3.
ほぼ同刻。
フランスにある新聞社ル・ノワイヨ
記者達がひしめくフロアでは、忙しなく動き回り、議論を交わす者もいる。
パソコンに向かい、高速でキーボードを打ち続ける姿も多く見られる。
髪に白いものが混ざる、腹の出た男がとある人物に気づいた。
「ジュリアン?やっぱりだ。久しぶりだなぁ、調子はどうだ」
話しかけられたのは、銀糸がストライプ模様を作り出すグレーのスーツを着こなした男性。
明るい茶髪でよく手入れをされたあごひげ。わりあい整った顔立ち。40代後半くらいに見える。
ジュリアンは口角をあげ、笑みを見せた。親しみやすい雰囲気がただよう。
「ああ、ヴィクター。僕は元気だよ」
「お?いいネクタイをしているじゃないか」
「これは娘たちがね、先週の誕生日にくれたんだ」
嬉しそうに、目を細める。
「ふーん、優しい娘さんがいて羨ましい限りだ。
……政治部にいた頃は、あんなにピリピリしてたのに。
今はいい父親か。お前、ほんとうに変わったよ」
「そうだろうか」
言いつつも、ジュリアンの目尻がさがる。
「ところで……それは記事か?」
「うん、女性クライマーの過去のもの」
ファイルされた切り抜きの紙面に素早く目を走らせた男は、眉をつり上げる。
「マウント・リベルテの標高7210メートル地点、北東ルートで女性のクライマーとして初到達、か。この記事、2年前にお前が手掛けたやつだな」
「そう。彼女……リサ・モローが、今度はマウント・セルヌ登頂に単身アタックする」
「セルヌ?確か、130人のクライマーが未だに還らない、前人未到の」
ヴィクターの丸い頬がかすかに紅潮する。
「139人だよ」
ジュリアンは訂正しながらしまった、と思った。
この男はプライドが高い。気分を害するだろう。___案の定。
「おいおい、記事にしようってのか?」
「今しがた、話をしてきたところだ。
……情報が正確なら、彼女はすでに高度5千あたりだろう」
「はは、本人の了解を得てもいないんだろ。
それに、頭のカタいうちのお偉方があっさりOKを出すと思うのか?
いっそ遭難でもしてくれれば、いい記事になること請け合いだろうに」
「遭難……?聞き捨てならないね、クライマーへの冒涜だ」
カッとなったジュリアンは抑えきれず、ヴィクターに対し大声を出した。
「おおっと、いいのか?俺とやりあって。周りへの印象は最悪だぞ」
「僕は構わない」
場の空気が張りつめ、周囲の者たちの視線を引き寄せる。
「やめだ。俺ぁな、お前と違って忙しいんだよ。
ま、ひと悶着あるのが楽しみだね。
お前なら交渉できるだろうよ。ダメならさっさと他を当たるんだな」
ひらひらと手を振ると、男は悠然と自分のデスクへ戻っていった。
やり場のなくなった怒り。
ジュリアンは、胸元のネクタイに目を落とす。
___末の娘は、幼いころから身体が弱い。妻の努力で持ち直してはいるが。
いつしか楽しみにしてくれているのが、クライマーであるリサの記事だった。
娘にとって、彼女はヒーローで憧れの存在だ。
ジュリアン自身、リサの実直な人柄や努力を続ける姿勢を知るにつれ、並々ならず肩入れしていくのを感じている。
この新聞社で社員として30年近く働いた。今にして思えば、それ相応の評価もされていた。家庭を優先したい自分のワガママを通し、フリーになったいきさつもある。
リサ・モロー。彼女は今回おそらくすべてをセルヌに捧げる覚悟で登っている。
僕がこうして停滞しているこの瞬間も。
いまできることは何だ?考えろ。
フリーだからこそできるかもしれない、役割を果たしてみせる。
ジュリアンは、デスクに悠々と座り、湯気の立つマグカップをうまそうにすする中年男の背中を一瞥する。
上着の襟元を直し、風のようにどこかへ出かけた。
_____________
予想に反して手間取ったが、リサは日没前に2つ目の岸壁を登ることができた。
3度、落ちたけれど。
右手の指にはあらたな傷ができ、血がにじんでいる。
あとで忘れないように処置をしよう、と思うリサだった。
岩の隙間から、水が細くふき出しているのを見つけた。
ドローンが清潔と判定したから、カップで受けて飲む。
乾いた身体にしみ渡る。持参してきたボトルにも水を足しておく。
テントの灯りの下で、筒状のポットに水と粉コンソメ、オートミール。
それにさっきの野草もちぎって……即席フードの完成!
「……美味しい、かな」
料理は嫌いじゃないけど、そこまで情熱を感じなくていつも適当。
今日のはだいぶマシ。苦くてしょっぱいけど。
チョコレートを2かけかじる。うん、口なおしはバッチリ。
温まったところで、道具のチェック。
さっき、岩壁で使ったピトンが1つ故障した。
部品が足りなくて今は修理できないけど一応、持っておこう。
そうかさばるものでもないし。
気づくと、通信機器のランプが受信を知らせている。
『まだ起きてるよね?イネスよ。
貴方はセルヌの中腹あたりかしら。
ようやくね、夢を叶えようとしてる。私もすごく嬉しい。体調はどう?
余計だろうけど……野草の見分け方は大丈夫?それに、魚も獲りすぎはよくないよ。
貴方は私より詳しいし、自然を大事にする人だから心配はしていないの。でも、言わせて。
それと……ケガには気を付けてほしい。また連絡するね。サリュ』
録音の再生が終了した。
イネスの声を聞くのは久しぶり。
少しかすれた、でも意思を感じる声。胸のあたりが少し温かくなった。
「わざわざ言われなくても、むやみに取ったりしない」
現地で採取をする許可は得ている。
けれど、取りすぎは生態系によろしくないってことらしい。
そういえば、前に電話をしたとき嬉しそうにSNSの評判がどうとか言ってたような。
2人でシェアして暮らした、地方都市の古びた石造りのアパルトマンに戻った気がする。
日当たりのいい小さな中庭があって、ほとんど毎日、菜園を手入れした。
社会人になって間もなく、清掃員をしていた頃に知り合ったのが彼女。
イネスは指先が器用で、よく髪に編み込みをしている。
それに、お手製のクリーム多めのポタージュが美味しい。
風が出てきたのか、テントがあおられバタバタと音を立てている。
耳を傾けるうちに眠気が来て、横になった。
明日も明後日も、切り立つ崖を這い上がる。
___スタミナ切れと落下を恐怖しながら。ただ、それだけ。
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