第6話 翻訳されない価値
空港を出た瞬間、湿った熱気が肌にまとわりついた。
東南アジアの沿岸都市。
今川昇太は、いつもと同じスーツでキャリーバッグを引く。
迎えに来た現地スタッフは、少し緊張した面持ちだった。
「会議は、英語で大丈夫ですか?」
「問題ありません」
実際、問題はそこではなかった。
⸻
依頼されたのは、急成長中のITサービス企業。
ユーザー数は伸びている。投資も集まっている。
それでも、社内は疲弊していた。
会議室では、英語が飛び交う。
だが昇太には、別のものが見えていた。
——誰も、最後まで話さない。
⸻
CEOは三十代前半。
情熱的で、優秀で、眠っていない目をしていた。
「僕たちは、もっと速く行けるはずなんです」
昇太は一枚の資料を閉じる。
「速さは、十分です」
「ただ、意味が揃っていない」
⸻
昇太は、翌日から会議の形式を変えた。
・発言は一人ずつ
・反論は禁止
・最後に、全員が同じ言葉で要約する
「翻訳のためじゃありません」
「確認のためです」
⸻
最初は、時間がかかった。
沈黙も増えた。
だが三日目、エンジニアの一人が言った。
「……初めて、何を作ってるか分かりました」
その言葉は、誰にも翻訳されなかった。
それで十分だった。
⸻
最終日。
昇太はCEOにだけ、短く告げた。
「この会社は、もう走れます」
「次に必要なのは——」
一拍置いて。
「聞くことです」
⸻
帰国便の中。
昇太はノートパソコンを閉じ、目を閉じた。
言葉は、通じなくてもいい。
価値は、共有できる。
キャリーバッグは、また一つの国の埃をまとっている。
だが中身は、いつもと同じだった。
次の依頼が、静かに届く。




