少年と少女と空色の傘
ふわり
ふわり
と、舞うのは空色の傘。
少女は風と戯れる。
そして、少年は少女の秘密を知る。
*****
人のいない小学校校舎。
屋上のフェンスの向こう側。
一人の少女が立っていた。
少女は制服ではなく、白い短パンと水色のTシャツを着ていた。
黒い髪が風で揺れた。
手には空色の傘。
少女は静かに目を閉じている。
深呼吸をして、目を開く。
そして、傘を開いた。
少女は水色のスニーカーを履いた足を空中に、まるで歩くかの様に踏み出した。
少女は空中に身を躍らせた。
そして、
ふわり
と、風に揺れながら舞い上がった。
*****
人が全くいない小さな公園。
公園のベンチに一人の少年が座っていた。
少年は白いTシャツにジーパンを着ていた。
手にはファンタジー小説を持っていた。
小学生が読むには難しそうだ。
少年は目を閉じて、寝息を立てていた。
不意に強い風が吹き上げた。
手の中の本がバタバタと暴れた。
少年は驚いて、目を開く。
少年のいる場所に、自分ではない小さな人影かできる。
そして、少年は上を向いた。
そして、少年は不思議なモノを見た。
*****
「………え?」
手に持っていた文庫本を落とし、浩はその少女を見た。
彼の真上には少女がいた。
その少女は傘差して、空を飛んでいた。
その少女は浩がよく知っている顔だった。
いつも隣の席で見ている可愛らしい顔………それは
「如月薫!?」
「え?」
薫は声をあげて、浩を見た。
お互いに、とても驚いた表情をしていた。
薫は急にガクンとバランスを崩した。
「きゃっ!?」
そして地面に、浩の真正面に舞い降りた。
「え?え?え?」
浩の口がぱくぱくと動く。
薫は傘を差し、立っていた。
額に汗が流れた。
「ふ、藤井………」
「な、今、空を……?」
薫の瞳に涙が浮かぶ。
「お願い!誰にも言わないでぇぇ!」
そして、浩にしがみついた。
「ちょっと待て!」
浩が振りほどく。
「お願いぃぃ!」
「しつこい!」
浩は薫の傘を奪い取る。
「あうっ。返してよ!」
浩が傘を掲げる。薫が手を伸ばす。
「まず答えろ。何で、如月は空を飛んでいたんだ!?」
「…言わないとダメ?」
「言わないと言いふらす」
「うぅ……。それはやめて。わかった。じゃあ、傘を返して」
「ほい」
薫は傘を受けとると数歩下がり、浩から離れた。
「見てて」
薫は傘の取っ手を握りしめ、目を閉じた。眉間にシワが寄る。
すると、薫の周りで不思議なことが起こった。
まず最初に、薫の髪が上に舞い上がり、服がはためいた。
次に、カタカタと下に落ちている小石が浮き、雑草が揺れた。
薫がいたずらっ子の様に笑った。
「いっくよー!」
そして、勢いよく風が吹き上がった。
周りの木々がざわめいた。
浩の文庫本が空中に放り出された。
「あ…!」
強い風が浩にも、吹き付ける。
「っ!?」
髪が掻き乱され目が乾燥し、涙が溢れた。
「如月!!目、痛いっっ!!」
「あ、うん!……ふぅ」
薫は息を吐き、集中を解いた。
風はゆっくりと勢いを無くし、完全に消えた。
薫の髪が肩にはらり、と落ちる。
「これでわかった?」
傘を閉じて、浩ににこっと笑いかける。
ボサボサでグシャグシャに乱れた浩。
浩は涙を拭いながら、薫を見る。
薫の顔に手を伸ばすと、そのままアイアンクロー。
「わかるかぁぁぁぁぁ!」
「痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃぃ!」
薫は目に涙を浮かべながら、しゃがみこんだ。こめかみを押さえる。
「うぅ……。ちゃんと説明したのにぃ……」
「してねぇよ?」
「だーかーら。私は風を操れるの!」
「だから何で?」
「うーん。この傘を持たないと風を操れないの」
「何で?どこで買ったの?」
「わかんない。いつかなー。この公園で拾ったんだー」
薫は細い人差し指を唇に乗せて、上を見る。
「へぇ。俺もほぼ毎日来てるけど、そんなの見たことない。いいなぁ」
まじまじと傘を見る浩。
「でしょー!」
薫が傘を握る。
「貸してよ。俺も飛びたい」
浩は手を差し出す。
「いいよー」
薫はにこやかに傘を浩に渡す。
「え?まじ?」
浩はきょとん顔だ。
「うん。だって藤井も毎日ここに来てたんでしょ?私もだから、運だったんだよ。藤井くんの場合もあったはずだし」
薫が饒舌に喋った。
「おぉ……。ありがと……」
浩が傘を受けとる。
「がんばれー!」
薫が笑顔で応援。
浩は空色の傘を開いた。
目を閉じて、意識を集中させる。
そのまま数分。
何も起こらない。
「………」
「……あれ?」
薫が首を傾げる。
浩は気まずそうに言った。
「だろーな」
静かに傘を閉じて薫に渡す。
「えー?なんでだろー?」
薫が傘を眺める。
「……いいなー。いいなー」
浩が薫を羨ましそうに見る。
「むぅ。………あ!」
薫の顔が晴れた。
「何?」
浩がつまんなそうに帰りの支度をしながら言った。
「一緒に飛ぼうよ!」
薫が傘を浩に向けた。
とても不思議な小学生の発想力だった。
「危なくない?」
「平気!頑張って強い風に乗るから!」
薫は顔を煌めかせる。
浩が笑顔を作った。
「じゃあ、やりたい!」
「決まりー!今から、うーん……あのマンション!あのマンションの屋上に行こう!」
「よし!急ごう!」
浩と薫は駆け出した。
*****
「準備はいーい?」
薫は傘を開き、フェンスの向こう側に立っていた。
屋上の鍵はというと、小学生らしさを丸出しで管理人さんに「ハンカチが跳んでいっちゃったのー!」と言ったら開けてくれた。そして扉を抜けると、付いてこようとした管理人さんを押し出し鍵をかけた。
これはもう、無邪気な子供というよりワルガキだが……。
「おっけーだ!」
浩は薫の腰に右手を回し、左手は傘の取っ手を握っている。
「行っくよー!」
「おー!」
「せーの!」
二人は飛んだ。
空色の傘を持って。
空に飛び込んだあと、少しだけ落ちたが、風が吹くと
ふわり
と、浮いた。
そのまま薫は慣れた様子で風に乗った。
どんどん天に天に、上がっていく。
下に見えるのは、どんどん小さくなっている自分達の世界
。
「うおー!すげー!」
浩は大興奮。
「うぅー!少し重いか、も……!?あれ!?」
薫は普段との違いに気づいた。
それは、いつもは一人で限界なのに今日は二人でも飛べることだ。
「ねぇ!藤井!藤井もたぶん、風!操れてる!」
薫はいつもより強く吹く風を浴びた。
「マジで?やった!」
「うんうん!すごいー!」
そして、もうひとつ気づいた。
浩のテンションが上がる度に風の強さが増していることに。
「え?え?下がれない!?」
薫が慌てる。
集中はすでに解けているはずなのに、高度は上がるばかりだ。
「え?下がるの?まだいいじゃん!楽しい!」
ビュウビュウと風が吹く度にあっちへいったり、こっちへいったり。
空高く上っていく。
浩の短い髪も、薫の長い髪もぐちゃぐちゃに乱れていく。
「でも戻れなくなっちゃうよ!?」
薫はもう、涙目だ。
「何でー?すごいもん!読んでいた小説みたいだ!このままやりたいよ!」
「いや!怖いぃ!」
薫が叫んだ。
その瞬間だった。
ガクンと二人は傾いた。
薫の風を操れる集中が完全に切れたのだ。
そのまま、落下。
飛んでいたときとは比べものにならない突風が二人を襲う。
「きゃあああああああああああああああああっ!!!!」
「うわあああああああああああああああああっ!!!!」
二人の悲鳴が青い空に響きわたった。
*****
浩と薫は気を失っていた。
目を閉じていた。
薫の手には空色の傘。
浩が足を動かした。
ガサリ
と、音がした。
「いたた……。あれ?」
浩が目を覚ました。
「ぅ……?え?いたっ!」
薫も浩が動いたからか、目を覚ました。
二人はキョロキョロと辺りを見渡した。
そこはあの公園だった。
二人は茂みの中にいた。
体中、傷だらけだった。
「何で?俺ら、もっと遠くに飛んだよな?」
「うん!え?何でだろ……」
「もしかして。もう、如月は風を操れなくなった?」
「嘘!?」
薫は慌てながら、少しボロボロになった空色の傘を掴んだ。
茂みから降り、傘を開いて仁王立ち。
目を閉じ、意識を集中させる。
「む、むぅう~~!」
薫がうめく。
すると、ほんの少しだけ、風が生まれた。
それは薫の髪を揺らし、小石を数センチ浮かし、雑草をはためかせた。
さっき、起こした風とは比べものにならない程の弱さだった。
「ぷはぁっ!!」
息を止めていたのか、薫は思い切り息を吸い込み、目を開いた。
肩で大きく息をする薫に浩が手を伸ばした。
「だ、大丈夫か?」
心配そうに尋ねる。
「う、うん。だけど、ぜんぜん出来ない……」
薫が肩を落として落ち込む。
傘の傘布を眺めた。
「って……あれ!?」
薫が声をあげた。
「ん?どうした?」
浩も覗き込む。
「これ、違う!」
「え?」
「私のじゃない!!こんなの書いてなかったよ!?」
「どういうこと?」
浩は傘布をまじまじと眺めた。
そこには小さな、よくわからない文字が呪文のように並んでいた。
ごちゃごちゃごちゃごちゃ
ときおり、ポウッと白銀に輝いてみえる。
「本当だ。なにこれ、魔法?」
「知らないよぅ!でも、綺麗……。」
薫と浩が同時に首を傾げる。
そして、自分達が転がっていた茂みと空を見た。
浩が口を開いた。真面目な表情で。
「誰かが助けてくれたのかな?」
「うーん。妖精とかが?」
「うん」
「うん!いるかもね!」
「じゃあさ。これから探してみない?」
「え?妖精を?」
「うん。これから学校が終わったあと!暑い日は図書館に、涼しい日は傘を調べる!やらない?」
浩はにっこりと笑った。
薫が傘の文字を見て、浩を見た。
浩の笑顔につられて薫も笑った。
「もちろん!!」
「じゃあ、決まり!!」
二人で傘を持ち、勇者の剣の様に掲げると声を揃えて言った。
「見つけるぞーー!」
「おーー!」
二人の笑顔は太陽のように輝いていた。
*****
少女の秘密を知った少年は
共に風と戯れ
共に空を飛び
共に不思議な出来事と出会い
共に不思議なモノを探すことになった。
これから始まる
長い
長い
日常。
彼らは何を見つけるだろう。