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!」
ザックと呼ばれた男の子が、大声を上げながらルクレちゃんの口を乱暴に押さえます。可愛いルクレちゃんに何をしているのですかこの子は。やはりシメましょう。
「もごもご…ザックはねぇ、エイルちゃんの事が―――」
「言うんじゃねぇぇぇぇ!」
そろそろ殴っても良いですか?結局この子は何がしたいのでしょうか。
「ゼェゼェ…。お、俺が言うからお前は黙ってろ!」
「ハーイ、黙ってまーす」
口を押さえられながらもルクレちゃんは結構余裕ありますね。慣れているんでしょうか?
なんだか楽しそうにニヤニヤ笑っていますし、二人は仲良しさんなのですね。
「………お前、移住するんだろ」
お前っと言われて何だかイラっとしました。ですがルクレちゃんに免じて許してあげましょう。寛容は美徳です。
「…うん」
「ヘイルムーンって、遠いんだろ」
「…うん」
「もう戻って、来れないんだろ」
「…うん」
結局何が言いたいのでしょうか。温厚な私でも流石に怒りますよ?
「お、俺は…おま、お前の事が―――」
顔を真っ赤にしてプルプル震え出しました。何でしょう気持ち悪いですね。
そして言いたいことが有るのならさっさとはっきり言って下さい。早く言わないと私の手の方が先に動きそうです。
「―――お、お前がいなくなったらガキ大将は俺だからな!」
「………は?」
ガキ大将?何を言っているのか本当に理解できません。この子頭大丈夫でしょうか。怒りよりも憐みの感情が芽生えてきたのですが。
「―――このっ!ヘタレがーーーーーー!」
「うぎゃ!」
ルクレちゃんが男の子の背中に回り込み、お尻を蹴とばしました。
勢い良くうつ伏せに倒れ込むその姿に見覚えがあります。あぁこの子はあれですね。坂道で蹴り落したガキ大将だった子ですね。名前はザックと言うのですか、知りませんでした。
「と、とにかく!ガキ大将は俺だからな!覚えとけバーカ!バーカ!」
立ち上がりそう言い放つと一目散に逃げていきました。もう走っても追いつけないですね、石でも投げ付けましょうか。
「ごめんねエイルちゃん。アイツ馬鹿だからさー」
私が地面に視線を降ろし、手ごろな石を探しているとルクレちゃんが私に謝ってくれました。
いいんです。ルクレちゃんが謝る事なんて何も無いんです。悪いのは全部アイツです。
「でもこれはこれで良かったのかな?こんな事があったら、向こうに行ってもアイツの事忘れないでしょ?」
確かにそうですね、ガキ大将のザック。もう絶対に忘れません。
「…必ず仕返しする」
ルクレちゃんの屈託の無い笑顔につられて、私も自然と笑顔になるのが分かりました。馬鹿な男の子に振り回されましたが、全てこの笑顔のお陰で報われた気がします。
「お、いいねその笑顔!ゾクゾクするほど悪い顔だね!」
…私、人相が悪いのでしょうか。
「よし、それじゃレーテの家に向かおっか」
「うん」
ルクレちゃんと別れ、再びレーテお姉さんの家に向かい歩き始めます。辺りに高い建物や木は無いのでもうすぐ見えてくるはずです。見えてからが遠いのですが。
「お父さんは皆さんに挨拶してから来るそうだから、私たちの方が先に着くわね」
「…そっか」
あと数日で町からお迎えが来るそうなので、お父さんの村での農作業は昨日が最後でした。
今日はお世話になった村の人たちの下へ挨拶巡りに朝から行っています。
親戚への挨拶は家族みんなで午後からする予定です。正直面倒臭いですが仕方ないですね。本音を言えばアルをかまってごろごろしていたいです。
「さぁ見えて来たわ。今日も忙しくなるわよー。まずは皆の朝ごはん作って、それから日が昇りきる前にお洗濯して、お掃除もして。午後からは挨拶だし、きびきび動かないとね!」
そう言って母は眩しそうに目を細めます。
レーテお姉さんの家は遠くに僅かに見えるだけで、私でも目を凝らさないと気づかないほどの小ささです。
道に生える草は朝露に濡れ、朝日を受けて輝いています。空気は澄みきっていて小鳥のさえずりも絶え間なく聞こえてきていました。そしてしだいに大きくなっていくお家。
私は何だか我慢できなくなって思わず駆け出しました。
「お母さん!早く、早く行こう!」
「エイル?」
村外れにひっそりと建っている小さなお家。そこにはレーテお姉さんが、ディルトさんが、そしてアルがいます。
この人たちと私たちは数日後、遥か遠い北の地へと旅に出ます。
きっとヘイルムーンへの旅は辛いでしょう。向こうでの生活も、今の私が想像も出来ないほどの物だと思います。でも、それでも―――
家のドアを開け、洗濯物の入ったカゴを放り投げ寝室へと勢い良く入ります。
そこにはアルがベッドで寝ており、私の姿を見てビックリしていました。
私たちは旅に出ます。
村の人たちや親戚の皆さんは危険だ、この村なら安定した暮らしが出来るのに、と言います。
私たちは旅に出ます。
見ず知らずの土地に、苦難の道だと分かっているその地へと。
それでも私たちは旅に出ます。
理由なんてただ一つです。家族と、愛する人たちと一緒にいたいから。
運命神様。
ごめんなさい。私は神様を信じていません。それでももし本当にいらっしゃるのでしたら。
どうか、手を貸さずにただ見ているだけにして下さい。
私たちは必ず幸せになってみせますから!
「アル!おはよう!」
私が大きな声でそう言うと、朝日に照らされ一層光り輝くその赤ちゃんは、
「おはよう。エイルお姉ちゃん」
そう、笑顔で言っているようでした。




