#57 ロサの出産
早朝、私は冷蔵庫を開ける。
扉の裏には、紙パックがびっしりと置かれている。これら全て、ピンクグレープフルーツのジュースだ。
マデリーンさん、妊婦にはピンクグレープフルーツがいいと聞き、大量に買い込んできた。
おかげで、何かを飲もうにも他に選択肢がない。この酸っぱい飲み物を飲むよりほかはない。
夏もそろそろ終わり、王都には秋の気配が忍び寄る、そんな季節。
そろそろ、ロサさんが出産する頃だ。
先日ロサさんを見かけたが、小さな身体で大きなお腹を抱えて歩いていた。
最近はよく公園のあたりで見かける。医者から、なるべく散歩するようにと言われてるらしい。それで毎日、自宅と公園を往復してるそうだ。
マデリーンさんは、ロサさんの半年遅れで進行中。つまり半年後には、マデリーンさんも大きなお腹を抱えて歩いてるんだろう。マデリーンさんの場合、公園よりもコンビニ通いしそうだ。
「おはようございます。ダニエル様が私よりも早く起きられるとは、珍しいですね。」
カロンさんが2階から降りてきた。カロンさんのおかげで、休日でも朝早く起きることに慣れてきた。
カロンさんは、家の中では普段着にエプロン姿、来客時や外出時にはメイド服を着るようになった。あくまでも地球760の住人ということになってるので、なるべく他の人の前ではそれっぽい格好にしておこうと思ってのことらしい。
それにしてもカロンさん、ここに来た時よりも明るくなった気がする。確実に言えることは、ここは刺激が多すぎる。女子会デビューも果たし、本当にいろいろな人と出会ったようだが、魔女に貴族に社畜までいるなんて、地球401では考えられない人脈だ。おかげで毎日が面白くてしょうがないらしい。
などと考えていると、マデリーンさんが起きてきた。いや、カロンさんに起こされた。ぼーっとしながら歩いてくる。
「おはよぉ~」
そのまま冷蔵庫を開けて、ピンクグレープフルーツの紙パックを取り出す。そのままパックに口つけて飲み始め、そのまま冷蔵庫に戻す。
…コップに入れずに直接飲んでたのか、マデリーンさん。マデリーンさんのこういう衛生感覚は、まだこちらの星の人だ。
マデリーンさん、早速朝からスマホでメッセージのチェックをしている。もたもたと着替えながら、メッセージを壁に投影して見ていたマデリーンさん、急に大きな声を上げて私のところにくる。
「大変よ!大変!」
私は部屋でスマホのニュースを見ていたのだが、そこにマデリーンさんが下着姿で飛び込んできた。
「マデリーンさん、あの、そんな格好で急に、どうしたんです?」
「ロサの子が産まれたって!今朝早く!」
「ええっ!?ロサさんが!?」
「予定通り、女の子だって!早速、病院に行こう!」
私とマデリーン、そしてカロンさんは大急ぎで病院に向かう。
ここはマデリーンさんも通っている総合病院の産婦人科。我が家から歩いて5分のところにある病院だ。
ロサさんの病室を聞き出し、3人は部屋に向かう。中には、ロサさんがいた。
「あ…マデリーン。早かったわね。」
「そりゃそうよ、ロサが出産だなんて一大事だわ!おめでとう!」
「あー…あんまり大きな声を出さないでね。うちの子、寝てるから。」
すぐ横の小さなベッドに、その子はいた。体長50センチ、体重は3150グラム。真っ赤な顔で寝ているその子は、顔のあたりにロサさんの面影がある。
ロサさんそっくりな女の子になりそうだ。アルベルトそっくりでなくてよかったと、心の底からほっとした。
ロサさんに言われて、入り口にある消毒液で手を消毒し、マスクをつけてきた。そうだ、ここは病院だった。
アルベルト中尉はどこに行ったのかと思ったら、いろいろ手続きに走り回ってるらしい。今は街の事務所に出生届を出しに行ってるようだ。
「あれ?じゃあもうこの子の名前、決まってるの?」
「うん、リサって言うのよ。」
ロサさんの子供だからリサちゃん。なんて安直…いやいや、なんと可愛らしい名前だろうか。
「へえ~、リサっていうのね。じゃあ、女子会に登録しておくから。」
「ええっ!?もうあの女子会に入れちゃうの!?」
「何行ってんのよ。年齢制限なんて設けてないんだから、産まれた瞬間から我が王都女子会会員よ!」
これを聞いたら、なんだかちょっとこのリサちゃんが気の毒になってきた。右も左もわからないこの時から、あの女子会一味に加えられてしまったのだから。
「ねえ、リサの服とか、もう買ったの?」
「一応ね。でも、きっと足りないから、また買い足さないといけないかなあって。」
「そういえば、ショッピングモールにもあるわね、そう言うお店。」
「ああ、2階にあるあのお店でしょ?私も最近よく行くのよ。」
「そうですよね、あそこのお店、ロージニアでも有名ですし。」
それはたわいもない、赤ちゃん用品のお店の話だった。カロンさんが思わず、墓穴を掘った。それも大きすぎる墓穴だ…帝都の貧民街出身の人間が、ロージニアなど、知るはずもない。もはや、回避不能だ。
「あれ?なんでカロンさんが、ロージニアのことを知ってるの?」
ロサさん、鋭く突っ込んできた。
「あわわ、えっと、あの…」
「そういえば、以前もアニメのこと知ってたし、帝都の貧民街って、そんな情報まで知ってる人が多いの?」
すでに逃げ場はない。これが艦隊戦なら、完全に撃沈だ。我々は観念して、ロサさんにカロンさんの経緯を話す。
「…てことなの。まさか、私が買った奴隷が、地球401出身だなんてね…」
「そういうことだったの。どおりでスマホの操作が上手かったり、それでいてロヌギ草のこと知らなかったりしたのね。変だと思ったわ。でも、なんで内緒にする必要があるの?」
「ばれたら、地球401に連れ戻されちゃうから、お2人に黙っててくださいって、私がお願いしたんです。私、もうあの星に帰るのが嫌で…」
「そう。事情はわかったわ。じゃあ私、あなたが地球401出身だって知らなかったことにしておく。それでいい?」
「はい、ありがとうございます!」
こうして、カロンさんの秘密を知る者が1人増えてしまった。でも、ロサさんなら大丈夫だろう。
「ところで、女の子が魔女かどうかって、いつどうやってわかるんですかね?」
私は、つい気になってることを聞いてみた。場合によっては、我が家だって他人事ではない。
「うーん、人によってバラバラだけど、だいたい3、4歳くらいだっていうわね。」
「私はね!2歳で分かっちゃったらしいよ!王国最年少じゃないかしら!?」
マデリーンさんの自慢話はともかく、ロサさんによれば、3、4歳で能力が見えてくるらしい。手に持ったおもちゃを握らずに持ち上げ始めるので、それが分かるという。
ただ、その時期はまだ一等魔女か二等魔女の区別がつかない。ホウキにまたがって飛べるかどうかがわかるのは、さらに数年が必要だという。
マデリーンさんの場合は、6歳で飛んだらしい。ロサさんは8歳で一等魔女デビュー。しかし、魔女に偏見のあるご時世だったので、周りからはいろいろと嫌がらせを受けていたらしい。
それでロサさん、すっかり人嫌いになって、16歳になるや否や、人里離れた魔女の里に引きこもってしまったようだ。
それが今ではコスプレ姿ながら人前で飛んでみせて、おまけにとうとう母親になった。旦那はブサイクだが、彼女がここまで変われたのは、紛れもなくそのブサイクな旦那のおかげだ。
そんな話をしていたら、イレーネさんやアリアンナさん、サリアンナさんまでやってきた。狭い病室は、一気に賑やかになる。
なんとそこで、サリアンナさんも妊娠中だということが発覚。予定日は、マデリーンさんとほぼ同じ。つまり、ロレンソ先輩が頑張ったのは、あの地球769からの帰り道だ。みんな暇だったんだなぁ。
さて、急に人が増えてきてうるさくなり、リサちゃんお目覚め、泣き出した。慌ててロサさん、抱っこしてあやす。
今にも壊れそうな赤ちゃんだ。よく抱っこできるな。私は感心してみていた。
が、病室が狭いという理由で、男の私は追い出される。病室は、臨時女子会会場になってしまった。
病院の外に出る。すでにローランド中佐にロレンソ先輩、シェリフさんは病室の外で待っていた。
で、男ばっかりで待合室に行く。こちらも臨時男子会だ。
自販機でコーヒーを買って飲んでると、アルベルト中尉が通りかかった。
「あれ?皆さんお揃いで、どうしたんです?」
「いや、病室が狭いからという理由で、男は追い出されたんだ。」
「ああ、そうだったんですね…」
そういうと、アルベルトのやつ、黙って自販機でコーヒーを買って飲み始める。アルコールが入らないと、本当に無口だ。
そんな彼とは対照的な人物が登場。砲撃長だ。エドナさんも一緒にいる。
「なんだ!?男ばっかり集まって!」
病院の静寂は、この男1人の登場で破られた。
「いえ、病室が狭いので、女子達は病室に、男子諸君はここに待機してるんですよ。」
「なんだとーっ!?せっかくきたっていうのに、病室に入れなかったのか!?」
私はこの時、砲撃長だけは入れない方がいいと思った。
「そういうわけだから、エドナさんだけで行ってあげてください。」
「ええ、でも私はここに残って、皆さんのお相手をするというのも…そのまま私は回されて…」
また始まった。妄想が捗る前に、さっさとエドナさんには病室に行ってもらう。
「しかし、男親だっていうのに、お前まで追い出されてどうするんだ!女どもにビシッと言ってやれ!」
「いや、別に追い出されたわけじゃないんで…」
アルベルト中尉を罵り始める砲撃長。なんだかちょっと機嫌悪いな。
「何かあったんですか?砲撃長。」
「いや、エドナのやつが、俺の体臭を嗅いでは気持ち悪いって言うんだよ。俺も気持ち悪いって言われるのはいやだし、エドナだって不快ならやめとけっていうのに、あいつったらなぜか寄ってきてだな…」
あーっ…こっちのつわりはまだ続いてるんですね。それにしても、どうしてこうエドナさんという人は、一途に自分の道を走り続けるんだろう?
さて、集まった男子会メンバーを俯瞰する。この中ではアルベルト中尉が最年少だが、彼はすでに父親だ。つまり、このメンバーの中では、アルベルト中尉が人として上な訳だ。我々はまだ「男子」だ。
だが、これからが大変そうだ。夜泣きもあるだろうし、家族が1人増えることで出費も増える。アルベルト中尉の本当の戦いは、これからだ。
突然、女子会一同がぞろぞろとやってきた。
「おい!男子ども!交代だ!」
イレーネさんのかけ声で、男子会が病室に、女子会は待合室にと入れ替わることになった。
ロサさんの病室に入る。この世に出てきてまだ数時間というリサちゃんは、また寝ている。
「うわぁ…本当に小さいな…生まれたての赤ちゃんって、こんなに小さいんだ…」
ローランド中佐の言葉は、この場の男子一同共通の認識だ。手のひらも、足も、何もかもがミニチュアサイズの人間。
ロサさんはアルベルト中尉に、抱いてみるように言う。だがアルベルト中尉は、躊躇していた。
あまりに小さく、首もすわっていない赤ん坊を抱っこするという行為は、初めての人には壊れそうで怖い。だが、まさか父親が抱っこしないわけにはいかない。こわごわとリサちゃんを抱っこするアルベルト中尉。
アルベルト中尉は、どちらかといえば肥満体型だ。腕の肉付きはいい。それがこの子にはちょうどいいらしく、まだ小さな命を腕の肉がうまく包み込んでくれた。
アルベルト中尉の腕の中で、小さい口を目一杯開けてあくびをするリサちゃん。魔女かどうかは分からないけど、彼女の長い人生は今日からスタートだ。
アルベルト、ロサ夫妻を残して、我々は帰る。待合室に寄って、各々の奥さんを連れて帰宅する。
リサちゃんを見たマデリーンさん、てっきりいずれ生まれてくる子供のことを話すのかと思いきや、
「ねえ、せっかくだから、このままハンバーグ食べに行こう!」
と、昼食の話をふってきた。なんだ、腹が減ったのか。
で、ショッピングモールのいつものハンバーグ専門店で、ハンバーグを食べる。
その店ですっかり知り合いになった店員のおばさん、マデリーンさんにこんなことを話した。
「あら、マデリーンさん、妊婦さんだったのね?じゃあ、トマトジュース飲むといいわよ。」
「えっ!?そうなの!?知らなかった。」
そういって、トマトジュースを一緒に買うマデリーンさん。ついでにケチャップも多めにかけてもらった。
そして翌日から、ピンクグレープフルーツのジュースが、徐々にトマトジュースに置き換わるのだった。




