#60 王国最強の乳児アイリーン
私は、いつも通り朝7時直前に起きる。
以前はカロンさんが7時に起こしにきてくれたが、今は赤ん坊がいるので、以前のようにドアを叩いて起こしにくるわけにはいかなくなった。
横では、マデリーンさんとアイリーンが寝ている。
我が娘の名は、アイリーンという。マデリーンさんの娘だから、アイリーン。なんとまあ、短絡的な名前…
彼女がこの世に生を受けて、2ヶ月ほどが経った。
この間に起きたことをまとめると、まずエドナさん、サリアンナさん、ミリアさんが出産。エドナさんのところは男の子で、名前はエドウィン。エドナさんの子供だから、エドウィン。ちなみに残り2人は女の子。名前は、サリアンナさんの娘がダリアンナ、ミリアさんのところはダリア。
ロサさんから始まったこの出産ラッシュ、どの家も母親要素の強い名前をつけるのが流行している。また、魔女の子は今のところ全て女の子。
ということは、魔女って女の子しか生まれないのか…と思いきや、アリアンナさんのところはどうやら男の子らしい。こちらはもうすぐ生まれる。イレーネさんもそろそろだ。
さて、カロンさんが7時に起こしに来なくなったからと言って、マデリーンさんはいつまでも寝られるわけではない。
私が寝室を出て、隣の部屋で着替えてると、突然大きな泣き声が響く。
「うわぁぁぁぁん!」
アイリーンの泣き声だ。この子はかなり声が大きい。
不思議なことに、毎朝7時になるとアイリーンは突然泣きだす。慌てて起きるマデリーンさん。
毎朝カロンさんが7時きっかりにドアを叩くのを、お腹の中で聞いてたのだろうか?まだ時間の概念もないこの赤ん坊は、カロンさんの襲撃をきちんと記憶してるようだ。その代わり、夜中に起きだすことがほとんどない。家に戻って最初の一週間は夜泣きがあったものの、最近はほとんど朝までぐっすりだ。
こうして朝7時に起こされ、まだ眠そうなマデリーンさんは、自分の朝食の前にアイリーンの「食事」を済ませる。マデリーンさんの小さなおっぱいに吸い付くアイリーン。朝は母乳で、それ以外は粉ミルクを使っている。
生まれた時は長かった頭も、今はすっかり丸くなった。手足はまだ短いが、その手足を目一杯使って感情表現をしている。
毎日見てると気づかないが、少しづつ大きくなってるようだ。時々会うロサさんやアイリスさんがアイリーンを見るたびに大きくなったと言っている。
マデリーンさんの腕の中で、日に日に大きくなるアイリーン。幼い我が子は、変化の毎日が続く。
そんな私にも、我が子に負けないほどの変化があった。
我が艦隊がこの星に来て、もうじき3年になる。そこで、遠征艦隊のメンバーに、この星に残留するか、それとも帰還するかの希望調査が行われた。
私はもう残留するしかない。マデリーンさんという現地の奥さんがいて、爵位と領地まである。私は、もうすっかりこの星の人間だ。
ローランド中佐、ロレンソ中尉、アルベルト中尉、バーナルド中尉、ジェームス中尉、フレッド大尉にハイン中尉も残留組。これ以外にも、ここの星の奥さんがいる人達のほとんどは、ここで暮らすと決めてるようだ。
一方、ワーナー中尉とモイラ中尉は帰還組。3年目で地球401に帰ることになっている。彼らも悩んだようだが、やはり故郷が恋しいようで、帰ることに決めたそうだ。もっとも、サポーターとして時々この星に来ることになるようなので、完全にここと関わりがなくなるわけではない。
さて、残留を決めた私に、軍司令部から転属命令が出た。
転属先は、なんと地球760の防衛艦隊。そこで私は駆逐艦0972号艦の艦長をすることになった。
ローランド中佐は、地球760防衛艦隊司令部の作戦参謀を拝命。その他、フレッド大尉もこの星の防衛艦隊の航空隊指揮官となった。
どうやら、残留希望者のうち大尉以上の武官を、この星の防衛艦隊指揮官に移しているようだ。今やこの星の防衛艦隊も3000隻ほどになったが、日々拡大する艦隊に呼応するように、指揮官の人員不足が深刻になりつつある。このため、少しでも指揮官に当てられそうな人を割り当ててるようだ。
パイロットの養成には3~5年、指揮官は7~10年と言われる。育成を始めてまだ2年程度のこの星には、指揮官を務められるだけの経験を持った者はいないのが現状だ。
これは今までの同盟星でも見られる現象で、たった10年で1万隻の艦隊を作るために、その星を支援する星が人材を融通することはこれまでも行われてきた。
で、私はいきなり艦長である。過去の戦歴などから、元々私を艦長にするという思惑だったようだ。どおりで最近、指揮官研修と称して艦長をやらされたわけだ。
だから駆逐艦0972号艦は、最初から私が艦長をすることに決まっていたらしい。このため、研修でも配属先も私はこの艦に乗ることになっていた。
まあ、この数ヶ月でこの艦の乗員とも仲良くなれたし、ここで知らない艦に行かされるよりはマシだ。そう思うことにした。
で、この私が艦長を務める艦に、続々と人が集まる。
まず、フレッド大尉。リーダー艦でもないこの艦に航空隊の隊長が乗ることになったのは、艦長である私がパイロット出身だからと言うのが理由だ。
で、ロレンソ中尉、アルベルト中尉が整備科としてやってきた。隊長機整備には熟練者が必要というのがその理由。
さらに、砲撃科のリーダーである砲撃長にはミラルディ大尉、つまり「砲撃長」がやってきた。砲撃科にはハイン中尉もいる。こちらはただ単に同じ出身者だからという理由で来たらしい。
さらにさらに、同じ理由でジェームス中尉が主計科に、機関長にはバーナルド大尉が就いた。
さらにさらにさらに…航空機パイロットとして、ヴァリアーノ中尉まで配属されてきた。私の護衛をした経験があるという理由だそうだ。
よりによって、駆逐艦0972号艦は知り合いだらけになってしまった。こんな艦の艦長で、本当にいいのだろうか?
それよりもこんなに人が抜けて、駆逐艦6707号艦は大丈夫なのだろうかと心配になるが、すでに本星から補充要員が来ているようだ。だが、この艦もモイラ少尉らと共に、3年目に帰星することになっている。
「…ダニエル様?どうされました?ぼーっとして。」
「あ…いや、ちょっと考え事をしていただけだよ。」
はたから見ると上の空だったようで、カロンさんに心配されてしまった。まだ子供が生まれたばかりで、いきなり仕事でも責任重大な立場にされてしまった。正直言って、ぼーっと考えたくなるのは仕方がない。
アイリーンは母親の腕に抱かれていい気分で乳を吸っている。さっき起きたばかりだというのに、もう眠そうな目をしている。よっぽど心地がいいらしい。
王都はそろそろ春になる。外も暖かくなって、マデリーンさんもアイリーンを散歩に連れ出すことが増えた。
アイリーンはお外が大好きだ。いろいろなものがあって、面白くて仕方がないらしい。ベビーカーの中で寝そべって、まだ座らない首を動かして周りを見ている。
どうも人間に興味があるようだ。公園に行くと、人とすれ違うたびに目を見開く。また女子会に連れ出そうものなら、人が多いのでキョロキョロしてるらしい。
さて、今日は休日なので、散歩も兼ねてカロンさんを含む家族4人で、歩いていつものショッピングモールに行く。
相変わらずキョロキョロしているアイリーン。通りがかりの人や信号機のように、大人が見るとなんてことないものでもアイリーンは興味津々だ。赤ちゃんというのは、そういうものらしい。
ショッピングモールでも同じだ。ここは人がたくさんいるので、余計に周りが気になるらしく、やや興奮気味だ。
で、ショッピングモールに着いて早々、魔女グッズ専門店に行く。もはや占い用品売り場と化したこのお店、最近は女性を中心に人気が出て繁盛してるようで、狭い店内にすでに何人ものお客さんがいる。
その中に、アウレーナさんとジーナさんがいた。そういえば、私がこの2人に会うのはずいぶん久しぶりだ。
「あ、マデリーンに男爵殿。お久しぶり。」
アウレーナさんがこちらに気づいて、声を掛けてきた。
「アウレーナとジーナじゃない、久しぶりね。何やってるの?」
「いや、ジーナと喧嘩したので、仲直りのグッズを買いにきた。」
「あれ?今、喧嘩中なの?」
「そうですよ!アウレーナが私のこと、とろいだの鈍いだのと言い出したんですよ!これが怒らずにいられますか!?」
そう言いながらジーナさん、アウレーナさんの背後から抱きついている。だいたい、一緒に仲良くこのお店に来てること自体、我々にはとても喧嘩しているようには見えないのだが。
「あら、ダニエルさんにマデリーンさんもいらしてたんですね。それに、カロンさんとアイリーンちゃんまで。あの、ジーナさん達に商品をお渡ししてるので、ちょっと待っててもらっていいです?」
店の奥からシャロンさんが現れた。アウレーナさんとジーナさんに何かを持ってきてたようで、2人に何かを手渡していた。
「お待たせしました。これは仲直りに効く、アメジスト、ヘマタイト、カルセドニーの3種類のパワーストーンを埋め込んだネックレスです。喧嘩してどうしようもなくなった時にお付けください。」
「そうか、じゃあ、早速…」
そう言いながら、アウレーナさんとジーナさんはネックレスをつける。
「…なんだか、ジーナのことを許せる気がしてきた。ジーナ、私が言い過ぎだったようだ。悪かった。」
「そんな…私も意地になりすぎたんだって。ゴメンね、アウレーナ。」
仲良く抱き合う2人、ネックレスの力のおかげで再び友情は取り戻された。…いや、大変申し訳ないが、私には茶番のようにしか見えない。
仲良く手をつないで帰っていく2人を見届けると、今度は我々のところにシャロンさんがやってきた。
「シャロン、あのね、アイリーンにぴったりの魔女グッズってない?」
マデリーンさんが最近ここにくる目的は、ほぼ魔力グッズに決まっている。
「ありますよ!ちょうどいいのが入ったんですよ。ちょっと待っててくださいね。」
と、店の奥の棚に何かを取りに行った。
ところでこのお店には最近、店員が1人増えた。
その店員さんの名はパナラット。歳は20。茶褐色な肌が特徴で、ここよりずっと南の方のコルタカ王国というところから来た人だ。
あちらの国では呪術的なものが盛んらしくて、パナラットさんはその辺りに詳しいようだ。
しかもパナラットさんは魔女だ。それも一等魔女。速力はあまりでないらしいが、航続距離が長い。実際この人、この星の赤道付近にある南のコルタカ王国からここまで、自力で飛んで来たらしい。
魔女グッズ店にいる魔女ってことで、お客さんにも評判のようだ。ただこの店員さん、見た目はおとなしいが、ちょっとクセがある店員だ。
早速、このパナラットさんと他のお客さんとの会話が聞こえてきた。
「あの!私!嫌な上司がいるんですよ!なんとか懲らしめてやりたいんですけど、いいものありますか!?」
「ええ、ございますよ…例えば、この黒キャンドル。夜中にこれに火をつけて、呪って差し上げたい方のお名前と見せてやりたい悪夢のイメージを思い浮かべて、そこで『クァ、イオァ、モス!』と18回唱えるんですよ。するとその方はしばらく悪夢にうなされますよ。」
…この調子だ。他にも、三日三晩腹痛が続く呪いとか、相手を離縁させる呪いとか、妙に陰湿な呪いばかり知っている。
シャロンさんが戻ってきた。マデリーンさんに何かを手渡す。
ただの布製のガラガラにしか見えないが、要するに魔力強化に繋がりそうなパワーストーンと同じ色が塗られたガラガラだそうだ。赤ちゃん相手に石は使えないので、パワーストーンっぽいものを作ったんだそうだ。それ、本当に効果あるの?
でもマデリーンさんは喜んで買う。アイリーンに持たせると、早速ガラガラと振り回していた。どうやら嬉しいらしい。
「また来てくださいね!お待ちしてます!」
「呪いたいお相手がいらっしゃいましたら、ぜひお越しくださいね。」
シャロンさんとパナラットさんに見送られて、我々4人は店をあとにする。
ショッピングモールに来たら絶対訪れるのは、フードコートだ。例のハンバーグ専門店でマデリーンさんはチーズハンバーグを頼んでいた。
ところで、あれだけ出産前は飲んでいたトマトジュースは、すっかり飲まなくなった。子供が生まれたからというのもあるが、それ以上に食の好みが妊娠前に戻ったのだ。今は帝都チキンも食べられるようになった。
私はパスタ、カロンさんはマデリーンさんと同じハンバーグ専門店のハンバーグを食べる。途中、アイリーンが泣き出したので、先に食べ終えたカロンさんがアイリーンにミルクを飲ませてくれている。
平和な休日だが、実は明日から私は2週間の予定で宇宙に出る。こういう時、カロンさんがいてくれて本当によかった。
でも、ロサさんやサリアンナさん、エドナさんはそうはいかない。街には育児施設もあるが、基本的には1人で子育てしなくてはならないから大変だ。
哺乳瓶に吸い付いているアイリーン。ほぼ毎日成長しているこの娘は、2週間も離れてる間にどれだけ変わってしまうんだろうか?父親のことを忘れてしまわないだろうか?心配になる。
ミルクを飲み終えたアイリーンは、さっき買ったばかりのガラガラで遊び始める。
音がなるのが楽しいのか、まだぎこちない動きで振り回している。が、そこで私は、異変に気付く。
ふと、アイリーンの手を見た。
なんと、よく見ると、布製のガラガラは握られていなかった。
手の平に、まるで両面テープで貼り付けたようにひっついてる。
最初はおかしな握り方をしているのかと思ったのだが、明らかにそれは握られていない。
「マデリーンさん、アイリーンの手…」
「えっ!?アイリーンがどうかしたの?」
マデリーンさんもアイリーンの方を見て、その異変に気付く。
「あっ!!まさか、これは…」
それは、アイリーンが魔女だとわかった瞬間である。
布製のガラガラなので、たいした重さではないけれど、明らかに手で触れたものを宙に浮かせていた。
いや、これは宙に浮かせたというのだろうか?微妙なところだが、手の平だけで触れてものを持ち上げるなど、不自然な現象なのは間違いない。
生まれてたった2か月で、魔女だと分かってしまったアイリーン。この時点で、王国最強の乳児であることは間違いない。
私とマデリーンさん、それにカロンさんはこの光景に唖然としていた。
「ちょ…ちょっと!すごいじゃないの!このガラガラ!もうこの娘、魔女になっちゃったよ!」
いや、驚くところはそこじゃない、マデリーンさん。
「たった2か月よ!いやあ、私よりもすごいわ、この娘!絶対私を超えるわよ、きっと!」
まだ首もちゃんと座っていないうちに、魔女の兆候が現れたものだから、マデリーンさんは大喜びだ。
嬉しそうな顔をする母親を見て興奮気味なアイリーン。まだ顔の表情ははっきりと分からないけど、なんだか嬉しそうに見える。
そのまま公園に行く。陽気にかられてたくさんの人がいたが、そこにロサさんとサリアンナさんがおしゃべりしているところに出くわす。
2人もベビーカーを並べて話している。ロサさんの子は、もうすっかり大きくなっていて、ベビーカーで座りこんで、おもちゃで遊んでいる。
「なんだ、マデリーンまで来たのか。」
「なんだとは何よ!散歩よ、散歩!」
「ふん、いいわよねぇ、まだ世話人がいるんだから。私なんて1人よ、1人!」
「旦那に言って、雇って貰えばいいじゃない。」
「うちの旦那の稼ぎじゃ無理よ!すでに家族が1人増えただけで、家計が悲鳴をあげてるのよ、うちは!」
相変わらずサリアンナさんとマデリーンさんの会話はツンツンしている。そこにロサさんが割り込んできた。
「マデリーン、あなたのところの娘も大きくなったわね。もうちょっとで首も座って、抱っこしやすくなるね。」
「そうなのよ、まだ抱っこしづらいから、あんまり周りを見せてあげることができなくて…って!そうだ聞いてよ!この娘ね、やっぱり魔女だったよ!」
「ええっ!?なんでそんなこと分かるのよ!?まだ首も座ってない赤ちゃんだよ!」
「それがさあ、さっきこのガラガラをね…」
マデリーンさんはこの2人にさっきの現象を説明する。半信半疑だったが、私もカロンさんも目撃している以上、マデリーンさんの気のせいではないことは理解してもらえた。
が、それを再現してみようにも、当のアイリーンは寝ている。そこで、リサちゃんとダリアンナちゃんにもそのガラガラを握ってもらうことにした。
だが、この2人はただ握って振り回す。手につけてみたが、ぽろっと落ちるだけ。
「…不思議ねぇ。いくら王国屈指の魔女マデリーンの子供だからって、そんなに早く魔女の兆候が出るなんて、聞いたことないよ。」
「それに正直言って、魔女だってことはあまりいいことじゃないからな。そんなにおおっぴらにいうものじゃないだろう。」
「いいわよぉ~なんとでも言ってちょうだい。私はとっても嬉しいけどね。」
ロサさんにサリアンナさん、喜ぶマデリーンさんにちょっと呆れ顔だ。
つい最近まで、この星の多くの国や地域では魔女は忌まわしいものだとされてきた。10年前の帝都では、魔女狩りなどという風習があったほどだ。だが、魔女というものがいない地球401の人間が出現したことで、魔女の扱いが大きく変わる。
が、この先魔女はどう扱われるのだろうか?まだ地球401の住人にとっては珍しい存在なのでいいが、見慣れた存在になってしまった途端、冷遇される存在になりはしないだろうか?
今日はアイリーンが魔女だと分かった。この娘の毎日の成長の過程に、新たな要素が加わった。この先この魔女がどういう人生を歩むのか、この時点では誰も知らない。
そんな娘と離れて、翌日から私は駆逐艦に乗って宇宙に出る。実はこれが、私の艦長として初めての実戦任務である。
その任務は、海賊団退治である。




