慣れた道を一緒に歩いてくれる人。
ちょーっと強引な展開かなぁ?
「薔子さんじゃありませんか?」
私の働いている病院は、地下鉄の駅から徒歩15分。
もちろんバスに乗れば早いけれど、よっぽどのことがない限り歩く。
まとまって運動する習慣がないので、日々の移動や、時間があった時の散歩など、
できる限り歩くことにしている。
今日は学会の用事で外に出ていて、病院に戻ろうとしていたところだった。
その道のりをのんびり歩こうとした私は、ふと知っている人に気が付いた。。
「薫先生!これからですか?」
彼女は佐伯薔子さん。
うちの病院の榊原先生の愛しの君で、斉藤さんの大学時代の友人でもある。
というより、薔子さんと斉藤さん、榊原先生、同じ病院の遠藤先生とその彼女の真理絵さん
この5人が同じ大学で仲が良かったところに、私が紛れ込んだ感じだが。
「いえ、ちょっと学会の用事で外に出ていて。これから戻るところなんです。
薔子さんは、お使いですか?」
「はい、いつものお使いです。今日はそのまま帰っていいといわれているのですけど、
先生今日は?遅いんですか?」
「そうですねぇ、戻って少し用事を片付けたら今日は上がろうかと思っていましたが。」
そういうと、あでやかな笑顔が広がった。
彼女は身長も高く、一見あでやかで我が侭放題でも許されそうな美人だが、
内面は大変に優しくて、少しばかり控えめなそっとした感じがある。
「わ、やった!じゃあ一緒にバッカスに行きませんか?」
「ええ、もちろん。ご一緒させていただきます。」
薔子さんは監察医務院で働いているが、そこの上司がうちの病院のある先生と共同研究をしており、
たまにおつかいを頼まれてうちにやってくる。
その帰りにたまに私の部屋にも寄ってくれるのだ。
薔子さんいわく、
『ほっとしたいときは薫先生、笑いたいときは遠藤くんの部屋がいい』のだとか。
あまり榊原先生の部屋には行かないようで、それを聞くと
『だって女の人がいたりするから絶対に行かないって決めたんです!』とのこと。
彼女の恋人の榊原先生は、将来有望、と誰もが思う外科医で、
そのせいか教授たちの娘さんが次々と誘惑にやってくる。
優しそうな風貌と実際に優しい性格は、誰からも大人気だが、
彼は薔子さんを大切にしており、教授たちの娘さんはことごとく負け続けている。
それでも誰からも恨まれていないのは、榊原先生の仁徳だろう。
とはいえ、薔子さんは何度も娘さんたちと一緒にいる榊原先生を見て、
哀しそうな顔で私の部屋にやってくる。
『何度見ても慣れないから』というのだ。
「今日は榊原先生は?」
「知りません。」
おやおや。
「喧嘩したんですか?」
「喧嘩なんてしてません。……最近話していないだけで。
忙しいんじゃないんですか。」
これはいつもとちょっと毛色が違うなぁ。。。
どうしたんだろう。
「薔子さんも忙しくて、連絡できなかったんですか?」
「…連絡入れても返ってきませんから。」
こ、これは…。
斉藤さん、聞いてませんよ。
これはいったいどういうことですか?!
これはちょっと慎重にならないといけませんねぇ…。
私はいつもの慣れた帰り道を、一緒に歩いてくれる人に一層の緊張感を持って
接することにした。
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病院へ向かう道で、薫先生に声をかけられた。
小児科の王子様は、今日も柔らかな茶色のふわふわした髪と笑顔が素敵だ。
男でも女でも寄って行ってしまうその笑顔。
つい甘えてしまうんだよなぁ。
バッカスにご一緒できると聞いてうれしく思ったのもつかの間、
予想はついたことだけど、今一番聞きたくない名前が出てきてしまった。
「今日は榊原先生は?」
「知りません。」
「喧嘩したんですか?」
「喧嘩なんてしてません。……最近話していないだけで。
忙しいんじゃないんですか。」
「薔子さんも忙しくて、連絡できなかったんですか?」
「…連絡入れても返ってきませんから。」
薫先生はちょっとびっくりした顔。
それはそうよね。
でも海ちゃんと、もう10日くらい話していない。
携帯にメールを送っても返信がない。
あちらからも連絡が来ない。
遠藤くんにそれとなく聞いてみたら、ちゃんと病院には行っている様子だ。
となると、私に、連絡が来ないだけ、ということだ。
大学4年のクリスマスから付き合いだしてそれなりの年数が経つ。
しかし、こんなに連絡が来なかったことは、ない、と思う。
とうとう来てしまったのだろうか。
いつまでも一緒にいられる、とは思っていなかったけれど。
私はいつもの通い慣れた道を、一緒に歩いてくれる薫先生がいてくれて
本当によかった、と思いながら歩いた。
だっておつかいなんか行きたくなかったのだ、本当は。
海ちゃんに会うかもしれないから。
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思いつめた表情の佐伯と、当の佐伯をひきずるようにやってきた石浜先生。
…ええと、俺は休憩時間なんだが、全く休憩できそうにないってことはわかった。
だから、その、半分泣きそうな顔と、切羽詰まった顔で見つめるのはやめてくれ。
「で、なんだって言うんだ。」
「遠藤先生、榊原先生と最近お会いになりました?」
「はぁ、昨日は見かけましたけど?」
「…やっぱり…。」
「…。」
その言葉を聞いて、ますます暗くなる佐伯の顔と、青くなる石浜先生。
おいおい、これはいったいどういうことだ?
って、いくら鈍い俺でも、さすがに見当がついた。
「おい、佐伯、ちょっと待て。早まるな。
石浜先生、ちょっとだけこいつのことお願いしてもいいですか?」
ええと、俺はそういうのが苦手なんだ。
しかし、そうも言っていられない。
とっととコーヒーを与えて、そこで待つように言って、
俺は転げるようにして部屋を出た。
慣れた病院内の廊下だが、こんなに焦って走ることはめったにない。
…あのバカ、何やってんだ??
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「おい、榊原!!!」
寝不足の頭に響き渡る遠藤の声、に似た声。
なんとなく振り向くと、遠藤、に似たやつが息を切らして立っている。
絶対偽物だ。あいつが息切らして走るとか、ありえない。
アメフト部で鍛えた体は、ちょっとくらいの運動では息も上がらないのだ。
「あー、なんか遠藤に似た幻が見える。」
つぶやくと、周りが爆笑している。
…なんか変なこと言ったかな?
まあ、周りも状況的に似たようなもんだから、今はちょっとしたことで
笑い転げそうになる。
「幻じゃない!本物だ!」
すごい怖い顔をした偽遠藤が近づいてきて、ぐいっと手を引く。
「あれ?本物?って、おい、どこに連れてくの?」
このまま引きずられていきそうだ。
「がたがた言わないでついて来い!こいつ、30分借りるぞ!」
周りからブーイングが飛ぶ。
そりゃあそうだよな、みんなここ最近の睡眠時間をかなり削ってる。
一分でも労働力がなくなるのが惜しいのだ。
「うるさい!こいつが一生笑わなくなってもいいなら、俺を止めろ!
そうでなかったら、なんとか30分捻出しろ!」
ピタッとブーイングがやむ。
…なんで俺が行かないと、一生笑わなくなるんだろう?
「ねえ、偽遠藤、何言ってるの?」
「だから偽物じゃないっての!お前も黙ってついて来い!!!」
偽物だけど、怖さは本物そっくりだ。
よくできてるなぁ。。。
仕方がないので、ずるずると偽遠藤に引きずられるようにいて廊下を歩く。
慣れた院内だけど、なんだかキラキラと新鮮に見えるのは、そろそろまずい気がするなぁ…。
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「おい、佐伯!連れてきたぞ!」
一言も話さずゆっくりコーヒーを飲む薔子さんをハラハラして見つめながら、
長く長く感じる時間を、じっと待っていたところに、大きな声。
勢いよくあいた扉から見える遠藤先生の傍らには、榊原先生がいる。
「あ、薔子の幻まで見える。」
…?へ?榊原先生?
「だから、俺も佐伯も幻じゃないっての!」
幻扱いされたらしい遠藤先生が声を荒げるのを気にもせず、
薔子さんはそっと榊原先生に近づいた。
「海ちゃん?・・・・・・・・・・・寝不足なんだね。」
近づいた薔子さんを見てにっこり笑った榊原先生は・・・・・、
なんと、薔子さんを勢いよく抱きしめた。
「あー、幻でもいいやー。薔子なら。」
「海ちゃん…、15分でいいから寝ようか?」
「佐伯、そこの長椅子使え。不埒なマネするなよ?」
「誰がするか、こんなところで!」
長椅子まで引きずったものの寝ようとしない榊原先生に
無理やりひざまくらをして寝かしつける薔子さん。
・・・・・30秒で寝息が・・・・・。
「30分って言ってきたから、残り20分くらいな。
俺は石浜先生のところに行ってくるから、ごゆっくり。
ちゃんと起こせよ、どんな手段を使ってもいいから。」
「わかった。ありがとう。」
全く状況がつかめないまま、今度は私が遠藤先生に引きずられて自分の部屋に向かった。
慣れた廊下が、こんなにもよそよそしく感じたのは初めてだ。
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「海ちゃん…」
仕事、忙しかったんだなぁ。
昔から、寝不足気味になるといろいろなものが零れ落ちる。
榊原海の一番の弱点は睡眠だ。
不足するとだんだん壊れていく。
よくこんな仕事できるな、というくらい、彼は眠ることに重きを置いている。
平均睡眠時間が6時間を切ると、少しずつ怪しくなっていくのだ。
仕事は完璧にこなすが、プライベートがガタガタになる。
それでもいつもは忙しくなりそうなころにはメールをくれていたから
あまり心配していなかった。
今回は多分、メールを送ってくれたつもりで、送信する前に何か入ったのだろう。
そして忙しいままで家に帰って眠ってまた病院へ、の日々だったのだろう。
「疑ってごめんね…」
私のこと忘れてたなんてひどい!とは思わない。
だってさっき、幻でもいいって言ってくれたから。
忘れてないってわかったから。
だからもういいから、今は少しだけでも眠ってよ。
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「あいつのチームで一人急に休むことになったやつが出たうえに、
穴埋めも間に合わなくて。
ちょっと無理やりな感じで回してるんですよ。」
石浜先生の部屋でコーヒーをごちそうになりながら説明を始める。
薔子には、そのうち海が起きたら自分で話すだろう。
「それで、寝不足気味が続くと、仕事は大丈夫なんですが
プライベートの連絡関係が全く取れなくなるんです、あいつ。
で、今回もそうなったと。
薔子に言ったんだろうな、って聞いたら、メールしたって言ったから
安心してたんですが…。」
海のやつ、相手が薔子じゃなかったらとっくに別れられてるぞ。
「そうですか、少しホッとしましたが…、
そんな状態がいつまで続くんですかね?」
「いや、今日の夕方に、一人捕まえてくる、って話なんで、
たぶん大丈夫でしょう。今日は家に帰れますよ、あいつ。」
石浜先生のほっとした顔をみて、ようやく人心地着く。
やれやれだ。。。
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「海ちゃん、起きて、海ちゃん」
薔子の声がする。
しばらく声を聴いてないからかな。
元気かな。
「海ちゃん、20分たったから、ほんとに起きて!」
ん?20分?
がばっと起き上がると、驚いた顔の薔子。
頭の中はすっきりしていて、靄が晴れたような心地よさ。
「薔子?なんでいるの?…って、ここどこだ?」
キョロキョロ周りを見回すと、薔子が抱きついてきた。
「ここは遠藤くんの部屋。海ちゃん、久しぶりだね?」
そうか、遠藤の部屋か。
そういえば偽遠藤に引きずられてきたような気がしていたけど、
あれは偽物じゃなかったのか。
ってことは、薔子も本物か。
「薔子、連絡できなくてごめんね。」
「うん、忙しかったんだね。」
「今日の夕方には一段落する予定なんだ。そしたら連絡しようと思ってたんだけど。」
「うん、大丈夫。ほら、もう行かないと、でしょ?」
ちょっと泣いたような顔で笑う薔子から全く離れたくないけど、
いつまでもここにいるわけにもいかない。
そっとキスをして、僕は部屋に戻ることにした。
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「全く人騒がせなやつらだなぁ。」
斉藤さんがため息交じりにつぶやく。
「あの二人の顔を見たら、本当に息が止まるかと思いましたよ。」
ここはこの人たちの行きつけのバーであるバッカス。
しかし、薔子さんも榊原先生もいない。
二人は榊原先生の家だ。
榊原先生が今日のように解放されると聞いて、薔子さんは家でご飯を作って待ってる、
ということになったのだ。
そこで私は斉藤さんを呼び出し飲んでいる、というわけだが。
「海、前も音信不通になったことがあって。
一生懸命になると、周りが見えなくなるんだよなぁ。
といって、仕事だと連絡関係とかもちゃんとしてるらしいからさ、
甘えているところにしわ寄せが来るのかねえ。」
「まぁ、薔子さんが笑顔になったからいいことにしましょう。
…でもしばらくはあんな騒ぎはご遠慮したいものですね。」
慣れた病院までの道、どうせ一緒に歩くならば、
歩いている人がにこにこ笑って幸せでいてほしい。
今度はそんな薔子さんと歩けるといいな、と思いながら、
私はゆっくりと水割りを飲み干した。
まぁ、そこまで音信不通ってちょっとやりすぎ?と思いますが、タイミングが合わなかったってことにしてください(^_^;)
仕事に支障が出はしないけど、プライベートの連絡が億劫になること、私はあるのですが、それの大げさ版ってことで(笑)
焦る薫先生と遠藤と、ちょっと壊れた海ちゃんが書きたかったのでした。