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雨の日と月曜日には

作者: Kyuppi


 久しぶりに真美と二人で海に来た。


 学校の近くに海が見える。

 通い慣れた道の横には白波が黒っぽい砂の上を行き来している。

 

 僕たちと海との間は十メートルもなさそうだけど、ここ数年は護岸工事が進んでいるので、高さ二メートル程の無機質なコンクリートの堤防が,数十メートル先まで壁となって阻んでいる。


 だから、僕たちは海が見えるように帰りは堤防の上を歩いて帰る。

 いつも通っている道だけど、二人で堤防を歩くと変わらない景色もそこは一瞬にしてエーゲ海へと変わる。行ったことはないけど、多分それくらい美しい景色なんだろうと思う。

 僕の気分も毎回そう思える程、テンションは高く,そう,真美の事が好きだった。


 卒業式まで後二週間もない土曜日、僕は真美に「話がある」と呼び出された。


 ”まさか…別れ話!?”


 僕は、挙動不審が隠せない。びくびくしながら、真美との待ち合わせ場所に来た。

 待っている間は、不安で悪いことばかり考えてしまう。


 ”何かした?嫌われることは…?”

 

 はぁ…憂鬱だな…



 僕たちの学校生活は、卒業式の日だけ。

 所謂、宅習期間というやつだ。週に一度だけ学校に行けば、後は家で勉強しろってことらしい。

 親にしてみれば、学校の怠慢だとか授業料泥棒とか色々あるみたいだけど、実際は生徒の大半は学校に来ている。

 進学する連中で、決まっている奴らは来ても遊んでいるし、落ちたりした連中は、就職にするか浪人するかで迷っている。僕みたいに就職組は、今年の景気はいいらしいので、全員が何らかの会社に入れた。だから、気持ち的にも余裕がある。

就職したら入社までの間は、思う存分に遊んでやろうと決めていた。


でも…。


 僕の就職が決まった頃から、真美とはなかなか会えない日が続いた。

学校でも、真美は進路の先生と面談する時間が長くなり、僕は一人で帰ることが増えていた。



 待ち合わせの時間より早く着いた。

 一人、駅前のベンチに座り、目の前に広がる花壇の花を眺める。

 僕の他に人もなく、黄色い花には白い蝶々が数羽舞っていた。


 真美はまだ来ない。


 青く透き通った空を見上げると、うっすらと月が描かれていた。


 何故だか泣きたくなってきた。いや、泣いていた。頬を伝わるものが水分だとわかる。


 突然、目の前が真っ暗になって甘い匂いが僕を包んだ。


 「何、たそがれてんの?ひょっとして…泣いてんの!?」


 真美の笑顔が僕の小さな心臓をつついた。


 「えっ!まさか、ゴミが目に入っただけだよ」


 下手な言い訳をして慌てて目をこすった。


「ふ~ん」


 あの顔は絶対に信じてない。


「まぁ、そういうことにしておきましょう」


 そういうと、真美は甘い匂いだけを残して通りへと歩き出した。

 その時、何故かはわからない涙の原因はきっと真美にあるんだろうと感じた。


 もぅあの笑顔は見られない。そんな気がして…。


 今日の真美は、普段と変わらない様子で、別れ話をするような雰囲気じゃなかった。僕は、いつ真美が切り出してくるのかと、心配だったが普段とおなじように映画を観たり、食事をしたりと代わり映えのしないデートに、不安もいつの間にか忘れて楽しんでいた。


「海に行かない?」突然、真美がそう言った。


「えっ…、海ってどこの?」僕は突然の変更に戸惑いながらも、素直に真美に手を引かれ,着いて行った。

「海ってここ?」


 そこは、普段僕たちが通っている高校への通学路で、つき合ってから殆ど毎日、ここで真美とたわいもない話をしていた場所だった。


 海とはいっても、夏に海水浴に来る人も殆どいない海だから、正直ゴミも散乱しているし、お世辞にも綺麗とは言えない。


「そう、海っていたったらここしかないでしょ?」

そういうと真美はサンダルを脱ぎ、波打ち際まで裸足で駆けていった。


僕は、砂浜に腰を下ろし、真美が遊んでいるのを眺めていた。


「ねぇ、話って何?」僕は勇気を出し話を切り出した。


 遊んでいた真美は、ゆっくりと僕の方を向いた。


 一瞬,悲しそうな顔をした後,すぐに目をそらして沖に向かって話し始めた。


 「あたしさぁ、東京に行くから…」


 そう言って、僕の方へ振り返った。


 ”え!?”僕の心臓は早鐘のように動き出し,危険を知らせるブザーの音がけたたましく脳内に鳴り響いた。

 

 たっぷりと間が空いた後,「…はぁ?」


 僕は、真美の言ったことを一瞬、理解することができなかった。

 二秒は固まったと思う。

 そして言葉の意味を理解した。


 彼女は、卒業後、東京にある学校に行くつもりなのだ。


 「なんで、東京なんだよ」


 僕は泣きそうな顔だったに違いない。


 真美が波打ち際から、こっちに歩いてくる。


 僕の前に座って、微笑んだ。


「だって、決めたんだもん」


 僕は、この笑顔にいつだって反論することは出来ないんだ…。



 

 僕が真美と初めて会ったのは、高校一年の時だった。


 あの朝、部活の朝練に寝坊した。


 母に思春期の男子特有の「なんで起こしてくれなかったんだよ」

 そんな愚痴で母が謝る訳もなく,「声はかけたわよ~」

 バックに着替えとタオルを詰めて,慌てて家から飛び出した。


 ”あ~ヤバイ!×2”

 と,心の中で焦っても、学校まで行く時間が早くなる訳はなく,自分の体力と気力だけが走った後に残されていく。


 あまりにも、慌てていたので、身繕いをしている暇はもちろん無かった。

 制服のシャツは後ろからはみ出て、顔も洗っていないし,寝癖もついていたと思う…


 ”誰にも会わないから…”もちろん,知っている人にだけど。


 それだけが心の余裕になっていた。田舎のくせに朝,誰も通らないとか,過疎化が進みすぎだろうと思いながら走った。


 学校まで中間くらいの距離。

 通学路ではない道。たしか私道だったけ。

 ”今日も通らせてもらいますか”

 唯一の近道を走った。

 細い路地の角を曲がったら、海が見える。

 その海を横目に学校へ走る。普段と変わらない、どこからか流れてきたペットボトルが白い波に揺られている。一瞬気を取られたけど、そんなのに見入っている場合じゃない。


 海沿いの白い壁の角を曲がったら、学校まで真っ直ぐな道だ。


…!


 真っ直ぐな道の筈…!だったけど、そこにあったのは、「迂回路右」の文字。薄く書かれた看板がポツンと置いてあった。


 ”ウソだろぉ”と、心の中で悪態をつく。

 寝坊したうえに、いつもの近道が出来ないなんて、なんて僕はついてないんだろう。

 ”誰も見てないし、急いでいるから”なんて、周りに注意を払ったけど…


 ”あぁ~、どうしよぉ~”


 心の中で天使と悪魔がタンゴを踊って囁いてきた。

 僕の小心さっていうのは、どんなときだって出てしまうらしい。


 ”あ~、急いでるのに!”再び悪態をつきながら、僕は迂回路の道へと走った。


 迂回路は他の学生が利用する、というか学校指定の通学路だった。

 この通学路って言うのが、また遠回りなんだ。学校っていうのはどうして、遠回りをさせたいんだろうな。

 大体、時間の無駄じゃないか。と、小心者の僕思っていても決して口には出さない。


 ずっと先の方に女の子が一人歩いている。


 ”うちの学校の生徒…?”


 いつもは誰もこんな時間に通る人なんていないから、僕は驚きながらも、そんな事を考えている暇なんてない。

 急げ!とばかりに、その子の横を通り過ぎた。


 その子の横を通り過ぎる瞬間、ほのかに甘くいい香がした。


 ”チャリーン”


 小さな音。


 気になるかならないかの。


 その時、ポケットから鍵が落ちたのを僕は気づかなかった…


 「あの…鍵落ちましたけど…」


 その、声に僕は振り返った。

 

 振り返り際に、さっきの甘い香りが鼻の奥で微かに香った。


 「あの…鍵…」


 振り返って,ボーッとしている僕に向かって,奥ゆかしそうに彼女は鍵を差し出した。


 「えっ,あっ,ありが…」


 渡す瞬間、彼女はちょっとだけ微笑んだ。

 僕は、彼女に御礼の返事も出来ないほど緊張していた。

 ”なんだこれ”

 パニック,戸惑い,興奮,動悸が止まらない。走ったせいもあるだろうけど…

 



 そして、僕は彼女に恋をした…。





 それからの僕は、毎朝、部活に行…いや、逢うためだけに朝早くから学校に行った。

 ストーカーまがいの行為かも知れないけど、彼女の家もつきとめた…(僕も驚いた)


 ダメ元でもしょうがない…、彼女に告白しよう。


 その日、僕はかすみ草とバラとをコラボレーションした花束を持って彼女の家まで行った。

 

 なんて無謀…かつ,気持ち悪い行為だったと反省すべきだが,この時は真剣だし気持ちの高ぶりも抑えきれない程,無我夢中だった。


 彼女の家のチャイムを押し、彼女が出てくるのを待つ…これだけでも僕の心臓は耐え切れそうにない。今にも卒倒しそうだ。


”ガチャ”ドアが開いた。


 待て。


 もし彼女じゃなく、違う人が出てきたら…。そうだよ,自宅なんだから,家族だっているだろう。最悪だ…,もう少し考えてから押せばよかった…


悪い予想ばかりが出てくる。


 でも…。


 ドアの向こうには彼女がいた。


 「ぼっ僕と付き合って下さい…」


 僕は彼女の顔なんて見れず、言うだけいって花束を渡した。

 そして、自分の名前も言わず、彼女の前から風のように姿を消した…。


 そう、返事も聞かず…


 告白した後の数日は、僕の生活は青色一色に染まった…


 ”なんで、名前も住所も言わないかな…、せめて名前くらい言えば…返事も貰えたかも知れないのに…”

一世一代の告白も失敗に終わって、毎日が憂鬱に過ぎていった。


 告白後の朝練はサボったままだった。朝,通学路には彼女いるはずだけど,会うのは正直怖かった。


 彼女に告白して一週間が過ぎた月曜日。


 青色ブルーな気分に拍車をかけるかのように、その日は朝から小雨が降っていた。


 いつもの道を、傘を差して下を向きながら歩いていた僕の視界に、綺麗に磨かれた革靴と真っ白な靴下が目に入った。


 ”あっ…”


 僕は、声も出ないし動くことも出来なかった。

 お互いにジッと見つめ合う数秒の瞬間。


 止まった時間が動く。


 彼女の方から近づき、すっと可愛い犬がプリントされた手紙を渡された。

 渡すと彼女は何も言わず、学校に向かって歩いていった。

 角を曲がった彼女の姿が僕の視界から消えた、ようやく僕の時間は動き始めた。

 彼女が見えなくなってから数分後(いや実際はもっと永かったに違いない)僕は急いでその手紙を開いた。


 ”!!…”僕の心臓は今にも飛びだすかの勢いで、せわしく高鳴った。


 手紙を渡す時の彼女の笑顔を僕は一生涯忘れることは出来ない。


 僕はすぐさま彼女の後を追いかけた。

 二つ目の角を曲がってようやく追いついた。

 ドタバタと強めの足跡,絹糸のような雨が体にぶつかり弾かれる音。

 気がついた彼女が、振り返り…


 「ヨロシク、彼氏!」


 この笑顔だ…、僕は服が濡れるのも構わず彼女の元に走っていた。


 …OK…


 手紙には大きく書いたOKの文字。たったそれだけ。


 あれから、僕たちは高校生活を楽しんだ。そう楽しんだのだ。主に僕が…と思うけど。

 それくらい浮かれていたのは間違いない。

 このまま二人の時間が止まってしまえばいいのに…と,ノートの端に書くくらいに。 


 彼女と過ごす、クリスマス…誕生日…その一日一日が僕の記憶の中に刷り込まれていた。

 彼女と歩いた一つ一つの場所が…その一言が僕の脳裏には昨日のように思い出される。

 波打ち際の海岸線…光射す公園…夢を語り合ったいつものベンチ…そして…初めて彼女の柔らかい唇に触れた甘い口づけ…


「…お前と見たこの景色…一生忘れない…」


 なんて,くさい台詞も無意識に吐いちゃうくらいに僕は舞い上がっていたと思う。

 これからも,

 もっと…

 真美と…


 それなのに…


 なんでそんなに楽しそうに,離れるって,これから滅多に会えなくなるのに…

  

 そして、彼女は東京へと旅立っていった…


 僕の気持ちは…どこにあるんだろう。どこに置いておけばいいんだろう。



 


 彼女が旅立ってから、僕も決まっていた地元の企業に就職できた。

 小さな会社だけど、地元志向の僕としては満足している。

 

 課長の声が響く。

「はい、白坂商事営業三課です。」

 三課といっても,二人しかいないけど。


 

 課長の高い声がやたらと耳に響く、この課長どうして電話の時には声が変わるんだ?

 「え~、はいはい、鈴木建設の佐藤様ですね。あ~この間の見積の件で…えっ、間違いがあった…

はいはい、直ぐにですね、訂正して…え~金曜日にはなんとか…そうですよね火曜日ですよね、分かりました、訂正致しまして火曜日までにお持ちしますので、はいはいすみませんでしたぁ」


 パソコンの画面の横には、二人で撮った写真が貼ってある。

 ”今度の土日は東京に行って、マミと…ムフフフ…”

 そんな事を考えていたら、不意に背後から寒気を覚えた…


 「タテヤマちゃ~ん」


 ”げ、課長…”


 「土曜日…暇?」蛇の舌のようなねっとりとした絡みつくような声色がキモい。

 「あっ…いや、ちょっと…」

 「暇だよね!」

 有無を言わせない口調だ…


 「いや~君は暇だと思っていた。あっそうそう,これ、あげるから,火曜日までにお願いね!。お仕事頑張って!!」

 

 正直,仕事には問題はない。結構気に入っている。

 ”でも,この人だけは…”

 やり場のない怒りがこみ上げてくる。

 いつも課長はそうだ、部下に無理やり仕事を強要してくる。


 「わかりました。」

 僕に選択の余地はない。愛想笑い一つで僕は資料を受け取った…


 ”土日は、真美に逢いに行くんだ!!…”と、心の中で叫びながら、


 ”ごめんな…、今度の土日仕事で行けなくなった…”


 真美の写真を見つめながら、心の中で真美に謝った。

 写真の中の真美は、寂しげに微笑んでいる。ように感じた。


 不意に携帯が鳴った。

 真美からのメールだ。そこには…


 「土曜日、ヤス君が来るのを楽しみにしてるね。」


 真美は、僕が東京に行くのを楽しみにしていた。久しぶりに土日は休みだと伝えていたので、彼女は僕が来ることを楽しみにしていた。


 僕は、すぐにメールを返す事が出来なかった…、真美の悲しむ顔を想像すると…

 真美は、僕からの返事を待っている事だろう、すごく楽しみにして…、携帯を見つめているはずだ。


 ごめん…、今度の土日、行けなくなった。ほんとゴメン。


 真美の悲しむ顔が目に浮かぶ。


 ”バカ、…”と言って、泣くかな…


 どれくらい携帯を見つめていただろう、僕は、目の前の残業資料に取りかかった…。


 再び…、課長の声が聞こえてきた…。

 「いや~、社長がさぁ、これが放してくれなくて。決してね、明美ちゃんのことを忘れた訳じゃないのよ。ほんとゴメンって。今度お店に必ず行くから、ね、ね、許して、明美ちゃん~…?…」

 弛みきった頬が更に落ちるような満面の笑み。

 行きつけのお店の子との会話だろう。


 課長が仕事をしている僕を捉えた。


 「おっ、タテヤマちゃん。まだ残業?ほんと、お仕事大変だねぇ。頑張ってね。」

 ニヤニヤしながら遠ざかっていく。

 「いや,違うって、明美ちゃんだけだよ,ホントだって~」

 

 …振られてしまえ…

 とは言えないが,心の中で思う分にはいいだろう。

 

 「お疲れ様でしたぁ…」

 あの人はいつ仕事をするんだろう?大体課長が仕事すれば、僕は土日は休みなのに…


 


 「ねぇ、マミちゃん。」

 「何?」

 何気ない返事をした後,

 「合コンに誘われてるんだけど…、メンツが足りなくてさぁ、一緒に行かない?」


 下から言ってるけど,結構強引なのよね

 「えっ…、あーでも,…」

 普段からこの手の話は断っているし,あまり興味もないのでやんわりと逃げようと思ったけど…


 その時,ヤス君からのメールが入った。

 「ごめん,行けなくなった。」その後の理由は頭に入ってこなかった。

 ただ,来られないんだ…。

 妙に寂しい気持ちと,ポッカリと空いた予定。

 目の前には片目をつぶって両手をこすり合わせている友達。


 「彼氏、どうせ地元でしょ?ばれないって!ねっ、行こうよ」


 「…うん…行ってもいいかな…」

 何で,行くって言ったのか,わからない。けど,言ってしまった。


 「よかった。じゃ明日午後7時。場所は××で。よろしく。」

 本当にメンツが足りなかったのね,ホッとした表情でとりあえず時間と場所だけ告げて行ってしまった。




 僕は、真美がそんなに寂しがっていることを知らなかった…




 真美に逢えたのは、あれから二ヶ月を過ぎた頃だった…

 ようやく東京に行ける目処がたったので,真美に連絡した。


 真美とは駅で待ち合わせた。

 駅の階段向こうから、息を切りながら走ってくる、あの笑顔…

 相変わらず……


 東京に着いた日、僕たちは久しぶりのデートを楽しんだ。

 デートをしながら気がついた。 

 真美は変わった。

 何が?

 姿,言葉遣い,雰囲気…

 何もかも変わっていたような気がする。

 何が変わったかはわからないけど,会えなかった時間が真美を別の誰かに変えた気がした。


 僕も変わっているだろうとは思う。

 主に姿だけが…

 中身は高校の時と変わらない。そんな簡単に変わることはないだろうと思っていた。

 自分も真美も…


 大人の女性へと変わっていく真美が眩しい…、僕は彼女に見合う男になっているのだろうか?


 東京を案内してもらった。

 どんなところでも、真美は楽しそうに笑っている。


 でも…。


 僕はふとした瞬間に真美が見せる、寂しそうな,申し訳なさそうな表情が気になっていた…


 真美の家に帰ってきたのは、夕方だった。


 「今日の晩ご飯は何がいい?」

 すばやく荷物を下ろすと台所に立つ真美が聞いてきた。


 「真美が作るなら何でも……カレーがいい…かな?」

 ジッと見つめる視線から察した。 


 「うん、いいよ。」

 笑顔でそう言って,野菜を手に取った。


 久しぶりに食べる真美の手料理…なんだって美味しい筈だった…



 食後,僕はソファーに腰掛け、雑誌を読んでいた。


 唐突に真美の携帯が鳴りだした…


 「ねぇ、携帯鳴ってるよ、電話みたいだけど…」


 「ごめん、今、手が離せないから、切っていいよ…」

 そう言うと、再び台所へと戻っていった。


 そんなことはできないし,駄目じゃないかな?とも思ったけど,せめて音を小さくしようと手を伸ばした。


 携帯を手に取り音量を下げようとした。だけど,そのときの僕はどうかしていたのかもしれない。


 ”達也…?”聞いたことのない名前があった…


 キーを押した。


 男の声がした。


 静かな部屋って程じゃない。テレビもついていたし,外は車が通る音もする。


 でも…


 なんでだろう。聞きたくない音は,いやでも聞こえてしまう。


 「えっと、達也です。この前は楽しかったですね。今度は映画でも見に行きましょう。それだけ言いたくて…。じゃ,お休みなさい…」


 電話の相手は言いたいことだけ言って切ってしまった。

 

 電話の男も緊張してたのだろうか。スピーカーにしなくとも聞こえるくらい大きな声だった…。


 電話を切った後のツーツーという音が、虚しく響いた。


 後ろで聞いていたのだろう…真美が立っているのがわかった。


 「今の…友達?」


 僕は、振り向くことができず恐る恐る尋ねた。


 「…うっうん。サークルの人…」

 歯切れの悪い返事だった。

 いつもの真美の返しではない気がした。


 「…そっか…」


 時間は止まっていたかもしれない,

 テレビと窓から聞こえる音だけが時間を進めていた。


 その後のことはあまり覚えていない。

 二人の会話はぎこちなかったと思う。食事もせっかくの真美の手料理だったけど、味は覚えていない。 

 僕たちはただ単純作業のように、ただ腹に詰めこんでいった。


 風呂に入り、着替えてテレビを見る。それだけの事が、何時間もかかったように感じたのはこの日が初めてだった。

 普段は面白い筈のテレビも、この時ばかりは、何故だろう、笑う事が出来ない。


時刻も11時を回った。


 「さてと、そろそろ…寝ようかな…」

 僕はそう、呟くと真美が用意してくれた布団に入った。

 

 真美の顔を見る事が出来ない。


 さっきの電話に動揺していた。


 電気が消された。


 布団の横に人が座った気配がした。真美が話しかける。


 「あのね。さっきの電話の事なんだけど…」

 真美の口調が重たい。出来ることなら、聞きたくはなかった…


 「さっきの電話の人…、ホントは…合コンで知り合った人なんだ…一度だけね、食事に行ったんだよね…何にも無かったんだよ、只、食事しただけ…」


 ”本当かどうかはわからないだろう?”

 「…」

 僕の中の黒い部分が,モヤモヤがハッキリと黒い影になりそうだった。

 

 「何で、何も言わないの?」

 「だって…、ただ食事に行っただけだろう、怒る理由なんて…ないよ…」

 「…ねぇ、このままじゃアタシ、浮気しちゃいそうだよ…」

 「…」

 「アタシ…どうしたらいいか、分からないよ。ねぇ、ヤス君…」


 真美の嗚咽だけが、部屋に響いた…


 僕は何も言う事が出来なかった…


 初めて眠れない夜を過ごした…

 

 真っ暗な部屋の中,僕たちは話すこともできず,眠ることもできず,ただそこに居た。




 帰る電車も人が多く,騒がしい。そんな中,真美と交わす言葉は出てこず,お互いに気まずい雰囲気は余計に寂しさで胸が締め付けられる。


 

 「じゃ、そろそろ行くから…」

 僕は殆どマミの顔を見ることができずに電車に乗り込んだ…

 電車の窓からマミの姿が見える、マミも何か言いたげにしている。

 お互いの顔が徐々に離れていく…、そして、二人の距離も…


 窓の外は、霞がかかった景色が流れていく。きっと涙目なのだろう。

 僕の心の中は、時間が止まったままだった…

 真美との思い出が、走馬燈のように流れていっては、消えていった。


 そして…


 昨日の夜、真美からの告白は僕にとって、ショックだったことには違いない。


 だけど、真美が悪いとは思っていない。


 僕は…,僕たちはどこかで互いにかけていたボタンをかけ間違ったのだろう。


 真美にあんなにも、寂しい想いをさせていたなんて…


 景色は次第に、薄暗くなっていく、僕の心のように…


 僕は携帯を取り出した。


 宛先は真美…


 それまでのわだかまりを吐き出すように、気持ちを入力した。


 そして送信のボタンを押す。


 地元に着いた時には、雨が降っていた。

 雨は、僕の体から迷いを消すかのように、重く、そしてただひたすら打ち続けた。


 携帯がなった…


 「なんで…ヤス君…」


 マミの悲愴な声が僕の耳に響いた。


 「体が…体が離れていると、心まで離れて行っちゃうのかな…」


 それから、何分くらい話をしただろう、とても永い時間だったような気がする。

 僕は、別れる事の苦しさを知った。

 何故人を好きになるのがこんなにも辛いのだろう。

 何故、好きな人と別れなくちゃ行けないのだろう。

 あんなにも好きだった真美…

 好きだから、今は離れないといけないのだろうか、

 今の僕には、その答えは見つけることはできない。

 その答えが見つかるまで、僕たちは離れていなくてはいけないのだろう。

 「…だから、今は…さよならしよう…。」


 雨は激しく降り、僕の涙も洗い流してくれた。



  明日から


         彼女のいない

                生活が始まる。


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