表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイデンティティの在り処  作者: 日笠彰
1/10

アイデンティティの在り処 プロローグ

大晦日ということで、書き溜めておいた小説を一挙放出します。完結済みですのでどうぞお楽しみください。


ちなみに三部構成を予定していますが、それはまあ、受験が終わってからおいおい……。

ということで「私立探偵はじめました」シリーズ第一部、アイデンティティの在り処お楽しみください。

 些末なことであるがとりあえず留意してほしい点が一つある。

 それは、僕が生粋の左利きであるということだ。箸を使うのはもちろん、ペン、携帯のメール送信、街中にあふれている押しボタン各種に電気の紐、あるいは、これは僕が常々憤慨していることなのではあるが、必ずと言っていいほどに右側に設置されているトイレットペーパーだって左手で巻き取って拭いている。浄も不浄も左手だ。インド人もびっくりだ。それほどに、私は左利きなのだ。生まれながらに、絶対的に、完全なまでにサウスポーなのだよ。

 そう前置きしてから、先生はふんぞり返りました。

「そんな僕に、君は尻を触られたというのかい? 身動き一つとれない満員電車で、僕の右側にいた君が? まさか」

 一呼吸おいて、先生が声高に叫びました。

「冤罪だ!」

 傍から見ても恥ずかしい。ので、私はあくまで他人の振りです。知らんぷり。

「だろう、美空君」

 と思ったら突然の指名でした。関係者一同の視線が一斉に私を射抜きます。まるで私の一言ですべてが決まるかのようです。もし本当にそうなのならば、涙目で、愛嬌をふりまき、しなを作って弱々しく、女であることを最大限活用して、この社会不適合者を犯罪者へレベルアップさせるべく首を横に振ってやりますが、お生憎様そうでもないご様子。私の反応を待たずに、関係者一同の視線は自称被害者の方へと移ります。

「さわ……触られたんです!」

 まるでテニス観戦。

「可哀想に、こんなに震えて」

 三十路を越えたばかりであろう駅員のおじさんが被害者の女性の肩に手を掛けます。そのセリフやその動きは必要でしょうか、と小首を傾げつつ、私は涙ぐむ女性を観察。

 ゆるふわカールの明るい茶髪。ナチュラルメイクは二時間物。ピンク系統のツーピースに、高級そうな白のハンドバッグ。男に買ってもらった物でしょうか。

 こういうかわいい系の女子に男はコロッと騙されるんだろうなと思うと、男という生き物が不憫で仕方がありません。肩に手をかけて般若の形相で先生を睨む駅員さんも、先生を連行するのに一役買って、あわよくば被害者の女性と仲良くなりたいという下心が正義感の裏に見え見えな大学生のお兄さんも、誰も彼女の嘘泣きには気づいていないのです。

 この場で嘘泣きを知っているのは、私と、もちろん泣いている本人と、あと先生くらいでしょうか。

「僕は触っていない。そもそもこんな化粧を落とした瞬間、縁日の能面の方がまだ栄えている顔が出てきそうな女の尻なんぞ触りたくもない」

「ですよね。先生はロリコンですもんね」

「違う。少し幼い感じのおしとやかで庇護欲そそられる物静かな女性が好きなだけだ」

「違う犯罪に繋がりそうですね」

「そちらの方は受けて立つが、今回の痴漢は立派な冤罪だ! どうせなら少し幼い感じのおしとやかで庇護欲そそられる物静かな少女の尻を触って捕まりたい」

「全国の冤罪なのに疑いを掛けられている男性に謝ってください」

「私だって可愛いもん!」

 自分が置いてけぼりになっていることに嫌気がさしたのか、それとも遠まわしに自分が馬鹿にされていることに気がついたのか、被害者の女性が声をあげました。

「絶対この人が触りました! さっさと捕まえてください」

 ウォータープルーフの落ちた亡者のような形相で、女性が先生を罵倒します。私がさりげなくそれを指摘すると、はっと気づいた彼女はくるりと後ろを向き、また先生に向き直って罵倒を続けました。

 一瞬で直してきやがった。この女、できる。

「この人見るからに変態だし! なんか女子高生連れまわしてるし、服よれよれだし、なんか変な匂いするし、彼女いなさそうでオタクで絶対痴漢よ!」

 いいぞいいぞ、もっと言ってやれ。

 ついでにロリコンで浮浪者然としていて落ちたものだって平気で食べますし、何より甲斐性がない男です。私のバイト代はしばらく支払われておりません。

 私は影ながら彼女を応援しました。

 しかしあなたの言い方では、冤罪だと言っているようなものです。

 私的にはどうにか彼女を応援してこの社会不適合者を奈落の底に突き落としてやりたいのですが、援護射撃に自ら被弾しに行くような彼女はどうにも擁護しにくいですし、何より先生が捕まると私の職と食が危ういので、いい加減ここらで寝返ることにしました。

「私見ていましたけれど、この男は―――見るからに変態で駄目人間ですが―――あなたのお尻は触っていませんでしたよ」

「おい、駄目人間とはまだ言われていないぞ」

「どうせすぐに言われます。……この人どころか、あなたのお尻には誰も触っていませんでしたよ」

「そうそう、そんな固そうなお尻、誰も触ろうとは思わないよ、きっと」

「固くないわよ!」

 女性が激昂します。顔を真っ赤に膨らますさまはカエルの様です。

 今までプライドを傷つけられたことが無いのでしょうか、煽り耐性もなさそうです。ずっと不自由なく暮らして来たんだろうなと思うと、同じ女として情けない。先生と彼女、天秤にかけたとしても少ししか先生に傾かないでしょう。嫌悪感において。

「見るからに固そうだ。うん、石だね」

「あそこから出てくる赤ちゃんも大変そうですね。まあ、そのまえに旦那が見つかるか疑問ですが」

「うるさい!」

 快速電車の騒音と彼女の一喝があたりを包み込みます。全員の視線が彼女の元へ集まります。そして彼女は、強烈な一言を放ちました。

「なんなら、実際に私の尻を触って確かめてみなさいよ!」

 電車が通り過ぎ、辺りから音が消失しました。

 強烈な一撃。華麗な自爆。あっぱれです。

「あっ……いや、その」

「今のは自分を痴漢した男に言うセリフではないですね」

「まあ、実際に触っていないのだし」

「違う、違うの」

 女性はふるふると目に涙を浮かべています。すぐに演技に入れる辺り、これまでに数々の修羅場を経験してきたことが伺えます。

「今のは、その、あんたに言ったわけじゃなくて」

「確かにそうとも取れますが、少し苦しい言い訳じゃないでしょうか。というか、本当に被害に遭ったのならば有無を言わさずに速攻警察に行くべきでしたね。変にこの場で押し問答をするよりは、よっぽど頭のいい選択です。大方、先生に大衆の中で醜態を晒させようとしていたのでしょうけど」

 また、快速電車が駅のホームを通り抜けて行きました。轟音と共に吹きすさぶ風が、泣き崩れる女性の最後の叫びをかき消しました。駅員さんは困ったように、チャラ男はバツが悪そうに、そして先生は勝ち誇ったような顔をして立っています。

 男ってなんて馬鹿なんでしょう。

 駅のホームから垣間見える空は秋晴れの模様です。カラッと晴れたいいお天気が、どこまでも、いつまでも続いていくような気がしました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ