第2章―7、ぷるぷるスライムの正しい飼い方
「おはようございまーす」
元気な声がラフィルの耳へと飛び込んできた。
大きなアクビを零しつつ、身体をゆっくりと起こすとニコニコと笑っているギルド職員の姿が目に入る。
昨日あれだけ飲んだのに元気ですね、とラフィルは思いつつもう一度大きなアクビを零すと、ギルド職員は微笑みながらこんな話題を切り出してきた。
「朝ご飯は用意できてますよ。あ、ベイスさんはエントランスに行って読書するって言ってました」
「それはどうも」
「それにしても、読書が好きなヒューマノイドって珍しいですね。ベイスさん、あんな見た目ですけど結構勤勉なんですね」
「ただ暇なだけですよ。あいつの頭では読んだ全てを処理することはできません」
「でもヒューマノイドは心があると言いますし。もしかしたら読書することで感性を高めているかも!」
「ふふ、面白いことを言いますね。でもそんなことあり得ませんよ」
「どうしてですか?」
「ベイスは作業用ヒューマノイド。心は持っているかもしれませんが、大きく変わるなんてことありません。ベイスの性能では良くも悪くも変化はないです」
ベイスは元々、危険地帯で作業するために生み出されたヒューマノイドだ。
最低限のコミュニケーションが取れればいいため、余分な機能はついていない。
スレインのような戦闘用であればまだ違うかもしれないが、そうでないベイスは学習能力も低めである。
それを知っているラフィルだからこそ、ベイスに大きな変化は起きないと断言する。
しかし、ギルド職員はその言葉に反論した。
「確かに大きな変化はないかもしれませんね。でも、だからといって変わらないなんてことはないと思いますよ。ちょっとしたことが積み重なって、最後に大きく変わるってこともありますしね」
ラフィルはギルド職員の言葉に思わず噴き出した。
クスクスと楽しげに笑い、ギルド職員の言葉に「ごもっともです」と返事をして負けを認めた。
「確かにベイスは前より笑うようになりました。私をからかうこともしますし、いつも困って頭を抱えています。以前ならそんなことしませんでしたよ」
ラフィルの言葉を聞き、ギルド職員は一緒に楽しげに笑う。
ベイスはヒューマノイド。大きな変化はないが、依然と比べれば変わったところがある。
変わらない存在。だからといって変わらないなんてことはない。
「目が覚めましたか?」
「ええ、ばっちり」
「昨日のお礼です。それじゃあ、今日も張り切って頑張りましょう!」
ギルド職員に促され、ラフィルはベッドから降りる。
一度大きく背筋を伸ばし、身体に朝だと告げるとギルド職員は一つの案内をし始めた。
「本日の朝ご飯はコーンポタージュ、トースト、ハムエッグを用意してます。今日も冷えますから、熱々を用意してますからね」
温かな言葉とまごころ。
ラフィルはギルド職員の心遣いに「ありがとう」と感謝をし、普段見せない優しい笑顔を浮かべるのだった。
◆◆◆◆◆
部屋で食事を済ませ、いつもの服に着替えたラフィルはエントランスへ足を運んだ。
ギルド支部ということもあり、ユルディアにある本部より小さいが落ち着いた空間が広がっていた。
本と迷宮探索者であふれかえっている本部とは違い、支部はとてもスッキリしている。
寒冷地ということもあり、優しい炎が揺らめく暖炉と温かみを感じる温かみを感じる絨毯があった。
ラフィルはその絨毯の上を歩き、椅子に腰掛けて本を読んでいるベイスを発見する。
一体何を読んでいるんでしょう、と思いタイトルを覗き込む。
するとそこには〈スライムの飼い方〉という文字があった。
「なんだ?」
「相変わらず変なのを読んでますね。スライムを飼うんですか?」
「面白いとスレインに勧められて読んでいる」
「面白いですか?」
「興味はそそる。だが、お前にとってはつまらない内容ではある」
「よくそんなもの読めますね。もしかしてドMですか?」
「俺は面白いと感じている。スライムの意外な一面を知ることができてな」
ラフィルはベイスの言葉を聞き、「ふーん」と興味なさそうな返事をした。
ベイスはそんなラフィルの反応を気にすることなく、本へ視線を落とす。
そのまま読書を再開し、一人の時間へ入り込んでいった。
ラフィルはいつもと変わらないベイスに軽く首を振る。そして本日の予定を確認し、どう動くか組み立てようとした。
それぞれが自分の時間を使って朝を過ごそうとしているその時に、大きな悲鳴が響いた。
「きゃあぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁっっっ」
「なんだ?」
「モンスターでも入り込んだのでしょうかね?」
ラフィルとベイスはやっていたことを一旦やめ、一緒に悲鳴が聞こえた場所へ赴く。
するとそこには一人のギルド職員が身体を震わせ、腰を抜かしていた。
「どうしましたか?」
「ス、スライム……スライムが!」
指が差された方向に二人は目を向けると、そこには一匹のスライムがいた。
なぜこんなところにスライムが、
そんな疑問を抱きつつも、ラフィルは腰を抜かしているギルド職員に声をかけた。
「何そんなに驚いているんですか?」
「だ、だって支部内にモンスターですよ!」
「モンスターと言ってもスライムでしょ? しかも一つ星です。脅威になりません」
「あなたならそうでしょうね! でも私は一般人と変わりないんです!」
一般人でも驚かないスライムですが、とラフィルはツッコミを入れそうになったがやめておいた。
一つ星とはいえ、モンスターだ。油断すると命を刈り取られる可能性がある。
「特別です。私達が処理しましょう」
「本当ですか!?」
「昨日の宴のお礼です。ベイス、とっとと外に追い出しますよ」
ラフィルは適当にスライムを追い立て、外へ逃がそうと考えていた。
だが、気がつくとベイスはラフィルの隣にいない。
あれ、と思い見渡すと屈んでいるベイスの姿を見つける。
「よしよし、いい子だ」
ポヨンポヨン、とスライムは跳ねてベイスの腕を駆け上っていく。
そのまま肩に乗ると、なぜか甘えるようにスライムはベイスの頬に頬ずりをし始めた。
「ハハハッ、くすぐったいぞ」
それは、異様な光景だった。
あまりにも異様だったため、ラフィルは言葉を失う。
スライムがなぜかベイスに懐いている。
目を疑う光景にラフィルは、どう反応すればいいかわからなくなった。
「ベイス、あなた何をしましたか?」
「スライムの好物を与えてみた」
「好物? スライムに好物なんてあるんですか?」
「あぁ。スライムは秘石が好物らしくてな。本に書かれていたことを試してみたんだが、面白いほど効果があるもんだ」
「はぁ……」
ベイスに甘えるスライム。
それを見つめるラフィルは、ただただ呆然としていた。
「う、美しい友情です」
ラフィルが何気なく腰を抜かしていたギルド職員に目を向けると、なぜか感動の涙を流していた。
一体どこに感動したのか、と思っているとギルド職員は涙を拭って立ち上がる。
「モンスターとヒューマノイドの美しい友情。あ、これに麗しの姫を助けに行くって要素を付け加えれば面白い小説が書けるかも! よし、よし、よーし! 書くぞー!」
ギルド職員は奇声を上げてどこかへ消えていく。
取り残されたラフィルは、スライムとイチャイチャしているベイスを黙って見つめるのだった。
「ハハハッ、いい子だ」
「ぷるぷるっ」
「ふむ、そうだな。これからお前のことを〈ポチ〉と呼ぼう」
「ぷるぅ」
「ちょっと待ってベイス」
「なんだ?」
「いっぱいツッコみたいことがありますけど、一番大切なことを聞きますね。それ、飼うんですか?」
「ここまで甘えられているんだ。飼うしかないだろ」
「バカじゃないですかあなた! どうやってスライムを――」
「そのために本があるだろう」
ラフィルは言葉を喉に詰まらせた。
ベイスが読んでいた本。スレインにもたらされたそれが、変な状況を生み出している。
「ラフィル、俺はポチの散歩に行ってくる。すぐに戻るから、待っていろよ」
「ぷるっ」
ポチと共に去っていくベイスをラフィルは見送る。
ラフィルはただ呆然として、ベイスの背中を見つめると思わず大声を放った。
「スレインのバカァー!」
ギルド支部には、ラフィルの悲しい叫びが響き渡る。
いつもと変わらない朝。だがいつもよりおかしな日常が、そこにあった。