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第二話 運がいいだけの赤ん坊

最初に聞こえたのは、泣き声だった。


 ――ぎゃあ。


 間違いなく、俺の声だった。


 喉が勝手に震え、肺が空気を吐き出し、意思とは関係なく音が漏れる。


「……あ?」


 考えようとして、思考が途中で途切れた。


 視界が、やけにぼやけている。

 まるで濃い霧の中を覗いているようだった。


 身体が、重い。


 いや、正確には――動かない。


 指先に力を入れたつもりが、ぴくりとも反応しなかった。


「おぎゃあ……!」


 また声が出る。


 勝手に。


「……なんだ、これ」


 思考ははっきりしている。

 だが、身体がまるで言うことを聞かない。


 視界の端で、大きな影が動いた。


「ほらほら、元気な声だね」


 女の声。


 やわらかく、少し震えている。


「よかった……ちゃんと泣いてる」


 次の瞬間、世界が揺れた。


 ぐっと持ち上げられ、包み込まれるような温もり。


 やけに近い。


 近すぎる。


 顔が、胸に埋もれている。


「……え?」


 混乱しているうちに、視界がはっきりしてきた。


 天井が低い。

 木で組まれた梁。

 石造りの壁。


 見覚えのない部屋。


 知らない女の顔が、すぐ目の前にあった。


「この子……目、開けたわ」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、女は笑った。


「あなた……この子……」


 別の声。


 今度は男だ。


 髭を生やした、がっしりした体格。

 農具のようなものを腰に下げている。


「……生きてる」


 男は、信じられないものを見るように呟いた。


「ちゃんと……生きてる……!」


 女が、俺を抱きしめる。


 ぎゅっと。


 苦しいほど強く。


「……赤ん坊?」


 ようやく、そこまで理解が追いついた。


 小さな手。

 短い腕。

 視界の高さ。


 どう考えても、俺は――


「転生、した……?」


 そう結論づけた瞬間、再び泣き声が漏れた。


「おぎゃああ……!」


「ほらほら、びっくりしたのね」


 女は慌てず、優しく背を叩いた。


「大丈夫よ。ここは危ないところじゃないわ」


 その言葉に、少しだけ安心する。


 少なくとも、追放された王国ではなさそうだ。


 ――だが。


 安心しかけた、その瞬間だった。


 外から、叫び声が聞こえた。


「魔獣だ!」


「柵の向こうに出たぞ!」


 ざわめき。


 足音。


 部屋の空気が一変する。


「あなた、斧を!」


「分かってる!」


 男が慌てて外へ飛び出していく。


 女は俺を抱いたまま、必死に祈るような目で天井を見上げていた。


「お願い……今日は来ないで……」


 来ないで?


 何が――と思った、そのとき。


 不意に、身体の奥がざわりとした。


 嫌な感覚ではない。

 むしろ、懐かしい。


 あの戦いの直前に感じていた、

 “何かが終わる前触れ”。


 外から、獣の唸り声が響いた。


 低く、重く、明らかに人を殺すための声。


 だが――


 次の瞬間。


 音が、止んだ。


 叫び声も、衝突音も、何もない。


 まるで最初から存在しなかったかのように。


「……え?」


 女が瞬きをする。


 しばらくして、外から男の声が聞こえた。


「……逃げた」


「え?」


「魔獣が……急に、森に引き返した」


 呆然とした声だった。


「こっちに気づいてたはずなのに……」


 女は、俺の顔を見下ろす。


 俺は、泣き止んでいた。


「……この子が、泣いたから?」


 そんなはずはない。


 赤ん坊が泣いたくらいで、魔獣が逃げるわけがない。


 ない、はずなのに。



 それから数日。


 村は、やけに平和だった。


 夜になっても見張りの鐘は鳴らず、

 畑を荒らす魔獣も現れない。


「今年は静かだな」


「いつもなら、もう一回は来てる頃なんだが」


 村人たちは首を傾げていた。


 原因は分からない。

 誰も深く考えなかった。


 ただ――


「この子、運がいいんだな」


 そう言って、笑った。


 俺が泣けば、雨が止む。

 俺が眠れば、風が収まる。


 偶然。

 たぶん偶然。


 そうやって、すべてが片づけられた。


 だが俺だけは、知っていた。


 これは、偶然じゃない。


 戦いが終わる直前と同じ感覚が、

 何度も、何度も、身体の奥を通り抜けていく。


「……やっぱり、俺か」


 声にはならない言葉が、胸の中で転がる。


 勝ったあとに、誰かが傷つく。


 あの世界では、そうだった。


 でも、ここでは――


 誰も傷ついていない。


 村は穏やかで、

 人々は笑っていて、

 俺は、ただ抱かれているだけなのに。


 それでも、結果だけが変わっていく。


「……同じだ」


 形が違うだけで。


 俺は、また――


 何もしていないのに、

 “終わらせて”しまっている。


 女が、俺の額にそっと口づけをした。


「大丈夫よ。ここでは、何も怖くないわ」


 その言葉が、胸に刺さる。


 ――俺がいる限り?


 そう思いかけて、やめた。


 今はまだ、赤ん坊だ。


 歩けない。

 話せない。

 剣も持てない。


 それでも。


 世界は、俺の知らないところで、静かに形を変えていた。


 それが良いことなのか、

 悪いことなのか――


 このときの俺には、まだ分からなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます!


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