5
背景に合わせたように重厚感あるウォルナットの作りのカウンター。
その後ろにスーツを着た男が一人たっていた。
三人はグッと獲物を握る手に力を入れる。
「いらっしゃいませ」
男は笑みを浮かべてそう言った。
★
男は四十は過ぎているであろう。
壮年の男は白髪が幾筋か混じった頭髪を後ろに撫で付け、しっかりアイロン掛けのされたスーツを着ていた。
矢張り異様な建物には異様な男が似合うと牡丹は思った。寧ろ浮いているのは牡丹たちの方だとも思った。
「……いらっしゃいませ?」
須藤が鸚鵡返しをする。
「はい。お客様がいらっしゃいましたから」
壮年の男は全く動じもせず返した。
「客?客ねえ。ここは一体なんなんだ?」
須藤が進行する。牡丹は事の成り行きを須藤に任せた。
「当施設は地上における最後の楽園でございます」
「楽園?」
「はい。さようでございます。ここは選ばれたお客様のみをお迎えします。そして、然るべき時にお客様を送り出す事が当施設とわたくし共この当施設で働く人間の役目でございます」
須藤は素早く牡丹と士郎に視線を巡らす。分かるか?と問われ牡丹は首を振る。男の言っている事がさっぱり分からなかった。それは須藤も士郎も同じようだった。
「まずはお部屋にご案内致します。こちらをどうぞ」
三人はナンバーの書かれたカードキーを差し出された。
「結局なんなのかが分かるまで説明してくれ」
男は困ったように首を傾げてから頷いた。
「当施設は大戦があるまでの言葉で表現しますと、レジャー施設とでも考えて戴ければ適当であるかと存じます。様々な最新の技術を用いた施設を体験して戴きます。施設からお出になられる時期は当施設の独自の判断によりますので、ご不便をお掛けしますが、お部屋を準備致します。このようなご説明でよろしいでしょうか?」
「俺たちは客じゃねえ。この娘の母親を捜しているんだ。だから、一通り見せて貰ったらすぐ帰る」
須藤が漸く要件を伝えると、男は大きく頷いた。
「では矢張りお客様でありましょう。当施設は見学だけではお通し出来ない決まりとなっております。この素晴らしい設備はじっくり体験してこそですから」
須藤は視線を牡丹にくれてから後ろ頭をガシガシと掻いた。
「一枚だ」
「ルームキーの事でしょうか?出来ればご婦人とは別室を推奨させて戴いておりますが」
「いいや、一枚だ。得体の知れない場所にこいつを一人には出来ない」
須藤は譲らなかった。
代表で須藤がルームキーを受け取り、男の案内に従った。
暫く歩いてスペードのマークが小さく描かれた扉の前で止まった。
「こちらがお部屋でございます。必要な品や、ご不便が御座いましたらどうぞ内線にてお申し付けください」
須藤がルームキーを扉に付いたカードリーダーに翳す。ガチャっと音が鳴り、解錠を知らせた。
須藤が扉を開き中に三人続いて入る。
「どうぞ、お寛ぎ下さいませ」
男はそう言って去っていった。
三人が入ったのを確認すると扉を閉める前に須藤は持っていたルームキーをデッドボルト(本締)の部分に差し込み自動でロックがかからないように細工した。
「鍵がかかった方がいいのか開いていた方がいいのかすらわからん。取り敢えずこうしておく。いいな?」
二人は頷いた。
「訳がわからん」
そう言って須藤は部屋にある内の一番手前にあるベッドに乱暴に座り、荷を降ろした。だが、腰の獲物は降ろさなかった。
士郎は当たり前のように最奥のベッドに陣取り、辺りを一度警戒してから荷を解き出した。
牡丹は丁度中央のベッドにこしを降ろし、荷物を解いた。
異様な建物に異様なセキュリティ、電気に機械に、あり得ない清潔さ。それから謎の男。
男が言っていた最新の技術とは何だろう。
そして男は選ばれた客と言っていた。
然るべき時に送り出すとも言った。
誰に選ばれたのだろうか?
男は選ばれたと言っていた。男が選んだ訳では無いニュアンスだった。
そして然るべき時とは一体いつなのだろうか。
厄介な事に二人を巻き込んでしまったと牡丹は後悔した。
母はここに無事いるだろうか?
外から建物を見た時は確信めいたものがあった。一階部分でもそれは続いていた。
しかし、この二十階に着いてから揺らいでしまった。
当時短い期間暮らしていた施設ではこんな赤い絨毯が敷かれた階は見た事が無かったからだ。
男が言う客というものだからだろうか?
当時牡丹は所長の娘という立場だった。だから違うのだろうか。
取り留めの無い思考を続けていた。
「牡丹」
不意に名を呼ばれ、最奥のベッドを見遣る。
「この建物や、あの男の言った事は考えるな。唯、母親と別れた場所の記憶を辿れ」
そうだ。牡丹は短時間であり得ない経験をし過ぎて牡丹にとっては瑣末な事に思考が割かれていた。
「その他の事や危険の排除については俺と須藤が考える」
士郎はそれだけ言ってベッドにゴロリと横になってしまった。
須藤は既に寝息を立てている。
牡丹はなんだか気楽な気分になって、この建物に着いて初めて大きく息を吸った。