私のエッセイ~第百五十一弾:「なんたら塾」~ 第四夜:晴れ、ときどき『宇宙の話』なの❤️
皆さん、こんばんは! いかがお過ごしでしょうか・・・?
今宵は、宇宙についての、きっと皆さんも疑問に思っておられるであろう話題についての「禅問答」であります。
ちょいと長くなるけどぉ・・・さっそく行くわよ❤️
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【宇宙の大きさは、有限である、などといわれています。仮に、その「さしわたし」が百五十億光年としますと、それより先・・・つまり、二百億光年、五百億光年先の場所はどうなっているのでしょうか。そこは、宇宙ではないのですか・・・?】
わかる範囲で、お答えしましょう。
これは、人間なら、誰しもが持つ、素朴な疑問でしょうね。
宇宙の大きさが「有限」・・・つまり、「一定限界がある」のか、あるいは、「底なし」・・・すなわち「天井なし」なのかは、学者によって意見に違いがあるようですが、多くの学者は、『宇宙有限説』を信じています。
有限で、しかも、「閉じている」と考えています。
この「閉じている」というのは・・・たとえば、「球面」のように、『無限に広いわけではないが、端、あるいは、境界線のようなものがない』という状態を指します。
三次元的に見た宇宙空間というものは、球の表面がそうであるように、『端はないけれど、有限なのだ』ということです。
ちなみに、この場合、第四番目の次元である「時間」は考えないことにします。
宇宙は、いまこのときも、リアルタイムで膨張しつづけていますが・・・有限はあくまでも有限です。
「有限と言うからには、その外はいったいどうなってるんだい?」というのが、今回のご質問のキモであると思われます。
・・・これに答えるには、大変苦労します。
紙や黒板にマルを描いて、「この内側が宇宙だ」といえば、「マルの外側は、どうなっているのだ」と反論されます。
透明なボールを見せて、「この中だけが宇宙なんだ」と答えれば、「それなら、外側はなんと呼んだらいいのか!」と逆襲されることでしょう。
「有限宇宙」を説明するのに、マルなど描いてはいけません。
それは質問者を、「常識の世界」に戻してしまうことになります。
・・・宇宙空間は有限です。
その「さしわたし」は・・・およそ百数十億光年でしょう。
この「さしわたし」の大きさの「三乗」程度が、ほぼほぼ、宇宙の体積と考えてさしつかえないでしょう。
そうして限られた範囲以外には、「何も考えられない」のです。
われわれは、いつも広い宇宙空間に「マル」やら「球」やらを考えていますから、ついつい、「その外側」などという発想が出てきてしまいがちですが・・・
実は宇宙には、「外側」も「内側」もないのです。
「内と外に分ける」という考え方そのものが、いわば「常識的にすぎる」ともいえましょう。
百数十億光年の宇宙空間があり・・・そのほかには「何もない」・・・もちろん、「空間」もない・・・これが、真の姿です。
・・・それでは、無限に長く走ることの出来るロケットに乗って、どこまでも前進していったとしたら・・・。
まっすぐに走っているつもりでも、しょせんロケットは、限られた宇宙空間の中を、いつまでもずっと動き回っているにすぎない・・・ということになりますね。
そしてまた、一見不思議なようですが・・・ロケットのいる場所というものは、いつでも「宇宙の真ん中」なのです。
球の表面上を歩き回る虫が、いつも「球面の真ん中」と感じるのと、同じことなんです。
これは、「自分の周囲に、いつも球面が広がっている」と言い換えることもできますよね♪
『閉じた宇宙空間』というものは・・・このように、日頃の私たちの「常識」を越えて考えてやらなければなりません。
以上。