愛犬『みるく』の旅立ち
皐月晴れの爽やかな日の夕暮れと共に
私の愛犬『みるく』は旅立って行った。
9年と3か月の短い生涯だった。
今の私は彼の遺骨を前に、写真を見ながら
生前の仕草や柔らかく温かい感触を思い出している。
私に飼われて幸せだったろうか?
最後は苦しくなかったろうか?
迷わずに天国まで行けただろうか?
そのつぶらな瞳で何を見て、その耳で何を聞いて、その鋭い感覚で何を感じていたのだろうかと考えている。
それはあまりにも突然の出来事で、あまりにも早い時の流れに翻弄された1ヶ月だった。
いま振り返ると、運命の始まりは近所の弁当屋がいつの間にか閉店していた時に遡る。
そこには 「動物病院Open予定」と貼り紙がされていた。
2011年の師走の頃だった。
私は『みるく』を飼っていたので、近所に動物病院が出来る事は歓迎だった。
『みるく』は真っ白でふさふさの毛と、まん丸な黒い瞳が特徴の、愛嬌のある雄のポメラニアンだ。
好物はカボチャにジャガイモ、キャベツの葉っぱ、時々与える果物なども喜んでいた。
主食はもっぱらドッグフードで、これでも彼の健康には気を付けていたつもりだ。
家での居場所は主に3ヶ所。
ひとつはメインのゲージで囲まれたトイレ兼食堂(ここに滞在していることはまずない) ふたつめは寝床のハウス(ここはお気に入りだ) もうひとつは私が別荘と呼んでいた小さめのハウスだ(ここは隠れ家で 逃げ場的な所だ) ほんのたまにだが、子供の頃に寝ていた赤いキャリーバッグに入っていた。
私の都合で毎日散歩には連れて行けなかったので、ソファーに座ったり、床にのしイカのように寝そべったり、出来るだけ自由に過ごさせていた。
年齢は2月20日で9才になった。
人間で言うと50代の働き盛りだ。
とはいえ、彼の仕事といえば電話が鳴った時や、人が来てチャイムを鳴らした時に、吠えて教えてくれる程度の事だ。
もちろん私にも聞こえているので、吠える必要もないのだが…
犬は嗅覚が鋭いと言われているが、彼は聴覚の方が敏感だったような気がする。
もうひとつ、彼には大切な仕事があった。
可愛い仕草や人懐こさで、皆を癒やす事だ。
2月の小春日和の日に、そんな『みるく』を
久しぶりの散歩に連れ出した。彼は散歩が大好きで、私の「さんぽ」の言葉と、いつもの水色のリードを見ると、全身で喜びを表現して私の前に座わる。
頭を下げて、早く首輪を着けてくれと言わんばかりにもじもじとしている。
その日は誕生祝いも兼ねて、いつもよりたっぷりと走ったり休んだりしながら、あてもなく町中を歩き回った。
その時、彼が以前より走る早さと持久力が衰えていると感じた。
階段を登るのを嫌がったり、走った後に座り込んだりする事も、それまでにはなかった事だが、最近の運動不足と年齢のせいだと思った。
いま思うとあの時すでに病魔が忍び寄っていたのだろうか。
散歩の帰り道にふと見ると、弁当屋の跡地に動物病院がオープンしているのに気付いた。
普段の私なら通り過ぎるところだが、何故かその日は散歩で疲れた『みるく』を抱いて中に入ってみた。
オープンしたばかりできれいな店内を見ていると、診察時間外だったが若い先生らしい男の人が出てきた。
私が『みるく』を抱いていたせいか、「どうかされましたか?」と声をかけてきた。
それから少し雑談をして、「近いうちにトリミングに来ますよ」と言い残して店を出た。
実際にトリミングには少し遠いペットショップまで通っていたので、助かるなと思った。
まさか、わずか2ヶ月後に運命の舞台になるとは、その時は考えもしなかった。
それからはいつもの日々が続いて、『みるく』も元気に平穏に暮らしていた。
毎朝、ベランダに出ては用をたしていたのが懐かしく思える。
異変を感じたのは4月中旬の夜だった。
いつものようにペットフードの夕食を用意して食べさせようとしたが、近くに来て臭いだけ嗅いで全く食べなかった。
「どうしたんだろう?」 と思ったが、以前にも何度かあった事だったので、また季節の変わり目で体調が悪いのかと考えていた。
3日程たっても食欲が回復せず、調子が悪そうだったので、4月の18日に例の動物病院に行って胃腸薬をもらって来た。
いつもフィラリアの予防薬などは、食事やおやつに混ぜて飲ませていたが、この時は食欲が無いので、飲ませるのに大苦戦した。
何とか飲ませようと工夫したが嫌がって飲んでくれない。
私は困り果てて無理に飲ませようともしたが
、彼の必死の抵抗にあい何度か噛まれて手が傷だらけになってしまった。
その日の夜は結局、薬も飲んでくれず、寝る前には嘔吐までしたので、次の日に病院に連れて行く事にした。
翌朝、『みるく』を連れて病院に行っが、いきなりの血液採取に吐き気止め注射、皮下点滴やレントゲン撮影と私もびっくりする程の検査が行われた。
私が驚くぐらいだから、何もわからない彼にはどれ程の不安と恐怖だったろうか…
検査結果が出たのは1週間後だった。
その間も食欲もなく、気だるそうに横になるようになっていた。
私はそんな姿を見ながら心配で心配で、ただなぜてあげるくらいしか出来ない事がもどかしくて仕方がなかった。
人間ならば、「痛い、痒い、辛い」と言えるところだが、何も訴えずにじっとして私を見ている姿が悲しかった。
血液検査の結果では肝臓か脾臓、胆嚢のあたりに問題があるとの事で、次は超音波検査をする事になった。
ゴールデンウィークに入り、さっそく検査に連れて行った。
検査後に先生に『みるく』の白い毛やピンクのお腹が黄色っぽくなっていて、オシッコも色が濃くなっていると伝えると、先生は白目を確認して「黄疸が出ているので、入院して点滴をした方が良い」と言い出した。
入院など想像もしていなかった私は少々戸惑ったが、先生の言う事に従う事にした。
この日から『みるく』の本格的な闘病が始まったと言えるだろう。
入院中も様子を見に行くと、手には点滴、首にはエリザベスカラーを付けられており、何とも不安そうな目で私を発見すると、助けてくれと求めているのが容易にわかり、とても辛かった。
ただでさえ臆病な彼が、入院中(特に夜)にはどんなに不安と恐怖と淋しさを感じているかと思うと、涙が出るほど可哀想で仕方がなかった。
超音波検査でも問題がはっきりせず、大学病院で精密検査する事を勧められ、川崎の「日本動物高度医療センター」というところに5月4日に行く事になった。
川崎に行く前夜に久しぶりに一時退院して家に連れて来たが、手には点滴のチューブが入っており、首にはエリザベスが付けられたままだった。
4日間の入院中に毎日の点滴と血液検査の注射をされ、すっかり人間不振になっている事は、その目付きで私にはすぐにわかった。
でもこの時は、しっかり治療すれば治るものと信じており「もう少しの辛抱だよ」と『みるく』に言い聞かせていた。
ただ、点滴の効果か入院前よりも元気を取り戻しているのが嬉しかった。
先生には禁じられていたが、その夜はエリザベスを取り外して、自分の臭いのするいつもの寝床でそっと寝かせてあげた。
翌朝、晴天の中『みるく』を乗せた車を運転しながら思った。「最近はドライブとか、遠くに連れて行って無いな」と。
私は反省しながら、「ごめんな」と声をかけていた。
川崎の病院はさすがに近代的な綺麗な建物で
、へたな人間の病院よりも立派だった。
その日の検査はやはり血液検査やレントゲンといった、地元の病院でやったものと同じ内容のものだった。更に詳しく調べる為に肝臓に針を刺して細胞を採取するとの事で、出血が止まらなくなる危険もあるとの説明があった。
私は『みるく』が入院前よりも回復している事もあり、危険な検査をする前に少し様子を見させてくれないかと訴えた。
何よりも、もう『みるく』に針を刺したり怖い思いをさせたくなかったのが本心だ。
医療センターの先生も私の意図を察してくれてその日はそこまでにして連れて帰った。
余談になるが、その帰りに高速道路で覆面パトカーに捕まり、速度違反で切符をきられたのを覚えている。「こんな日に捕まるなんて、悪い事は重なるな」「病気の愛犬を連れてるのに捕まえるなよ」とお巡りさんを恨んだものだが、『みるく』の事をあれこれと考えながら運転していたから仕方がないとかたずけた。
翌、5日の子供の日に再度地元の病院に連れて行った。私は先生に「昨晩よく考えたんですが、もうこれ以上不安や淋しい思いをさせたくないので、通いでの治療にしてもらえませんか?」ときりだした。
点滴はしなければいけないので、毎朝連れて行き、帰りに引き取りに寄るのは大変だとは思ったが、せめて夜だけでも住み慣れた家で安心して眠らせてあげたかった。
先生も快諾してくれたので、それから1週間は毎日通院して治療を続けた。
しかし、検査の数値は一向に良くならず、食欲も相変わらずなく、体重も次第に減っていた。やむを得ず11日に再び川崎の病院に行って、例の検査をしてもらう事にした。
その日は、雨模様の中出発した。
病院では前に説明のあった通り危険も伴う検査との事で、万が一の為のサインまでさせられ、一時間程の待時間がとても長く感じられた。
その後『みるく』と共に3時間ぐらいロビーで待っただろうか、検査結果が伝えられた。
内容はこれ以上はないと思えるほどの最悪の
結果だった。
わりと長めの先生からの説明であったが、普段冷静なはずの私も、話を聞いていくに連れて冷静ではいられなくなって涙が溢れてきた。
「悪性リンパ腫です」
しかも大変強力な種類で、すでにフェーズ5であると告げられた。
悪性リンパ腫は人間もかかる血液の癌で、進行が早く手術も出来ない、いつどこに致命的な症状が出るかも予測が難しいとの説明であった。
先生の「この子の中で、癌細胞が悪さをしなければいいのですが」の言葉を聞いて、何か悪魔みたいなものとの戦いをイメージした。
この頃は私も最悪ガンの可能性も考えてはいたが、まさかそんなにたちの悪いものだとは、ショックだった。
さらに先生からは過酷な現実が告げられる。「何もしなければ早くて2週間、抗がん剤治療をしても長くて3ヶ月の余命です」
もう目の前が真っ暗になった。
その後は、どうやって帰って来たかもよく覚えていない。『みるく』を想いながら朝方まで涙が止まらなかった。こんな事ならもっと一緒にいて、散歩もたくさんして、美味しいものをいっぱい食べさせてあげればよかった… こんな私でも、一緒にいるだけで喜んでくれていたのに……、とにかく自分を責めた、「神様、『みるく』を助けて下さい」と何度も心で祈った。
そして、その日のうちに部屋から衝立や柵などを全て取り除いた。
せめて家の中ではどこでも好きな所に行けるようにと、扉をすべて解放した。
「好きな所に行って、好きなだけ吠えていいんだよ」と言った。
しかし皮肉なもので、もう彼には吠えたり走ったりする余力はなくなっていたようだ。
『みるく』の死を覚悟した私は、こうなったら1日でも長く元気で生きられるように、少しでも多くの思い出を残せるように、徹底的に抗がん剤治療をすることにした。
あまり言いたくはないが、それまでの高額な医療費や抗がん剤治療の費用を考えると辛かったが、出来る限りの事をしようと心に誓った。
そしてもう一度だけでも一緒に散歩をして、トリミングにも連れて行きたかった。
この1ヶ月の間、黄疸のオシッコや下痢、嘔吐のせいで、彼はすっかり汚れてしまったからだ。
まるで、戦場を渡ってきた兵士のようだ。
最後くらいは本来の真っ白で綺麗な体で過ごさせてあげたかった。
そしてもうひとつ、『みるく』には、どうしても会いたい人がいる事を私は知っていたからだ。子供の頃を一緒に過ごした優しい人だ。
何とか抗がん剤で元気を取り戻して、もう一度だけでも会わせてあげたかった。
私はこの頃、テンプル・グランディンの「動物が幸せを感じるとき」や、以前話題になった「犬と私の十の約束」などを読んだ。
特に十戒の第10条「最期の時は…」のくだりは辛かったが、そうしたいと思った。
さっそく翌日から近所の病院で抗がん剤治療を始めた。
私は驚いた!
その日の夜から、『みるく』が急に以前のように元気になった。
食欲も出て、食事もたっぷり食べてくれた。
このところ横になってばかりいたのに、部屋の中を動き回った。久しぶりに吠える声も聞いた。
私は、その何日かの出来事が夢ではないかと思うほどだった。
それからの5日間は、まったく以前のような生活だった。
その間にトリミングにも連れて行き、『みるく』は以前の真っ白な輝きを取り戻した。
大好きなカボチャやカステラ、バームクーヘンなども喜んで食べていた。
ずいぶん元気になったので、17日には裏の小鳥の森に散歩にも連れ出した。
さすがに少し歩いては座っての散歩だったが、私には彼が森の空気を体で感じなら、とても喜んでいるように見えた。
この時も含めて、たくさんの写真を撮った。
帰って来てからは少々疲れたのか、私の膝の上でいつの間にか眠ってしまった。
人の膝の上で眠る『みるく』を見るのは、これが初めてだった。
私は軽くなぜながら、このまま元気な彼とたくさんの思い出を作って、出来れば一年ぐらいは一緒にいたいと勝手に考えるようになっていた。そして大好きなあの人にもきっと会わせてあげられると思った。
しかし楽しい時は長くは続かなかった。
その日の夜からまた食欲が無くなり、横たわってしまった。
翌18日も朝から調子が悪そうに、座り込んでいた。
最後の時はあまりにも突然やって来た。
その日、私は『みるく』が気になり、早めに外出先から帰宅した。
私の帰りを察すると、寝床からよろよろと近ずいて来て、私を見上げて座り込んだ。
病気になってからは抱っこされるのを嫌っていたのに、まるで「抱っこして!」と言っているようだった。
私はすっかり軽くなった彼を抱き上げて、部屋の中を歩き回った。
洗面所の鏡の前では、ふたりの姿をお互いに目に焼き付けた。
外の空気を吸わせようとベランダにも出た。
5月の爽やかな風と夕陽が『みるく』の真っ白な毛をなびかせ、金色に染めていた。
彼は気持ち良さそうに涼しい顔をして夕焼け空を眺めていた。なぜかその目には涙が浮かんでいるようにも見えた。
私の腕の中ですっかり安心していたようだ。
私は一旦『みるく』を放し、着替えをすませて病院の先生に電話をした。
昨晩から調子が悪い事などを相談したが、先生はすぐに容態が悪くなる事はないだろうから、明朝連れて来て下さいとの事だった。
先生と話した事で少し安心した私はリビングに戻り、ソファーに座ってビールの口を開けた。
いつもの事だが、お酒を飲む時はなぜか『みるく』の視線が気になっていた。
「飲み過ぎだよ」と言われている感じがしていた。
この時もそんな気がして彼を見ると、珍しく赤いキャリーバッグの中に座っていた。
後から思うと、最後の居場所を自分で決めていたのだろう。
子どもの頃からお気に入りの赤いキャリーバッグ。
その中で最後の時を待っていたのだ。
「私のビールを飲む姿を何度見ていただろうか? なんと思っているのかな?」などと考えながら彼を眺めていたが。
その時、ほんとになんとなく彼の目付きが変だと感じて、私は床に腹這いになって顔を近ずけた。
水を飲ませようとしたが飲まないので、私は左手の小指に水をつけて鼻の前に出すと舐めてくれた。何度も繰り返し私の小指から水を飲んだ。
「あれ『みるく』なんだか舌と歯茎が白っぽくないか?」と話しかけたその瞬間だった。
『みるく』が急にのけぞった!!
私はあわててバッグから引っ張り出して抱えた。
体が痙攣している!
目が虚ろで呼吸もおかしい!
明らかに危篤状態だ。
私はどうしたら良いか一瞬パニックになったが、次の瞬間には彼を抱いたまま外に駆け出していた。
「がんばれ! がんばれ!」と声をかけながら薄暮の小路を閉店間近の病院に向かって小走りに進んだ。
病院の戸を蹴破るように飛び込んで、「先生、『みるく』が!」と叫んでいた。
診察台に寝かせると、先生が「呼吸も脈もない!」と言って、すぐに蘇生の準備を整えて心臓マッサージを始めた。
何分続けたかはよく覚えていないが、私は意を決して「先生、もう結構です、ありがとうございます」と伝えた。
死因は肺に血液が逆流した為の、ショックによるものらしい。
全ては憎むべき悪性リンパ腫の仕業だ……と
自分に言い聞かせた。
そう思わないと、「急変する事はない」と言った先生を恨みそうになる自分を抑えられないと思った。
『みるく』の最後は安らかに行かせてあげたかったのかも知れない。
はっきり言って、あの時の心境は今でもよくわからない。
その後、処置をされて白い棺桶に納められたた『みるく』を抱えて、すっかり暗くなった小路をとぼとぼと歩いて家まで連れて帰った。すれ違った車のミラーが私の肩に当たってよろけたが、そんな事はどうでもよかった。ただ『みるく』を守りたくて、離さなかった。
家を出た時は、まだ微かに動いていたのだから、『みるく』は私の腕の中で逝ってしまったのだろう。
何とか家までたどり着いて、何度も何度もまだ温もりの残る『みるく』の亡骸をなぜた。
その顔は穏やかで、純白の体はとても良い香りがした。まるで昨日、私の膝の上で寝ている時のようだった。
その姿を見て、『みるく』は天国に行ったんだと思えた。
いま思えば、昨日は最後の時を悟った『みるく』が、私の帰りを待っていてくれたのだ。
お別れの抱っこをさせてくれて、まさに死に水までとらせてくれた。
癌に犯され、よろよろしながらも、トイレは最後まで決められた場所で済ませていた。
辛い治療にも必死に耐えた。
ほんのささやかな最後の散歩を、純粋に楽しんでくれた。
何事にも素直で贅沢も望まず文句も言わず、自分の運命に正面から向き合っていた。
「えらかったぞ、『みるく』!」
私は、この先、何年、何十年と経っても、この年の出来事と、『みるく』という名の、小さな真っ白い家族がいた事を思い出すだろう。
天国でも朝起きると手足を伸ばして、昼間はのしイカのように床に寝そべったり、おもいっきり大きな声で吠えて走り廻っているのかな?
きっと広い花園を、思う存分走っているね。
「今まで皆を癒してくれてありがとうね、生まれかわったらまた会おうな」
「『みるく』! おいで…… !!」
≪完≫ 2012年 初夏
こうして私にとって激動の1ヶ月が過ぎた。
亡くなって5日間は家において一緒にいた。
22日にお寺に連れて行って、お坊さんにお経をあげて頂いた。
最後の火葬場では体中に生花を飾り付けた。
お気に入りのおもちゃと好物のお菓子を持たせて、見送った。
そしてとても小さく綺麗な骨壺に入って私のもとに帰って来た。
世間は金環日蝕とスカイツリーのOpenで
賑わっていた。
結局、『みるく』が会いたかった人には最後まで会わせてあげる事は出来なかった。
『みるく』はその人に天国から「もう無茶しないで早く元気になってね、僕の分まで一生懸命頑張って楽しんでね。そしてたまにでいいから僕のことを思い出して微笑みかけてね!!」と言っているだろう。




