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一条 牡丹。
それは今年二十歳になったばかりの少女の名前だ。
少し癖っ毛のショートヘアを手で梳きながら跨っていたバイクを降りる。
牡丹が立つ小高い丘の下には、かつては繁栄を極めた廃墟が広がっている。
「牡丹」
声を掛けられ振り返る。そこには牡丹の五つ年上の青年が同じくバイクから降りながら声をかけてきた。
「士郎、付いてこなくても良かったのに」
牡丹が口を尖らせながら答えると、士郎と呼ばれた青年は小さく笑う。
「放っておけはしない。牡丹が十二歳からの育ての親としてはな」
「育てられた覚えは無い。同じスラム出身というだけじゃない」
士郎に苗字は無い。牡丹よりもずっと幼い頃に捨てられ、士郎よりも年嵩のスラムに住む男に名付けられたと士郎は言っていた。
第三次世界大戦までは何とかなった。
しかし、時を置かずして始まった第四次世界大戦により、東京は元より、日本は壊滅した。
隣国による核の脅威に非核国家である日本は木っ端微塵だった。散り散りに逃げ、何とか生き延びた日本人たちがスラムを形成したが、もう国の体裁は成していない。
牡丹は母を探している。
ある日忽然と姿を消してしまった母を。
ほんの数秒目を離した隙に母は泡のように消えてしまったのだ。
士郎は拾った手前か、牡丹の母探しを手伝ってくれている。
———せめてお母さんが居なくなったビルが分かれば。
幼くして母が突然消失し、自失していた牡丹は当てもなく母を呼びながらスラムと化した東京を彷徨った。そこで牡丹を保護し、衣食住を世話してくれたのが士郎だった。
「俺が牡丹を拾った辺りはここだったな」
士郎の言葉に思考を打ち切って頷く。
「十二歳の子供の行動範囲だから結構広いんだよね。探し始めるのが遅すぎた」
牡丹は項垂れる。
「仕方ないさ。明日の自分で精一杯だったんだ。探す地盤を整えるのも容易じゃない」
実際に、母と別れてから探し出すまでに五年もの歳月を要した。その五年間で牡丹の記憶は容赦なく風化していった。
今となってはそのビルの特徴も曖昧にしか憶えていないし、街はビルの砂漠のようにどんどんと劣化していく。
この渇いたビル群が煌々と煌めいていたなどと、牡丹の想像力では全く思い描く事が出来ない。
「今日は、ここから一キロ先のビルを当たろうと思う。悪いけど、よろしくお願いします」
牡丹は士郎に頭を下げる。
士郎はそれには答えず、さっさとバイクを動かした。牡丹も後に続いてエンジンを吹かした。
★
「どうだ?牡丹」
ビル群の中、上空まで聳え立つ建物を見上げながら士郎が問う。
「なんとなく見覚えがある気がする」
遠い記憶を辿るように牡丹が視線を流す。
「この中で一番背の高いビルに登ってみるか」
士郎が促すと、強いビル風が整備をされていないアスファルトに吹き付けた。パラパラと土埃を舞い上げる風に牡丹は目を瞑る。
「行こう」
牡丹は風が収まるのを待ち、ゆっくりと目を開け、言った。
廃墟と化したビル群の中で一番高いビル。
二棟が対を成すように併設している。二棟のビルを繋ぐように連絡通路がかけられている。
双子のビルの一番近い方に進む。
ビルの入り口は分厚いガラスが割られている。戦火の影響か——または何かを求めた簒奪者の通った跡か。
牡丹と士郎は乗ってきていたバイクを止め、入り口に差し掛かる。ジャリっと辺りに散らばるガラス片を踏みしめる。サイズが少し大きな皮のワークブーツにその感触を確かめる。このワークブーツは焼け残ったミリタリーショップから士郎が戴いてきた物だ。
バイクにしても、なんとか戦火を免れた店からパーツを集めてスラム仲間が組んだ物だ。ガソリンにも限りがあるが、スラムの仲間は皆協力的だった。
「気を付けろ。いくらブーツを履いていても鋭いガラスは危ない」
わかっている、と頷き、身を屈めて入り口を入る。
エントランスに当たる空間に進み、一度足を止める。
「見覚えは?」
牡丹は首を竦める。
「違うと思う。兎に角上に上がって外を見てみたい」
見覚えがある場所を見つけられるかもしれない。牡丹はそう続けた。
「わかった」
士郎が先行する形で二人はエントランスを奥に進む。所々壁が崩れていたり、瓦礫がある。古い鉄骨が突き出していたり危ない。きちんとした医療道具が無い現在、少しの怪我が命取りだ。
「エレベーターは当然駄目だろうな。非常階段を登ろう」
二人はエントランスの右奥。エレベーターの横にある扉を見た。非常口、と書かれた今は点灯していない緑のマークが頭上に付いた扉を開けた。
階段は非常に暗く、持ってきたソーラー式のライトを点けた。
幾分か明るくなった眼前には、折り返し階段の形式だ。先は見えないが、屋上までとなると相当な階数だろう。
ふーっ、と息を吐き、牡丹と士郎は登り出した。
初めてのSF物?です。
恋愛要素はかなり薄いですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。