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十三歳の神様

作者: 二ノ宮明季

 少女は神様であった。

 それも、ならざるをえない状況でなった神様だ。どんな状況だったのかは、正直覚えていない。それでも彼女は、神様だった。

 神様と言えども欲望はある。欲望と神様とは、何ともアンバランスなような気もするが、それも仕方がない事だろう。

 何しろ少女は、若干十三歳。十三歳にして、この世界の神様を押し付けられてしまったのだから。

 いくら生きようとも、欲望が尽きる事は無かった。あるいは、欲望が尽きる事が無いからこそ、彼女は神様に選ばれたのかもしれない。



『それじゃ、また明日な!』

 少女が世界を見る事が出来るのは、水鏡だ。

 神である少女の住処は、天界などと言う架空の物ではなく、ごく普通の一軒家。水鏡は浴槽だ。

 彼女はそこに映る幼馴染の少年に、綿飴のような恋心を抱いていた。水鏡で滲む視界に笑顔の君がいる。綿飴は水によく溶けてしまうのだが、それでもこの甘いふわふわとした恋心は消えることなく、水鏡越しに愛を見つめた。

『明日の小テスト、忘れんなよー!』

 水鏡には、少年の姿が映され、交差点で友人と手を振り合っているのが見えた。

 まだ幼さの残る、そばかすの少年。彼の姿を見つめては、少女は胸を高鳴らせる。

 ずっと好きだった。神様になるよりも、もっと前から好きだったのだ。

 少女はうっとりと見つめ、それから、ほう、と熱い息を吐きだす。

 どうして神様になってしまったのか。神様である己が、この場所から出てしまえば、きっと世界は崩壊してしまう。

 恋い焦がれる少年に会いたかった。

 少女は水鏡から離れると、ふらふらとした足取りで、部屋の中を歩く。神様だと言うのに、不思議な事に、たまに空腹感を覚えるのだ。

 コツ、と、少女の裸足の足先に乾パンの缶がぶつかった。

「……あ……」

 少女は掠れた小さな声を零し、乾パンを拾い上げると、それを持って再び浴室へと向かう。

 くもりガラス越しに入る僅かな明かりの浴室で、少女は缶の蓋を開けた。

 神様になってからというもの、日に日に力は弱まっている気がする。プルタブ式の缶に、何度も何度も力を入れて、ようやっと開ける事が出来たのだから。

 神様になる前は、もっと簡単に開ける事が出来たはずなのに……。可笑しな話だ。

 じゃく、と、乾パンを口に運ぶ。

 口の中の水分が全て奪われ、たまらず少女は咽込んだ。たまらず何か飲み物を口にしようと、浴室の蛇口をひねって必死に水を飲もうとする。

 赤錆色の水は、少女が飲もうとすることを拒むように、彼女の足元を濡らし、そのまま服へと染み、排水溝へと流れた。

「……?」

 彼女は、眉間に皺を寄せてその光景を見る。

 水というのは、無色透明ではなかっただろうか。彼女は眉間に皺を寄せたまま、首を傾げた。

 傾げた瞬間――フラッシュバックのように、目の前がチカチカと点灯する。

 少女が神様になった、理由は――。


   +++


「それじゃあ、いい子にしてるのよ」

「もう、大げさだな。中学生なんだし、お留守番くらい余裕だよ」

 少女に向けて、心配そうな表情を浮かべる女性は、彼女の母だ。

「頼もしくなったな!」

 明るく笑って少女の頭を撫でたのは、彼女の父だ。

「出来るだけ早めに帰ってくるわね」

「大丈夫だってば!」

「いや、でも出来るだけ早く帰ってくるよ」

 少女の両親は、少女の明るい言葉に、幾分表情を和らげながらも、「早く帰ってくる」と口にする。

 両親は今日、高校時代の同窓会に行くらしい。

 少女は何度も「大丈夫だって!」と繰り返し、「いってらっしゃい」と送り出した。



 何時になっても、両親は帰って来なかった。

 褒めて貰おうと思って、ピカピカに磨いた台所。褒めて貰おうと思って、帰って来たら直ぐに入れるようにと沸かしたお風呂。

 けれども両親は帰って来なかった。

 けたたましくなる電話のベルが、慌てて取った受話器の向こうの声が、現実を告げる。

「お父さんとお母さんが、事故に巻き込まれて……」

 ……。

 ………。

「あ、私、今、神様になっちゃった」

 受話器を置いた少女が呟く。そうだ、どうしてだか分からないけれど、この世界を存続させるためには己が神様になるしかない。

 よくわからないけれど、そう思った。

 神様になったのだから、ずっとずっと両親を待とう。今日と変わらぬように、ずっとずっと好きだった幼馴染を好きでいつづけよう。

 そうすればきっと、「ただいま」と両親は帰って来てくれる。今日と、同じようにしなければ。この世界を守らなければ。

 ここから出ていけば、きっとこの世界は保てない。それならば、ここにずっといて、淡い恋心を抱きながら、今日と同じように、褒めてもらえるように、ここに居ないと……。

「私、今日からこの世界の神様になるんだ」

 少女は呟いて、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。


   +++


 ひっく、と、少女はしゃくりをあげる。

 全て思い出した。全て思い出してしまった。

 この狭い世界の神様で、何が出来ると言うのか。

 水鏡に映る少年? 映っているはずがない。心で見る、といえば聞こえはいいが、所詮は全て妄想だ。

 流した涙の分だけ強くなれるというのなら、どうして己の無力さを嘆く事になると言うのだ。

 若干十三歳にして神様になってから、彼女は既に一年の月日を家の中で過ごしていた。

 少女の世界の神様は、紛れもなく両親だった。

 不慮の事故だった。神様を失った世界に、少女は一人で閉じこもり、その時好きだった男の子と恋をしている気分を味わった。

 好きな人を、自分の世界で好きでいる。これはつまり……両親のいた頃の世界を保っていた、という事。

 褒めて貰おうと沸かした風呂の湯は、浴槽の中で水となり、既に腐りきって悪臭を放っていた。

 一日に僅かに口に運んでいた食事の殆ども、今はもう腐っている。乾パンは、「もしもの時に」と両親が準備していた物だった。

 何度も様々な人が来て、様々な手を伸ばしてくれていた。けれども受け入れられなかった少女は、ずっとここでこうしていたのだ。

 何度も何度も、誰かが彼女を救おうとしてくれていた。そのおかげで、彼女は一年もの間、無意識にも生き延びたのである。

 ひっく、と、少女はまたしゃくりを上げた。

 思い出してしまったのならば、もう現実と向き合う頃。いい加減、夢から覚める時間だ。

 少女はふらふらと家を出た。



 外の世界は明るかった。

「あ!」

 少女に気が付いた通行人が声を上げる。いや、通行人だと、勝手に思っただけだ。

 よくよく見れば、そばかすだらけの顔に見覚えがあった。一年後の……愛しい少年が一年で成長した姿。少女はたじろいだ。

 彼は直ぐに隣の家に走ると、彼の両親をつれて出てきた。あとは、少年の両親がバタバタと動き回る。

 少年は、悪臭を漂わせ、錆びた水を服に吸い込ませた少女を抱きしめた。

「お帰り」

「……ただ、い、ま」

 上手く声が出来なかった。それでも久しぶりに出した言葉は、久しぶりに聞いた本物の声は、久しぶりの人のぬくもりは、とても暖かくて、嬉しくて、視界が滲んだ。

 そして少女は、神様を止めて、普通の女の子へと戻っていく。



 乾パンは、本来ならば棚の中に入っているはずの物だった。決して足元に転がっているようなものではない。

 後で人に聞いたが、誰も乾パンの差し入れはしていなかったらしい。

 あれは少女が無意識に出したのか、それとも……。

 なんにせよ、少女の世界の崩壊は止まらなかった。神様から引きずりおろされた彼女は、ゆっくりと時間をかけて、徐々に笑顔を取り戻す。

 水鏡で好きな人を見る事はなくなった。相変わらず彼女の世界には、神様は存在しない。

 けれども、一歩ずつ進んでいくことが、かつて彼女の神様であった人の願いなのだろう。

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