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祝福の村の二人が呪われた石を返しに行く話

作者: 直木直

 フロン村の小さな(ほこら)には一つの石が祀られている。その石はこぶしほどの大きさで、墨で塗りこめたように一面黒い。

 この石は村に降りかかる災いを退けている──正確には身代わりとなって災いを引き受けているのだと、そのように伝えられている。


 石の由来は次のようなものである。

 大昔には広くあがめられていたゴルドという古い神があったが、時代が下ると共に次第に忘れられていった。最後にあがめているのがいよいよこの村の者だけとなったとき、村長の夢に神託が降りた。

 曰く『この村から人の足で歩いて十日の距離、フォリント山の山頂に神殿がある。その神殿の中の泉に沈む石を持ち帰って祀れ。さすれば石はあらゆる災いからこの村を守り、繁栄をもたらすであろう』──


 神託を信じた村長は夢に見た道順をたどって旅に出た。十日目にたどり着いた山の上には本当に神殿があり、中には小さな泉があった。泉の中には真球の真っ白な石があった。

 村長はその石を拾って持ち帰り、言われた通りにゴルドの神の祠に祀った。


 効果は覿面(てきめん)だった。


 石を祀り始めてからというもの村には良い事ばかりが続いた。

 酷暑や極寒、豪雨や豪雪といった災害に見舞われることはなくなり、畑には作物が溢れ、森の恵みは村人を潤した。人も獣も害意を持つものは近寄れない。病気になっても石に祈れば病の障りはすぐに吸い取られて、治る。

 この石は災いや呪いを引き受ける力を持っていた。村は神のお告げの通りに栄えた。


 さて、このフォリント山の神殿の石は村長が見つけたときのように最初は白い。しかし村人の身代わりとなって様々な業障を引き受けてゆくうちに、少しずつ黒く染まってゆく。

 神託によれば『石は災いや悪意など村を襲うあらゆる汚濁を引き受けている、その(けが)れのために黒く染まる』のだと。

 穢れきってしまった石はもう身代わりとなる力を持たない。黒くなった石は元の神殿に納めて、また新しい石をもらってこなければならない。


 今の石もまた五十年に一度の交換の時期が来ていた。


 石は運び手を自ら選ぶ。

 昔の村長の時と同じように神が運び手の夢に現れて、目覚めると枕元に石が鎮座しているのである。


 今回は村の鍛冶屋の息子のバッツという少年の夢枕に神は立った。

「大変だ! 俺、選ばれちゃった!」

 目覚めたバッツは石を手に慌てて家族に報告した。

「やったじゃないか!」

「すごいわ!」

 石の運び手に選ばれるのはとても名誉なこととされていたので家族は喜んでバッツを送り出した。


「おーい……」


 意気揚々と出発して一時間後、後ろから声がした。後から追いかけてきたのは幼なじみの親友、ドンだった。

 追い付いたドンは肩で息をしながら顔の前で手を合わせた。

「一人で行くなんて水臭いじゃねえか、俺も連れてってくれよ!」

「しょうがないなあ……。一緒に行くか!」

 バッツは笑って答えた。正直なところ心細かったのだ。親友の申し出がとても嬉しかった。


 それから二人は笑って、しゃべって、走って、暗くなるまで道を進めた。

 その日は大きな木の下で野宿することにした。石のおかげか人も獣も近寄ってこない。二人は火を焚いて下手な煮炊きをして、まずいまずいと笑いながら食べた。


 いくつもの町や村を通り越して五日目のことである。

「う……」

 バッツの様子がにわかにおかしくなった。胸がきゅっと締め付けられたように痛く、息が苦しい。

「おい、どうしたんだ?」

 顔色の悪さにドンが心配して声を掛けた。

「いや、何だか……」

「大丈夫か、しっかりしろ!」

 胸を押さえてうずくまってしまったバッツの背中をドンは慌てたようにさすった。


「具合が悪そうだねえ」


 そんな二人に声をかける者があった。ドンが顔を上げると灰色の髪のまだらに白い、全身をローブで覆った老婆がそこにいた。

「これをお飲み」

 老婆が差し出した水筒を受け取ったバッツは怪しいと思う暇もなくひと息に飲んだ。

 薬草を煮出した煎じ汁はよく冷えていて、胃にしみた。同時にスーッと痛みが薄れて、バッツはようやく息がつけるようになった。


「あ、ありがとうございます」

「あの、あなたは?」

「たいした者じゃないよ」

 問われた老婆は答えず、逆に尋ねてきた。

「お前たちはフロンから来たのかい?」

「……え、どうしてそれを?」

「そろそろ来るんじゃないかと思って待っていたんだよ。まあいいからちょっと休んでいきなさいな。さあ、掛けて」

 老婆は身振りで腰かけるように促した。二人は訝しく思ったが、まだバッツの気分が振るわないのも確かだったので言葉に従った。


「ちょっと老人のね、古い話を聞いていきなよ」





 今から五十年前の事である。

 その頃フロン村にリラとコルナという少女たちがいた。二人は子供の頃からの親友で毎日一緒に過ごしていて、村人たちからは「まるで姉妹のようだ」と言われていた。

 その時も村を守る石はすっかり黒くなってしまっていた。そろそろ交換の時期か、と村人の誰もが考え始めたある朝、リラの夢に神が現れて、石を神殿に返すように告げた。


「やったじゃない!」

 両親と村人たちと、(こと)にコルナは大喜びでリラを祝福した。リラは少しとまどいながら答えた。

「うん。でも、一人で行くのはちょっと怖いかな……」

「そう? だったら私もついていってあげるわ」

「ありがとう! 助かる」


 ひと月分の食料と薄い毛布を持ってその日のうちに二人は出発した。

 道順は夢で神が教えてくれていた。二人が村から出たのはこれが初めてだった。細い道も遠くの山並みも雲の形までも何もかもが珍しく、おしゃべりの種はいくらでもあった。


 昼の休憩にリラは石を取り出してすりすりと撫でていた。

「私にも見せて」

「はい、どうぞ」

 コルナが手を差し出すとリラは石を乗せた。コルナはしげしげと石を眺めた。真っ黒になった石には石らしい光沢なんて少しもなくて、太陽にかざしても光は無限に吸い込まれてゆくようだった。


 五日を過ぎた頃からリラの様子がおかしくなった。

「う……」

「どうしたの、大丈夫?」

 リラは胸を押さえて苦しそうに眉をひそめた。顔色が悪かった。コルナは心配そうにリラを支えた。

「うん、大丈夫……」

 やはり苦しそうなままリラは再び歩き始めた。


 日を追うごとにリラの具合は悪くなっていった。苦痛に耐え続けるリラは服が濡れるほど脂汗をかいて、ひたすらに水を飲んだ。

 コルナが思うにリラの症状は病気によるものではなかった。日中は苦しみ続けているリラが、石を手放して横になった時だけふっと顔が穏やかになって、ぐっすりと眠るのである。

 村を祝福するはずの石がリラに祟っているのは明白だった。リラは石が吸い込んだ呪いの反射に苦しめられていた。


「ねえ、貸して。私が持つわ」

 見かねたコルナは代わりに持とうとして、持ち損なって石を落とした。

「──え、なにこれ?」

 慌てて拾い上げようとしたが持ち上がらない。石は異様な重さをもってコルナを拒んだ。


「痛いの……、辛いの……」

「もういやよ……。どうして私がこんな目に……」

「帰りましょう、もう無理よ……」

「コルナはいいわよね、選ばれなかったんだから!」

「ねえ、何で? 何で? 何で!」

 石に(さいな)まれるリラは一日中泣き言を漏らし、愚痴を吐き、コルナに当たり散らした。

 コルナはそんなリラを抱きしめながらなだめ、励ますことしかできなかった。


 九日目には石の重さはリラにも(こた)えるようになっていた。両手でやっとのことで持ち上げて、よろめきながら少しずつ歩いた。それは水のいっぱい入った樽を持つような仕草だった。常に息は荒く体は熱を発し、尿には血が混じるようになっていた。

 二人の歩みはにわかに遅くなった。様子のおかしい二人を旅行く人々は胡乱(うろん)な目で眺め、関わろうとしなかった。それは石のあまりの禍々しさのためだったろうか、荒野の獣すら近寄らず、遠巻きに二人の様子をうかがうだけだった。


 夜になると村から持ってきたオート麦を煮込んで粥にした。

「ねえ、食べて。体がもたないわ」

 衰弱しきったリラはもうまともには座れなかったので木の幹にもたれかけさせて、少しずつ粥を含ませた。リラは目を瞑ったまま、ひと匙ごとに粥を口の中ですり潰して、少しずつ飲み下した。

 粥が冷めきった頃にリラはようやく食べきった。コルナがほっとした瞬間リラは突然目を剥いた。そして前のめりに倒れ込んで両手で体を支えて、食べた粥を全部吐き戻してしまった。


「ゲフッ……ゲフッ……」

「うあぁぁぁぁ……」

 全身を震わせてえずくリラを見てコルナは声を上げて泣いた。

(何でこんな石なんかのためにリラがこんなに苦しまないといけないの?)

 答えてくれるものはいなかった。


 十一日目に山のふもとまでたどり着いた。

 上り坂になるとリラの様子はますます悪くなった。石はもはやリラの手には持てないほど重く、負担のために高熱を発した。

 全身の関節が(きし)んでとうとう歩けなくなってしまったリラに石を背負わせて、コルナがリラを背負って坂を登った。そうしたら石の重さはコルナに伝わらなかった。

 代わりに重さはリラが一身に背負っていた。石に肺を押しつぶされて搾り出すように呼吸する音がコルナの耳を悩ませた。


 人一人を背負って山を登るのは辛く、コルナは何度も立ち止まって休んだ。リラもまたそれに対して何を言う気力もなく、蒼白な顔で息をついて体を休めるだけだった。

 普通の人なら一日で登って降りる程度の山だったが二人は中腹で夜を明かした。


 八合目でもう一泊して、十三日目に二人はようやく目的地に着いた。

 神殿は朽ち果てていた。天井はすっかり落ちてしまって青空が見えていた。建物の形を成すのは柱と壁だけである。

 真ん中に小さな、たらいほどの大きさの石造りのプールがあって、その底にリラの石と同じ形の白い石が沈んでいた。

 リラは力なく石を拾った。


「ねえ、それ、どうしよう?」

 リラの手の中に白い石と、対のように黒い石があった。これまでに持ち帰られたはずの呪われた黒い石はどこにも見当たらなかった。

 コルナの問いかけにリラは答えず、震える手で黒い石を水に沈めた。そうだ、村の人たちは交換するのだと言っていた、とコルナは思い出した。石は水の底に音もなく落ちて、小さな波紋も水に飲みこまれて消えた。


(これでやっと終わった──)

 コルナの目に涙が浮かんだ。嬉し涙だ。これでリラの苦しみも終わる。リラも同じ顔をしているに違いない。コルナは弾んでリラを見た。


「リラ──」


 ぎょっとした。リラの顔には何の感情も浮かんでいなかった。一切の感情の削げ落ちた空白の表情だった。

「リラ……?」

 今度は恐る恐る問いかけた。リラに反応はなかった。

 冷たい汗が背中を濡らした。心が恐怖に染まっていた。


(早く帰ろう)

 コルナは焦る心のままに足を急がせてリラの手を引いた。リラはコルナに手を引かれるまま、ふわふわと雲を踏むような足取りで後ろをついてきた。ただ石だけは抱きしめて。


 また涙が流れた。悲しみの涙はとめどなく溢れ続けた。

 リラは石と一緒に自分の中の大切なものも捨ててしまったに違いなかった。


 十日後、二人は村に到着した。新しい石を持ち帰ったリラは村中から称賛されたが、それから一年間寝たきりで過ごして、そのまま死んだ。





 老婆の長い語りを聞いた二人はぶるりと震えた。寒々しい恐れが首筋を(あわ)立たせていた。


「……あの子の人生は何だったのかしらね? 村の人たちと、それから石に利用されただけで終わってしまったわ」

 老婆の声には怒りとも諦念ともつかない響きがあった。バッツは冷や汗をかきながら何とか言葉を(しぼ)り出した。


「な、なあ婆さん、あんた何でそんなことを知っているんだ?」


 老婆はそれには答えず、五十年の復讐を果たそうとする者の薄い笑みで二人を見た。

「もうわかっているでしょう?」

「そんな、馬鹿な」

「あ、あんたが本当のことを言ってるとは思えねえ!」

「ええ、ええ、私は嘘をついているかもしれないわねえ。ところであなた、どうして具合が悪くなったか、おわかり?」

 バッツは顔色を白くして押し黙った。


「それに、私はどうしてあなたたちが来ることがわかったとお思い?」

 ドンも答えることはできなかった。


「ねえ、あなたたち。もし少しでも今の話が本当だと思う気持ちがあるなら──」


 老婆はすっと腕を上げた。その指さす彼方に街が見えた。


「あそこはねえ、この辺りで一番大きな街よ。──ねえ、その石を私にちょうだいな。もちろんタダとは言いませんよ。ここにね、ほら、お金があるのよ」

 老婆は懐から袋を取り出した。振るとジャランと音のするそれにはどうやらかなりの大金が包まれているようだった。


「このお金でね、あの街で幸せに暮らすといいわ。村のことなんて忘れて──」


 そら恐ろしい沈黙が落ちた。老婆はただ黙って金の袋を突き出している。二人は汗を流して老婆を見つめ、しばらく経って袋を見つめ、それからお互いを見つめ合った。


 ドサリと足元に音がした。土の上に黒い、まん丸の、こぶしほどの大きさの石が落ちていた。

 石を投げ出したバッツは奪い取るように老婆の袋を受け取った。無言で立ち上がった二人はそのまま後ろも見ずに駆けて行ってしまった。


 二人が去った後しばらく、老婆は転げた石を無感動に見つめていた。

 一時間もしてようやくその石を拾い上げると、老婆は二人がやってきた方へ向かって歩き出した。


 五日目に老婆は山奥にひっそりと隠れた小さな村にたどり着いた。人の寝静まった深夜に村に入り込んだ老婆は祠の後ろの土を掘り返して石を埋めた。





 それからまた五十年が経ってバッツもドンも老婆もいなくなってしまうと、フロンという村がこの世にあったことを知る者は誰もいなくなってしまった。

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