03 特殊メイク
スタジオスカーレッドを主催する特殊メイクアップアーティスト
菅原一馬(すがわらかずま)
通称スカー、35歳、独身。
近年競争の激しい特殊メイク業界において、着実に確かな仕事をこなしている中堅のメジャーなアーティストだ。
長身痩せ形で、いかにも芸術家らしい大きな鋭い目をしたなかなかのイケメンだ。
閑静な住宅街にあるアトリエを訪れた二人の刑事を、いささか迷惑そうに目にかかる長髪を細い指で掻き上げ、
「まあ、どうぞ」
と赤いドアの内に招き入れた。
ここはスタジオスカーレッドの第1スタジオで、菅原の住居も兼ねている。仕事が順調でもっと大きな第2スタジオを映画撮影所の敷地に間借りしている。スタッフたちはたいていそっちで仕事をし、こちらは菅原が個人的なアトリエとして、また急ぎで徹夜仕事をするときにはこちらを使うことが多い。
ドアをくぐった途端刑事二人はギョッと思わず立ち止まった。
天井の高いストンとした空間の中央に、
作業台の上に手足のない女の艶めかしい胴体が載せられ、その裂かれた腹の中にはひびの入った大きな卵が収まっている。
中2階のあるロフト形式のアトリエは入った瞬間に独特のヒヤリとした臭いがした。中央に大きな換気扇の筒が天井から下りている。その下に女の胴体はあるのだが、
「こりゃあ、ちょっとした壮観ですなあ」
40代と20代の刑事コンビは四角い空間を見渡して感嘆した。
中央の胴体以外にも、まるで、バラバラ死体の製造工場のようである。
壁いっぱいに立てられたがっしりしたフレームのキャビネットに納められたコンテナからはいっぱいに詰まった顔や腕や足や胴が、溢れていた。それも、生々しい断面の覗いた物もある。
工具類もドリルや電動ノコギリが大小多数揃えられ、怪しげな薬品の大きな缶やバケツが多数並べられている。
その悪趣味なオブジェに思わず眉をひそめている刑事たちに菅原は自嘲気味の笑みを浮かべ、女の胴に歩み寄って紹介した。
「ま、あんまり高級な芸術品じゃありませんね。これね、女の腹が割けて卵が現れて、その卵が割れてキメラが産まれるって仕掛けでしてね」
よく分からんという表情を浮かべる刑事に、
「キメラってのは、人間と化け物の合いの子です。ヌエ、って言えば分かるでしょう?」
と言い、40代の方はああと頷いた。
「で、ご用件は?」
「刀脇力丸に施した特殊メイクについてちょっと」
「あ、そう。ところであのマスク、返してもらえるんですか?」
菅原が事故後刀脇からはがしたウルフマンのマスクはそのまま警察に押収されている。
「ええ。いずれは」
「そう。ま、いいや。どうせもう使い物にならんでしょうから」
菅原の気取ったポキポキした言い方に20代の刑事はカチンときた。それをチラッと見逃さず、菅原は言った。
「あれ作るのにどれだけの手間がかかっているか、知らないでしょう? それにデリケートな物なんでね、管理が悪けりゃすぐにボロボロになっちまいますよ。
こんなことしていて、異常な奴とお思いでしょう? でもね、わたしらの仕事は常にチームでね、人間関係が大切なんですよ。わたしは刑事さんが思っているほど変な人間じゃありませんよ。ま、多少趣味が変わっているのは認めますがね」
「いや失礼。お気を悪くなさらずに。
我々が知りたいのは、あれの材料なんです」
40代の刑事が鼻をくんくんして、顔をしかめた。
「これ、気分が悪くなりませんか?」
「ああ、そう。わたしは、とっくに慣れちゃいました」
菅原は歯を見せて笑い、顔をしかめた刑事もわざとらしいお芝居を自分で笑った。菅原は
「でもそうだなあ、確かによくないですね。わたしらも意識して換気には気を付けてます」
と天井を指して言った。さらに。
「そう、いけないなあ、シンナーで頭がスカスカになっちゃってるのかも知れない。変な幻をよく見ます‥‥なんて冗談を警察の人の前で言っちゃあ拙いですか?」
「おっほん。それはま、聞かなかったことにして、実際どうです? あのマスクやメイクの材料の中に、そうした、感覚を麻痺させるような成分が含まれている物はありませんか?」
「なるほど、それでリッキーがおかしくなって暴れた、と。もしメイクが原因なら、殺人の罪はわたしが問われることになりませんか?」
「それは、多少は責任を問われるかも知れませんが」
菅原は口に笑みを浮かべて手で刑事を遮った。
「いや、いいです。ちゃんとお話ししますよ。まったくない、とは言えないでしょうね。でも、実際のところ、現在はまずないと思いますよ? 確かに以前は物凄く臭かったんです。肌にもよくなかったと思います。でも今はすごく改良されて、例えば医療用のシリコンとか、化粧品のファンデーションにも使われるパテーとか、健康に害のない物に変わっています。臭いのする物はうんと少なくなったし‥というのはわたしの鼻じゃ当てになりませんがね。使った材料は全部お教えしますよ。別に材料に企業秘密もありませんのでね。どうぞ、そちらの専門の方に調べてもらってください」
「それはどうも。ご協力感謝します。ところで、協力的な態度に甘えてお訊きしたいんですが」
「なんです?」
「あなたも、あの現場で、撮影を見ていたんですよね?」
「ええ。その場で事情聴取受けましたよ」
「では今一度お訊きしたいんですがね、
あなたはあれを、どう見ましたか?
あれを、事故と思いますか?
それとも、殺人事件と思いますか?」
「リッキー‥‥」
刀脇力丸の愛称をつぶやいて菅原スカーはしばらく考え、言った。
「彼は、いい奴ですよ。スターになっても全然おごったところはなかった」
「と言うことは、以前にも?」
「彼の、『灼熱—ホワイト・バーン』ってVシネマ知ってますか? 彼がボクサーを演じた彼の出世作ですよ」
ああ、と20代の刑事が頷いた。24歳の刀脇が自ら企画して主演したビデオ映画で、その獣のようなファイトシーンが今回の事件に通じる彼の凶暴性を表している、と連日ワイドショーで繰り返し取り上げられている。菅原が言う。
「あれ、‥もう8年前になるのかな? あれにわたしも参加してましてね、ほら、殴られた傷とか血糊とかのメイクでね。わたしも、27か、まあとにかくなんでもやってた頃ですよ。彼も若くて、とにかく真剣でしたね。これで勝負するんだ、って。体育会系の乗りで、みんな、いっしょにやってくれえ!って、わたしも乗せられた口で」
菅原は懐かしそうに嫌味のない笑みを浮かべた。
「いい奴でしたよ。それは久しぶりに会ったあの日も、変わってなかった」
「その映画以来の再会で?」
「ええ。ああ、ライフマスク‥特殊メイクのマスクを作る土台の石膏の面を本人の顔から採る作業があるんですが、それはわたしは他の仕事で、スタッフに任せたんですよ。わたしが会ったのは正真正銘あの日の朝で。彼、わたしのことも覚えていて、がっしり握手してきましたよ。
‥‥あの光景は、わたしも衝撃的でしたが、わたしは事故だと思います。彼に何が起こったのかは分からないが、彼は殺人を犯すような人間じゃあありませんよ」