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遅くなりました...。
途中のアニメのあらすじをずらずらと語っている所は読み飛ばしても大丈夫です。
この現象はなんなのか。
我はそろそろその事について考えるべきなのではないかと思う。
馬として死んだはずなのに何故か人の子になっていたなんていう摩訶不思議な現象を、な。
この世界に生まれ直して1年目、我はただただこの慣れない体と見知らぬ世界に翻弄されて過ごし、アルダス様に出会ってからはひたすらアルダス様を追ってきた。
2年目にもなればある程度の慣れもでてきたものの、結局この謎すぎる状況を特に考える事なくただ流されて過ごしてきた。
だが我は、そろそろ考えなくてはならないと思うのだ。
この謎すぎる現象をきちんと考えて、
我なりの答えを出して、
これからのことを考えなければならないと思うのである。
い、いや、今まで一度も何も考えようとしなかった、と言う訳ではないのだ。
アルダス様と出会い、言語を覚え、それなりに余裕が出てきてからは、我だって何回か考えようとしたのである。
つまり、今まで結果的に何も考えて来なかった事にはそれなりの理由があって、我がただ怠惰であったという訳ではないのだ。
実のところ少し前まで我は、ある程度のことを考えようとすると、頭痛に襲われる症状に悩まされていたのである。
覚醒したばかりの頃はそもそも考えること自体が困難であったが為に、そんな事はなかったのだがそれなりに考えることが出来るようになってからはずっとそうであった。
おそらくこれは、病気でも世界のルールがどうのとかでも無くて、情報過多だとか頭の使いすぎだとかになるのだと思う。
要するに、馬時代の我の思考に今までの我の頭がついてこれていなかったのである。
特に、前世の我は馬の中でも頭のいい種族で、更にその中でも頭のいい馬であったから、尚更だったのだろう。
しかしその問題ももう解決したようであった。
ついこの間、考え込みすぎてしまった事があったのだが、いつもならそこで感じる痛みを感じなかったのである。
だからこその、決断だ。我は一歩踏み出す事にしたのである。
頭痛の消滅が判明してから数日が経っている事は気にしてはいけない。
...我は万が一を考えてしばらくの間様子を見ていたのだ。そうなのだ。
決して後にまわしてなどいない。
ついさっきまで忘れていたなんて事は決してないのである。
...ごほんっ。軌道修正。
己の中で始まった謎の弁明をやめて、前を見る。
いや、元々見てはいたのだが。...目の前の光景に意識を戻す、と言った方が語弊なく伝わるか。
我の前にあるのは “ てれび ” で、流れているのはアルダス様のあの “ あにめ ” であり、昨日の話の次の回。次の最終話と合わせて、全体的な話のクライマックスである。
アルダス様の登場する僅か数十秒程の冒頭は疾うに終わっていて、今は勇者が敵のボス、魔王なる者と対峙している場面だ。
重要な事なんだから、もう少しちゃんとしたところで考えろよ、と思われるかもしれないが、実はこの “ あにめ ” が今の我に得られる、この状況への1番の手掛かりなのである。
だからこそ、我はアルダス様の全く登場しないこの場面を観ているのだ。いつもアルダス様の登場シーンが終わるとすぐに我を遊びに誘う姉上もそれを知っているから邪魔をしない。
我もきちんと情報収集は怠っていなかったのである。
...まぁ、1日1回1話の券を僅か数十秒だけで消費するのがもったいなかった、というのもあるかもしれなくもないが............いや、ない。
そんな事は決してないのである。
誰だ我に罠を張ったのは。
......ごほんっ。軌道修正。
再び逸れかけた思考を戻す。考えられる時間は限られているのだ。
無駄な事に時間を割いている暇はない。
この後はすぐにおやつ、それから姉上と遊んで、母上の料理支度を手伝って、夕食を食べて、お風呂に入って、就寝だ。我は意外と忙しい身の上なのである。
...忙しいのだぞ?
.........。
...さて、では仕切り直して、この話の大筋を語るとしよう。
特に、我にとって重要な情報を盛ってな。
終盤で分かる事もまとめて時系列順に話してしまうと、まずとある男が死んでしまった愛する人を生き返らせるために、その人の兄と協力してとある儀式をしようとする事から始まる。
因みにこの兄がこの間の敵だ。
儀式には沢山の人の魂と魔力が必要であり、この2人はそれを集めるため、後に人々から魔物と呼ばれる恐ろしき生物兵器を作り出す。そして何百もの人々を殺害し、その魂と魔力を収集。人々はその男を恐れて魔物を統する王、“ 魔王 ” と呼ぶようになり、そこで神の加護を受けた勇者が立ち上がる。その勇者に同じく加護を持つ聖女がついて、旅を始める事になるものの、その旅の途中勇者達は魔王に襲われ激闘のすえ勇者敗北、聖女は拐われる。
因みにここまでが第1期だ。
そして第2期の始め、途方にくれた勇者が出会うのが国から魔王討伐の任を受けたアルダス様率いる騎士団である。加護の繋がりから聖女が生きている事を確信していた勇者はアルダス様に頼み込んで、騎士団に同行。その途中、勇者は剣と魔法に優れるアルダス様に指導を受けて、実力をあげる。
心優しきアルダス様は戦いに挑む心意気まで勇者に教えて、勇者はなんやかんやあって折れかけていた心を再び立て直す。道中起こる色々な問題もアルダス様は全て華麗に解決していって............。
...ぬぬ、長いか?
...むぅ...そうだな。
本当に重要な情報だけを抜粋するとしようか。
場面がバラバラであるが故に状況は多少分かりづらくなるものの、まぁ我が今求めているのは情報だけであるしな。
──お前、沢山の人々を殺すだけでは飽きたらず、その魂の来世すら奪うと言うのか!?
──お前だって愛しい人を亡くしたのなら分かるだろう?!この人達はその上更に、生まれ変わって再び出会う事すら出来なくなるんだぞ!
──ハッ、生まれ変わる?輪廻転生の末、出会えたとして、それが何になるというのだ?その時すでに私は私でなく、あの人はあの人でない。共に過ごした記憶は私達に存在しない。貴様はそれに価値があるというのか?ハハッ、笑わせてくれる。
ちなみに言ったのは上から順に、勇者 勇者 魔王 だ。
この3つの台詞はかなりの情報を含んでいるのではなかろうか。
特に魔王の台詞は驚くほどこの状況について重要な情報が詰まっていると我は思うのである。
輪廻転生。
思い返してみれば、我の前世、馬時代にもそういう考えはあったのかもしれない。
かなりあやふやで、曖昧なものではあったが......
“ 我ら馬が真の主人に出会った時に感じるあの感覚は、前世の主人の魂に我らの魂が無意識に反応するから起こるのだ。”
......と、まぁ要旨を簡潔に述べれば大体こんな感じである。
我が仔馬の頃、母上に聞いた御伽噺であるから、元はもっと長いものではあったが、今は情報が分かればいいだけの話であるしな。
わざわざ忠実に再現する必要もないであろう。
そもそも馬の伝え方で教えられたものであるから、人の言葉で忠実に、というのは少しばかり難しいところがある。...まぁ、何年も前の事であるが故に、そこまで詳しく覚えていない、という事も否定はしないが.........普通は皆、そうであろう?
我が魂のない “ てれび ” に映るアルダス様に反応した辺り、これは真の事ではなかったのであろうが、生まれ変わるという考えはきっと真であったのだ。
でないと我のこの状況は説明出来ぬしな。
魔王のセリフからして輪廻転生は本来、前世の記憶は失われるものであるようだが、
我はきっとその工程に何らかの問題があって前世の記憶が残ってしまっているのであろう。
魔王がああ言ったのだから、ここでは前世の記憶を持って生まれてくるのが常識、というわけでもないであろうしな。
それに、もし皆が皆前世の記憶を持って生まれてくるのならば、もう少し我への対応が的確になっていたと思うのだ。
前世の記憶を失う過程にどのような問題があったかは分からぬ。
というか、それが分かるのはもはや神の領域ではないだろうか。
我は一介の馬であり人の子であるからな。分かりようがないのである。
つまり、簡単に言ってしまえば、
我は前世の記憶を持ったまま、人の子に生まれ変わった
ということであるな。
怪しい魔術によって人の子に化けさせられた、とかでなくてよかった。
もう1つの問題は ここがどこであるか だが、これはまぁ、分からぬ。
何せ情報が少なすぎるからな。仕方がないのである。
少なくとも前世と全く同じ場所という事はないのであろうが。
...まぁ、これは後々ということで。
では、次、に.........?
......。
............。
..................。
......ぬ?
もしかして、もうこれで解決なのではないか?
あ、あれ? ひょっとすると、そこまで難しい問題ではなかったのか?
い、いや、そんな事はないはずである。
だって、我の馬生と人生における最大の問題であるはずなのだぞ。
...そ、そうだ、さっき後回しにした問題があるではないか。しかも2つも。
あれを考えよう。
問題を後回しにするのは良くない事であるからな。
ハハッ。
まず1つ目。
" 我の輪廻転生の過程にどのような問題があったのか "
であるな。
これ、は...。
............。
.....................。
......ふむ。
分からんな!
だ、だって、仕方がないであろう。
先程言った通り、問題が壮大すぎるのだ。生き物の手には余る。
我にだってできぬことは存在するのだぞ。
で、では2つ目。
“ ここがどこであるか ”
であるな。
よし。
これならそれなりに考えられるのではないか?
先程は情報不足で断念したが、それならば今集めればいいだけの話である。
我としたことが、失念していた。
では、前世との違いを考えてみようではないか。
ふむ。
前世と変わった事と言われて真っ先に思い浮かぶのは色の違いだな。
色というのは文字通りの色であるぞ。
景色の色。物の色。見える色。つまり視覚的な色。
それが違うのである。
分かりやすく例を挙げるとするならば、りんご。
あのように真っ赤な物は前世では見たことがなかった。
...だが、まぁ、しかし。
それは馬と人の色覚の違いだと言われてしまえばそれまでであるな。
前世では「人はよくもまぁ、あそこまで細かく色を区別するなぁ」などと思っていたものであるが、もしかしたらそれは、そもそも見えていた色が違っていたからなのかもしれない。
他の違いと言えば...、
人の着ている服、住んでいる家、使っている言語、...といったところであろうか。
他にもあるかもしれぬが、いかんせん前世と今世で種族が変わってしまったからなぁ。
ぬぅ...。
何かないかと周囲を見回してみるも、あるのは “ てれび ” に棚に小さな机、“ げーむ ” をする姉上の寝転ぶ子供用ソファーに それを大きくした大人用ソファー、と見慣れてきたリビングの光景が広がるばかりで......。
......む?
...そうだ。“ きかい ” があるではないか。
実はこの場所、前世ではなかった “ きかい ” を使ってまるで魔法のような効果を生みだしているのである。
中にはここにある “ てれび ” や “ げーむ ” のように魔法にも存在しなかった効果を生み出す物まであって......。
思えばその所為か、今世で生まれてこの方魔法が使われるのを見たことがないな。
むぅ、我としたことが、こんな事に気がつかぬとは。
だが、“ あにめ ” で当たり前のように魔法が使われているあたり、魔法は存在するのであろうからどちらにせよ栓なき事か。
ただ単に魔法より “ きかい ” が便利であるから結果的にこうなってしまっただけだろう。
何せ “ きかい ” は魔法と違って魔力がなくとも使えるし、あまり技量も必要としないからな。
特に人によって使える物が限られぬところがいい。
自前の魔力で行う魔法は生まれた時から種類が限られるからな。
他の魔力を借りれば努力でどうにかなりもするが、あれは実に大変だ。
他の魔力を借りる魔法は詠唱魔法と呼ばれていて、名前の通り詠唱を使って魔法を発動する。詠唱に己の魔力をのせ、それによって他の魔力を揺らし、操るのだ。
そのため、詠唱は決まった高さと大きさでやらなければならないのである。
それはかなり練習のいる骨の折れる事なのだ。
考えてもみろ。声を、決まった高さと大きさでだすのだぞ?
簡単なわけがないではないか。
...まぁ、その詠唱魔法だって前世の我は使えたがな!
傷を癒す、癒しの魔法だ。
戦の絶えなかったあの時代、少しでも主人の助けになればと思って頑張ったのである。
詠唱魔法には全く向かない馬の口で、本当に、頑張ったのだ。
だからそこ、「1つだけ?」とか言わない。
...そういえば、ここの大気中の魔力濃度はどれほどなのだろうか。
ふむ。測ってみるとしようか。
確か大気中の魔力濃度は場所によって違っていたはずだ。
もしかしたら何某かの助けになるかもしれぬ。
では集中して。
………。
……………。
…………………。
……ぬ?
魔力が、ない?
...いや違う。これは薄いのだ。
この我でさえ、注意せねば見失ってしまうほどに薄いのである。
魔力を感じ取るのは五感ではなく第六感であったはずだ。
であるならば、体が変わった所為で我の魔力に対する感受性が落ちたというわけでもないはずである。
...と、いうことは。
この場所にはありえない程に大気中に魔力が存在しない
のである。
こんな場所、全くもって記憶にない。前世では存在しなかった。
それとも、我が知らなかっただけで、遠く離れたところではこのような場所も存在したのであろうか。
だが、前世の経験によると、山の多くある場所は魔力濃度も濃くなるはずなのだ。
数回外に出た時の記憶ではこの場所は坂が多く、山が多いのだろうなと思ったのだが...。
もしかして、あれはただの坂で、この辺りは山が全く存在しないのであろうか。
いや、ではあの晴れた日に見える山、“ ふじさん ” は何になる。
流石に山と言いながら山ではない、ただ生物が砂を積み上げただけのものである、という事はないだろう。
だからといってあの辺りにある山が全てこちらに全く影響を及ぼせないほど遠くにあるというわけでもないだろうし......。
...もしかして、そもそも自然から湧く魔力が少なくなってしまったのか?
確かに自然から湧く魔力量は一定ではなく、日々変化していたが...。
ここまで少なくなってしまうことなどあり得るのであろうか。
それに、もしそうだとすると、もはや魔力濃度は場所を特定する参考にはならなくなる。
ぬぅ...。余計に分からなくなってしまった。
一体ここはどこなのだ。
あの、特殊な形をしている山、“ ふじさん ” から考えて、少なくとも前世で我のいた国ではないな。
他の国は...正直、そんな所まで知らぬ。
主人とともに敵国、同盟国の言語は覚えはしたが、そんな観光名所や山の形まで知るほど仲良くしていないし、言語も覚えていない小国であれば尚更だ。
もしかしたら主人ならば同盟国の観光名所くらいは知っていたかもしれぬが...、あの時代は戦乱の時代、さらに我は軍馬である。そんな事を知る機会などありはしなかった。
...む?
そうだ。前世は我が死ぬ時もまだ、戦乱の時代であったはずだ。大陸全体を巻き込んだ戦乱の時代。
疾うに現役を終え、戦から遠ざかっていたがために失念していたが、主人はまだ、我が息子に乗って戦へ度々向かっていたはずである。
しかし、ここは全く戦の気配を感じない。いたって平穏。
母上の見る “ にゅーす ばんぐみ ” でも戦の情報はなかった。
例え戦と関係のない一般市民であったとしてもここまで気配を感じぬことなどないだろう。
勝ったとか負けたとか拮抗しているとか、今の我は馬ではなく人の子であるのだから戦をしているのならそれくらいの情報は入ってくるはずである。
それがないのだから、今、ここでは戦をしていない、と考えていいだろう。
ならば、あの “ きかい ” から考えても、ここは前世で我のいた国から遠く離れた場所......。
もしや、未来、ということもあり得るのではないだろうか。
それも、少しどころではなく、国が滅び、また国ができるほどに遠く離れた。
輪廻転生の工程に時間が全くかからないというのはどうにも考えられぬし、何よりこれ程までに違う、まるで別世界のような所、未来以外に考えられぬのである。
そう考えれば辻褄があう。
人の話す言語が前世で聞いたことのないものであるのも、
見たこともない “ きかい ” が存在するのも、
魔力濃度が考えられぬほどに薄いのも、
全て遠く離れた未来であるのならばおかしくもないはずだ。
よし。問題解決。
ここは前世いた時代から遠く離れた未来のどこか。
これが答えだ。
目の前の光景に意識を戻せば “ あにめ ” はもうすでに終盤に差し掛かっている。
うわぁ、我、すごい考えたなぁ。
...考えたのだぞ。
...ご、ごほん。軌道修正。
では、“ えんでぃんぐ曲 ” までにこれからについて考えようではないか。
人の子、駿河 馬鈴のこれからだ。
正直言えば今回のこれで、完全に馬の我とおさらばできたわけではないのだが...、まぁそれもそれで我である。
要は気持ちの持ちようだ。
我が己を人の子だと思っていればそれでもう我はきちんと人の子になったのである。
それで残った少しの馬らしい我はもうただの我の個性だ。
そんな所までなくしてしまえば我が我でなくなってしまう。
だから、我はもう人の子、駿河 馬鈴であって、これから考えるのは、人間である我のこれからだ。
目的を決めれば無為な日々を過ごすこともないであろうからな。
思考を取り戻した我はもう、ただただ周りに流されて生きるような事はしないのである。
………。
...ふむ、格好良く言ってみたのはいいものの。...そうだなぁ。
どうしようか。
ぬぅ...。
前世に倣おうにもアルダス様が居らぬから、助けになることも出来ぬし...。
...そうだ。
折角人間になったのだし、人間にしか出来ぬ事をするのもいいのではないだろうか。
我の尊敬する、主人やアルダス様のような ────
「よし!!」
「わっ!な、なに?どうしたの、まーちゃん」
寝転んでいたソファーから飛び起きた姉上に我は宣言する。
「我、騎士になるのである!」
「......は?」
珍しく、姉上の口調の訂正が入らなかった。
ぎ、ぎりぎり、一か月中に間に合いました...!
次からはもっとセリフが増えるので多分、少しは早くなるんじゃないかと...。多分。
今日クリスマスイブですね!
メリークリスマス!
ついでに(年越しまでに次が書けるかわからないので) 良いお年を!