22 罠
益口寿夫はマスター・パピーとして土曜深夜の若者向け情報バラエティー番組にゲストで呼ばれ、女の子たち相手にちょっとエッチな催眠術を披露して、午前2時30分、上機嫌ながら眠くて大あくびしながら、テレビ局の呼んでくれたタクシーに乗って帰宅の途についた。
まるまる膨らんだ首のお肉に顎を埋めて、むにゃむにゃと、重く閉じがちな目蓋の下から道路灯だけが走っていく寂しい夜中の景色を何の気なしに眺めていた。
20分も走って、『うん?』と益口はおかしく思った。
「ねえ、運転手さん、ちゃんと◯◯市に向かってる?」
「ええ。道は分かってますよ」
「ああ、そう。ならいいけど」
益口は首に顎を埋めながら、不安そうに窓の外を眺め、首を傾けて道路の標識を見た。
「おい! 運転手さん! やっぱり違うじゃないか!? 全然別の方向だよ!」
益口は怒って言ったが、運転手は慌てず、
「いえ。この道でいいんです」
と言った。
「違うって。◯◯市だよ? 分かる?◯◯市? 埼玉の、◯◯市だよ?」
どこか別の市町村と勘違いしているのだろうと一生懸命説明する益口を、運転手は口を薄く歪めて笑った。
益口はルームミラーの中にそれを見て、ギョッと、怯えた顔になった。
「なんだ? どういうことなんだ? あんた‥、本当にタクシーの運転手なのか?」
運転手は薄笑いを浮かべ、通行のない道路をグンと加速した。
益口は強張った顔に脂汗を浮かべ、この状況からどうやって脱出しようか思案したが、けっきょく、
「くそっ」
と運転手の襟に掴みかかった。すると運転手は
「シュッ」
と、何かのスプレーを益口の顔に噴きかけた。
「うっ、‥‥う〜〜〜む‥‥‥‥‥‥」
途端に益口の目がとろんとなり、シートベルトに引っぱられて背もたれに落ち着くと、「くあ〜〜」とよだれを垂らして眠りこけてしまった。
益口が
「う‥‥‥‥‥む?‥‥」
と目を覚ますと、真っ暗で、窓に顔をつけて見回すと、高いところに小さな壊れた窓があり、暗い空からさっと白い光が射し込んだ。
昼の明かりではない、夜の、高い天にある白銀の月の光だ。
「どこなんだ、ここは?」
臆病に周りをきょろきょろ見渡すと、月明かりにあちこちごつごつと何か工作機械が照らし出された、どうやら工場の中らしかった。それも、木材やパイプが乱雑に散らばった、どうやら廃工場のようだった。
まるでいかにも幽霊でも出てきそうな様子に、益口は怯え、さんざん誰もいないのを確認して、ようやくシートベルトを外してドアを開けようと手を掛けた。すると、
ダンッ、
とボンネットに何か降ってきた。
益口は「ひゃあっ、」と心臓を躍り上がらせた。
ボンネットに載った物を見て、
「うわああああっっ」
と悲鳴を上げ、慌ててドアを開けようとしたが、どこかで「ガラアアン‥」と何かの倒れる音がして、ギクッと思いとどまった。
恐る恐る、その物を再確認する。
ちょうど月のスポットライトに照らされたそれは、
男性の生首だった。
しかもそれは、益口のよく知る顔だった。
「ジミー‥‥‥‥‥」
それはかつてコンビを組んでいた相棒で、現在はマネージャーを務めている清水二郎だった。
清水二郎は横に倒れて、斜め下を向いて、こちらに顔を見せている。
恐い目になってじっと清水の顔を見つめていた益口は、
「‥‥ふ、ふふ、うふふふふふふ」
とおかしそうに笑い出した。両手を上げて、
「分かった分かった。これはいったい何の番組なんだ? おいおい〜、こんな爺さん驚かせて、何が面白いんだ? 面白かったか? もういいだろう、勘弁しておくれよ。オレ、心臓が止まってポックリ逝ってしまうよ? おい、ジミー? 君もいるのか? この仕事は、趣味が悪すぎるぞお〜?」
恐怖をぬぐい去るように、益口は饒舌にしゃべった。
「お〜〜い、ジミー? 出てきてくれよお〜? 哀れな相棒を助けておくれ〜?」
清水はマネージャーだが、奥さんの体が弱いので、電話応対でスケジュール管理をし、益口に同行して現場に来ることは滅多にない。
「おお〜〜い、ジミイー?」
益口は脂汗を浮かべる顔に大きく「マスター・パピー」の笑いを浮かべ、おどけた声で呼びかけた。
しかしなんの返事もないと、笑いを引っ込め、むっつりと、険悪な顔になった。
ジロリと清水の生首を見る。
うつろに上を向いた瞳が半分目蓋に隠れている。
筋肉の張りが失われて下顎が歪んでだらしなく半開きになっている。
益口はじっと生首を見た。こんな物が本物の訳はない。作り物に決まっている。自分を怖がらせて、どこからかじっと反応を見ているのだろう。まったくなんのつもりだろうか?
益口はギョッとした。
眉を吊り上げ、ギョロリと剥いた目玉でじっと生首を見た。
今、目蓋がかすかに動いたような‥‥、
気のせいか‥‥‥‥‥
「うわわわわわわあっ!」
悲鳴を上げて逃げ腰になり益口は背もたれをガリガリ掻いた。
動いた、清水の目蓋が、ヒクリと、確かに!
「うわああああっ!!」
益口は悲鳴を上げた。
清水の目が、自分を見た。瞳が、確かに、自分の顔を見ている。
「わあっ」
益口が反対の席に逃げると、清水の目は恨めしそうに上目遣いで益口を見た。
「わああああっ!!」
生きてる、と益口は思った。だって、焦点が合っている、瞳が自分を見ている。生きているじゃあないか!?
「ます‥た‥‥」
「うわあっ!?」
益口は恐怖の悲鳴を上げた。清水の口が、自分を呼んだ!
「じじじ、ジミー?‥‥‥」
清水の生首は、疲れたように目蓋を重くし、先ほどの目の光はもう無い。
「ジミー?‥‥‥‥‥‥」
益口は恐る恐るじいっと清水の顔を窺った。
もう‥‥、死んでいる‥‥。
しかしさっき自分を見て呼びかけたのは、幻聴か?
いや‥‥‥。
フランス革命の時代まで、公開で行われたギロチン刑。
切り落とされた首は、数分間生きていたという話があるじゃないか‥‥‥‥
ドクドクと緑色のボンネットに黒く血を流している生首は、まだ新鮮だ‥‥‥。
「ううっ‥‥‥‥」
益口は顔を引きつらせて息を飲んだ。
本物だ、と、
益口は信じた。
「うわああっ!!」
益口は悲鳴を上げて太った体をドタバタさせ、堪らず外へ出ようとした。が、
「ええっ??」
ロックを外してもドアが開かない。ノブをガタガタ乱暴に動かしてもドアに反応がない。
ヒュン、と何か飛んできて、目の前の窓ガラスに「ドンッ」とぶつかった。
肩から引き抜かれた裸の腕だった。
腕は下に落ちたが、べったりと、飛び出した血が窓ガラスを伝い落ちた。
「うぎゃああっ」
益口は反対側に飛び退きドアノブをガチャガチャさせ、悲鳴を上げ、恐怖した。
怖がる益口をモニターで見て、
「そうだ、もっと、もっと怖がれ」
と菅原は憎々しげに目を怒らせた。
4つの画面に角度を変えてタクシーと車内の益口が映っている。
恐怖でパニックに陥っている益口を見て菅原は残忍に笑った。
本物、にしか見えないだろう?
この3ヶ月、ありとあらゆるテクニックを使って試行錯誤を重ね、ついに完成させた最高の清水二郎の生首のレプリカだ。骨、筋肉、血管、本物の人間と同じ構造を正確に再現し、肌は医療用の最高級人工皮膚だ、それに清水二郎の肌を細大漏らさずペイントした。あんたを見つめた目玉は、いわば本物だ、機械のカメラだがな。
見分けが付くわけがない、偽物か、本物か。何せ俺はあんたのせいで、見たくもない本物を見せられてしまったんだからな!
その恐怖を、悔しさを、たっぷり味わうがいい!
「刑事さん」
と呼びかけたのはその清水二郎その人だ。清水は義憤も露わに、タクシー運転手に扮した衣川刑事に詰め寄った。
「ひどいじゃないですか?テレビの『どっきりカメラだ』なんて騙して!? これは、いったいなんなんです!? これじゃあ、拷問じゃないですか!? いったい益口を何故こんな目に遭わせるんです?!」
「黙っててくれませんか」
モニターを見ながら後ろも向かず、菅原は冷たい声で言った。
「何故?、ですか? いいですよ、じきに、この悪魔の正体を暴いてやりますよ。あなたも!、まあ、見ていてくださいよ」
「悪魔の正体って‥‥‥‥」
清水は眉を険しくして、この異常な状況に青くなりながら、不安そうにモニターを見た。
益口寿夫がヒーヒー悲鳴を上げて、ドスンドスン、車を揺らして怖がっている。
カンカラララーーン‥‥、と、金属パイプの転がる派手な音がして、益口はまた「ヒイッ」と身をすくませて奥の暗がりを見た。
のっしのっしと、機械の間を大きな影が歩いてきた。
固まってその影をじっと見ていた益口は、やがて差し込む月光に晒された姿を見て、口をあんぐり開け、目を見開いた。
モンスターだった。
あの、額と鼻が盛り上がった筋肉の化け物、リアルに半端な変身をしたウルフマン・スリーだった。
モンスターは筋骨隆々と盛り上がった肉体にはち切れんほど伸びたTシャツを着て、手に、何か生々しい物を持っていた。
それを見て益口はまた恐怖に引きつった。
「うわおおおおおおおっ!!!」
モンスターは吠えて、その手に握っている物を振り上げて車を殴りつけた。
「うわあああっ」
「うおおおっ、うおおおおおっ!!!」
モンスターはそれでボコンボコンとルーフを、ボンネットを、ドアを、力一杯殴りつけた。清水の生首が吹っ飛び、車はグラングランと揺れ、ドバッ、ビチャッ、とまっ赤にペイントされた。
モンスターの振り回している物、それは、股の付け根から引っこ抜かれた、血の滴る、人間の脚だった。
裸の脚に、靴下とスニーカーを履いている。細いすね毛もいっぱいに生えていた。
ドガンドガンと生脚で叩きつけられ、「ひいいっ」と益口はなす術もなく頭を抱えて椅子の下に窮屈に縮こまった。
『益口。‥‥‥いや、マスター・パピー』
どこからかスピーカーから声が呼びかけた。
ドカンッ、ともう一度激しく殴りつけられ、それを最後に、モンスターは脚を放り捨て、よたよたと後退すると、
「ううう〜〜‥‥」
と、苦しそうに頭を抱えた。
そうっと見ている益口に、
『おい、マスター』
再度スピーカーが呼びかけた。
マイクに向かってしゃべっているのは菅原だった。