23──魔術を扱う器官について その3
書斎や、それとは別にあった資料室を読み漁りながら、僕は魔術への理解を深めていった。前のラボでは概要を掴むだけだったが、今回は理解できるまで読み込んだ。勉強なんて受験のときに少しした程度だったから、何度も知恵熱が出た。根を詰めて三日粘ったと思ったら、頭痛と熱っぽさで一日寝込んだり、でもその度に少しずつハックに近づけている気がした。
ここは昼夜がないから、起きれるだけ起きて、気絶するように眠った。
この努力を過去のどこかで発揮できたら、今頃もっと良い人生を送れていただろうか。あるいは逆に、あの頃勉強をもっと頑張っていれば、今頃もっと順調に魔術を習得できていただろうか。ただ頭の中の知識を再生することと、理解して構築することの間に、これほどまでに乖離があったなどと、今更ながら実感した。
「エメリーが似たようなことを言っていた気がするな」
働き先の博物館に在籍していた研究員。研究員と言っても期限付きで半分学生だということを言っていた気がする。僕のことを追いかけて来てくれた人。もっと真面目に付き合っておけばよかったのかもしれない。あのお人好しは、次は誰の世話をしているのだろうか。
考える頭を切らしたときは、昔のことがよぎるようになった。
僕はいつだって過ぎてから悔やむやつなんだなと思う。
未来のためになることなんて出来ていない。
後ろ向きで、過去のために生きてるようなもんだ。
「だけど、しょうがないよなぁ」
ハックに会いたいんだから。
もっと話しておけばよかった。
だから、もっと話せるように。
全然理解できなかった資料もたくさんあったが、大事そうなものだけ抱えて、資料室を後にする。
ずっと後に回していた、残りの扉へと向かう。
廊下の右側に一つだけあった扉。
そこを開けると、小さな小部屋になっており、そのまま小部屋の奥にも扉がある。そして、両側の壁には白衣や帽子があった。
この先にあるものを想像して息を呑む。
奥の扉を開けると、廊下があって、部屋が三つ。
そのうちの一つを開けると、独特な薬品の臭いが溢れてくる。
中にあったものは、大量の肉と、骨と、皮だった。
収められているものが真っ赤でグロテスクであるということと、壁や床が真っ白で清潔であるということが、どこか食い違っていて、脳が混乱する。
背の高い棚の間を進むと、それらの肉が何かという解答が用意されていた。
人だ。
自分と同じくらいの背丈の、人の形をした、そう、マネキンのようなものが置かれている。違うのは、マネキンにかけられているのが服ではなく、未だに脈動しそうな筋肉の塊であるという点だ。いや、よく見れば実際に血液のようなものが動いており、筋肉も小さく痙攣している。
異常であった。
ただ、それがどのような過程を経て作られたのか、誰のものであったのかなど些細な問題でしかない。
理科室の人体模型などと言うが、生の筋肉模型などあっていいはずがない。
となると、ここにあるサンプルは全て実際に人間から採取されたものに違いない。
嫌な感触が胸から、さらに広がり、胃や喉を刺激する。
どうしてこんなことをするのか。
なぜ。
その回答は他の部屋であっけなく見つかった。
「神様のインタフェースに到達するため」
魔術とは、人が行使するものだから、人の何が魔術を発動しているのか、調べなければならない。
だから?
ならば人間を切り刻んで、部位だけにして生かすなんてことも許されるのだろうか。それじゃまるで、アイロンをゾンビにしたあいつのような。
「人を切り刻むことは、どうすれば肯定されるのか」
そんなものが正しいことのはずがない。
人を生かすためなら?
この量のサンプルを集められるだけの怪我人がいたのか?
ありえない。
ありえたとしても、こんな風に使って良いはずがない。
こんな風に人間の一部を。
本当に?
「お前だって人間を沢山殺しただろう?」
瓶詰めの眼球が語りかけてきた気がした。
自分の身を守るために、オペラの家族を助けるために、僕だって沢山の人を殺しました。ゾンビだろうが操り人形だろうが、人だったものを沢山斬りました燃やしました。
彼らは人でしたか?
襲いかかってこようが、悪人だろうが人ではありました。
ここにある筋繊維は、本当に人間なんだろうか。
人殺しに、死体を弄ぶことを諌めていい理由なんてあるだろうか。
罪の重さはどれほど違うか。
死体を焼くことと。
薬漬けにして魔術も使って、知るために保存することがどれほど違うと言えるのだろうか。
これらの肉体に意思などないのでは?
これらのおかげで、僕達は今、魔術の恩恵を受けられているのでは?
倉庫はかなり広く、さらに奥まで続いている。
骨を魔術的な方法で動かして、人の歩きを再現したり。
指をそのまま生かし続けて、ひとりでに曲げて伸ばして、まるでイモムシみたいに動くようにしていたり。
リッチー氏の研究ノートには、内臓を生かしてうまく使う方法が難しいと書いていた。だからか、内臓は瓶詰めになっているものが三セットほどあるだけだった。
「■■ ●● ●」
誰かの声がした。
誰かが魔術の呪文を繰り返し唱えていた。
声の方へ近寄ってみると、穴の空いた組織が一定のパターンで動いていた。
「■ ● ●」
おそらく喉の中身なのだろうと思う。よく見ると人の口も再現しているのか、中で舌のようなものが動いているのも見える。頭ではなく口のようなもので、唇も目も鼻もない。
「●●■」
それが、次々と呪文を唱えている。
しかし、そのどれもが発動していない。
人間のごく一部を再現しても魔術は発動しないのか。それは、魔術に必要なものが足りていないのか、人間でないからなのか。ああそうだ、魔術を使うにはコンパイラが必要だ。僕の喉にもある、ただの情報の羅列を呪文に変換するものが必要だ。いくら音だけ真似たって魔術にはならない。
コンパイラってなんだ?
ハックの残してくれた知識の中には見当たらない。レイヤーの話もそうだが、意図的に魔術の根幹に関わるものは残っていないような気がする。元々知らなかったのか、あるいは率先してそのような記憶を魔術として焚べたのか。
呪文の代わりに記憶を消費する魔術。コンパイラなしに魔術を発動するオペラ。そもそも、コンパイラを発明したのは第一のウィザード、リッチー氏だったか。いやどうだったか、ただ、生身の人間が魔術を発動するには、まともな精神構造ではいられないということを、ハックが言っていた。
その世代の魔術師は皆壊れていたのだろうか。
少なくとも、これだけ人間の標本を作り保存するとは、常軌を逸している。
狂わなければ。
ハックはこれを知っていたのだろうか。ハックは最初にリッチーの妻だと名乗った。ラボを見ている限りリッチー氏の狂気以外に、何のパーソナリティも見えない。あの光を漂わせる花を植えた、あの夜景を作った人物と同一なのだろうか。
教祖の声が顔がフラッシュバックする。
人の命を道具のように使役していた、外道の顔が。
命を使ってまで成さなければいけないこと。
扉を開けたときは吐き気を覚えていた、この薬品の臭いも、赤々とした皮の裏側が剥き出しの色彩も、徐々になんとも思わなくなっていく。冷静な頭で棚の隅まで物色する余裕が出てきている。
自分の芯の方へと、それは染み込んできて、生まれ持った常識や信念を溶かし成り代わってしまうのではないか。
第六感が鳴らす警鐘に従ってその部屋を出る。
そのまま、外の空気を吸って落ち着こうと、ラボの外まで出る。
新鮮な水を汲みに行こう。
時間は夕暮れ。
後一時間もすれば夜がやってくる。
その前に、水を浴びて落ち着こう。
周りへの警戒を怠るほど疲れていたのだろう、迂闊にも川の岸には先客がいて、夕飯に使うであろう野菜の泥を落としに来ていた。
村に近づきすぎた。
先客は一人で、黙々と川に向かっている。
同行人はいないようだった。
後ろから近づいてその頭を思いっきり川の中に押し込めば、叫ぶ間もなく──。
自分の口を思いっきり押さえつける。
今の考えは僕が?
ただ通りすがっただけの人を害するような考えが、一体僕のどこから湧いて出たというのだろう。
ハックの村の人たちはコンパイラなしで魔術を使う。ならば、その喉にコンパイラに相当するだけの器官を既に備えているはずで。その仕組を知りたいと思うのは魔術師として当然の興味かもしれない。
そんなはずはない。それを実行してしまったら、やつと同じだ。
僕は違う。
僕は誰も傷つけたくない。
嫌なんだ。
ああただハックに戻ってきてもらいたいだけなのに。
他の場所へ。
これ以上自分が揺らいでしまう前に、他の方法を探さないといけない。
行かなくっちゃ。人のいる場所から離れなくちゃ。




