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記憶を失った僕と彼女たち  作者: 天笠愛雅
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風呂場

あ、愛斗行っちゃった...

夏海と陸上部を見に来たのかと思ったらすぐにどこかへ行ってしまった。


「どうしたの、未原ちゃん」

愛斗の方、正確には愛斗がいた方だが、そっちの方を見ていると岳が背後から話しかけてきた。


「ん?なんでもない」


「そ、そうか」



「お帰りなさい!」

玄関を開けると母と妹が待っていた。どうやら帰って来たところが見えていたみたいだ。

時計を見ると5時が過ぎていた。これはどうやっても、終業まで学校にいたことは言い逃れできない。そんなことする必要はないのだが。


「ただいま。おかげさまで最後までいれました」

母と妹は、なにやら愛斗からの報告を待っているみたいだったのでそれっぽいことを言っておく。すると母は

「お疲れ様、よかった...」

と言葉を詰まらせた。


「お兄ちゃん!お疲れ!今日は美咲も夕飯の用意手伝ったんだよー!」

満面の笑みで妹は自慢げにそう言う。そういえば、初めて妹が自分のことを美咲と呼ぶのを聞いた気がする。美咲は愛斗の鞄を漁って、弁当箱を取り出していた。


「そうか、それは楽しみだな」


夕飯はハンバーグだった。特に何を手伝ったのかは聞かなかった。それを聞くときっと美咲が可哀想になる。ハンバーグの完成度からしてほとんどを母が作ったのだろう。やはり美味しい。単身赴任の父のいない食卓は何か寂しい。だが、仕事ならそれでいい。もしかしたら愛斗は交通事故でそのまま死んでいたかもしれないのだから。


その夜、芽衣から連絡があった。


今日はお疲れ!すごいよ、もう1日クリアなんて


そういえば、放課後は一方的に芽衣を見ただけで会ってはいないことに気づいた。なんて僕は薄情なんだと自分を戒める。全て、芽衣のおかげなのに。だけど今、戒めたところで終わったことはどうにもならないのだから今は、全身全霊でトークに向き合う。


ううん、全部芽衣のおかげだよ


僕一人だったら何にもできてなかった


2回に分けてメッセージを送る。改行するべきか句点を使うかで迷ったが、どっちでもなく分けてみた。


愛斗は自分にもっと自信を持った方がいいよ。愛斗は本当に強いんだから


対して芽衣は句点を使って1回で送ってきた。

自信を...。助けられてばっかの僕に、自信もプライドもある訳がない。強い?どこが?泣いてばっかり、落ち込んでばっかりの僕が強いと言われる道理はない。


どうなんだろうな、それはまだよく分からないや


変に芽衣に合わせるのでなく、思っていることを自分が持つ語彙力で伝える。上手く言葉にできない、稚拙な文章になってしまったが、否定していることは伝わるだろう。


そっか、だよね。また明日ね


そうしてトークは終わった。


次の日からも愛斗は学校に行き、着実にクラスに、学校に馴染んでいた。特にこれと言って良いことも悪いこともなく、普通の高校生として生活できている。変わったことも特にない。強いて言うならば、家で美咲が料理など、家事に励み始めたことだ。

「お兄ちゃん、洗濯するものある?」「食べたいものある?」まるで奥さんのようだ。嬉しいのだが、何か気を使わせているような気がして申し訳なかった。

愛斗が学校に通い始めて、約1週間経ったある日、学校から帰って風呂に入っている時だった。


ガラガラ


浴室の扉が開けられる音がして、愛斗はドキッとした。この屋根の下にいるのは母か妹。どっちも女性。母も美咲も家族ではあるのだが、記憶をなくしてからというもの、正直どこか家族だと思えていない自分がいた。だから、どちらに裸を見られてもとても恥ずかしい。それが美咲だったら尚更だ。だが、その尚更だった。


「お兄ちゃん...一緒に入ろ...?」

バスタオルで前を隠してはいるものの中2の女子の身体のラインは丸わかり。大事なところも、恥じらいも、どっちも隠しきることができていない。


「ど、ど、どうした!?」

愛斗の頭は混乱し、そんな間の抜けたことしか言えなかった。裸の女の子を前にしたら、思春期のほとんどの男子はそうなるだろう。だがそれではいけないのだ。どんな理由にしても、男という生き物の前で裸になるのはとてつもない勇気が必要だ。それを格好悪く迎え入れてはならない。もっと紳士的に...。


「お兄ちゃんと一緒に入りたくなっちゃったの...」


美咲は身体を流して、シャンプーし始めた。もう、タオルで隠すなどしていない。産まれたままの姿だ。見ちゃダメだ。見ちゃダメだ。とは分かっているものの健全な年頃の男子高校生ならば見てしまうものだ。果たして、記憶を失っている愛斗は健全と言うのか分からないが、男としての本能は持ち合わせているようだ。

はっきり言って美咲は可愛い。妹じゃなければ手を出していたかもしれない。だが妹という世界に1人の存在。それを傷つける訳にはいかないのだ。社会的にも、人間的にも。


様々な考えを巡らせているうちに、いつの間にか体も洗い終わったようで「入るね」と言って愛斗が入っている浴槽に、右脚、左脚と入ってきた。高2の男子と中2の女子。犯罪的な空間が狭い範囲に誕生してしまった。肩まで浸かった愛斗の肌とすべすべした美咲の肌は常に触れ合っている。愛斗は思った。この沈黙を破るため、何か話さなくては。紳士的に。


「最近家事頑張ってるね」

ショートした思考回路で考えられるものはそれくらいだ。


「お兄ちゃんが頑張ってるから美咲も頑張らないとって思って...。お兄ちゃんに見てもらえるのはそれくらいだから...」

そうだったのか。愛斗がきっかけではあるが、美咲は美咲自身で決めて頑張っている。それを知って、愛斗は少しほっとした。


「本当に偉いな。美咲は...」


「お兄ちゃん、初めて美咲のこと名前で呼んだ?」

確かにそうかもしれない。それとも変に意識しているからかもしれない。


「そうかな?」


「そうだよ」


「そっか...」

そして風呂場に、再び沈黙が訪れた。

この状況をどう切り抜けようと考えていると足音が聞こえてきた。愛斗から血の気が引く。美咲を見て訊いた。


「お母さんに言った?」


「言ってない」


その時、大きくなった足音で脱衣所に母が入ってきたのが分かった。


「愛斗ー、シャンプー切れてなかったっけ?足そうか?」

まずい、このまま扉を開けられたら母は、息子と娘が裸で密着している所を見てしまうことになる。それだけは避けなくてはならない。


「あー、大丈夫!まだあるよ」

シャンプーはもうなかった。しかし、今ないと言えば意地でも足しに来るだろう。


「そう。でも忘れないうちに...」

母が扉に手を掛ける。終わった...。美咲も声を殺しつつ、相当焦っている。


「あー!味噌汁が吹きこぼれる!」

そう叫んで母は台所へ飛んで行った。愛斗も美咲も胸を撫で下ろした。本当に危なかった。危機一髪とはこのことか。


「危なかったな」


「そ、そうだね...」

美咲の声は震えていた。あんな窮地に陥ったら当然そうなるはずだ。


「僕は先に出るよ。後で出ておいで」

愛斗は、うんと頷いた美咲を残し、風呂から上がった。だいぶ長く入っていたし、心拍数も上がっていたので浴室から出た時、視界が悪くなり身体の力が抜けてふらついた。貧血の症状みたいだ。


夕食の時は、特に話すこともなく、ただ時間だけが過ぎていった。だが、自分の部屋のベッドの上ででだらだらとしていると、コンコンとノックされ、「お兄ちゃんいい?」と美咲が入ってきた。


「いいって言ってないぞー」


「ご、ごめん...なさい」


「いや、いいんだけど。今度はどうした?」

今度はと言うのはデリカシーがなかったかもしれない。


「さっきのこと、謝ろうと思って...」


「謝る?なんで」


「だってお兄ちゃん混乱してたもん。妹が急にお風呂に入ってきたらそりゃびっくりするよね。ごめん」

律儀に手を下腹部の辺りで揃えて90度の礼をして謝ってきた。


「いや、いいんだ。確かにびっくりはしたけど。でもそんな日もあるよな。僕は気にしてないから」


美咲が顔を上げてから言った。

「本当?でもやっぱおかしいもんね」

美咲は俯いてしまった。


「まあ、座れよ」

愛斗はベッドの自分の隣に座れと美咲を促す。素直に美咲は従って、ちょこんと座った。


「おかしくなんかないと思う。美咲がおかしいって思ってるのは妹として?それとも異性として?」


「妹として」


「それなら問題ないよ。妹の数だけ妹のあり方はある。さっきのは美咲のあり方なんだよね?きっと」

我ながら訳の分からない理論を展開してしまった。だが美咲は納得したような顔をして、黙って愛斗の肩に頭を乗せた。


「お兄ちゃん...!」


「美咲!?」


愛斗はベッドに美咲に押し倒されてきつく抱き締められた。これが美咲の気持ちなのか?それとも僕を心配しすぎて?


「お兄ちゃん...お兄ちゃん...」


「美...咲...」

一旦美咲は顔を上げて、抱き締めるのをやめた。なぜか美咲は泣いている。なぜだと考える間もなく美咲は再び愛斗に覆い被さる。愛斗は気持ちばかりの抵抗はしていたが、それすらやめ、美咲のされるがままにしていた。しかし、次に美咲の口からは、兄として否定しなければならない言葉が発せられた。


「ねぇ、暑いから脱いでいい?」

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