28 我慢を撤回して見下す愚かな無礼者に屈辱の追い込みを。
前ハリー男爵夫人は、オロッと目を泳がせた。
「猫を飼っていたとは、初耳でしたわ」
なんて、誤魔化してくる。
「賢い子達なのです。番犬さながらに、立ち入られたくない部屋を、厳重に見張ってくれます」
「……っ」
足元の白い猫の姿のタマが番犬の役目を発揮したことに、ハリー夫人は恐れおののいている様子で、タマから後退りした。
「この廊下の先に、客室はありません。ドルドミル伯爵邸とは違い、広くはない我が家で迷子なんてありえませんが……一体ここで何をなさっているのでしょうか?」
一方通行の廊下。
奥には、現当主の部屋がある。主寝室だ。
他にも、マラヴィータ子爵の人間の者の部屋がいくつかあるが、現在では一番奥は父と亡き母のもの。そして、私の部屋と隣の作業部屋が使われているだけ。
「ま、まさか! わたくしが盗みを働こうとしていると疑いですか!? ハリー男爵家の者として、そんな不名誉な愚行はいたしません!」
疑われる行動を見付かったではないか。
タマが爪を出して、ハリー夫人のドレスの裾に引っ掛けるものだから、彼女は振り払って、また後退り。
「た、確かに、古代文明の本という値のある物がマラヴィータ子爵邸にあるとお聞きしましたが……違うのです。この際なので、言わせていただきますが、マラヴィータ子爵令嬢は、宝の持ち腐れ状態だと進言いたします」
……開き直ったな、このオバサン。
持ち直したみたいに、姿勢をピシッと正したハリー夫人。
「……宝の持ち腐れとは?」
「古代文明の本の話ではありませんよ。才能の話でございます。貴族たる者、他者に自分の威を貸すなど、愚かな真似ですわ」
「威を貸す?」
「スランプの作家や、なんの実績もなかった元魔術師に、お知恵を与えて何をなされたいのやら……」
やれやれと首を左右に振るハリー夫人は、名前を貸したことを咎めている。
「話題性で、効率のいい社交活動……という作戦ではありませんね。アシュリー様のお誘いを断ったとか……。でも、まぁ、それが賢明ですわ。姪であるあなた様には、話していないでしょうが、異種間の愛の物語だなんて、汚らわしいという意見もあるのですわよ。種族を超えた愛? どうして、そんなことを考えたのやら……魔物を研究にしているせいですかね? それとも、母君を……?」
「……」
眉をひそめては、歪ませた口元を片手で隠すハリー夫人。嘲り、か。
絶対に、レフと関わらせたくないなぁ、このオバサン。
魔物との異種間恋愛物語に、嫌悪を抱いている意見はあり、そしてこの人が持っているもの。
魔物の研究をしているのに、恋愛対象として考えているのは、母親を亡くしたせいなのか。
そう仄めかす言葉に、後ろに控えたソードンさんから怒気を感じ取れたけれど、右手を上げて制止。
「アルトゥオーロ王国魔法学会で発表した魔法の論文に関しては、一体なんです? 今まで実績のなかった元魔術師が、いきなり高評価を得る論文を書けるはずがありませんから、それはマラヴィータ子爵令嬢のお力、そのものでしょう? 庶民に手柄を譲る形にするなんて、何をお考えなのやら。アシュリー様にご相談すれば、そのまま、ご自身の名で天才だと名を轟かせられるのに……まだまだ勉強が足りませんわね」
頭はいい。ただし、私の言動は勉強が足りなすぎる。
そう私を評価するハリー夫人は、長舌だ。
「魔術師として、才能を振るいたいのならば、庶民の元魔術師の名など必要ありません。そして、魔物の研究だって、なんの役に立つというのでしょう。本当に、中途半端となりますわ。このままではいけません。剣術だって、魔法さえあれば、身を守れるのですから、鍛える必要がありますの? 剣など、振っていては、剣だこを作り、いたいげな手を不格好にするだけ。好奇心旺盛な子どもなのですから仕方ありませんけれど、教育者の助言としては、不要なことに手を出すことはやめた方がいいですわ。王国魔法学会から評価されたのですから、最早魔法を特化して学ぶことが正しいのですよ」
胸を張って、ハリー夫人が得意げに笑って告げる。
まるで、ハリー夫人は、自分の手柄みたいに、私の学ぶべき分野を見付けたと堂々と言い放つ。
ソードンさんの稽古まで、本人の前で無駄だとか口出しか。
煽りすぎ。ソードンさんも、落ち着くように、また右手を一振りしておく。
私はハリー夫人に、ニコリと笑って見せた。
「老人じゃあるまいし、私はそんな不器用ではないと自負しておりますわ」
「……はっ?」
「頭が固くて、様々な分野で才能を伸ばせない老人とは違います。そう言ったのですが、この言葉も頭が理解出来ないのでしょうか? ハリー夫人」
「!?」
小首を傾げて、令嬢らしい小さな笑みを保ったまま、そう告げる。
老人。自分がそれにあてはめられていると知り、赤面するハリー夫人。
「自分が理解出来ないことを拒否するのは勝手ですが、自分が出来ないからと中途半端になるだなんて決めつけて、教育者ともあろう者が子どもの学びの幅を狭めるなんて……老害に該当するのでは?」
「なっ……!?」
フッと零れる嘲笑を堪えるために、右手で押さえる。
「まるで、あなたなら、私に正しい道を示して、才能を開花させることが出来ると言っているように聞こえますけど……そんな老害のような教育者など、私には不要ですわ」
いや。普通に、ハリー夫人は、私の魔法の才能の証拠を見付けて、付け込みたかったということだろう。
そのために、部屋で論文を書いた資料などを見付け出したかった。
「な、なんて無礼なのですか!? やはり教育が足りておりませんね!! 年上に向かって、老害と貶すとは! 片親家庭は問題あると言われていますがっ、こんな何もない領地で学びもないならばっ、これほどに酷いですわね!!」
真っ赤になってハリー夫人は、声を上げる。
斜め後ろから、ギリッと歯軋りが聞こえるほどに、ソードンさんの怒気は増幅したらしい。
本当に、よく煽るオバサンだ。
ザンッ!
ハクが飛び出したかと思えば、ザックリとハリー夫人のドレスの裾を爪で引き裂いた。
「な、何を! きゃ!? やめなさい!」
タマも、そしてどこから現れたのやら、キジとミケも加勢して、飛びついて引っ掻く。
あくまで猫っぽく、ぴょんぴょんと、その場で跳ねて爪で裂いた。
「なんなんですか!? この猫達は!」
「私が好きすぎる従順なペットです」
「ドレスが台無しです! これ以上は、魔法で攻撃しますよ!?」
「いいんですか? 滞在している子爵家のペットを魔法で傷付けるなんて、追い出されても文句は言えませんよ?」
ハリー夫人の魔法なんかで、ハク達は倒せるとは到底思えないので、余裕綽々で私はそう笑う。
攻撃させるつもりはないけれど、するならば遠慮なく我が家から追い出す口実にする。
伯爵家に雇われていたとしても、ここは私の家であり、私のペットだ。真っ当な理由として、屋敷から、追い出せる。
そうはされたくないと、ハリー夫人は顔色を悪くしながら、スカートを振り払って追い払おうとした。
「ずいぶんと夫人のドレスが気に入らないようですねぇ。気を付けてくださいね。この子達は、スルリと部屋に入り込みます故……持ち物全て、ザックザクと引き裂かれるかもしれません」
「!!」
命じれば、簡単に荷物全てを引っ掻いてくれるだろう。
さて。そういう嫌がらせをしてやろうか。
「従兄の家庭教師に、こんな嫌がらせ! 許されると思っているのですか!?」
「嫌がらせ? あなたこそ、人様の家を嗅ぎまわり、侮辱しておいて、許されるとでも?」
「なっ! 侮辱だなんて! 一体わたくしがいつ!」
「ふふっ。教養が足りない子どもだと、見下しすぎでは? 母の死を理由に愚弄することは、アシュリー叔母様の逆鱗に触れることですよ。この会話、丸ごとお伝えしましょうか?」
「ッ!?」
叔母が、実の妹の私の母をこよなく愛していたことを、知らないのだろうか。
彼女の妹の娘を、貶した事実を話されては困るのは、ハリー夫人だ。
「そ、そんな誤解ですわ! このわたくしがっ、高貴なる身分のわたくしがっ! それこそ、愚弄ですわ!!」
「そうですか? その言い分なら、子爵令嬢の私の方が身分は上ですので、私を侮辱したことを、どう責任を取ります?」
「み、身分を嵩にかけるなんて! 愚かな者がすることです!」
「それを言うなら、私の名前で威を借りた作家や元魔術師を、蔑んだあなたは? 愚かな者ですよね」
ひょいひょいと揚げ足を取って、ケラリと笑う。
これ以上無理なほど真っ赤になるハリー夫人は、高血圧で倒れればいいのに。
ワナワナと震えたハリー夫人に、提案しておこう。
「ドルドミル伯爵家に免じて、二週間の滞在中は我慢して差し上げようと思ったのですが、こうも私や領民を貶すような教育者が、従兄についてほしくありませんね」
「差し上げ……!?」
「従兄の家庭教師を辞退してください。そうすれば、ここでの侮辱を不問にしましょう」
上からの物言い。立場としては妥当な態度だと思うけれど、ハリー夫人は屈辱と怒りに顔を歪ませる。
「そんな要求を押し付ける権限など! あなたには、ありませんよ!!」
「私は”聡明で優しいお嬢様”なので、チャンスを与えているのですけど……仕方ありませんね」
学のない子ども相手に権限がないとほざくか。
肩を竦めて、呆れていることを示す。
どう足掻いても詰んでいるのにな。このオバサン。
我慢してあげようとしたけれど、それは撤回。
嫌だと思ったから、エドーズの家庭教師の座からも、キッパリと排除だ。
今後も、エドーズにはいい情報提供者でいてほしい。
変な入れ知恵とか、悪影響を受けては、困るのだ。
不愉快だから、消えてほしい。
穏便に退くチャンスをフイにするなら、仕方ないな。
「では、勝負をしましょうか」
「は……? 勝負、ですって?」
「はい。社会の分野では些か自信はありませんので……計算問題で、私と勝負しましょう。出題者は、叔母でも父でも、家庭教師仲間でも、構いません。出題してもらった計算問題で、私と夫人の優劣をつけましょう」
「は、はあ?」
勝負を持ちかけると、呆れたように口をあんぐりと開いた。
ほら、また。私を見下しているのね。フン。
「引き受ければ、あなたは8歳の少女に計算問題で負けるという赤っ恥の敗北を味わい、教育者をやりづらくなりますよ。エドーズお兄様の家庭教師辞退をした方が、まだ軽傷で済みますが」
「なんて傲慢な! 算数の教育担当のわたくしに敗北!? いいでしょう! その傲慢さは愚かな自信だと、教えて差し上げます! 教育者として!!」
「フッ……。あなたの教育者としての自信をへし折らないと、憐れな教え子が増えてしまいそうですね。では、頑張りましょう」
「ッ!!」
ハリー夫人は、鬼の形相で睨みつけてきた。
ちっとも怖くない。
「ほら、もういいわよ。タマも、おいで」
呼べば、ハク達は私の元へと駆け寄る。
腕を広げてタマを呼べば、飛び込んだ。
じっと見上げてくるタマの頭に、キスをする。
尻尾がビンと伸びては、左右にブンブンと振られた。
本当に私が好きすぎるな、このスライム達も。
事情を説明すれば、カリーナも怒らないでくれるだろう。
ハク達を連れたまま、ダイニングルームへ戻った。
「ハリー夫人!? どうしたの、そのドレス!」
「マラヴィータ子爵令嬢の猫達にやられまして」
「猫?」
着替えることなくついてきたハリー夫人は、引き裂かれたドレスで叔母の同情心を買おうとする。
「ええ。封鎖していた私の作業部屋に入ろうとしたので、番犬のように賢いこの子達が阻んでくれたので」
「なっ! ご、誤解です! 猫達が勝手に!」
「そんなことよりも、お父様、叔母様。ハリー夫人と、勝負をすることになったので、問題を出してほしいの。計算問題」
不法侵入未遂は置いといて。
私は笑顔で、父達にそう勝負の話をした。
父達は、ドレスが無残になっているハリー夫人と、それを全くに気にしていない私を、戸惑いの様子で見比べつつも、とりあえず承諾。
昼食を軽く済ませて、父にも時間を割いてもらい、午前中に使っていた勉強部屋に集合。
どうして勝負をするのか、と尋ねられても「勝負は勝負よ」とだけ返す。
告げ口されないかと、ヒヤヒヤしているハリー夫人は、それを見て胸を撫で下ろしていた。
バカな人だなぁ。不利なことに、変わりはないのに。
「それでは……黒板に問題を書くので、先に答えた方が点を得るということで」
ダヒさんが、少し苦笑気味に眼鏡を上げると、マランさんに問題を黒板に書いてもらった。
二桁の単純な足し算の問題だったので、私は答えを口にする。
えっ……。
と、絶句された。
「先に答えた方が、点を得るのですよね?」と、にこやかに笑って見せて、続きを書け、と掌をくいくいっと振って急かす。
次の数式も、書き終えると同時に、私はひょいひょいと答えた。
ハリー夫人は先を超そうとしたが、私の方が早い。
「も、もっと! もっと難しい問題を!」
耐え切れず、ハリー夫人は、私がすぐには解けにくい問題を要求した。
だが、8歳の私が解けにくい問題を出すほど、ダヒさんとマランさんは意地悪ではないのだ。
まともな大人。当然、戸惑われるだけだった。
「あら? 夫人。私より先に答えが出せないからって、難しい問題を要求するなんて、大人げないですわね」
隣の机についているハリー夫人を、明るく嘲笑ってやる。
「国語担当のマラン先生。次からの問題を文章問題にしてくださいませ。それでいくらかは難易度が上がりますでしょう。ハリー夫人のワガママが叶えられるというものです」
あくまで、ハリー夫人のワガママだと、強調しておく。
プルプルと震えるハリー夫人の激怒の形相に、マランさん達は顔を引きつらせているが、恐る恐ると問題を出題。
その問題は、父や叔母、ダヒさんとマランさんとジェラールの大人組で、深く考え込まずに適当に作った計算問題を書き込んだ紙だもの。
数式を文章問題へ切り替えて、マランさんは口頭で一度告げた。
が。これでは頭に入らないとでも思ったのか、「黒板に書きますね」と言い出す。
でも、私は頭の中でもう数式が出来上がったので、その答えを口にした。
横で、数式を紙に書き始めていたハリー夫人は、こちらを見て、絶句して固まる。
一度しか言っていない文章問題を、もう暗算して正解を答えたことに、マランさん達も口をあんぐり。
私はただ、両手で頬杖をついて、にっこりと笑顔を見せた。
コンテストで『陽だまり』が一次通過しました!パチパチ!
ありがとうございます!
本日新投稿も、よろしくお願いいたします!
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