05 催眠術の話
「もちろんですよ」
と益口氏はいささか気色ばんで語気を強めたが、すぐに穏やかに話し出した。
「まあ疑われるのも仕方がない。種を明かしますとね、テレビでやるショーの80%はお芝居です。いえ、出来ないんじゃなく、準備に時間がかかってたいへんなんです。80%はお芝居、後の20%は、仕込みです。仕込みなんて言うとインチキに聞こえるでしょうが、それが本当の催眠術なんです。
いいですか。
催眠術を一言で言えば、それは、信頼関係です。
術者が対象と深い信頼関係で結ばれて、相手を限りなくリラックスした状態に導いてやり、相手の隠し持っている願望を解放してあげるんです。
その結果現れた行動がいかに奇妙なものでも、それはその人が『やりたい』『やってみたい』と心密かに思っていた願望なんです。
その人が絶対にやりたくないと思っていることは、どんなにリラックスした状態を作ってやっても、必ず拒否されます。それを無理にやらせようとすれば、たちまち信頼関係は崩れ、もう2度とその人は催眠術を受け付けなくなってしまいます。
それだけ深い信頼関係を築くには、当然それなりに長い時間が必要です。スタジオでちょっと金時計を揺らしただけで相手の他人に対する警戒感を取っ払うなんて無理ですよ。だからそうしたショーを見せるときには事前に準備、信頼関係を築く時間が必要なんです。ま、中にはごく稀に非常に暗示にかかりやすい体質の人もいるが‥‥刀脇さんに関してはまるっきり逆です。あの人は、強情です。他人の言葉に無防備に身をゆだねるようなことは‥‥長い時間を掛けても無理でしょう。あの人は、催眠術には掛かりません。
‥‥一つ可能性を言えば‥‥
本人に強い願望がある場合、他人から『いいよ、どうぞやりなさい。許してあげるから』と言われれば、それを言い訳に、自己暗示をかける‥‥、あの人が『殺していいよ』と言ったから殺してしまいました、と自分を欺くことは‥‥あるかも知れません。
しかしこの場合も、刀脇さんにその相手の、藤原さん、を殺したいという強い動機があればの話で、刀脇さんにそれはないんでしょう?」
どうやら益口氏はワイドショーなどで熱心に情報収集していたようだ。
「ふむ」と刑事は頷き、言った。
「やはり催眠術で人を殺させるのは無理なんですな?」
「無理です」
「なるほど。分かりました。ところで、あの番組ですがね、女の子を犬にしちゃったでしょう? あれは、どっちだったんです?」
「あれねえ」
益口氏はまた恥ずかしそうにニヤニヤ笑った。
「もちろんお芝居です。そういう台本を、あっちの方から出してきたんです。わたしも台本通りにお芝居しただけでしてね」
「刀脇さんも?」
「あれ‥‥」
益口氏は今度は渋くムッとした顔になった。催眠術師のくせに簡単に気持ちが表に出る人だ。
「あれは‥‥、アドリブですよ、刀脇さんの。本人はそう言って、後で楽屋に謝りに来てくれましたがね、たぶん、他の人にそそのかされたんじゃないですか? わたし、あの番組には前にもオモチャにされたことがありますからねえー‥」
「刀脇さん、楽屋に謝りに来たんですか?」
「ええ。あの人は‥、本当は礼儀正しいいい人ですよ」
「そうでしたか」
スカーレッドの菅原といい、益口といい、刀脇力丸に対する評価はすこぶる良い。
大した話にもならないので刑事たちは辞去しようとした。
そこへ玄関の呼び鈴が鳴った。
「ああ、ちょっと失礼」
と益口氏が部屋を出ていくと、やがて、「ああ、清水君か。えー‥と、どうしようかな」と声が聞こえた。
刑事二人は頷き合い、立ち上がった。
玄関に出ていくと益口氏と同年代の男性が開けたドアの外に立っていた。
「お邪魔しました。我々はもうけっこうですので」
と刑事が声を掛けると、玄関に下りた益口氏は迷いながら
「えーと、こちら、清水二郎君。わたしのマネージャーをしてくれてます」
と男性を紹介した。
「ああ、そうですか。それはどうも」
と刑事二人はお辞儀し、まあついでなので訊いてみた。
「あなたは、刀脇力丸さんと会ったことは?」
痩せてひょろ長い清水氏は
「いえ、僕はありません」
と答えた。
「そうですか。それではけっこうですよ」
と靴を履こうとして、40代の刑事はふと二人を見比べて、訊いた。
「お二人は‥‥、以前は?」
何とはなしに、太っちょの益口氏とひょろ長い清水氏で漫才コンビのような取り合わせだと思ったのだ。
すると案の定清水氏が嬉しそうに言った。
「ええ。わたしも以前は舞台に立っていたんです。彼がマスター・パピー、わたしがパペット・ジミーと言いましてね、コンビでコントをやっていたんですよ」
「ほう、そうですか。どんな感じで?」
まあどうでもいいのだが、嬉しそうな顔をするので世間話で訊いてやった。清水氏はニコニコと話した。
「彼は元々一人で腹話術をやっていたんですよ。わたしは一人でしゃべくりをやってましてね、まあ、二人ともあんまり売れなかったんですよ。演芸場で知り合って二人でやけ酒飲んで、いっしょに組んでやってみるかとなりましてね。で、わたしが彼の操る腹話術人形に扮して、彼の腹話術に合わせて口を動かしながら、タイミングを見て勝手なことをやるんですよ。で、彼は困って、人形と喧嘩になって、ドタバタの展開になる、と。これはけっこう受けましてね、いろいろお呼びが掛かるようになったんですが‥、わたしは連れがおりましてね、貧乏で苦労掛けて体を壊しちゃいまして、わたしは家内の看病をしなくてはならなくなった。彼は一人で舞台に上がらなくてはならなくなって、そこで、勉強していた催眠術を、披露したんだよね?」
清水氏に話を振られて益口氏は照れ笑いを浮かべながら話した。
「ええ。彼を人形にして腹話術をやっている内、なんだか本当に彼を操っているようないい気分になっちゃいましてね、こりゃ催眠術ってやつだなあと思って、勉強してみたんですよ。やりだしてしばらくしたらテレビで同じような催眠術ショーが流行りだして、わたしも負けてられないなと、今の怪しいマジシャンのキャラクターを作り上げたんですよ。おかげで催眠術ブームが去った後もこうして細々ですが生き残ることが出来ましてね」
ニコニコ誇らしげにする益口氏に清水氏は申し訳なさそうに言った。
「わたしの方はすっかり舞台から下りてしまって、他の仕事を探そうかと思ってたんですがね、益口君がマネージャーをやってくれないかって声を掛けてくれて、それでこの業界で生き続けています。本当に彼には感謝していますよ」
「いやいや、大して売れない芸人のおもりなんかさせちゃって、かえって悪かったねえ」
「いやいや」
二人の友人は微笑ましく謙遜しあった。
「なるほど、そうでしたか。いいお話ですなあ」
と当たり障りなく言って刑事は話を切り上げようとしたが、
清水氏はニッコリ自慢げに言った。
「益口君の催眠術は凄いですよ! 彼は、天才です!」
「天才、‥ですか?」
ニッコリ笑う清水氏に対し、向こうを向いた益口氏の顔は伺い知ることは出来なかった。