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牡丹は一度左右に座す二人を見てから躊躇った。
「私だけでは駄目でしょうか?」
牡丹がそう言うと、椎名が答えるより早く、
「駄目だ」
と士郎が答えた。
「具体的な話を聞く。何をされるか分からないのに牡丹を検体なんぞにさせられん」
須藤が続いて言った。
「いいでしょう。こちらへどうぞ」
椎名は立ち上がり、椎名が入室して来た扉を開けた。
牡丹はごくりと喉を鳴らしながら立ち上がった。
★
「皆さんこちらへどうぞ」
椎名に誘導され、二十五階のフロアに通された。
こちらの階層は二十階とさして変わらず、矢張り赤絨毯が敷き詰められていた。だが、通路の両脇の壁は一面ガラス張りである。ガラスの向う側はビニル張りの1人掛けのソファがいくつか並んでいる。一つ一つのソファの脇には計器類が並んでいる。ソファの背凭れ部分にはヘッドギアが下がっている。牡丹には利用用途は不明だ。
「ご覧下さい。素晴らしいでしょう?旧式のバーチャル・リアリティシステムですが、これだけ並ぶと中々ですね?」
「これを俺たちにやれと?」
須藤が聞くと、椎名は首を振る。
「いえいえ。こちらはほんのお遊びですよ。ですが、視覚的にとても分かりやすいでしょう?まあ、こんな感じのものですが、もっと先進的なものを皆さんに試して戴きたいんですよ。もう一度エレベーターに戻りましょう」
エレベーターに乗り込むと、椎名はXと標されたボタンを押した。上か下かもわからない。
「もう日本は終わりでしょう。この施設はね?最後の楽園と呼ばれているんですよ。何故だか解ります?この施設の外の荒廃状態はご存知ですね?」
「だが何とか生きている者もいる」
「ええ。ですが、時間の問題ですね?食料は心許ない缶詰のみ。他国も戦争真っ只中。逃げる事も出来ませんね?我々の研究はね、唯一の救いなんですよ。逃げ出したい者達に現実を逃れる術を与えてあげるんです。素敵でしょう?皆さんには、これからその一端をお見せしようと思います」
椎名は不敵に笑んだ。
「ふん、よくもまあベラベラと口が回るな」
須藤が吐き捨てる。
「お褒めにあずかり光栄です」
随分長い間間エレベーターは移動していた。
「地下……か?」
士郎が呟く。
「ええ、そうです。このビルの上物は言わば飾りです。重要な場所は地下にあります。エネルギーのインフラ関係や、家畜や植物などの研究及び生産も地下にありますね」
エレベーターが止まった。
椎名は靴音を鳴らしながら出る。
「どうぞ?ここからは別のエレベーターに乗り換えて行きましょう」
付き従い、今まで乗っていたエレベーターの隣のものに乗り込んだ。
「今我々が研究している技術は謂わば神への冒涜でしょうかね?我々人類を肉体という枷から解き放つ研究をしているんですよ。精神のみをコピーする技術です」
素敵でしょう?と狂気を滲ませた。
「イカれてやがる」
須藤が殺気めいて言う。
牡丹はじっとりと汗をかいていた。
★
「ここですよ」
「なん……だ?ここは」
椎名以外の三人は息を飲んだ。
ガラス張りの壁の向うは水槽のようであった。
水に揺蕩うあらゆる年齢層の男女。小さく身体を折り畳む。皆一糸纏わずにいる。
偶に薄眼を開けて虚空を見つめたり微笑んだりと、実に幸せそうな表情をしている。
「五十人程の男女がいます。肉体はありますが、皆意識はそれぞれAIに管理されています。これは最近運用を開始したシステムでしてね?皆幸せな夢を見て過ごしています。皆さんにはもう少し先進的な技術の開発にご協力いただきたいのです」
今日はここまでにしましょう、と椎名が打ち切った。
エレベーターに乗る直前、牡丹が揺蕩う男女を一瞥すると、その内の一人の少女がコポリと泡を出しうっとりと身を捩らせていた。
酷く寒気の止まらない光景だった。
★
与えられた部屋に着き、皆それぞれ備え付けの風呂に入る。
疲労困憊の身体と頭を振って三人は向かい合った。
「悍ましい光景だった」
須藤は率直な感想を述べた。
「ああ。実験には協力せずに何とか建物の中を見て回らなければならない」
士郎の意見に二人は概ね賛成だった。
「でも、それが許されるとは思わない」
「牡丹の言う通りだ。あのマッドサイエンティストが許してはくれないだろうな」
「制圧するにしても、この建物に何人の人間がいるのかも分からない。対してこちらは三人。火気類も無い」
「まずは自由に見て回れないか聞いてみようか?」
牡丹は内線を指差す。
「駄目元だが、聞いてみるか」
須藤は直ぐに受話器を取り、暫くすると二、三話して終話した。
「あっさり要望が通るのも怖いな。明日、決行だ」
須藤は言った。
三人は素早く寝支度を整え身体を休めた。
牡丹は久しぶりに母の夢を見た———。
母は唯悲しげに牡丹を見つめるだけであった。