0 - プロローグ-
収穫を前に、秋風に揺れる麦穂を真っ赤な夕焼けが照らしていた。マーガロイド帝国の北の端、フェリアの村に向かう途中の街道を荷馬車が一台カタカタと鳴らしながら進んでいる。手綱を握るのは、汚れて擦り切れたマーガロイド皇国の深緑色の軍服を着た男。年齢は二十歳を過ぎたあたりだろうか。茶髪の髪は無造作に伸ばされ、襟足が彼の首の後ろに跳ねている。ぴょんぴょんと跳ねる髪を抑えるためなのか、深々と軍帽を被り、表情は垣間見えない。ただ唇には、安物の紙煙草が咥えられている。紫煙が夕焼けにふわりと揺れる。
大きな荷馬車の中には、棺が一つと、黒いドレスに黒いヴェールを身に付けた女がいた。女は髪まで漆黒であり、彼女もヴェールのせいで表情が見えない。
この荷馬車が帝都リンデルヴィーネを出発したのは、三日前の事であった。その時には、戦争により村々から召集された男達が何人も乗っていた。亡骸を故郷に送るための棺も三つあった。そんな男ばかりの荷馬車に、その漆黒の女は乗りこんだ。彼らは大層驚いたが、帝国軍の将軍の一人がわざわざ彼女の事を頼むと言ってきた。元は彼女は高貴な身分で、貴族用の馬車で自宅までお送りするのが普通なのだが、この馬車に入っている棺の一つに彼女の恋人の亡骸が入っているそうだ。せめて、埋葬するまでは近くにいてあげたいという、彼女の切実な想いのために、男臭い荷馬車に同乗する事になったらしい。将軍にはくれぐれも彼女に手を出すなんて事のないように、と釘を刺された。男達は元は戦争のために召集された北の村々の農民であったり、自警団の者だったりで、北の穏やかな気質や殆どの者が妻子持ちだった事もあり、愛する者を失った彼女にそんな事をするなんてとんでもないと皆口を揃えた。南の荒くれ者達の馬車の中ならこうはいかなかったであろう。それどころか、男達は彼女が静かに恋人の喪に服せるように、なるべく馬車の中では喋らないように心がけた。彼女にもその想いが伝わったか、自分の家のある村に着き、馬車を降りていく一人一人に彼女は感謝の言葉を述べた。男達は彼女に温かい言葉をかけ、家族の元に帰っていった。そして馬車は終着のフェリアの村の入り口に入ろうとしていた。
手綱を握っていた男が馬車を止め、中を覗きこむ。
「オイ、お姉さん。家はどこなんだ?棺も運ばなきゃいけねぇだろ?」
彼女は少し顔を上げた。視線がこちらを向いているのはわかるが、ヴェールのせいかその向こう側は見えない。彼女は紅の塗られた唇を動かして、鈴のような声音で告げた。
「クロニアの森の入口に馬車を呼んでます。貴方が御迷惑でなければ、そこまで連れて行って頂けませんか?」
「クロニアの森?・・あんな薄暗い所に一人で大丈夫か?」
「お気遣い有難う御座います。大丈夫です」
「・・そうか、わかった」
男は手綱を握り、村の入り口を過ぎて、更に街道を奥に進んだ。国境近くに広がるクロニアの森はフェリアの村からすぐの所にあった。昔から神が住むだの悪魔が住むだの、よく分からないものがいるなどと言われる薄気味悪い森であった。
馬車を進めると、確かにフェリスの森の入口に小さな荷馬車があった。横には、執事らしい格好をした男と、庭師のような格好をした男がいた。
「お姉さん、あれか?」
「ええ。有難う御座います」
茶髪の青年が馬車を降りると、庭師と執事は会釈をしてきた。慌てて、男も頭を下げる。そして、女も降りてきた。
「「御帰りなさいませ、御主人様」」
「只今。二人共、棺を運んでくれる?」
「「畏まりました」」
二人の男は、馬車の中から棺を運び出していく。青年は、その様子をじっと見ていた。そして気づく。二人の男がそっくりである事を。どちらも黒髪に赤い目をした男で、髪も綺麗に整えられている。きっと双子なのだろうと、彼は考えていた。
「こちらまでお送りして頂き有難う御座いました」
女は深々と頭を下げたので、青年もまたまた慌てて頭を下げた。
「いやいや・・アンタもこれから大変だろうが、あまり気を病まないようにな」
「お心遣い有難う御座います。それでは、失礼致します」
「嗚呼、気をつけて」
青年は女と執事と庭師の三人に見送られながら、村に馬車を走らせた。青年の馬車が小さくなった頃、庭師が馬車の手綱を取り、執事と女が乗りこんだ。その頃にはもう、夜は更けていた。
マーガロイド帝国とミーシェ教国の三月に渡る戦いが、劇的な幕を下ろしてから半月後の事であった。