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八話 災難

 久野くのたまはいつものように遅刻寸前だった。


 食パンを口に咥え、慌しく玄関へ直行。そんな切羽詰まった状況の中、ふと目に飛び込んできたのは、朝の情報番組によくある『今日の運勢占い』であった。うお座の彼女の運勢は、なんと12位で最下位。『今日は災難だらけ。外出は控えるように』と不吉なテロップが流れた。早朝から気分がブルーである。占いは信じない主義の久野は、自分の運勢にわずかながら不安を覚えつつ、「まさかね」と心の中で呟いた。


「テレビに気ぃ取られとらんで、はよ行かんかいな」


 突然、スクールバックから顔を覗かせ久野に注意するのは、ひょんなことから久野家に居候することになったサイボーグネズミのネズ太。久野が学校にいる間は大体、スクールバックに潜んでいる。


「どんだけ寝坊助やねん! 何度起こしても気ぃつかへんし、ホンマにお前っちゅうやつは……うだうだうだうだ」


 ネズ田の小言を空返事でやり過ごしながら、久野は廊下を駆ける。


 玄関にたどり着くと、姿見でさっと容姿を確認し、靴を履きながら玄関のドアを勢いよく開けた。


「遅刻、遅刻ー!!」


 その瞬間、彼女の視界に飛び込んできたのは、マイペースな転校生の泉妻いずつまたんぽだった。彼女は久野の家を横切るところ、ばっちりと目が合った。


「げっ……」


 泉妻は一瞬動きを止め、まるで巻き戻されるように後ずさると、放心状態の久野に視線を固定する。瞳孔をカッと開いた泉妻は、そのまま駆け寄ってきた。


「たまちゃん、たまちゃん、たまちゃん、たまちゃん!」


 泉妻は嬉しさのあまり、心ここにあらずの久野を勢いよく揺さぶる。久野はその様子に耐えかね、心の奥底にため込んだ言葉を吐き出した。


「なんで家バレするんだよ!」

「遅刻、遅刻」


 まるでタイミングを見計らったように、無鉄砲の体現者、竹林たけばやしさちは久野の家の前を横切った。久野はデジャブのような光景に目を見開く。


「どーしてだよ!」


 久野はその場で膝から崩れ落ちた。



 いつもの三人組は、どうせ授業には間に合わないだろうと悟り、ゆっくりと学校に向かっていた。朝の空は澄んでいるが、久野の心はどこか曇りがちである。ちらりと隣を歩く二人を見る。息を切らしている訳でもなく、焦っている訳でもなく、のんびりと歩いていた。


 久野は微風になびく前髪をかき上げながらぼそっと呟いた。


「二人とも遅刻だなんて珍しいね」

「厳密的には遅刻してない。このままいくと遅刻するってだけ」

「……哲学的な話じゃないよ」


 竹林の天然ボケに久野は軽く溜息をついた。毎度のことながら彼女の言動にはペースを崩される。正論なのになぜか納得できない。そんなモヤモヤが腹の内に居座っている。すると、隣で黙々と歩いていた泉妻が急に喋った。


「今日の運勢占いで一位だったんだよね!」


 久野は反射的に泉妻の方へ向く。彼女はチューリップのつぼみのように嬉し恥ずかしの笑顔で、大げさに手を広げながら、続けざまに言った。


「まさか二人と偶然出会えるなんて、これってやっぱ……運命ってやつ!?」


 泉妻はランランと目を輝かせながら久野の顔を覗き見る。久野はいつものテンションに引き気味になりつつも、つい聞き返してしまった。


「泉妻さんも占い見てたの?」

「あれ、たまちゃんも?」


 二人は不思議そうに顔を見合わせた。同じ番組の占いを視聴し、そのすぐあと玄関で出会ったのだ。久野の頭の中で一つの結論に至った。


 久野は恐る恐る泉妻に尋ねる。


「あのさ、泉妻さん。お宅はどちらに……」


 泉妻は少し間、考えるように口元に手を当てると、明るく答えた。


「うーんとねー。たまちゃん家の隣?」

「なんてこった……」


 久野は再び崩れ落ちた。まさか、自分の家のすぐ隣に住んでいたなんて――。久野の頭には、これから毎日泉妻と登校し、一緒に下校し、なおかつ休日も彼女に振り回される光景が鮮明に浮かぶ。膝から崩れ落ちるのと同時に、平穏な日常も音を立てて崩れ落ちていくのを実感した。


 久野はストレスが極限に達すると、何事にも無反応になる――それは今日も例外ではなかった。二人を置き去りにして歩き出す彼女にさらなる災難が降りかかった。


 突如、強烈な突風が巻き起こり、まるで彼女を狙うかのように、様々なものが空中を飛び始めた。飛んでくるのは黒電話や生きたサワラ、果てにはハリセンまで彼女に襲いかかる。


 しかし、久野は無敵だった。黒電話が顔に直撃しても、一切の外傷はなく、ただカツンという乾いた音が響くだけ。続いて、生魚が勢いよく飛んできて顔に貼りつくが、ぽとりと地面に落ちるだけだった。ハリセンが当たっても何事もなかったかのように彼女は歩みを止めない。その表情はまるで、感情を完全に切り離してしまったかのようだった。


 泉妻は、風に煽られる久野の背中を見つめ、震える声で呟いた。


「た、たまちゃん……」

「……あれは、もう以前の久野先輩じゃない。修羅の道を突き進む、一人の戦士なんだ……」


 竹林は、淡々とした声でそう言い、膝を地面についた。二人とも、何もできないまま、久野が次々と飛んでくる物体に直撃されながら進んでいくのをただ見守るしかなかった。


 久野は裂けた服が風にたなびこうとも、髪がぼさぼさになろうとも、無表情のままただ歩き続ける。まわりの物体が次々彼女に当たるが、そのたびに服が破れるだけで一切反応しなかった。


 やがて学校の門が見えてきた。久野はその門を無言でくぐると、同時に突風はピタリと止んだ。しかし、久野はまるで世紀末からやってきた戦士のような風貌になっていた。制服は所々が破れ、髪は乱れ、しまいには泥で汚れていた。


 そのまま何事もなかったかのように教室に向かい、ドアを開ける。日下部くさかべ先生が教卓の前で教鞭を取っていた。久野の姿が目に入ると、先生は一瞬驚き、彼女をじろりとなめ回すように見る。彼女の荒れ果てた姿に、怒号を浴びせた。


「久野ぉ! 廊下に立っとれ!」


 日下部先生の怒号が響く中、久野は何の反応もみせず、黙って廊下へ向かった。彼女の姿はまるで戦いを終えた敗者のようでありながら、その表情にはどこか精悍さが漂っていた。


 しばらくして廊下にやってきた泉妻と竹林は、壁にもたれて立つ久野を見つけた。彼女の制服は破れ、顔や腕には泥がついているが、表情は相も変わらずである。二人はその姿を見つめながら、何とも言えない沈黙の中、ただその後ろ姿を見守っていた。

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