18──再会、そして その2
昨日の夜の記憶がない。久しぶりに美味い飯と酒をばかみたいに腹に詰めて、清潔なベッドで泥のように眠ったのは覚えている。
あれから、トークンの光が指し示す方向に愚直に進んで、とある街にたどり着いた。この街にも孤児院はあるみたいだけど、どうやらそこは目的地ではないみたいで、目的地にはもう少しかかりそうだった。まぁ、この国の外ってことはないだろうと、もう少しで着くだろうと、心の中で繰り返す。
何を寝ぼけていたのか、部屋のテーブルの上にペンとノートが出しっぱなしになっていたのを、中身も見ずにカバンに詰める。今の時間はお昼過ぎくらいだろうか、のんびりしているとじきに日が暮れてしまう。僕には、こんなにゆっくりしている暇などないというのに。
ポケットからトークンを取り出して、光の筋が昨日と同じ方向を指し示しているのを確認して、外にでかける。
久しぶりにまともな街に来たから、色々と買いだめないといけないものがいっぱいある。幸い予算は潤沢にあったから、持てるだけ買おう。
宿屋の主人に近くにある雑貨屋やら何やらの場所を聞いて、近い所から順に回っていく。
通りにはちらほらと通行人がいて、何事もなく生活を送っているようだった。そん中で僕が、僕だけがきっと、どす黒い死の臭いをこびりつかせている。たまに見かける傷跡のある冒険者や傭兵だって、こんなに暗いオーラはまとっていない。
何の変哲もない街の中で、僕だけがどっかズレている。
僕は最小限のやり取りで順番に買い物リストを消化していく。
何を買うかなんて悩まない。必要なものを必要なだけ、たまの贅沢なんて許されるはずはない。必然、選択肢も絞られた。
店に入ると他にもものを物色したり店主と話したりしてる人がいるけれど、どうにか怪しまれずに買い物ができていると思う。そもそも、ありもしない後ろめたさを感じているのは僕だけか。僕とこの人たちには何の関係もない。僕がこれまで何人の人を手に掛けていようが、この人たちはそれを知るよしもないのだ。
そう、思ってはいるものの、それでも目と目があったら全部バレてしまうんじゃないかと心配で、周りの目線を避けるような振りをした。
そんななあからさまに後ろめたいことがある風に振る舞ったら、逆に怪しまれるぞ。
そう言われても……堂々とできるわけがない。そもそもの所、昔の時点でさえ堂々と街を歩くタイプの人間じゃなかったんだ。ずっと、ずっと、心の本当のところをどこか別の場所に置いているような風に生きてきた。
だから、当面僕の居場所は神様とやらを倒すということだけなんだ。
それと、わしの隣もお主の居場所じゃな。
肉屋で干し肉を買うのも、パン屋で乾パンを買うのも、刃物鍛冶でナイフと刀を研いでもらうのもクリアしていく。ただ、鍛冶屋でこっちを見抜くような目で見られたときは、心臓がうるさく鳴ったけど、刀を見て一言、
「いい刀だな」
と言われた。さらに、手入れが終わって返されるときには、
「少し突きを多用しすぎだな。少し頻度を減らすか、もっと力を抜いて、刃の通るところを突いた方がいい」
とも言われた。極力感情を削ぎ落とした、業務的な口調だった。いや、感情は籠もっていたけど、それらは全部刀に向いていた。
もしかした僕が斬ってきたもの何なのかも全部分かってたのかもしれないけど、そこは職人のポリシーなのか、何も聞いてくることはなく、一時間くらいで手早く手入れをしてもらった。その気遣いをたまらなく嬉しく感じた。
そしたら残る用事は、旅人向けの雑貨屋で細かな消耗品を仕入れることだけだ。ここまで来ると、最初は酷く曲がっていた猫背が多少マシな角度になっている。呼吸もしやすくなって首にも優しい。
ここでも必要なものを適当に見繕っていく。
あとはお会計を終えれば今日は終了だ。
無事終了だったはずなんだ。
ああこんなところで、あいつに会うなんて。
僕の脳に声が届くよりも早く。熱い殺気が首にかかる。
「キャニーじゃない」
とっさに受け身をとるが、攻撃は飛んでこない。さすがに店の中でおっぱじめないか。いや、油断はできない、初めて会ったときは店員相手に魔術で脅していた。
「はぁ、何もしないわよ。恥ずかしいから、普通にしなさい」
「どの口がっ」
「うるさいわね。さっさとお会計をしなさい。外で話すわよ」
完全に警戒している状態のこいつから逃げ切れる未来を想像できず、言われた通りに着いていく。手荒な手段を使えるなら逃げられるのだろうが、街中でやるのはまずい。
人気のないカフェか何かに連れて行かれるのかと思いきや、付いて行った先は、不良がカツアゲに使うような路地裏の行き止まりだった。コランにその手の思いやりを求めるのは間違いだったと、付いて来たのを後悔する。返答を間違えたら、きっと僕はここで半殺しにされてしまう。
「言いたいことは分かるわね」
「なんだよ」
よく考えたら、こいつからこんな殺気を向けられるいわれがない。僕がオペラと分かれたことも、僕が孤児院長を殺し回ったことも、こいつは知らないはずなんだ。だとすると、傍らにオペラを連れてない時点で、何か気づかれたか。そんなことは関係なしに、いらついたから絡んできているという可能性も消しきれない。僕はコランが呼吸を整える一瞬の間にあらゆる可能性を考慮する。
コランの次の一言は、どこまでも直球だった。
「歯を食いしばりなさい」
すぐに踏み込み。
昔の僕ならいざ知らず、幾度にも渡る殺し合いを経て、僕の対応力は上がっている。
後ろにステップを踏みながら、ギリギリのところで首を横に曲げて、迫りくる拳を回避する。地形のことまでは考慮できてなくて、壁に背をぶつけつつも、回避には成功。
僕はちょうど、壁ドンされたような感じになる。酷く暴力的な壁ドン。
「ふん。この拳はオペラちゃんにとっておいてあげるわ」
「何だって」
壁ドンの姿勢を崩さずに続ける。
「だから、あんたをぶっ飛ばすのはオペラちゃんの仕事ってことよ」
「なんでオペラが出てくる?」
いつも僕は余計なことを言う。さっさと話を切り上げて、別れればよかったんだ。第一、コランがオペラのことを知っていたからといって、今の僕に関係あるのか。ないだろ。僕はオペラを置いてった。それ以上のことはないはずだ。
「本気で言ってんの? オペラちゃんが今どこにいるのかも知らないようね」
「それがどうしたんだよ。お前には関係ないだろ」
「関係あるわよ。私はオペラちゃんと親友なのよ」
「じゃあ、僕には関係ないな。僕とオペラはもう別れたんだ。だから、もう何も関係ないんだ」
「そう思ってるのはあんただけでしょ。勝手に逃げたくせに、何を言ってるのよ。オペラちゃんはね、あんたを探してここに来てるわよ」
「は?」
なんでだよ。なんでそうなる。オペラはエメリーに預けたつもりだ。何も言ってないけれど、エメリーならオペラを放置しないだろうし、エメリーもずっと博物館から離れることはできないだろうから、オペラを連れてボルタの街に戻るはずだ。
だから、こんな場所に来るはずはないんだよ。いないはずなんだよ。それになんだ。僕を探してるって言ったのか。
「黙ってないでなんとか言ったらどうなの。このクズキャニー。もしかして何も聞こえてないのかしら。もう一回言うわよ。オペラちゃんはね、あんたを! 探して! ここに来てるわよ!」
「ど、どうしてだよ。う、嘘だろ」
「私はそんなくだらない嘘は付かないわ、後でオペラちゃんを連れて来てあげる」
「ふ、ふざけるな。僕が何のために、オペラを置いていったと思ってるんだよ」
「知らないわよ。そんなの。何も言わずに、勝手にどっか行って。オペラちゃんの気持ちを考えたことあるの?」
「うるさい。お前か。お前がオペラをそそのかしたのか」
「ふん。決断したのはオペラちゃんよ。あの子は強いわ。ヘタレのあんたよりも。冒険者になって、自分の食い扶持を稼ぎながら、あんたを探してここに来た」
「オペラを危険に晒したのか!」
「危険って何よ。ふざけんじゃないわよ。誰のせいでこんな手間かけてると思ってるの」
「こ、このっ……」
僕が殴るよりも早く腹に重いのが入る。
「ふん。本当に攻撃するときはね。言うよりも先にまず繰り出すのよ」
相変わらず無茶苦茶なやつだ。大体、殴るのはオペラにとっておくんじゃなかったのかよ。ああくそ。酸っぱいものが喉まで上ってくる。信じられない。本気でやりやがった。
「言葉も出ないようね。さぁ、もうしばらくここでジッとしてなさい。すぐにオペラちゃんを連れてくるわ。そしたら今度は、オペラちゃんに可愛がってもらいなさいよ。いい、逃げようたって無駄よ」
つむじ風を残して、コランは走り去る。
はぁはぁ。早くここを離れないと。幸い僕の泊まってる宿まではバレていないはず。いや、それも分からない、あいつならすぐに探し当てそうだ。何を手がかりにしたのか分からないが、ここまで僕を探し当てている。
動け、動け。早く行かないと。
ハック、すまないけど体を動かしてもらえるか。痛みは僕に残したままでいい。
しょうがないやつじゃの。
助かるよ。
日が落ちてきて、すっかり暗く影になった路地裏から、這々の体で脱出する。
宿に戻ると、今度こそオペラが僕のことを追ってこないように、何か手を考える。
前回は何も言わずに出たことで、逆に振り切ることができなかった。今度は、明確に置き手紙でもして、追ってこないように言おう。オペラも、コラン越しならともかく僕が直接書いた手紙を読めば諦めるだろう。
そしてそれを宿の店主に言って、オペラと名乗る少女が来たら渡してくれるように頼もう。コランならきっとここまで辿り着くはずだ。
手紙には明確にオペラを突き放す内容と、僕がやってきた悪行の数々をしたためた。
おまけに、目的地を誤魔化して元の村の方向に戻るように仕向ける。オペラの村の人たちを解放したら、自然と元の村の場所に戻るはずだから、そこで合流できるだろう。もし村の人が無事だったら、感動的な再会になるはずだ。
最終的なところ、悩みに悩んで五回くらい紙をダメにした上で、最高の手紙が完成した。
それじゃあ今度こそさようなら。これで僕のことを嫌いになって、僕とは関係ない人生を歩んで欲しい。それからできれば、冒険者なんて危険な仕事はやめて欲しいし、コランとも縁を切って欲しい。もっと、安全で安定した仕事をして普通の幸せを掴んで欲しい。君はまだ幼いんだから。いくらでも良い人生を歩めるはずだ。
僕は最後に署名をしてペンを置く。
久しぶりに文字を書いたからか、すごく文字が汚いし、インクも滲んでいる。
もしかしたら読めないかもしれないな。
けどもう書き直す時間もないや。
だからこれで終わりなんだ。
旅立つ準備はもうできている。
またしても夜間の出発になってしまうことが苦しいけれど、まぁ些細なことだ。
僕は未練がましく手紙を読み直して、折りたたみ、便箋に入れて、部屋を出る。
「おい、兄ちゃん本当に出発すんのか?」
宿の店主がそんなことを言う。
「ええ、ちょっと事情があって、夜間行軍は慣れてますから」
「そうかい。死ぬんじゃねぇぞ」
「何か、あるんですか? 盗賊とか猛獣とか」
「いやぁ、普通に街道に沿っていけば、安全だよ。最近は物騒な噂も聞かないからな。そんあことじゃあねぇよ。兄ちゃん。死にたそうな顔してるからよぉ」
「そうですかね」
「この手紙、遺書ってわけじゃねぇだろうな。俺と兄ちゃんの関係は宿屋の主人と客の関係でしかねぇけどよぉ。それでも死なれたら寝覚めが悪いじゃねぇか。宿屋ってのはよぉ、仮の家でしかねぇし、ほとんどの客は一回しか泊まらねぇけどよ、それでも生きてりゃ、いつかまた会えるってもんだ。旅人の一期一会は尊いけどよ、二回目会うのはもっと尊いんだ。だからよ。また来てくれよ」
「……はい。ありがとうございます」
僕はまた夜の道を行く。
追われるように。
逃げるように。
そして何より、立ち向かうように。
夜の森の入口は不気味な化け物の口のようだった。
活動報告に、今後の投稿予定と C105 の告知あります。
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