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異世界物

勇者が聖女を殺しました。

作者: コーチャー

「騎士団長! 最後に一手ご指南いただけないでしょうか?」


 爽やかな笑顔と燃えるような赤髪が印象的な青年が、練習用の木剣を手に駆け寄ってくる。騎士団長と呼ばれた男はやや困ったような顔をすると左右に並ぶ部下らしい騎士に視線を送る。騎士たちは困惑している騎士団長をからかうように「良いじゃないですか。コイツが旅に出てしまえば、帰ってくる頃には伝説の勇者様なんですから。いまのうちにみっちり剣技を仕込んでやりましょう」とはやし立てる。


「だがなぁ、勇者の神託を受けたローランと撃ち合うというのは……」


 昨日までただの騎士だったローランは王都で行われた神託によって勇者に選ばれた。魔王と呼ばれる魔族の長が大陸中に侵攻をかけているいま、勇者の登場は人々の希望となっている。それはこの場にいる騎士たちも同じらしく口には出さないがローランの活躍を望んでいるようだった。


「旅立ちは明日です。だから、俺はまだヴィヴィアン騎士団の一員のはずです」


 木剣を押し付けるようにローランが突き出す。騎士団長はやれやれといった様子で木剣を受け取ると「そうだな。最後の指南をしてやろう。未来の勇者様の相手だ。手加減などしてやらんからな」と微笑んだ。その顔に釣られるようにローランも微笑むと腰に差した剣を叩いた。


「いざとなったらこの聖剣を使いますよ」


 周りの騎士たちが笑う。これが騎士ローランの最後であり、勇者ローランの始まりであった。





「神の御意志により、勇者様の旅にご一緒できることこの上ない喜びです」


 胸元で手を組んで祈りを捧げる。女性は温和な表情でとても魔族と戦う過酷な旅に適しているとは思えない。だが、彼女――アンジュ・ララプリシラムは教会に認められた聖女であり大司教だという。強力な法術に優れた人格、そして神への信仰心。それらがなければ聖女に認められることはないという。それを二十歳そこそこの彼女が満たしているということは驚きである。とはいえ、このような美女が仲間と言うだけでも勇者にされた甲斐があったともいえるかもしれない。


 俺はむさくるしい男所帯だった騎士団の生活を思い出して何とも言えない気持ちになった。


「いえ、教会が誇る聖女様に同行願えるとは有り難い限りです。魔族の進攻が厳しいせいか、協力を申し出ていたはずの帝国と魔術教会から援助がなくなって心底困っていたので……」


 俺は心労で白髪が増えてきた気がする頭を掻いて苦笑いを浮かべた。剣聖と言われる戦士を送ると申し出ていた帝国は、魔族の進攻を口実に約束を違え、歴代最高の魔術師を用意したと偉そうだった魔術教会は件の魔術師が急死したと連絡を寄越してすぐに音信が途絶えた。


 そんなこんなで神託を受けたという割には俺の旅立ちは困難から始まった。


「教会は神のしもべです。神託を受けた勇者様を援助するのは当たり前のことです」


 アンジュは太陽のような微笑みを浮かべる。孤独な旅にようやく仲間ができるのかと俺は嬉しくなった。


「では、アンジュさんの旅の準備が整い次第、帝国へ向かいたいのです。あちらではかなり魔族の攻勢が厳しく、多くの民が危機にさらされていると聞きます」

「それは私も聞いております。ですが――」


 アンジュは急に伏目がちに俺の様子を窺ったあと「帝国へ向かう前にこのイクラティオンを攻めようとする魔族の一党を一緒に征伐していただけないでしょうか?」とすがるような瞳で訴えかけた。


 イクラティオンは教会第三の都市であり、長大な城壁に守られた城塞都市である。この地域では一番安全な街として魔族を恐れた民衆が多く流入している。人が多く集まるということは、それを狙う魔族も多いらしく街の近くの街道では少なくない被害があった。


 俺自身も街道では襲われたであろう村を見た。死体は悲惨なものだった。教会とは異なる神々を信仰する村だったが、魔物にはそこにいる人々の信仰など関係ない、と分からせるような光景だった。


「それは当然です。俺が勇者ではなくてもそのような魔物、許しはしません」


 騎士団のころから弱者を守ることは当然である。君主と女性に忠誠を誓い。民衆を守る。それが騎士と言う物である。


「ありがとうございます。神に選ばれ、聖剣を与えられた勇者様のお力を借りられればすぐにでも魔族を追い払えましょう」

「勇者様はやめてください。俺はまだなにも成しえてませんから」


 それは心底からの気持ちだった。勇者をやれと言われ、剣を与えられたが様をつけてもらえるような何かをしたわけではない。

「では、ローラン様とお呼びいたします」


 勇者様にしてもローラン様にしてもなれないことだった。俺は苦笑いで頷いて見せた。それを照れだと思ったのかアンジュは楽しそうに笑った。俺は腰から下げた剣に片手で触れてみる。


 聖剣ファデイーー神託の勇者にのみ扱える伝説の剣。変わりなき唯一の剣。

 この剣は、二つの伝説によって彩られている。


 かつて魔王によって操られた司祭を勇者が斬った。剣は魔王の魔だけを斬り、神のしもべたる司祭の身体には傷一つなかった。それゆえに聖剣は聖を生かし魔を討つと言われている。もう一つの伝説は、ある名工が勇者だけが扱える聖剣では多くの人を救えないと、聖剣と寸分たがわない剣を造った。しかし、神の加護のない剣は、聖剣と同じ力はなかった。ゆえに聖剣は無二のものとして勇者の象徴となった。


「それで、魔族たちはどこにいるのですか?」


 俺が尋ねるとアンジュは周辺の地図を広げて見せた。街の北西にリリニアと書かれた小さな村を指さして彼女は「この村はすでにありません。魔族に滅ぼされいまでは彼らの拠点にされています」と今にも涙を流しそうな表情を見せた。


「分かりました。明日、さっそく討伐に行きます」

「お願いいたします。今日は教会に部屋を用意しておりますのでそちらでお休みください」


 アンジュは席を立つと俺を教会の奥へと案内してくれた。流石は大司教座が置かれるほどの教会である。神を模した石像や絵画は見る者を圧倒するほどに大きく荘厳であった。俺がいたヴィヴィアン騎士団にも申し訳程度の教会があったが大司教どころか常駐の司祭すらいなかった。聖像も腕ほどの小さなものが置かれているだけだ。


 礼拝堂では逃げてきた人々が身を寄せ合って祈りを捧げている。女性や子供、年寄りが多い。彼らは魔族に襲われたのか真っ当な服装のものは少なく、泥や煤に汚れているものが大半であった。若い修道士たちが彼らに食べ物を配っている。


「ひどいものです。私たちも頑張っているのですがすべての人に食べ物を与えるのが精一杯なのです」


 その言葉の通り、配られている食料は味の薄そうな汁物とそこに投げ込まれた硬そうな雑穀である。とてもではないが美味しいものとは言えないし、体力も気力も失っている人々には酷な食べ物だった。


「思っていたよりも厳しい状況なのですね」

「城壁のなかは平穏ですが、外からの流入者があまりに多すぎて」


 本来なら城壁の外にある田畑で食料を生産するのだろうが、街道にまで魔族が出るのではその田畑を活用することはできないに違いない。そこへ来て外からの難民だ。食料がそこをつくのは明らかだ。


「聖都からの援助はないのですか?」


 聖なる結界で守られた聖都ライザニオン。行ったことがないが結界を一周するだけで三日かかるという、その長大な結界は人類最後の安全圏とさえ言われていると聞く。それだけの土地があれば食料の生産もここよりは豊富だろう。


「聖都からの援助はありません」


 アンジュは首を左右に振るが表情は暗くない。


「ですが、定期的に難民を聖都で預かってもらっています。ここよりもあちらの方がはるかに安全でしょう」


 なるほど。それはそうだろう。物資を移動させるよりも人を移動させる方が楽だという考えもあるだろう。しかし、人々にとっては避難してきたのにまた移動するのは辛いだろう。


「大丈夫ですよ。明日にはこの街にも安全を取り戻して見せます」


 俺が言うとアンジュは少し驚いたように眼を大きくした。


「流石は神に選ばれた方ですね。ローラン様は」

「いや、そんなことは」


 美人に褒められて俺の顔が緩む。丁度、目的の部屋に着いたのかアンジュが足を止めて部屋の扉を開いた。


「ここがローラン様のお部屋です。明日はよろしくお願いいたします」


 そう言ってアンジュは頭をさげると教会のどこかへと消えていった。部屋は教会への来客が使うものなのか立派な寝台と机が備えてあり、水差しや火の入った炭入れなどが綺麗に並べられている。床には薬指ほどの分厚い敷物が引かれて石の床からの冷えを遮断している。


「はぁ」


 寝台に座り込んで俺は、ため息をついた。魔族を討伐するのは使命である。やらなければならない、ということは嫌というほどわかっている。だが、アンジュに請け負ったほど戦いが好きなわけではない。勇者として人々が願う姿を見せることも仕事の一つだと割り切っているだけだ。


 剣を寝台に立てかけて俺はそのまま横になった。


 真夜中になって目が覚めた。それは荷馬車の音と人々の声が聞こえたからだった。声は遠いが「聖都行きの者は乗り込め」とか「女子供が優先だ」という会話の端切れは聞こえた。どうやらアンジュが言っていた聖都に人々を逃がすのだろう。


 のぞきに行くべきかと思ったが、勇者として彼らにできることもないと思い。目を閉じた。しばらくの間、様々な音が聞こえていたが次に目が覚めるころには聞こえなくなっていた。





 剣を振り下ろす。


 刃は鎧のような魔物の甲殻に軽々と食い込んで、そのまま反対側から顔を出した。この剣を握ってから何度も思う感覚であるが、切れすぎる。それが率直な感想だ。甲殻や鎧に対して攻撃が弾かれるかもしれない、という俺の思いなど分からないように剣はすべてを斬る。


 この剣にとって斬れぬものなどあるのか疑いたくなるほどだ。

 斬った勢いのまま横薙ぎに払うと飛び出してきた魔物数体がそのまま真っ二つになって赤茶けた血と肉を噴き出す。その姿を確認して一番奥にいた大きな魔物を頭から叩き斬る。


 獣めいた叫び声が切断と一緒にかき消える。


「これで終わった」


 俺は剣を鞘におさめると周囲を見渡す。


 動く物は俺とアンジュ。そして、彼女の護衛についてきた若い修道士数名だけだった。彼らの顔が青いのは剣の切れ味のせいだ。魔物の死体からは内臓が切断面からあふれ出し、胃袋や腸などからは人であった名残の髪や衣類が顔をのぞかせている。


「流石はローラン様。あっという間に壊滅しましたね」


 アンジュは死者に祈りを捧げながら言う。俺はあまりすっきりしない気持ちで「ええ」とだけ言った。魔物の巣だけあってあたりを歩いていると魔物の苗床にされた人間をいくつか見つけた。彼らは息はしていたが生存は絶望的だった。腕や足、腹がパンパンに膨れてその中に魔物の幼体が蠢いている。


 可哀そうに。


 俺は声には出さなかったが、剣だけは振るった。幼体ごと斬られた男の身体は、一瞬だけ跳ね上がって崩れ落ちる。苗床になっているのはほとんどが男で、服装から兵士や武装した村の男衆だったのだろう。家族や村人を逃すために残って魔物の餌や苗床にされるというのはぞっとしない。見える限り、そういう奴らをつぶして俺はアンジュに言った。


「はずれでしたね」


 アンジュは一体なにを言われているのか分からない、という顔をした。


「……なにか変なことが?」

「ええ、ここは巣でしたが魔族じゃない」

「ですが、ローラン様はいまたくさんの魔族を倒されましたよ」


 彼女は当たりに散乱する魔物に目を向ける。

 このとき、俺は認識が違うことに気づいた。教会にとって人に害を与えるものはすべて魔物であり魔族なのだ。それに対して俺たち騎士は知性がないものを魔物。知性があるものを魔族と分けている。それはそれぞれで戦い方が変わってくるからだ。


 だが、教会にとっては信徒の敵は神の敵。区別の必要などない。おそらく、彼女らに違いを話しても理解してもらえないと諦めて苦笑いを顔に張り付ける。


「いえ、首領ともいえる敵がいなかった、ということです。街や街道では組織的に人を襲っていたようなので賢い奴がいると思っていたのです」


 アンジュは少し考えるように顔を曇らせると「では、まだこの辺りには魔族がいるということですね」と呟いた。


「ええ、まだ旅立つというわけにはいかなそうです」


 魔物に支配されていた村を出て街へと続く街道には、難民がぽつぽつと重い足取りで歩いている。彼らは完全武装した俺たちを見つけると一定の間隔をあけてついてくる。どうやら街までの護衛をただで見つけた気になっているのだろう。


 先頭に立っている男に声をかける。


「守ってほしいのならもう少し近づいていろ。あんまり距離を開けられると守れない」


 男は俺たちが守ってくれるとは思ってなかったのか目を白黒させて、仲間の難民たちと声を掛け合ったあと俺たちの最後尾につけた。


「あ、ありがとうございます」

「街に戻るところだ。ついでだよ。その様子だと村を襲われたのか?」

「……ひどいもんでした。魔物がいきなり襲ってきて村人は散り散り。集められるもんだけを集めて逃げてきましたが、この有様です。教会は俺たちを助けてくれますかね?」


 男は心の支えのように古い神々の文様をかたどった飾りを握りしめる。教会の神とは違う土着の神々だのものだろう。教会の教えが広がっても古い神々を信仰するものは少なくない。


「さぁ? 俺には分からないな。どうなんですか?」


 前を歩いていたアンジュに声をかけると彼女は人々を安心させるような優しい声で「大丈夫ですよ。教会は信徒の家。救いを求める同胞を見捨てることはありません」と答えた。難民たちの中から安堵の声と君への祈りの声が響いた。


「このようすだとまだまだ難民がいるようですね」


 俺は背後をぞろぞろとついてくる人々を気にしながら小さな声を出した。


「このところは遠い帝国の地域からも逃げてくる人々がいます。それだけ魔族の攻勢が厳しいということもありましょうが、城塞都市イクラティオンが神の御加護で安全だという話が独り歩きしてしまって実情を知らずに集まってくるのです」


 確かにここまでの道中でも聖都と城塞都市は安全であるという噂を多く耳にした。


 なかには教皇様の聖なるお力でとか、聖人が魔族を抑え込んでとか眉唾ばな話も多くあったが、人々からすれば安全な地があるというのが希望になるのだろう。


「それは……」


 いい迷惑ですね、という言葉がでそうになる。危機とはいえ勝手に期待されて押しかけられるというのはたまらない。現にイクラティオンでは食料が不足しかかっている。昨夜、難民に配布されていた食事を見れば厳しいことは明らかだ。


 城壁までたどり着いたのは太陽が山際に沈み込んだころだった。警備を行っていた教会の兵士や修道士が俺たちを見つけて駆け寄ってきた。彼らは口々に魔族討伐の結果を尋ねたあと俺たちの背後にいる難民たちにやや冷たい目を向けた。


「収容する施設ごとに案内します。並んでください」


 人々が並ぶと男性だけが女子供と分けられる。


「どうして家族と一緒にしてもらえないんだ」


 難民から文句がでるが修道士たちは「教会施設です。男女が同じ場所で寝泊まりなど許されません」と問答無用で拒絶した。確かに規律と戒律を大事にする教会にとって許せないことだろう。


 難民たちを見ていると「ローラン様、あとは修道士に任せて」とアンジュから声をかけられた。おれはそのまま教会内にはいると与えられた部屋へと戻った。鎧を外して寝台に横たわる。


「ああ」


 情けない声が漏れる。戦いに慣れているとはいえ、疲れるものは疲れる。年かなと思いながらいると扉が叩かれた。声で返事をすると十代前半の修道士が「お食事です」と鍋とパンを机の上に置いていった。


 食べ物を見て、匂いを嗅ぐと一気に空腹になった。


 俺は白パンに齧りつくと鍋にはいった牛肉の汁ものを勢いよく飲み込んだ。

 大半を胃におさめると酒が欲しくなった。が、ここは教会である。それは難しいだろうと諦めて寝台で目を閉じる。魔族がいなかった魔物の巣について考える。本能むき出しの魔物をうまく誘導している魔族は同じような魔物の巣を街の周辺につくっているのだろう。それを一つ一つつぶしていくのは面倒な話だった。


 変なことを考えたせいで目が覚めた俺は夜風にでも当たろうと教会から出た。


 街は人の気配こそあれ、騒ぎ立てる者も笑い声をあげる者もいない。家々は扉を閉じて静まり返り、ときより聞こえる金属音は城壁を警備する兵士の鎧や武器がこすれるものだ。兵士たちは真剣に城壁から外の様子を窺い、城壁内にも五人ほどの巡回部隊がたくさんいた。


「ご苦労だな」


 騎士の頃は自分も同じような警備をやっていたが、他人が同じことをやっているのを見ると感心してしまう。街の広場に出るとみすぼらしい服装の男性たちが集められ、兵士たちから槍の使い方などの指導を受けていた。


 難民でも防衛には組み込むということだろう。


「いいか、百日だ。百日ここで戦えばお前たちも聖都へ送り出す。そうすれば家族とも会えるし、聖都では防衛の仕事にもありつける。貧しい思いをせずに聖都で暮らせる。だから、しっかりと訓練を受けるんだ」


 年配の修道士が叫ぶ。昨夜、女子供だけが聖都に送られていく声を聞いたが、男たちは街の防衛に使われているのかと納得した。確かにいくら聖都が豊かでも難民を受け入れ続けることは難しい。教会はこの街で実戦を経験した者を聖都に迎い入れる。難民たちはこの街で武器の扱いを覚えると同時に、兵士としての職を聖都で得る。そのうえ先に家族は聖都にいるのだ。守る意欲も相当だ。


「上手いこと考えるもんだ」


 教会は兵士の募集から訓練までを効率的に行うものだ。

 騎士団などはそうはいかない。まずは家柄に始まり、騎士見習いになり、君主に認められてようやく騎士になる。何年もかかる工程だし、家柄が重視されるせいでなれるものも少ない。少数精鋭と言えば聞こえがいいが、死傷者が出たときの替えの利かなさはひどいものだ。


「あ、さきほどは!」


 即席の皮鎧に身を包んだ男が俺に向かって手を振る。

 誰かと思うと、さきほど街まで送った難民の男だった。異教の神々の飾りが胸元で揺れる。どうやら無事に街には入れてもらえたらしい。


「街に入ってすぐに徴兵とは大変だな」

「いえいえ、田畑を失い食い扶持がない身です。兵士でも雇ってもらえた方がありがたいですよ。なによりも俺たちが兵士になれば家族や村の者は聖都に入れてもらえる。良いことだらけです」


 男はボロボロの身なりだったが、顔だけは明るい。それは他の難民たちも同じで訓練を真面目に受けている。


「なら良かったよ。無理して武功を求めないことが生き残るコツだ。百日を生き残れよ」


 男ははにかみながらへいと頭をさげた。

 俺は少しだけ良い気分になって教会に戻った。教会では女子供たちが慌ただしく荷車や馬車に載せられていた。どうやら聖都へ向かうらしい。不安そうな者もいるがほとんどの人間が嬉しそうだった。聖都に入ってしまえば魔物から襲われる可能性はぐっと少なくなる。それだけでも彼女らには大いなる救いだ。


 俺は部屋に戻ると戦闘での苦さを忘れて眠ることができた。

 それから数日は魔物の巣を潰すだけの時間が過ぎた。残念なことに魔族は一人も現れず、戦いは単調なものになった。しかし、長大な城壁に守られた城塞都市イクラティオンの外にあった村々のほとんどは無人となり、奇跡的にいくつかの村が残った。残った村では神への感謝の祈りで満ちているという。


「俺は無力なものだ」

「そんなことありません。勇者様のお力で魔族どもは総崩れしております。神の恩寵を受けた勇者様が無力などということはありません」


 アンジュが真剣な顔で俺をたしなめたが、それに同意できなかったので沈黙で答えた。気まずい空気のまま城塞都市に戻ると、衛兵たちの数が妙に少なかった。薄い粥を配給していた救護所ではかまどのほとんどが火を消してわずかなかまどが心細い煙をあげているだけだった。


「衛兵たちはどうした?」


 手持ち無沙汰に救護所で机に肘をついていた炊事係に声をかける。


「あいつらなら新しく見つかった魔物の巣へいきました。教会の連中がずいぶんと気勢を上げてましたよ。勇者様がほとんどの魔族を倒したあとで残っているのは残党だ。俺達でも戦えるって」


 馬鹿なことをしている。俺は怒鳴りつけてやりたい気持ちになった。


 この数日で魔物の巣をいくつも潰した。だが、魔族はまだ見ていない。それがしめしているのはこの地域を攻めている魔族が相当に用心深いということだった。それが分からないのは魔物と魔族の区別もつかない教会の連中だけだ。本能だけで暴れまわる魔物に対して、魔族には明確な理性がある。同じなのは魔力によって獣とは全く異なる力を有していることだ。教会が魔力を持つ生き物すべてを魔族というのはあまりにも大雑把なことなのだ。


「すぐに出る」


 俺は馬にまたがると衛兵たちが向かったという新たな巣へ駆けた。


 俺についてきていた教会の兵士やアンジュはすでに教会に戻っているのかついてきたのは俺と同じように衛兵たちの様子を見に来ていた修道士だけだった。夕日が沈む直前になって俺が見たのは新たな魔物の巣へ姿を変えた衛兵たちの塊だった。


 あるものは子供ほどある巨大な昆虫に全身を食い破られ、別のものは全身に卵を植え付けられパンパンに身体を膨らませたまま痙攣していた。俺はそれらを斬り潰して前に進む。子らを殺された魔物が矢のように飛びかかってきたがそれもすべて斬った。


 目につくものをすべて殺しつくしたとき、俺の目が止まった。

 それがかろうじて人だったであろうことが認識できる肉塊だった。声も息もしていない。だが、肉塊の端に引っかかる異教の飾りは見覚えがあった。数日前に助けた村人だ。せっかく助かった命が散っていた。男には家族もいた。それなのにどうして馬鹿なことをした。


 ぼんやりしていた。


 俺は肉塊を食い破って突っ込んできた魔物に左肩を噛まれた。鎧がひしゃげる鈍い音と割れた金属片が肉に刺さる激しい痛みが頭に響いた。悲鳴をあげて逃げ出せればきっと楽だっただろう。身に刻まれた訓練はそれを許さなかった。右手が勝手に動いて魔物を切り裂いた。肉塊も飾りもまとめて切れていた。


 残っていた魔物を片付け終わったのは周辺が闇が満ちていた。

 ついてきていた修道士が松明を手にして「帰りましょう。もう、ここには誰もいません」と言った。

 俺は頷くとこの場をあとにした。左肩の血は止まっていたが、あげられそうになかった。




「勇者様。よくぞご無事で」


 修道士がひどく心配した表情で教会に戻った俺を迎えた。


「誰一人救えなかった。……アンジュ様は?」

「聖女様は自室におられます。ですが、手当を先にいたしましょう」


 修道士が俺を制した。

 だが、俺はそのまま進んだ。


 血にまみれた俺を修道士たちが驚いた顔で見ては廊下の端へ逃げる。アンジュの部屋を叩いて中に入る。なかではいくつものロウソクがともされ、アンジュは立派な机に向い、柔らかなパンに香辛料がたっぷりと肉の入った汁物に口をつけていた。


「これは勇者様。どうかなさいましたか?」


 柔らかな笑みをたたえたアンジュが、俺の肩の傷に気づいて慌てて杖を構える。治療の法術を唱えようとするのを止めて俺は尋ねた。


「どうして衛兵たちを魔物の巣へ送り出したのです?」

「そのことでしたら申し訳ありません。私が勇者様と出ている間に留守を預かっていた司祭が衛兵たちを焚きつけてしまったようなのです。ですが、勇者様が来られて以来、私たちは多くの魔族を滅ぼし、最後は今回の場所だけとなっていました。司祭が先走ってしまったのも少しでも早い平和を求めてのことでした」

「それが事実だと?」

「事実です。私たち教会は信徒の平和を願っております」


 その言葉は淀み一つなく、後ろめたさも後悔も感じさせなかった。


「信徒にとってはそうでしょう。ですが、異教徒であった彼らは」


 死んでいた衛兵は、教会と違う神々を信仰していた。それに良い悪いはない。だが、教会にとってはそうではないのだろう。


「ずるいと思いませんか? 彼らは神を信じないのに私たちに救いは求めるのです。魔族の進攻で人の生存領域は狭くなっている。救える人は限られている。すべては救えない。ならば信徒を救うのが教会です。なにより、我らが神は信徒を救うために救世主を選び出し、勇者として私たちに遣わせてくれました。ですが、彼らが信じる異教の神々は何もしなかった。それだけでどちらの神が正しいか分かると言う物です」


 すべてを救うことはできない。それは事実だ。


 だが、気にくわない。


「そのために魔物を利用してもそういうのですか?」

「魔族を? それはひどい言いがかかりです。私たちは信徒のいる村を優先して、異教の村を後回しにしただけです。それも正しき信仰者を救うため。結果として異教の村が多く滅んだとしても仕方ないことではありませんか? 教会にとって信徒は家族です。誰だって他人よりも家族を優先する。それだけのことです」


 それだけのこと。その結果、彼らは死んだ。

 神がそれを望んでいる。ひどい理屈だ。


「それでも最後の彼らは救われるべきだった」

「勇者様はお優しい。ですが、これからの旅はそれだけではいけません。神の名のもと選ばれたあなたは神のため戦わなければなりません。本来ならあの異端者の集まりである帝国を救う必要も魔族と同じ魔力を使う魔術教会も救う必要などないのです。それでも彼らを助けるのは同じ神を信じるがゆえです」

「……それは俺が思う勇者ではないようだ」


 剣を構える。聖剣と呼ばれた剣をアンジュに向ける。


「聖剣は聖者を生かす剣。神の御意志を知るために斬られるのも試練の一つかもしれませんね」


 アンジュは聖剣の前に身を運ぶと両手を組んで祈るように眼を閉じた。


「もう一つ、聞きます。聖都へ送られた人々はどうなりましたか?」

「彼らは安息を得ているに違いありません。聖都では正しき教えを守る人々が彼ら教導していることでしょう」


 広い聖都とはいえ閉じ込められた境域に少数派を放り込めばどうなるかは明らかだ。信仰という名の地獄がそこには広がる。覗き込めば自らさえ飲み込まれ、正しさという毒がまき散らされる。


「俺にはあなたたちのほうが邪悪に見えてきた」

「私たちが邪悪?」


 アンジュが楽しそうに笑う。それはこの世のすべてを見下し、世界が自分自身だと確信しているようだった。


「邪悪でしょう」 

「ならばその聖剣に神意を尋ねればよいでしょう。もし、神意が私にあれば、勇者様は私の剣になってくださいますか?」


 彼女に従って神の名のもとに剣を振るい続ける。それは楽なことだろう。何も考える必要はない。常に自分が正義だと名乗れる。迷いはなく苦痛もない。ある種の楽園だ。


「なら、試しましょう。この剣があなたを斬れなければ俺は、あなたの剣になりましょう。違う場合は神の意志がないことを理解してください」


 アンジュは「神は私と共にあります」と断言した。

 俺は彼女に向けた剣をまっすぐに振り上げると思いっきり振り下ろした。

 感触はなかった空を切るような感覚がすべてだった。


 剣は彼女の頭から腰へ抜けていた。ゴトン。子供が遊ぶ積み木が崩れるようなあっけなさで彼女の身体は別々に地面に崩れ落ちた。アンジュはまったく分からないという表情で俺を見るとそのまま息を引き取った。魔を切り裂き聖者を生かす聖剣。その伝説は事実だろう。そして、その聖剣は勇者だけが扱える。


 勇者だけが扱えるのだ。

 神託に選ばれなかった騎士団長には扱えるはずがないのだ。


 燃えるような赤毛の神託の勇者ローランはすでに死んでいる。騎士団を去る際に行った最後の訓練でそれは起こった。ローランの剣を受け流し、振り下ろした俺の木剣がローランの頭に当たってしまった。木剣とはいえまともに当たったローランは頭を砕かれ、あっという間に息を引き取った。


 騎士団は慌てた。

 神託の勇者を殺してしまった。この事実を知れば世界は騎士団を非難し、魔族に加担したとして滅ぼすかもしれない。そこで騎士団はローランを殺した騎士団長をローランに仕立てた。こうして白髪交じりの勇者ローランが生まれた。


 だが、このとき問題が一つだけあった。神託の勇者に与えられた破邪の聖剣だ。


 この剣は伝説に偽りなく偽りの勇者には引き抜くこともできなかった。だが、勇者を象徴する聖剣を無二のものとした伝説には聖剣に挑んだもう一振りの話が合った。名工が作り上げた聖剣に及ばなかった剣。それが俺が持つ偽剣ファデイである。


 切れ味だけは聖剣に肉薄した偽物。

 神の加護は与えられず。人の限界を示した挫折の象徴。この剣には聖も魔もない。切れるそれだけの剣だ。だから、聖女は斬られた。ひどく単純な話だ。


 俺は黙って城塞都市をあとにした。

 この近辺の魔物は殺しつくしていたからだ。一人旅が続くことは残念だったが、狂信者との旅などお断りだった。

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[良い点] 面白かった。 [気になる点] 「聖都では食料が足りなくなってる」って現実を前に信者優先はしょうがない気がする。聖女も勇者と同行してるってことは教皇的な存在じゃなくマスコットガールに近そうだ…
[良い点] 勇者が魔王を倒す旅に出る王道ファンタジーと見せ掛けて、ドゥロウドゥロウのごんぶとダークファンタジーの始まりを予感させる終わり方でしたね。 自分は偽物かもしれないが、外道と旅するのはごめん…
[良い点] 神に委ねた剣で切られて裁かれたかった聖女と 人の世は人の手で正し裁きたいと神の剣と言わなかったが嘘もつかず人の剣で人を裁いた人であり今後も勇者ではあるが神の使徒ではなく人として人の意志に添…
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