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第四話 運がいい子

 村に、旅人が来たのは昼過ぎだった。


 埃まみれの外套をまとい、背中に大きな荷を背負った男。

 年の頃は三十前後だろうか。


「水を分けてくれないか」


 そう言って門の前に立ったとき、見張り役の青年はすぐに頷いた。


「どうぞ。今は誰でも歓迎ですよ」


 男は一瞬、怪訝そうな顔をした。


 この辺りは、魔獣被害が多い。

 本来なら、見知らぬ旅人をそう簡単に通す土地ではない。


「……助かる」


 そう言いながら、男は村の中を見回していた。


 警戒心よりも、戸惑いの色が濃い。



 村は、相変わらず穏やかだった。


 子供たちは広場を走り回り、

 畑では老人たちが談笑しながら作業をしている。


 柵の外は森。

 魔獣が出てもおかしくない距離。


 なのに、緊張感がまるでない。


「……ずいぶん、静かな村だな」


 旅人がそう呟くと、村人は笑った。


「まあね。最近は何も起きないんだ」


「何も……?」


「魔獣も災害も。まるで避けてるみたいでさ」


 冗談交じりの言葉。


 だが旅人は、笑わなかった。


「……避けている?」


 彼は、柵の外の森を見つめた。


 風がない。

 鳥の声も、少ない。


 獣の気配が、ほとんどしない。


「この辺り、確か……」


 男は地図を取り出し、眉をひそめる。


「去年までは、被害報告が続いていたはずだ」


「そうだよ。でも、今年に入ってからは一度もない」


「一度も?」


 男の顔色が、わずかに変わった。


 運がいい、というレベルではない。


 異常だ。



 その日の夕方。


 男は、村長の家に招かれていた。


 ちょうど俺も、母親に抱かれてそこにいた。


「この子が……」


 男の視線が、俺に向く。


 値踏みするようでもあり、

 探るようでもある目。


 嫌な視線だった。


「この村で、生まれた赤ん坊です」


 村長が、誇らしげに言う。


「この子が生まれてから、村が落ち着いてな」


「……いつ頃ですか?」


「半年ほど前だ」


 男は、指を折って計算した。


「半年……」


 何かに気づいたように、息を呑む。


「それ以前は?」


「魔獣も災害も、普通にあった」


 村長は、特に隠しもせず答えた。


 男の視線が、俺から離れない。


 まるで、答え合わせをするかのように。


「……なるほど」


 小さく呟く。


 その声は、村人には聞こえなかった。



 夜。


 旅人は村の宿に泊まった。


 だが眠れなかったらしい。


 外套を羽織り、月明かりの下を歩く。


 柵の外。

 森の入り口。


「……気配がない」


 魔獣の匂いも、足跡も、糞もない。


 この森は、本来“生きている”はずだ。


 なのに、まるで――


「……避けてる」


 誰かを。


 その瞬間だった。


 森の奥で、低い唸り声が響いた。


 旅人は息を呑む。


 影が動いた。


 魔獣だ。


 中型。

 十分に危険な存在。


「来たか……」


 男は剣に手をかける。


 だが魔獣は、柵の外で足を止めた。


 一歩も踏み込まない。


 唸り声を上げながら、後ずさる。


 そして――


 逃げた。


「……は?」


 呆然と立ち尽くす旅人。


 魔獣は、明らかにこちらを認識していた。

 それでも、戦おうとしなかった。


 理由は、ただ一つ。


 背後。


 村の中。


 その中心に――


 赤ん坊が、眠っている。



 翌朝。


 旅人は、出発の準備をしていた。


 だが、その表情は険しい。


「もう行くのかい?」


 村人が声をかける。


「ああ……少し、急ぎの用ができた」


 本当は、長く滞在する予定だった。


 だが、この村には、長居できない。


 理由が分かってしまったから。


 別れ際。


 男は、母親に抱かれた俺を見つめた。


 その目には、恐怖と敬意が混じっていた。


「……運がいい子、か」


 そう呟いて、首を振る。


「違うな」


 だが、それ以上は言わなかった。


 言えば、村の平穏が壊れると分かっていたからだ。


 男は背を向ける。


 村の人々は今日も笑っていて、

 俺は、相変わらず泣くこともなく、眠っていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます!


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