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特務部隊の隊員は、三人か四人の分隊に配属され、それぞれの分隊ごとで任務を受けて活動する。分隊棟は各分隊の拠点となる部屋を集めた建物だ。
一階の廊下をハルと歩いていた。木の床と白い壁に沿って、シンプルな焦茶の扉が並んでいる。
「ねえ。地面に張ってたあの氷って、ハルの異能なんだよね」
隣にいるハルは、今日最初に会った時みたいに落ち着いた様子だった。汗をかいたはずだけど、やっぱりいい匂いがする。
「ええ、そうよ。氷と炎と雷が、私の異能」
「やっぱりそうなんだ……すごいなあ」
そんな覚醒能力は聞いたこともない。
操作系の覚醒能力は扱いやすくて汎用性が高いけど、その操作対象が三つもあったらもはや死角なしと言ってもいいんじゃないかな。
そしてなにより、そんな強力な覚醒能力を持ちながら、驕った様子を全く見せないハルの人格がすごい。
「強力な異能なのは認めるけど、別にすごくなんかないわよ」
ハルは表情を変えずに言う。
「覚醒能力は使い手次第だって、あなたも知ってるでしょ?」
「うん、知ってる」
使い手という言葉で表しているのは、練度とか精度とか想起速度とか、そういう技術面のことだろう。いくら切れ味のいい業物を持っていても、使えなければ意味がない。覚醒者にとっては常識なのだろうけど、そんな簡単そうな常識を受け入れられず、無意識に目を背けている人も少なくないみたいだ。
確かに、さっきは異能を補助的にしか使っていない感じだったから、彼女の異能はまだリミットが厳しいようだ。
「でも、ハルの練度は高いでしょ」
私がそう言うと、ハルは驚いてこっちを見た。無覚醒の私にそんなことまでわかるのは意外だったらしい。でもすぐに腑に落ちたようだ。
そんなこともわからないようじゃここには来られないってことか。
覚醒能力の練度は、浪洩現象の光を見ればだいたいわかる。熟練するほどエネルギーの変換効率が上がり、光は小さくなっていく。
「ハルの浪洩光、他に集中してると気付けないくらい小さかったもん」
「そう……ね」
その顔と声から、彼女の感情を読み取ることはできなかった。ただ確定している事実だけを考慮して肯定したかのようだった。
私はそれ以上は何も言わないようにした。覚醒者にしかわからないことがいろいろあるんだろうなと思ったから。
練度が上がればリミットは解放されていくはずだから、彼女は練度とリミットが見合ってないわけだけど、その理由は私にはわからない。
強力な覚醒能力は往々にしてリミットを解放しづらいものらしいけど、彼女の場合はそれだけじゃない気がする。
沈黙が流れたまま階段を登り、二階の廊下を行く。
「ねえ、ユリア」
ハルが口を開いたけど、その言葉は途切れる。私は彼女の方を向いて続きを待った。
「覚醒者と戦うこと、怖くないの?」
「怖くないよ」
私にとっては慣れた質問だったけど、ハルにとっては予想外の即答だったみたいだ。
少しして、彼女は微かに笑った。
「そうなのね」
詳しく聞かれると思っていたけど、意外にも話はそこで終了した。確認事項みたいなものだったようだ。
「あった、ここだよ」
212号室は、廊下の一番奥にあった。扉を開けて中に入る。
「まだ誰も来てないようね」
「みたいだね。やっぱり覚醒者同士の試合の方が長引くのかな」
言いながら、軽く見回す。内装は地味。廊下と変わらず白い壁に木の床だ。奥の壁に黒板があって、真ん中には安っぽいテーブルと四つのパイプ椅子が置かれている。広さは寮の部屋とそう変わらない。
私たちは適当に向かい合った位置でパイプ椅子を引いて、武器をベルトから外してその下にしまい、腰掛けた。
「なんだか研究室って感じね、この部屋」
「うーん確かに」
空き部屋と言われたからもっと殺風景なのかと思っていたけど、本棚がいくつもあるからか、意外とそんな感じはしない。幼い頃に行った、初めての図書館を思い出した。流石にここよりは大きいけど。
(妙に充実した本棚だ)
「ん? あー」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。私は立ち上がって、近くの本棚の前に立った。『異能と魔術は相いれぬか』、『リミット解放から考える変換回路説』などのタイトルを付けられた書籍たち。言うまでもなく私のカバー範囲外だけど、かなり専門的な書籍なのはわかる。
下の方の段には紐でまとめられた『覚醒能力指導記録』という表紙の書類が、番号振りをされていくつも山積みになっている。前の部屋主が残したものなのかな。
「どうしたの?」
ハルが不審そうに問う。
「んーん、」
パラパラと中を見ても訳がわからなかったので、とりあえず席に戻った。
「割と本当に研究室じみた本棚だなって思っただけだよ」
「ああ、確かにそうね。見た感じだと結構難解なのもあるし。正直、理解できる自信ないわ」
本人は気づいてないだろうけど、詳しそうな雰囲気が言葉から滲み出ている。
「覚醒者って、結構勉強するものなの?」
「さあ、どうでしょうね。私は小さい頃からほとんど無理やり勉強させられたけど、ウチはかなり特殊だと思うし……」
「特殊?」
聞き返すと、ハルは一瞬だけ間を空けて「そうよ」と言った。
なるほど、裕福な家系ってことか。覚醒能力は素質も遺伝しやすいらしいし、強力な覚醒者を産み出し続けて出世する家系もあるようだ。ある程度地位を高めてしまえば、民衆による差別からも自然と解放されていくらしい。不思議な話だ。
でも裕福な家庭で彼女のような人格が育ったとなると、良い思いだけしているというイメージは不適切なのかもしれない。階級制度は無くなった世の中だけど、話しただけで「あーボンボンってやつか」と思ってしまう人は陸上部隊のときにもいた。彼女がよほど奇跡じみた人格の持ち主か、教育が完璧でない限りは……って、あんまり勝手に分析するのも失礼か。
すると、穏やかな音を立てて扉が開いた。
「おお」
「お?」
「ん、お疲れ様」
入り口から顔を覗かせていたのは、見覚えのある男の子。イロハ・メローニだった。
彼は私の隣に座るとすぐに、だらんと力の抜けた様子で言った。他の対戦者はまだ来ていない。
「おれ一勝しかできなかった‥‥」
「あー、悔しいね」
つまり一勝四敗だ。
「でもあなた新人でしょ。一勝できただけでもすごいんじゃない?」
ハルがフォローを入れる。実際そうだ。一等兵も混じってたわけだし。
ハルとイロハは既に仲良くなったみたいだ。この二人なら相性がいいのも頷ける。
一戦を交えて相手に感銘を受けたりすると、距離はぐっと縮まるのかも知れない。
「じゃあ二人はどうだったんだよ」
「三勝二敗ね」
「私は、四勝一敗かな」
「すごすぎないか?」
イロハがテーブルを見つめたままピシリと固まる。ハルも私を見て少し驚いていた。
「あなた、私以外に負けてないの?」
「うん、そうだよ。私無覚醒だから、油断してくれた」
「そうだったのね……」
彼女はどこか呆れたように頷く。
すると、ガチャリとしっかり音がしてまた扉が開く。
私を含め、三人が一斉に入り口に注目した。
入ってきたのは一人の男性だった。
「お疲れ」
少し気の抜けた声。細身ながら発達した筋肉。紺色の髪。
他の対戦相手が入ってくるとばかり思っていた私たちは、彼を認識するのに一瞬遅れた。
ずっと出入り口にいた上官だ。私たちは一斉に立ち上がって敬礼をする。
「よし、全員揃っているね」
全員? 私たちは顔を見合わせた。
イロハが弱々しく挙手する。
「あの、あと三人いたはずでは……」
上官は一瞬だけ訳がわからないという風な顔をした後、ニヤリと笑った。
「ああ、タネ明かしがまだだったね。あとの三人は既に分隊に所属しているんだ」
「え」
「ん?」
「なるほど……分隊のメンバーは最初から決まっていたのですね」
ハルが呆れたような感じで補足を返す。
つまり私たちは騙されていたってこと?
「そう。昇格試験も嘘。あとの三人は他の分隊長が差し向けてきた隊員だ。なかなかの手練れもいたけど、君たちいい戦いぶりだったよ」
やられた。この人、ただの見守り役じゃなかったのか。あの模擬戦自体が、分隊員の戦い方を見るためのものだったわけだ。
……ということはこの人が
「じゃ、改めて。俺はレン・シマザキ。君たちの分隊長をやらせてもらう。よろしく」
「「「よろしくお願いします」」」
空き部屋というのも嘘ってことだから、ここの本棚の主はシマザキ隊長だったのか。
彼の肩章は、准等特務士官の階級を示している。えっと……五つ上だ。