29 勝負で赤っ恥をかかせてお願いで排除。
二桁の数字の単純計算問題。
まぁ、でも。私の年齢を考えれば、二桁で掛け算問題は、わりと難易度高め。
それなのに、私に遅れを取る算数担当の教師は、微動だに出来ない。
「まだ続けます? ハリー夫人。同じエリート学校の卒業生の教育者の前で、恥の上塗りを続けるだなんて、とても図太い神経をお持ちなんですね」
なんて。笑顔で、毒を吐き捨てる。
青くなったり赤くなったりなハリー夫人。
同じ輝かしい実績を持つ家庭教師仲間の前でも、能力を疑われそうなレベルで敗北されていることに、どう思われているか気にした素振りだったけれど、一番は微笑んで恥をかかせる私への怒りが強いらしい。
醜く歪んだ顔で、睨みつけてくる。
家庭教師仲間は、見てはいけないものと判断したようで、視線をよそに向けていた。
「だから、”辞退すれば軽傷で済んだのに”。まぁ、これで、夫人の能力に疑心が生まれたわけですね」
家庭教師として、傷を受けることが、大きくなったのは、彼女自身が選んだこと。
遠慮なく、私は家庭教師としての能力を、他者の前で踏み潰させてもらった。
「エドーズお兄様」
「えっ? 何?」
叔母様と一緒に並んで、椅子に座っていた従兄に声をかける。
「今、”お願い一つ”を聞いてほしいの」
「あ、ああ、うん。何かな?」
「前ハリー男爵夫人を、家庭教師解雇して」
「えっ」「!!」
このタイミングで、お願い。
内容が、ハリー夫人の解雇。
元々、念のために、このハリー夫人をどうこうする手札として持っておいた”お願い一つ”だ。
「り、理不尽な! そんな願いが、まかり通ると!? だ、大体! その”お願い一つ”は、ご令嬢が自ら得た賞品ではないのに、無理な要求をするだなんて! ワガママにもほどがあります! ご自分の言動を恥じるべきです!」
「やかましい老害」
直球な毒吐き。独り言のようにぼやく。
しっかり聞こえる声量だったので、ハリー夫人を含めて、一同が目を丸くした。
「”お願い一つ”を、ここで使う正当な理由はあります。ハリー夫人は、先程、ソードンさんの剣術を学ぶことを無駄なことだと貶したからです。ソードンさんの勝利で得た”お願い一つ”を、侮辱したあなたの解雇に行使するのは、まかり通ると思いませんか?」
「!」
自分の名前がまさか出るとは思わなかった部屋の隅に待機中の護衛ソードンさんも、ビックリな反応。
「先程、ちゃんと優しく言ったではないですか。”あの場で家庭教師を辞退すれば、侮辱は不問にする”と。それを拒否したのは、他でもないあなたですよ。わかりやすく、言い換えましょう。エドーズお兄様に要求する一つのお願いは、こうです。
”侮辱をするような人が、エドーズお兄様のそばにいて、教育をするなんて、とてもじゃないが嫌なので、お願いだから解雇してほしい”――とね」
「……ッ!!」
改めて、エドーズに向かって、柔らかない微笑みで、お願いを向けたあと。
青々に青ざめたハリー夫人に向かって、スッと目を細めて笑って見せる。
家庭教師の辞退。それさえ呑めば、ソードンさん達の侮辱を不問にしてやろうと思ったけれど、そのチャンスをフイにした。
「まぁ、今すぐにエドーズお兄様が、解雇する権限はないでしょう。本来の雇い主は、伯爵様。でも、私がお願いしたことは忘れないでほしいな。エドーズお兄様」
「あ、うん。そうだね……うん」
”お願い一つ”を呑んでもらう約束ではあるけれど、”些細なお願い”が条件だ。
あくまで、”お願いをする”という姿勢に留めておく。
それを叶えてくれるかどうかは、エドーズの両親にかかっている。
困ったように、エドーズは考える素振りをしたあと、自分の母親と顔を合わせた。今のところ、相談すべき相手は、彼女。
戸惑い困り果てている叔母は、詳しい話を聞こうとするだろう。
ハリー夫人には、これ以上ない不利な事情聴取が始まる。
「あら? まだ帰らないのですか? 本当に図太くいらっしゃる。私なら、一先ず、一旦家に帰りますけれどね。侮辱の罪でここまで追い込まれているのに、この屋敷に留まることが出来るなんて……不屈の精神なんですか?」
かっこわらい。
要約するに、出てけ早く帰れ、である。
ここまでされておいて居座るとは、頭おかしいわ。
真っ赤な顔が最早ドス黒いハリー夫人は、涙目でプルプルと震えながらも、椅子から立ち上がった。
「も、申し訳ございません、アシュリー様……わ、わた、わたくしは……わたくしはッ」
「え、えっと、そうね。…………見送るわ」
アシュリー叔母様の前まで行き、頭を下げる。
叔母様も叔母様も、迷いに迷っては迂闊なことが言えず、もうこれ以上この屋敷にいることだけは無理だと判断して、送り出すことを決めたようだ。
物言いたげな叔母を、机についたまま、笑顔で見送る。
「……ベラお嬢様」
シン、と静まり返った勉強部屋。
いち早くに動いたのは、ソードンさんで、私の横に立つと、腰を折って深く頭を下げた。
「今までの無礼を、どうかお許しくださいッ!!」
「え? 何? 私、そんな怖かったですか?」
「(こえぇーよッ!!!)」
青ざめた顔で、全力謝罪。
今までの無礼って、言葉遣いや失礼な発言かな。別に咎める気ないのに、謝らなくとも……。
それほどまでに、怖かったのか。
「あの……ベラ。一体、どういうことだい?」
同じく残っていた父が、尋ねてきた。
少しだけ悩んだけれど、話すことにする。
「私や領民を侮辱したの。見下して貶して、挙句、自分なら私をよりよい道へと導けると言いたげな傲慢な態度を見せたので、エドーズお兄様の家庭教師を続けてほしくなくて、勝負を申し込み、そして赤恥の敗北を味合わせて辞退に追い込んだ」
ただそれだけである。
「それならそうと、お母様に相談すれば」
「私はあの前男爵夫人の貴族としての影響力を知らないから、迂闊に叔母様と対立させるのはよくないかと思って。……これを言うのは、躊躇うから、話すかどうかは判断を任せるけど……」
こんな勝負をしなくても、叔母に直接話せばよかったとエドーズが言うから、そうしなかった理由も話す。
前男爵夫人の社交界の影響力が未知数なので、叔母に影響があまりないようにしたかった。
「侮辱が止まらないあの人の言葉や考えの押しつけがましさが老害だと言ってやれば、私が育った環境に問題があったのだと喚いたの。”母が亡くなって、この領地にいるせいで”、みたいなことをね。私の母の死に関してまで、侮辱する材料に使ったのよ。アシュリー叔母様が知れば、正面衝突でしょ」
部屋の中の空気が、ピリッと張り詰める。
エドーズも父も、顔を歪ませた。
母親の喪が明けてもいない幼い子どもに向かって、本当に愚かな人だよね。
「二週間の滞在中は、我慢してあげてもよかったけれど、まぁ、それは撤回。これ以上は、我が家にいてほしくなかったから。問題を起こして、ごめんなさい」
エドーズにも、父にも、そして家庭教師二人にも、謝罪を伝えておく。
「いやいや! 自分達に謝罪なんてそんな!」
「そうです! ご令嬢!」
と、家庭教師二人は、タジタジ。
「僕の方が謝るべきだよねっ」
「すまないね、ベラ。ベラに対処させてしまって。ごめん」
子どもに、悪い大人の対処させてしまったことによる不甲斐ない謝罪。
私の頭を撫でた父は、正式に解雇要求をすると、叔母を追いかけた。
「ちなみに、ベラお嬢様。前ハリー男爵夫人を敵に回しても、社交界で悪い影響の心配はしなくても大丈夫だと思われますよ」
「そうですか? 王都にはまだ一度しか行っていないですから、社交界に疎すぎて……」
空気を少しでも良くしたかったのか、ダヒさんが控えめに笑って教えてくれる。
「ご心配なく。我々も、少しからず影響力を持ちます。いざという時は、お任せください」
超エリート学校に入学したい貴族の子を教えてきたからか、マランさん達は庇えるとのこと。
マイナス要素は、大きすぎないとのことだ。
マランさん達は、エドーズに許可を求めるような視線を送ってから、私に安心させるために笑いかけてくれた。
私も「わかりました」と、にこりと笑みで応える。
「しかし、やはり、聡明。思慮深いですな」
ダヒさんは、顎をさすった。
「思慮深い?」と、エドーズは意味を尋ねて、首を傾げる。
「ドルドミル伯爵家への影響も考えての言動。社交界が疎いと自覚なさっていても、だからこそ、社交界での問題を気になさって、ドルドミル伯爵夫人と衝突を避けられたのです。常日頃、エドーズ様が聡明だと褒めちぎる理由がよくわかりました」
マランさんが、へらりと笑う。
常日頃……?
ポッと頬を赤らめるエドーズ。
普段から常日頃、私の話しをしていることを、マランさんが天然にも暴露してしまった。
……スルーしとこ。
それにしても。
家庭教師仲間が、幼い子どもにボロ負かされたのに……それを思慮深いと、言ってもいいことなのか……?
……うん。スルーしとこ。
この二人とは、仲良くしていけそうだから、いっか。
「もしかしたら、”かの男爵”の偉業を超すことも容易いかもしれませんな」
「”かの男爵”?」
「はい。エリート学校と名高い学校で、飛び級をなさった男爵がいらっしゃるのですよ」
「男爵? 現在、男爵という意味でしょうか?」
「いいえ。在学中から、男爵の身分の方です。ジュード男爵、18歳。両親を不慮の事故で亡くしたのは……8年前ですね。ちょうど、エドーズ様と同じ歳の頃。その時点で、爵位を継がれた秀才です」
超エリート学校を飛び級した若き男爵。
飛び級制度あるんだ……。王国でも高レベルで飛び級するとは、相当な頭の良さの持ち主。
というか、普通の子どもが、両親を亡くした直後にも、そんな高レベルな学校に入学が出来てしまうとは……。
「どんな方なのですか?」
「ジュード男爵は、物腰柔らかい優しい好青年という印象を受けました」
「私もですね。各方面から、彼の教えを乞う者が多いそうで、声が数多かかったと噂で聞きました。しかし、彼は自分には教える才能はないと、やんわりと断り続けたとか」
「他の仕事で忙しいのではなく、教育の才能がないことを理由に断りを入れたということですか?」
両親を事故で亡くしたという闇を抱えているようには思えない好青年なのか。
教師を断ったのは、仕事があるからではない、という口ぶり。
「言い方は悪いですが、遊んで暮らせる財産はあるそうです。ご両親が亡くなる少し前に領地を売り渡したそうですし、投資などをしているとは話に聞きましたね」と、ダヒさん。
神童だな。
でも、なんだか、仕事としては特記したものをやっていないらしい。
領地経営をする必要もなく、遊んで暮らせるお金も所有している若き男爵。
悪い印象は抱かれていないのに、それが妙に気になる。
「その事故死って?」
先代男爵夫妻の死因は、何か。
「王都の屋敷の灯りの魔法道具の爆発事故です。各地でも、同様の事故による火事が多発していましたが、王都で一番の大事件でした。当時は、とても騒然としておりましたね。奇跡的に、ご子息のみが生き残りましたので」
「……へぇ」
魔法道具の爆発事故、か。
それは、確か……この領地でも、父の親戚が火事でまとめて死んだ事故と似たようなことだろう。でも考えるところは、そこじゃない。
私はかろうじて、相槌をした。
奇跡的な生還と言うなら、それほど酷い事故だったのだろう。
領地を売ったあとに、両親は亡くなり、爵位と多額の財産が遺った。
そんな悲劇的な事故のあと、生還者は、高レベルの学園を飛び級出来てしまうほどの頭脳の持ち主。
……殺したのでは?
なんて。若き秀才が、両親を殺したんじゃないかって思ったり。
当時10歳の少年が、屋敷を爆破して両親を事故死に見せかけて殺した。
そう思うのは、領地売却のあとの事故が都合がよすぎるし、頭脳明晰だと経歴でも証明されているから、疑ってしまうのか。
…………まぁ、でも、関係ないな。
両親を殺した狂った神童だとしても、そうでなくても。
関わりそうにないな。
そもそも、すでに事故で処理済みの事件だろう。殺人だという証拠なんて、もうない。
私が暴く理由もないのだ。疑惑だけで、確証はない。だから。
まぁ、頭のよすぎる親殺し疑惑の若き男爵がいるってことだけ、覚えておこ。
若き男爵は、伏線。
次回から、三人称視点、続きます。
コンテスト、落ちました(´ω`)どんまいっ!
2023/11/24




