プロローグ
「貴様がアルフリート・ヘイルムーンか」
そう目の前の少女が問う。
少年は無様にも地面に尻餅を付き、その少女を見上げていた。
厚い雲で月が隠された闇夜の中。
まだ幼さの残る少女は、右手に持った剣を少年の喉元に突きつけていてその表情は伺えない。
ただ薄紫色の長い髪だけが闇の中でも鮮明に浮かび上がっていた。
少年の持っていた剣は弾き飛ばされ、遠くの草むらに落ちている。
たとえ目の前にあったとしても、拾おうとした瞬間に喉を突き刺されてしまうだろうが。
つまり、この少年の人生はここで終わるのだ。
「もう一度聞く、貴様がアルフリート・ヘイルムーンか」
無言でいると再び少女が聞いてきた。
鈴を転がしたような綺麗な透き通った声だ。しかし絶望的に感情が篭っていない。
「…だったらどうした」
そんな言葉が少年の口からこぼれた。
分かりきった事を聞いている、だが声が震えなかった事は褒めてやってほしい。
この少年はここで殺される。そう歳も変わらない少女の手で。
少年の胸に宿るのは生まれてから今日まで、異世界に転生してからの5年間のことだった。
2度目の人生を歩み始めたばかりなのに、せっかくこの世界で一生懸命生きて行こうとしていたのに。
何もかもがこれからだっていうのに―――!と。
唇を噛み、地面を爪で掻く。悔しさのあまり涙で少女の姿が霞む。
逃れられない死の運命を感じながら、もはや為すすべもなく少年は最期の時を待つしかなかった。
だがこの少女は、そんな少年の予想をあっさりと裏切る。
突然剣を鞘に収めると顔を確かめるかのように跪き、右手をゆっくりと差し伸べた。
「貴様を探していた」
少年は随分と間抜けな顔をしているだろう。
今まさに殺されると思っていた相手から、そんな事を言われるとは想像もしていなかったのだから。
そしてその時、空を覆っていた雲が晴れ、月明かりが少女を照らす。
月の光を浴びた少女の体は、まるで燐光を纏ったかのように輝き、髪よりも深い青紫の瞳は目の前にある顔だけを映していた。
まだ10歳にも満たないであろうその姿は、おとぎ話の一場面かと見紛うほどの現実離れした美しさで。
こんな状況にも関わらず少年の目を一瞬で奪っていた。
静寂の中、まるでこの世界から切り離されたかのように少年と少女は無言で見つめ合っていた。
だがそのまま永遠に続くかと思われたこの時間は、他ならぬ少女の言葉によって終わりを迎える。
少女は相変わらず感情の無い声で
「私を人質にしろ。そうすれば命だけは助けてやる」
静かに、そう脅すのだった。
それが少年と少女―――アルフリート・ヘイルムーンとアイネイア・ド・クロトミュスコフの出会い。
運命が廻り始めた瞬間だった。