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閑話 エイルリーン1






 すぅっと大きく息をすると、早朝の冷たい空気で胸が満たされます。

 そうすると自分の体の隅々まで空気が行き渡り、意識がはっきりと目覚めるのが分かるのです。

 今日もまた、新しい一日が始まります。


 おはようございます。私の名前はエイル、エイルリーンです。先月6歳になりました。


 私の朝は水汲みから始まります。

 家から少し離れた場所にある、村の共用井戸から水を汲み上げて桶に移し、その桶を家まで運ぶのです。それが私に任されたお仕事です。


 同じく水汲みにやって来た村の人たちに挨拶しながら自分の順番を待ちます。

 釣瓶を引くのも桶を運ぶのも大変ですが、私はもう6歳です。このくらいの事は出来て当然なのです。


 ぱしゃぱしゃと水をこぼしながらですが、無事にお庭まで運び終わりました。そこでふぅっと一息付きます。

 今日は一度も休まずに家まで運べました。


 桶に張った水面に目を向けると、ぱっとしない地味な顔立ちと髪が映って見えます。

 顔は仕方ないにしても髪はどうにかならないのでしょうか。私としてはもっと明るい色が好きなのです。赤毛とか金髪とか。

 でもこの栗色の髪と瞳は母に、顔は父に似ているそうなのでまぁこれでもいいかなって思います。


 そんな冴えない私の事は置いておいて、次は私の家族についてお話ししますね。


 母の名前はニーナリィム。村の皆はニーナと呼んでいます。

 家で針子のお仕事をしていて、ハンカチのような小物からドレス等の大きな物まで、何でもあっと言う間に仕立ててしまいます。

 私の服もみんな母が縫ってくれた物です。

 村の皆さんにも中々評判のようで毎日のようにお仕事の依頼が来ていました。

 今はちょっと事情があってお仕事を休んでいるのですが…。


 父の名前はカーライル、カイルと呼ばれています。

 娘の私から見てもひょろひょろとして頼りない、吹けば飛ぶような容姿です。

 いったいこの父のどこが良くて母は結婚したのでしょうか。

 良い所が無いわけでは無いのです。例えば母と私にとっても優しい所とか、よく夕飯のおかずを私に譲ってくれる事とか。あと町に行った時にお土産に美味しいお菓子を買ってくれたりします。なんだか食べ物の事ばかりですね。


 私の住む村はカレントという名前です。通称『最果て』のカレントと呼ばれているそうです。ちょっとかっこいいですね。

 西方辺境領の中でも最西端の村なのだそうです。私はこの村から出たことが無いので地理はよく分かりませんが、とにかくこの国の中で西の端っこという事だけは分かります。

 『西』方辺境領の最『西』端です。西が二個も付いてますから。


 村ではみんな麦を育てています。

 この国は『大陸の麦畑』と呼ばれるくらい麦が良く実るのだそうです。

 でも私達平民は白麦を食べることは殆んど有りません。


 税として国に納めているからです。

 難しい事はよく分かりませんが、白麦で税を納めた方が色々と都合がいいのだそうです。


 きっと貴族の皆さんは毎日白麦のパンを食べたいのでしょう。気持ちはとっても分かります。

 あれは良い物です。幸せな気分になれます。


 忘れもしない、あれは去年の5歳の誕生日の事でした。母が白麦のパンを焼いてくれたのです。

 あの時の衝撃は一生忘れられそうにありません。思わず3個も食べてしまいお腹がはち切れるかと思いました。

 そして翌日に食べたいつもの黒麦のパンの味といったらもう…それも悪い意味で忘れられない思い出です。


 おっと、食べ物の話はこれくらいにしておきましょう。私は別に食い意地が張ってるわけではないのですよ?

 ただ人よりちょっとだけ美味しいものが好きなだけなのです。

 ちょっとだけです。ちょっとだけですよ。


「エイルお姉ちゃん、おはようございます!」


 声をかけてきたのは隣に住む可愛らしい女の子、ケイトちゃんです。私の一つ下なので、今年5歳のはずです。

 燃えるような赤毛が今日も朝日に輝いています。そして髪型が昨日とは変わってツインテールになっています。可愛い。

 ケイトちゃんのお母さんも綺麗な赤毛で、二人が揃うと場が一気に華やかになります。


 別に羨ましいわけではありません。

 ええ、ありませんとも。


「…おはよう」


 おはようケイトちゃん!今日もとっても可愛いね!髪型変えたんだ!とっても似合ってるよ!お母さんが結んでくれたの?お母さん器用だね!私も髪型変えたいな!どんなのが似合うかな?


 あぁ、話したいことが沢山ありすぎて上手く纏まりません。でもいきなりこんな風にいっぱい話されても迷惑ですよね。


 なので最初に『おはよう』とだけ答えます。このまま考え込んでいたら無視したと思われてしまいますからね。


 話すことを一つか二つだけに絞りましょう。

 やはりここは『似合ってるね!』この一言で行きましょう。

 面と向かって褒めるなんてとても難易度の高い行為です。しかし私はもう6歳になったのですから、このくらいの事は出来て当然です。


 胸の鼓動が早くなってきました。手のひらをぎゅっと握りしめ、深く深く息を吸って準備完了です。

 さぁ言うぞ、今言うぞ、今言うぞーっ!


「…にぁ」


「今日もいい天気ですね!お日様がぽかぽか暖かいです!」


 …あぁ、またです。

 私が話そうとすると、いつもこうなってしまうのです。

 考え込んでいたら会話が進んでしまって、もう別の言葉を返さないと行けません。


『今日もいい天気ですね』

『似合ってるね』


 これじゃ全く会話が噛み合ってないじゃないですか!


「…うん」


 取りあえず返事をします。そしてケイトちゃんが次の言葉を口にする前に何としても私から会話を繫げないと!


「…天気がいいと」


「はい!」


 どうしましょう!何も思いつきません!

 天気がいいとどうなるのでしょう?お洗濯がよく乾く?暖かくて眠くなる?ダメです。そんなありきたりな言葉ではケイトちゃんの記憶に残りません。もっと独創的で心に残るような事を言わないと!でないと…忘れられてしまいそうです。


 えーとえーと、あ!そういえば今日はまだ朝ごはんを食べていません。どうりで頭が働かない訳です。お腹が空きました。


「お腹が空きました」


「え?…あっ、そうですね!天気がいいとお腹空きますよね!」


 あぁ!思っていたことがつい口に出てしまいました!

 しかも『天気がいいとお腹が空く』ならまだしも『天気がいいとお腹が空きました』って明らかに文章としておかしいです!


 でも流石はケイトちゃんです。私のつたない言葉でもちゃんと理解してくれました!

 この子本当に可愛いです。私の妹になって欲しいぐらいです。ケイトちゃん自身も私をお姉ちゃんと呼んでくれますし、もう妹でいいのではないでしょうか?というか妹です。誰が何と言おうと私の妹です。異論は認めません。


「エイルー、水汲み終わった?」


 私が人知れず身悶えしていると、家の中から母の声が響きました。

 そう言えば朝の仕事の最中でしたね。すっかり忘れていました。

 

「あ!旅の準備で忙しいのに長々とごめんなさい!お姉ちゃんまたです!」


 そう言って手を振りながら歩いて行ってしまいました。あぁ、私の妹が遠ざかっていく…。

 旅の準備はほとんど終わっているから時間は有るのに!もっとお話ししましょう!


「うん、また…」


 私も小さく手を振って見送ります。名残惜しいですが仕方ありません。引き留めてもケイトちゃんが困ってしまいますしね。


「エイル、誰かと話していたの?」


 家からお庭に出て来た母が、桶の中身を大きな水瓶に移しながら話しかけてきました。

 私の腕ではまだ桶を持ち上げることが出来なくて、最後の作業は母に頼ってしまいます。ちょっと悔しいですね。


「…ケイトちゃん」


「あ、ケイトちゃん来てたの。あの子小さいのにしっかりしてるのよね。レーテとは大違いだわ」


「…」


 レーテというのは母の友達で、村のはずれにある家に住んでいるとってもキレイな女の人の事です。あとお胸がとっても大きいです。母とは大違いです。

 一度だけ『レーテおばさん』と呼んだことがあるのですが、いい笑顔で『レーテお姉さん』でしょう?と訂正させられました。


「さて、朝のお仕事も終わったしそろそろ行こっか?」


「うん!」


 母が食材の入った籠を持ち、私が洗濯物の入った籠を持ちます。

 それほど重くは無いのですが、籠が大きいので両手を使って胸で抱えるようにしないと持てません。ちょっと前が見にくいです。


 母はそんな私を見ながらも手伝おうとはしません。でもそれでいいのです。こんな事ぐらいで手伝ってもらっていたら大人になれませんからね。

 本当に大変な時はちゃんと手伝って、と言います。そうすると母は嫌な顔せず手伝ってくれます。自分から言い出さない限りは無暗に手を貸さないのが母の教育方針なのだそうです。


「んしょ…しょ…」


「…」


 母と並んで村はずれまで向かいます。

 そこにはさっき話に出たレーテお姉さんが住んでいて、私たちはそこで家事のお手伝いをしています。かれこれ一年ほどになるでしょうか。

 レーテお姉さんが妊娠し、そして赤ちゃんが生まれたからです。


 その日の事は今でも忘れられません。だってその赤ちゃんは、生まれたその瞬間から普通とは違っていたのですから。






 アルフリートと名付けられたその男の子は、光り輝いていたのです。











 産湯に入れられ清潔なおくるみに包まれながら、元気に産声を上げるその赤ちゃんの身体からは、まるで湯気のように光が立ち昇り部屋の天井まで届くと溶けるように消えていました。


 私はその光景を我を忘れて見入っていました。

 後から母が言っていましたが、その時の私は今まで見たことが無いくらい目をまん丸にして固まっていたそうです。

 でも無理もない事でしょう?赤ちゃんから光が溢れるなんて想像もしていなかったのですから。


 母やレーテお姉さん、産婆さんまでも全く驚いた様子が有りません。生まれたばかりの赤ちゃんはみんな光っているものなのでしょうか?気になって母に聞いてみました。


「…お母さん。赤ちゃん光ってる」


「うん?そうね。光るぐらい可愛い赤ちゃんね」


 母は『光るぐらい』と言いました。つまり光っていないのですね。

 どういう事なのでしょう?この光は私にしか見えていないのでしょうか。もしくは私の目がおかしくなってしまったのかもしれません。


 そんなことを悶々と考えていると、光に変化が現れました。

 立ち昇り消えていた光が、赤ちゃんの周りにぐるぐると集まり出しその体に吸い込まれていったのです。


 そうして光は消えていきました。いえ違います。今度は赤ちゃんの耳だけが光り出しました。

 でも先ほどまでとは違って光が耳に留まり、やがて一層眩しく太陽の様に瞬きました。


 私は思わず目をつぶり、光が弱まるのを待ちました。

 もしこのまま光が収まらなかったらどうしましょう?それは困ります。赤ちゃんの顔が見れないじゃないですか!


 しかし私の心配は杞憂に終わりました。眩しかったのはほんの一瞬だけで、目を開けると今までの事が嘘だったかのように光は消えていました。


「―――アルちゃん、私がママよ。あなたは私達の大切な家族になったの。これからよろしくね」


 レーテお姉さんが赤ちゃんに話しかけています。私は何だか夢を見ていたような気分でその光景をぼんやり眺めていました。


 あの光は一体何だったのでしょうか。












 それからというもの、私はお手伝いの合間を縫っては赤ちゃんを観察していました。

 あの光は現実だったのでしょうか?もう一度光ればそれを確かめられるのですが。


 観察して分かったことですが、赤ちゃん―――アルはとっても面白い子でした。


 まず始めに、この子泣きません。

 というか泣きそうだな、これは泣くなーってときになると顔を思いっきりくしゃっと歪めて我慢するんです。

 まだ歯も生えていないのに歯を食いしばっているように口を結び、両手両足をぎゅっとします。


 でも時々我慢しきれなくて泣いちゃいます。その時『あー、泣いちゃったよ…』って表情をするのです。私はその顔を見るのが好きです。思わずクスッて笑ってしまいます。


 次にアルは音を聞くのが好きです。

 部屋の窓が開いていると外の音が色々聞こえるのですが、その一つ一つにアルは反応します。


 草の揺れる音や鳥の声。虫の音に…あ、今のは私のお腹の音です。

 アルが『あれ?今の何の音だ?』って顔をしました。ふふっ、考え込んでもきっと正解には辿り着かないでしょう。

 世の中には考えても分からない事が沢山あるんです。お姉さんからの教訓ですよ?


 どれくらいそうしていたでしょうか。

 ある日、いつものようにアルを起こさないようそっと眺めていた時、ついに来ました。


 あの時と同じく光が溢れたのです。

 私は『来た!やっぱりあれは夢じゃなかったんだ!』と内心小躍りです。


 光は今度は耳ではなくアルの瞼の上で留まり、燃えるように輝きました。

 二回目だったので心の準備をしていた私は、今度は目をつぶらないでいたかったのですが結局我慢できませんでした。


 ゆっくり瞼を開けると、目の前のアルの瞼もまたぱっちりと開きました。


 私はびっくりして声も上げられませんでした。人って本当に驚くと何も出来ずに固まってしまうものなんですね。勉強になりました。


 そうして見つめ合ったアルの目は、レーテお姉さんに似たとっても深い空色で。

 瞳の奥に消えたと思っていた光が瞬いていました。


 可愛い!きれい!!可愛い!!!


 私の心は小躍りです。いえ大踊りです。この感動を誰かに伝えたくて仕方ありません!

 そうだ!母を!母を呼びましょう!


 「おかあさーん!あかちゃんおきたー!」


 自分でもびっくりするくらい大きな声が出ました。私、この時自分の限界を超えましたね。


 それからというもの、毎日が騒がしくて楽しくて。世界が輝いて見えました。

 母とレーテお姉さん、アル。そして私。

 四六時中一緒に居るこの四人は本当に家族になったみたいでした。


 あっ、そう言えばレーテお姉さんの旦那さんのディルトさんが帰ってきましたね。おひげがモジャモジャで誰だか分からなかったですけど。

 あと訓練している時、背中から青白い半透明の腕が生えてました。あれにはびっくりです。


 それととってもとっても大事な出来事がありました。






 母の病状が、回復に向かったのです。







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