第五話 なんか、うまくいく
村の納屋は、古かった。
正確には、古くなりすぎていた。
「この柱、今年は持たんぞ」
朝、村の大人たちが集まって、屋根を見上げていた。
梁はひび割れ、柱は傾き、
風が吹くたびに嫌な音を立てている。
「冬までに直さないと、家畜が凍えるな」
「でも木材が足りない」
「山に取りに行くのは危ないし……」
困った声が重なる。
この村の周囲には森がある。
だが魔獣が出ることもあり、無闇に入るのは危険だった。
俺は母の腕の中で、その会話を聞いていた。
相変わらず、できることは何もない。
赤ん坊だ。
手も足も短く、声を出すくらいしかできない。
――まあ、泣くのも最近は減ったけど。
「どうするかねぇ」
「応急処置で誤魔化すしかないか」
そんな結論になりかけた、その日の夕方だった。
村の外から、バキッという大きな音がした。
雷でも、地震でもない。
ただ、何かが折れる音。
「……なんだ?」
数人が様子を見に行って、すぐ戻ってきた。
「倒木だ!」
「しかも、一本だけ!」
村人たちが集まる。
倒れていたのは、森の外れに立っていた古木だった。
腐っていたわけでもない。
嵐が吹いたわけでもない。
だが、なぜか根元から綺麗に折れている。
「……これ、太さも長さもぴったりじゃないか?」
「納屋の柱にちょうどいいぞ」
「乾き具合も悪くない」
誰かが首を傾げた。
「昨日まで、こんな木あったか?」
「……さあ?」
考えても答えは出ない。
結果だけが、そこにあった。
その木はすぐに運ばれ、
翌日には納屋の修繕が終わった。
怪我人なし。
事故なし。
家畜も、無事。
「助かったなあ」
「ほんと、運がいい」
村人たちはそう言って笑った。
俺は、母に抱かれながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
あの感覚が、確かにあった。
戦いが終わる、直前の静けさ。
何かが起きる前に、
起きるはずだった問題が、消えていく感覚。
「……またか」
声にはならない。
けれど、分かる。
これは偶然じゃない。
⸻
数日後、今度は井戸の水位が下がった。
「このままだと、夏を越せないかもしれん」
村長が眉をひそめる。
雨は少なく、川も細い。
誰もが不安そうに空を見上げていた。
だがその夜。
しとしとと、静かな雨が降った。
豪雨ではない。
洪水になるほどでもない。
ただ、必要な分だけ。
翌朝、井戸は元の水位に戻っていた。
「……ちょうどいいな」
「本当に、ちょうど」
誰かが笑った。
また、誰も疑わない。
村では“ちょうどいいこと”が、続いていた。
多すぎず、足りなすぎず。
奇跡と言うほど派手でもない。
ただ、困らない。
「最近、嫌なことが起きないな」
「昔はもっと大変だったのに」
その言葉を聞くたび、胸が少しだけざわつく。
俺が来る前は、違った。
それを、俺だけが知っている。
⸻
夕方。
母が俺を抱いて、家の前で風に当たっていた。
「この村はね、いいところなの」
そう言って、微笑む。
「不便だけど、静かで、優しくて」
俺は空を見上げる。
雲がゆっくり流れている。
何も起きない。
起きるはずだったことすら。
守っているのか。
奪っているのか。
まだ分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
俺がここにいる限り、
この村では――
だいたいのことが、なんとかなってしまう。
理由もなく。
説明もなく。
ただ、そうなる。
それが少しだけ、怖かった。
そして同時に。
この力が村の外に向いたら、
どうなるのか――
そんな考えが、初めて胸をよぎった。
まだ、旅に出るつもりはない。
だが、いつか。
ここを出る日が来る気がしていた。
何も起きない、この場所を。
静かすぎる、この世界を。
俺は今日も、何もせずに眠る。
その間にも、
起きるはずだった不運が、また一つ消えていった。
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