第1章―3、依頼をこなすための準備と選択
マリベルの依頼を引き受けた便利屋一行は、迷宮に向かうための準備をしていた。
遺物が発見された迷宮〈銀色湖畔〉は、とても寒い場所である。
一面が雪で覆われており、湖の表面は常に凍りついていることが特徴だ。
そんな迷宮に潜むモンスターは主に氷結に関わる攻撃をし、訪れる迷宮探索者を弱らせようとしてくる。
そのため、徹底とした防寒対策が必要となるのだ。
「前に持っていたコートはどうしたんだ?」
「結構ボロくなってたので錬金術の素材にしました」
「その様子だと失敗したようだな」
「うるさいですね。その通りですからそれ以上は言わないでください」
ベイスは落ち込んでいるラフィルを見て「わかった」と返事した。
何にしても探索に使える防寒着がないことはいただけない。
そのままの装備で極寒地へ突入すれば、確実に凍死するだろう。
だからこそしっかりした装備を買おうとしているのだが、なかなかお目当ての品物はない。
「ラフィル、それは少し生地が薄くないか?」
「そうですけど、あまり防寒性を重視すると動きづらくなるんですよ」
「なら少し値は張るが、あのコートはどうだ?」
「買いたいですが、手持ちが足りないです」
ショッピングモール〈ネルロ・ネルヴァ〉で便利屋は頭を抱えながら買い物をしていた。
本来ならば、迷宮探索するために必要最低限の装備とアイテムを持って挑むのが迷宮探索者だ。
だがラフィルは便利屋であり、現在は迷宮探索者ではないためしっかりとした装備で迷宮に突入してもいい。
しかし、困ったことにラフィルは高価な装備品を買う余裕がなかった。
「そういうあなたはいいんですか? いくらヒューマノイドでも寒さには堪えますよ?」
「俺は元々作業用だ。劣悪な環境で働けるように調整されている。下手すれば戦闘用より環境適応できるだろうな」
「それは面白い話を聞きましたね。なら極寒の湖の中で作業もできるってことですね」
「できなくはないが、必要以上に魔力を消費する。動けなくなったら一人で頑張ってくれ、ラフィル」
「冗談です。何かしら手は考えますから普通に働いてください」
真面目に返答したベイスに、ラフィルはクスクスと笑っていた。
ひとまず手に届く範囲で装備品を集め、アイテムも買うことにする。
しかし、意外と高価な装備品にラフィルは頭を抱えていた。
「防寒性と防御性能を兼ねているとはいえ、結構しますね」
「少しグレードを落とすか? アイテムが心許なくなる」
「そうすると今度は防御面で心許なくなります」
「どちらを取るか、か」
ラフィルとベイスは腕を組んで悩む。
どちらか一方を取るともう一方が立たなくなる。
そもそも迷宮探索する訳ではないので、どちらも充実させたい。
しかし、ラフィルの日頃の行いが悪いためか金銭的な問題でどちらかを取るしかなかった。
装備を取るか、アイテムを取るか。
二人が頭を悩ませていると、一つの軽快な声が耳に飛び込んできた。
「お、こんな所で何やってんの?」
二人は声がした方向に顔を向けると、一人の優男が立っていた。
黒髪をひとまとめにし、メガネをかけている優男を見てラフィルは顔を曇らせる。
そんなラフィルの表情を見た優男は、少し楽しげに意地悪そうな笑顔を浮かべた。
「あ、もしかしてついに夜逃げかい? 聞いてるよ、ギルマスに追いかけられたってね。でもまあ、逃げても無駄じゃないかな。ギルマス、ああ見えてとってもしつこいし!」
「違いますから! 追いかけられたのは間違いありませんけど、違いますから!」
「何が違うんだいラフィル? お金がなくて追いかけられたってことはみんな知っているからね!」
「う、もうそんな噂が……」
「そ、広がってんの。ま、広げたのは僕だけどね」
「スクラップにしてくれます、スレイン!」
スレインは楽しげに笑っていた。
ラフィルは本気でスレインを叩きのめそうとしているのか、手を硬く握り拳へ変えていた。
「落ち着けラフィル。スレイン、あまりラフィルをからかわないでくれ」
「はいはい、わかったわかった。同じヒューマノイドのよしみとしてこのくらいにしておくよ」
スレインはちょっとつまらなさそうな表情をし、ベイスの言葉に従う。
ちなみにスレインはベイスと同じヒューマノイドである。
ただベイスと違って、戦闘用だ。
そのためベイスより行動な演算能力を持っており、様々な戦略を打ち立てることもできる。
つまり簡単にいうと、悪知恵が働くのだ。
単純な力勝負ならベイスに軍配が上がるが、少しでも頭脳戦が絡むと誰にも負けない策士でもあった。
「それで、どうして君達はここにいるの?」
「依頼が入ったんですよ。その依頼で〈銀色湖畔〉に行くから買い物しています」
「なるほどね。だから防寒対策をしている訳か」
「だが、ラフィルの手持ちが思ったほど少ない。だから防御面を取るかアイテムを取るか、と考えている」
「ラフィルは貧乏だからねー」
「ベイス、やっぱりこいつをスクラップにしていいですか?」
「落ち着け。ここで戦えば出禁になる」
ベイスになだめられるラフィルは、拳を震わせながらスレインを睨む。
スレインはそんなラフィルの反応が面白いのか、楽しげな笑みを浮かべていた。
「ま、そんなに困っているなら手を貸してあげてもいいよ。ここのオーナーと友達だし」
「何言っていますか。あなたみたいな飄々としている根無し草、友達がいるなんて信じられません!」
「言ってくれるね。まあそれは君も同じだろ、ラフィル?」
「ぐはぁっ! だ、誰がボッチですか!」
「ラフィル、自分で自分を抉っているぞ」
ベイスの言葉にラフィルはさらなるダメージを負う。
血反吐を吐き、悶絶しているラフィルにベイスはもう呆れて頭を振ることすらなかった。
「ま、ちょっと行ってくるよ。期待して待っててー」
スレインはそういって店の奥へと消えた。
ベイスはスレインの背中を見送り、悶えているラフィルに視線を移す。
いつもながらその姿は頼りなさ全開ではある。
「ラフィル、わかっているとは思うが一応用心はしておけ」
「わかっていますよ! 泊まり込みですからね。枕投げの準備はできています!」
「お前、本当にわかっているのか?」
「ジョークです。わかっていますよベイス。依頼人が言っていた〈変な奴〉についてでしょう?」
「わかっていればいい。嫌な予感がする。確信はないが、おそらく厄介な奴だ」
「でしょうね。だからこうして頭を悩ませているんですよ」
遺物調査を中止に追い込んだ存在。それはおそらく、依頼人の前にまた現れる。
ラフィルとベイスはそれがわかるからこそ、どちらか一方という選択ができなかった。
もしどちらか一方を取ってしまえば、考えもしない最悪な事態が起きる可能性が高い。
「スレインが手を貸してくれることはありがたい」
「そうなんですけどねぇ。でもあいつは気に食わないですし」
「今はそんなこと言っていられないだろ」
「そうですけど……」
スレインはありがたい存在だった。もしかするとベイス以上に。
だからこそついつい甘えてしまいそうになる。
ラフィルはそれが嫌だから、スレインとよくケンカをする。
だがそれは傍から見ると楽しいやり取りに思えるものだった。
「あいつもあいつなりに距離を取ってくれている。お前のためだ」
「だから嫌なんですよ。スレインは本来そういう奴じゃないですから」
「そうだな。お前を小バカにしているが、実はよく見ているからな」
「よく見られているから嫌なんです。だいたいこの前もスレインは――」
ラフィルがスレインに対して何かを言いかけたその時だった。
スレインが元気よく駆け、ラフィルに向けて大声を放った。
「ラフィル、既製品はダメだったけど試作品ならタダでくれるってさー!」
それは、とても素敵で泣きたくなるようなありがた迷惑な話であった。
だからラフィルは、思わず大声でスレインに叫び返した。
「私は実験台じゃありませんよ、スレイン!」
二人のやり取りを見ていたベイスは、大いに頭を抱える。
何はともあれ、防御面で少し不安が残る結果となったのだった。