#18 魔女とOL
マデリーンさんはこの人混みを飛び越え、ビルのてっぺんを目指して飛んで行ってしまった。
急に人混みから人が空に飛んでいったため、地上も騒然となった。
どんどん上昇するマデリーンさん。このビルの高さは、およそ150メートル。最高到達高度2000メートルのマデリーンさんにとっては、造作もない高さだ。
「ああ!今、地上から誰か飛んできました!棒状の何かにまたがった…あれは、魔女ぉ…ですかねぇ…」
とうとうライブチャンネルでも中継され始めた。
その画像を見る限りでは、そのビルの上にいる人の前に着いたようだ。映像を見る限り、相手は明らかに驚いた顔をしている。
その人に向かって、マデリーンさんが指を指して何やら叫んでる。マデリーンさんのことだ、あんた!何やってんのよ!って言ってることだろう。
ところで、上空の中継機には集音マイクが付いていたようで、その会話が中継され始めた。
「…ってんのよ!なんでこんな高いところから飛び降りようなんて思ってるの!あんた空飛べないんでしょう?死ぬわよ!絶対!」
「ちょ…ちょっと!その前にあんた誰よ!?なんで空飛んでるのよ!?」
「私?私の名はマデリーン!王国最速の魔女、『雷光の魔女』とも呼ばれてるのよ!」
「…で、その雷光の魔女さんが、いったい何で私なんかと関わるのよ。」
「こんな危ないところに立ちすくむ人を見て、放っておく人がいるの!?」
「わ…私のことなんかほっといてよ!もう、これ以上生きてたって仕方はないのよ!」
「なんでよ!あんたもしかして、治らない病気にかかったとか、奴隷市場に売られそうになったっていうの!?」
「そ…そんなんじゃないけど…」
「じゃあ、どうして死ななきゃならないのよ!」
「…振られたの…」
「はい?」
「振られたのよ!私が一番好きだった人に今日告白したら、私とは付き合えないって、そう言われたのよ!」
「…で?」
「で?」
「で?それからどうしたのよ!その相手が腹いせに、あなたの家を焼き討ちでもしたの?」
「そ…そんなことする人いないでしょう!?」
「まさかと思うけど…振られただけで死のうなんて思ってるの!?」
「そうよ!悪い!?」
「バカじゃないの!?」
「ば…バカって言うな!」
「私んとこの国じゃ、今でも食べ物がなくて困ってる人がいるのよ!?ものがなくて、自分の子供を売りに出す親だっているのよ!それでもみんな生きるためにいろいろと頑張ってるっていうのに、あんた見たところ食べ物に困ってるわけじゃなさそうだし、家を焼かれたわけでも奴隷商人に連れていかれそうになったわけじゃないんなら、死んでしまう理由なんてないじゃないの!何で振られたくらいで、こんなたくさんの人の前で死ななきゃならないのよ!」
「あ…あんただって振られたらわかるわよ!これがどれだけ苦しいことかって!」
「あるわよ!」
「えっ!?」
「あるわよ!振られたことくらい。」
「そうなの?」
「しかも7回よ!7回!!告白するたびに断られちゃったのよ!あんたの言いたいことくらい、分かってるわよ!」
えっ!?そうだったの!?知らなかった。マデリーンさん、私と出会う前に、そんなに振られてたんだ。
「で…でもあんた、わりと美人だし…7回も振られるって言うのは…」
「見ての通り、魔女でしょ?だから、7回とも『魔女なんて気味の悪い女とは付き合えない』って言われちゃったのよ!」
「ええっ!?ほんと!?それは確かにきついわ…」
「ちょっと、あんたの横、いい?」
「い…いいですよ。どうぞ。」
マデリーンさん、ビルの上のあの女性の横に座った。
「でね、振られるたびに、今度こそって思って、悔しさをバネにしてやってきたわけ。そしたら、今の旦那と結婚することになってさ。」
「結婚できたんだ!おめでとう!」
「ありがと!でもね、このときは私じゃなくて、うちの旦那から告白してきたんだよね。付き合ってみようかって。」
「そりゃそうでしょう。あなたくらいの容姿なら、男から声かけてくれそうなものだもん。」
「でも私、魔女じゃないの。本当にいいのって聞いたんだよ。」
「ああ!?もしかして、あなたって1年くらい前に発見されたっていう、地球760の星の人じゃないの?」
「そうよ、でも私の旦那はここの星の人。不思議なのよね。私んとこじゃ、魔女なんて忌み嫌われるばっかりの存在だったのに、ここの星の人ってなぜか魔女のこと恐れないんだよ。うちの旦那もそうだったんだけどさ。パイロットだから、むしろ魔女のこと興味津々でね。」
「へえ、パイロットなんだ、あなたの旦那さん。」
「そうよ、宇宙艦隊の、確か哨戒機って名前の航空機に乗ってるんだ。そうそう、私と初めてあったときも、その哨戒機ってやつで、私の横にぴったりつけてきてさ。」
「えっ!?出会ったのは空の上!?」
「私、王国では一番早い魔女なのよ?それで他国に書簡なんかを送り届ける仕事してるんだけど、ある仕事の帰りに、今まで見たこともない大きなものが空飛んでてね。今思えば、哨戒機ってやつだったんだけど、そんな大きなものに乗って、悠々と私にぴったりとついてくる。焦ったのなんのって。だけど、こんなものを飛ばせるやつはいったい誰なんだって急に知りたくなったから、そいつと一緒に地上に降りたのよ。」
「うんうん。」
マデリーンさんは気づいていないだろうが、今、私とマデリーンさんの出会いの物語が、ネットに発信されてますよ。
「そしたら、降りてきたやつがなんとも低姿勢なやつで、てっきり遅い魔女だってバカにしてくるのかと思ったら、空を飛べるなんてすごい、とか言ってくるんだよ!?何言ってるんだ!?自分だって、空飛んでるじゃん!って思ったのよ。」
「そうだけど、自分の力で飛んでるわけじゃないからね、パイロットって。」
「だけど、王国や帝国の人なんて、飛べもしないのにバカにしてくるんだよ!それが、哨戒機ってのに乗ってるとはいえ、ちゃんと飛べるやつが私のことを認めてくれて、しかもそのあとに王国とのつながりを築くため、私を頼ってくれたんだよ。なんだか信じられなくてさ。」
「それでその人のこと、好きになったんだ!」
「いや、そのときはそうでもなくてね。そのあとに王国とうちの旦那と一緒に来た交渉官を連れて伯爵家に行き、その交渉官と伯爵様の話し合いが終わるのを待ってたときに、時間潰しに話をしてたの。で、話の流れで私、仕事やめてお嫁さんになりたいなって話をしちゃったのよ。そしたらうちの旦那、じゃあ、私と付き合ってみないか?なんて言ってきたのよ。」
「へえ、なんていうか、随分と盛り上がりのない告白ね。」
「でしょ?だけど、私もちょっとこいつに興味があったから、いいよって言ったのよ。その後は、一緒に宇宙に行くことになって、戦艦の中の街でデートして…なんてやってるうちに、なんだかこの人、いいなあって思えてきてさ。」
「ねえ、旦那さんのどんなところがいいの?」
「そうねえ、どこだろう?どこか冷静すぎて、それでいてトロいところがあって、いらいらすることがあるんだけど…」
あの、そろそろ私のこと少し褒めてもらえませんか?マデリーンさん。
「でも、私のこと本当に大事に思ってくれてるんだ。そういうのひしひしと感じる。だから私も、好きになったんじゃないかって。ああ、この話、旦那には内緒だよ!?聞かれたらちょっと恥ずかしいし。」
マデリーンさん、ごめんなさい。たった今聞いてしまいました。
「いいなぁ…私もそういう人と巡り会いたい…」
「大丈夫じゃないの?私のような忌み嫌われる存在である魔女でさえかなったんだし。きっとどこかにいるよ、そういう人。」
「いるかな?じゃあ、飛び降りるのやめて、明日から少し頑張ってみようかな。」
「そうよ、なんとかなるって。それじゃあ、私につかまって!」
「えっ!?」
「下に降りるんでしょう?連れてってあげる。」
「う…うん。」
そういうとマデリーンさん、その女性を抱えて手に持った棒にまたがる。
この棒、あの研究所で魔女に最適と考えられる形状にした棒。今日うちの両親に飛ぶところを見せるために持っていったものだったのだが、いくら魔女に最適化した棒でも、人を1人抱えて降りるなんて…
と思ったらマデリーンさん、悠々とその女性を抱えて降りてきた。ゆっくり降下する2人。
私は人混みを掻き分けて、マデリーンさんの降り立った場所まで行く。
地上には消防隊がいた。トランポリンのようなものの上に、マデリーンさんとあの女性が降りてきたところだった。
私が近づこうとすると、消防士に止められる。
「ああ!すいません!ここは関係者以外は立ち入り禁止なので…」
「あの魔女の旦那です!関係者です!通してもらえませんか?」
そう言って、軍の身分証明書を見せた。
脇にいる数人は、私の顔をじろじろ見てくる。あの中継を聞いてた人達だろう。ネット放送で明かされてしまった私とマデリーンさんの過去、その旦那とはいったいどういうやつなのかと思ったら、ちょうどすぐ横にいる。気になるのが普通だ。
ようやく消防士に通された。私はマデリーンさんのもとに行く。
マデリーンさん、あの女性と喋っていた。スマホを出し合ってるから、連絡先を交換してるようだった。その女性は毛布に包まれていて、救急隊が怪我の有無などを調べている。
「あ、来た来た!」
マデリーンさんが手を振る。私はマデリーンさんのところに駆け寄った。
「マデリーンさん、また無茶なことを…」
「何よ!無茶なことなんてしてないって!ほら、こうして人1人救ってきたんだから。」
「あのぉ、マデリーンさん?」
「何よ!」
「誠に言いにくいことだけど、実はさっきの説得中の会話、ネット放送で全部、流れちゃっててね…」
「…えっ!?」
「私はもちろん、ここにいる人達も、おそらくあの会話の内容を知ってしまってるんだよね…」
「…そうなの?」
急に恥ずかしさがこみ上げてきたマデリーンさん。まさか大勢の人にあの会話が聞かれていたとは知る由もない。
かああっという音が聞こえてきそうな勢いで、この魔女の顔は赤くなっていく。その気持ち、とてもよくわかる。私とて、同じ気持ちだ。
「ああ、こちらがさっき話されてた旦那さんですよね?」
あの女性が話しかけてきた。私は応える。
「あ、マデリーンさんの夫やってます、ダニエルです。」
「私はアイリスって言います。マデリーンさんには元気づけられました!本当にありがとうございます!」
感謝されてしまった。まあ確かに、何も悪いことはしていない。ただ、私とマデリーンさんの過去が少しばかりネット上に広まってしまっただけだ。
アイリスさんは、救急車で運ばれていく。怪我をした様子もないが、多分人目を避けるために配慮されたのだろう。
ただ、我々夫婦にはそういう配慮はなかった。あの人混みの中を、中央突破するしかない。おそらくさっきのネット放送を聞いている人であふれてる、あの人混みの中を、だ。
そこに、テレビカメラを持った人々がやってきた。
「あの!テレビ局のものですが、ちょっとお話し伺ってもいいですか?」
「ああ、すいません、彼女ちょっと疲れてるんで…」
私はマデリーンさんをかばいつつ、テレビ局と群衆をかき分けて、一気に中央突破を果たす。
一旦あのホテルに入ってしまえば、追跡してくるものはいない。さすがは高級ホテル。その威信でマスコミすらも跳ね返した。
エレベーターで95階へ向かう私とマデリーンさん。その上昇中のエレベーターの中で、マデリーンさんは私にぼそっと話しかけてきた。
「…おしゃべりな嫁だと、思ったでしょう…」
「いや、私は嬉しかったな。」
「…どうして?」
「マデリーンさんが私のこと、好きでいてくれることが分かったからだよ。」
私はマデリーンさんの手を握る。マデリーンさんはそれを手繰り寄せて、腕にしがみついてきた。
95階に着く。部屋に向かってると、アルベルトとロサさんが出てきた。
「マデリーン!あんたのことが、テレビに出てるよ!」
テレビを見ると、さっきの中継を録画放送している。一応、声を変えていて、かつ顔にはぼかしが入ってるが、この星に魔女なんて、今は2人しかいない。
おまけに「マデリーン」って堂々と名乗ってるものだから、もうバレバレだ。ネットで検索すると、もう王国のことや、マデリーンさんが写真で出てるあのテーマパークのことが関連事項として出てくる。
まあ、人を一人救ったんだ。悪いことをしたわけではない。彼女があそこで出ていかなければ、まだ騒動は続いているか、それとも最悪の結末を迎えていたかの、どちらかだろう。騒がれたからといって、何も引け目を感じるようなことはない。でも、ちょっと恥ずかしい。
ちなみに「マデリーン」の検索結果には、私の名前も出てくる。階級はまだ中尉と出ているが、王国の最初の接触者だとか、最近オルドムド公国へ行き戦艦用ドックの建設交渉のために、公王に接触したとまで書かれていた。
ネットとは恐ろしいものよ…この先、悪いことはできないな。そう思った。
「どどど…どうすんのよ、マデリーン。」
「知らないわよ!別に悪いことをしたわけじゃないんだし、いいでしょう、ほっとけば。」
ロサさんはすごく心配しているが、人の噂も75日。あと3週間ほどでこの星を離れる予定だし、なんとかなるでしょう。
ただ、その日の夜はホテルの外に出られなかった。多分、マスコミが待ち構えている可能性が高い。
ということで、ホテルの15階にあるレストランで食事をした。高級なレストランというわけではないから、結構人もいる。その中には、あの中継を見た人もいて、マデリーンさんに握手や写真撮影を求めてくる人もいた。
部屋に戻ると、2人ともくたくたになってベッドに寝そべってしまった。が、あの中継のおかげで、お互いちょっと気分が高まってしまい…いい夜を過ごした。
翌日はどうしようかと思ったが、ずっとホテルにいるわけにもいかないし、外に出ようということになった。
案の定、マスコミの方が出てきた。このまま逃げ続けてもいいが、乗りかかった船だ、ちゃんと精算しようと、インタビューを受けることにした。
このとき現れたナレーターの人がなかなかのやり手で、なんというか、話をしてもいいかなぁと思わせる雰囲気を作り出してくれた。とても話をゆっくりと聞いてくれる方だったので、我々もつい安心して話をしてしまった。結局、夫婦の馴れ初めや、あの救出劇の時のマデリーンさんの心情などを、根掘り葉掘り聞かれてしまうことになる。
「ありがとうございます、最後に、マデリーンさんへの質問です。魔女でよかったと、思いますか?」
マデリーンさん、少し考えて、応えた。
「正直、嫌だと思ったこともあるの。でも、今は魔女でよかったと思うわ。人も助けられたし、この旦那と出会えたし。」
これで、インタビューは終わった。
昼食の時間になったので、我々夫婦はどこか食べるところを探す。
「牛丼屋」という、王国では見たこともないジャンルのお店に、マデリーンさんは反応した。さすがは肉好きの魔女、こういうものへの感性は抜群だ。中に入って、早速牛丼を頼む。
牛丼屋というのは、この宇宙でも最も早く調理から皿洗いまで自動化したお店らしい。店員がいないお店も多く、こういう形態のお店を「ゼロオペ店」と呼んでいる。
さすが元祖自動化チェーン店だけに、注文してから出てくるまでが早い。
あまりに早く出てくるので、マデリーンさんはちょっと驚いていた。無人なところはコンビニそっくり。入店時に、電子マネーの提示が必要というところまで、コンビニと同じだ。こういうところは、マデリーンさんは苦手だ。
だが、今まで食べたことがないその味に、マデリーンさんは夢中になって食べていた。ハンバーグの次くらいの位置に、この牛丼がビルトインされたのは間違いなさそうだ。
人を救って、牛丼をかっ喰らう魔女。私の中で、またちょっと魔女のイメージが書き替えられる。
ちょうど牛丼を食べ終えたところで、マデリーンさんのスマホにメッセージが届く。相手は、あのアイリスさんだ。
この先にあるカフェに来て欲しいそうだ。だが、マデリーンさんはこの辺りの土地勘がない。私もついていくことにした。
指定の店に着くと、アイリスさんがいた。マデリーンさんはアイリスさんに軽く手を振る。私はそのまま外で待っていようかと思ったのだが、アイリスさんに呼び止められて、結局一緒に店に入る。
「昨日はお騒がせしました…あれから、いろいろな人に怒られまして、ほんと、迷惑かけちゃったなあと感じてます。」
「私はいいのよ、特に何もないし。困ってる人を助けるのは当たり前でしょう?」
自殺しようとした人を叱咤する人々もどうかと思うが、これだけ元気に話せるようになったのは、本当によかった。
「いや、当たり前でもないですよ。通りすがりの人で心配して声をかけてくれたのは、マデリーンさんだけですから。」
そりゃ、高さ150メートルのところを通りすがれる人が、マデリーンさん以外にいなかったから…と言いたいところだが、これが地上だったとしても、果たして何人の人が心配して声をかけてくれただろうか?多分、いなかったのではないだろうかと思う。
どこの星でもそうだが、技術と情報伝達手段の発達と、生身の人間同士の関わりというやつは、なぜか反目しあう。
伝達手段が発達すれば、普通はもっと人と人の繋がりが密になりそうなものなのに、これだけ技術が発達すると、すぐそばで困ってる人がいても見て見ぬ振りをするようになる。これは私の星だけの傾向ではないようだ。
さて、アイリスさんのことをいろいろと聞いた。
この近くの貿易業者にお勤めのようだ。だが、あまりたいした仕事をしておらず、自身を「お茶くみ担当」と揶揄していた。
いまどきお茶くみなんて仕事があるのかと思うが、要するに閑職に回されてるってことだろう。それは本人も自覚していた。
「うちの会社、今まで地球104とばかり取引をしてたんです。ところが今は地球760に勢いがある。ってことで、地球760への市場開拓に乗り出そうって事で、今社内でこの惑星に行く人を募集してるんです。」
地球104とは、かつて我々のいる地球401を見つけ出し、発展に導いてくれた星だ。今でいう地球401と760との関係と同じだ。
このため、100年以上経った今でも、貿易上のつながりは深く、多くの貿易業者は地球104を主な取引先にしている。
だが、地球760という星が現れ、この星との交易が本格化し始めた。新たな市場であり、資源も豊富なこの星に進出しようと思うのは、この手の企業としては当然のことだ。
「でも、みんな200光年も離れた星に行くのをためらって、なかなか集まらないんです。かくいう私も、その1人なんですけどね。」
「はあ、確かに。普通はなかなか遠くの星に行こうって思わないですよね。」
「ふうん、そういうものなの?」
「マデリーンさんは、例えば今すぐこの星に住めって言われたら、住む気になるかい?」
「うっ…そうねぇ、ちょっと迷うわ…」
「住みなれた星を離れるっていうのは、並大抵のことじゃないと思うよ。迷うのが当然かな。」
「でも、あんたは今、私の星に住んでるじゃないの。」
「まあ、慣れちゃったからね。元々私は1、2年したらこの星に帰るって事で、遠征艦隊に加わってたんだよ。」
「じゃあ、なんで残ることにしたの?」
「そりゃ、マデリーンさんと一緒になったし、あの星のことが気に入ったからかな。」
「へぇ、ダニエルさんは地球760のこと、いい星だと思うんですか?」
「そうだね、空気がきれいだからね。」
「空気が?」
「ここの空気は、なんていうか、よどんでるんだよ。でも地球760では、王都や帝都ほどの都市部でさえ、空気がきれいなんだよね。パイロットなので、空を飛んで遠くを見渡すことが多いから、空気の澄み具合というのはひしひしと感じるよ。ここでは遠くが霞んで見えないことが多いけど、あの星では地平線までくっきり見える。このきれいさが、私にとってあの星のいいところかな。」
「へぇ、いいなあ。」
「ねえ、そんなに汚いの?ここ。」
「うん、やっぱり汚いかなあ。別に不健康になる程汚いわけじゃないけど、地球760とは比べ物にならないよ。」
地球760に降り立った時、あまりに遠くが見えることに驚いた。夜の星はびっくりするくらいたくさん見えるし、昼間の空を飛ぶと、遠くの木々の一本一本さえもくっきり見分けられる。この星では考えられないことだ。
「で、実は私、地球760の担当を、希望しようと思ってるんです。」
「えっ!?本当に!?」
「今までの自分は、どこか思い切りがないくせに、多分とても都合のいいことばかり考えていたんです。それが崩れた途端、昨日みたいに死のうなんて考えちゃった。一晩考えたんですけど、やっぱり視野が狭かったんですよね。私。でも、マデリーンさんに言われた通り、家を焼かれたわけでも、身売りされたわけでもないんです。いくらでもやり直しがきく環境なのに、もうお先真っ暗だなんて、なんで考えちゃったんだろう?だから私、ビルから飛び降りる覚悟までしたんだから、いっそ地球760に行ってみようって、そう思ったんです。」
ビルの下と地球760を同じにしないでほしいけれど、昨日のビルの上にいた時の中継で見たあの顔よりは、ずっと生き生きしている。
「いいよ!おいでよ!私達の星に!」
「うん、行く!絶対に行く!正直ちょっと不安だけど、マデリーンさんがいると思ったら、頑張れそうな気がするの。だから、あっちでもよろしくね。」
「いいよ!私以外にもいっぱいいい人いるから、紹介するね!ええと、イレーネさんに、ロサにアリアンナに、伯爵様。フェルマンさんもいいわよね。」
「ええっ!?伯爵様って…貴族の知人もいるの!?」
「ええ、そうよ。」
「でも、いくらあの星でも、貴族の知り合いなんてちょっとすごくない?」
「そぉ?うちの旦那も貴族だよ。」
「ええ!?ダニエルさん、貴族なんですか!?」
「ああ、といってもまだ貴族になったわけじゃないんだよ。帰ったら男爵の爵位をいただけるらしいけど、今の私には全く自覚がないのよ、ほんとに。」
「そうなんですか、でもすごい旦那さんだね!別の星で貴族になるなんて、よほどすごいことをやってきたんでしょうね、きっと。」
地形調査してたら魔女に出会ったのがきっかけで国王陛下とつながりを持てたとか、公国に遊びに行ったら公王様の娘に出会ってつながりを築けたとか、偶然の産物でもらえた爵位だなんてとても言えない。
正直言って、そんなお気楽な星ではない。身分による差別が残ってたり、裏で人身売買やってるような場所が存在する、我々の常識が通用しない場所でもある。
でも、発展しきったこの街よりも、変化の余地が大きい分刺激的な毎日を送れるだろう。それだけは保証する。
マデリーンさんとアイリスさん、2人で和気藹々と喋り続けたあと、あっちの星での再会を誓ってその場は別れた。
「ああ~彼女が来たら、あっちでも楽しい仲間が増えるわねぇ。」
そうか?楽しいか?結構いわく付きの仲間が多い気がするけど。魔女に奴隷に公王の息子、娘、そして今度は飛び降りかけたOLさん。
まあ、起伏のある人生を歩んだからこそ、人は生き生きとしてられるのかもしれない。
こうしてみると、私は随分と平穏な人生を歩んでいるようだと思ったけれど、よく考えてみれば、これだけいろいろな曰く付きな人に出逢い、魔女の奥さんを持っている私が、平坦な人生を歩んでいるとは決して言えないだろうな。
さて、その日は近所の街をぶらついて、たわいもないものを買って過ごした。ちなみにマデリーンさんが買ったのは、核融合炉を抱えたゴリラのぬいぐるみ。今、このデザインが街で大人気らしいが、意味が分からない。
翌日からは、再び研究所での魔女調査が行われた。
その研究所でも、おとといの中継を知ってる人が多かった。そういうわけで、それまでどちらかというとほったらかしだった私は、この日から質問攻めにあう羽目になった。マデリーンさんとの出会いの話、その後の話、などなど。
知らなかったのだが、昨日の夜にはあのインタビューが放映されてたらしい。リマインダサイトでチェックすると、たしかにその放送が出てきた。改めて見ると、随分と恥ずかしいこと言ってるな、私。
「この番組で、駆逐艦の食堂で同僚に茶化されて、それがきっかけでマデリーンさんがあなたを意識しだした、なんて言ってたけど、結局そのあとどうしたのよ!」
痛いところを突いてきた人がいた。その日の夜は、マデリーンさんと初めて一緒のベッドで一夜を過ごしてしまった日なのだが、そんなことは言えない。何とか話題を振ってごまかした。
そんな日々が5日も続き、ようやく待ちに待った休みがやってきた。
土曜日は再び両親のところに行こうかと思ってたのだが、アイリスさんが会いたいと連絡してきた。このあたりにいるようなので、このホテルで落ち合うことにした。
15階のレストラン前で合流した。ここのコース料理を食べられるチケットを、あの研究機関から何枚かもらっているため、アイリスさんとマデリーンさん、それに私の料理をそのチケットで注文した。
「いいんですか?こんな高い料理を頂いてしまって…」
「いいわよ、私らにとってはどうせタダだもん。」
気前よく振る舞うマデリーンさん。こういうところでなきゃ、振る舞えないのがちょっと悲しい。
「実は、地球760に行くことが決まりました!王都にある我が社の出張所に、来週にも行くことになったので、すぐに報告したくて連絡しちゃいました。」
「えっ!?そうなの!」
「そうなんです。よほど人が足りないようで、手をあげたらすぐにでも行ってほしいと言われて…」
「私達より先に行っちゃうんだね。」
「そうですね…でもあと2週間でマデリーンさんも地球760にお帰りになるんですよね。ほんのしばらくのお別れです。」
「私も向こうに帰ったら、すぐメール送るね!王都や帝都を案内するよ!」
「ありがとう!私、新しい人生を精一杯生きるね!」
泣きながら語り合う2人。あの時失われていたかもしれない命は、王都に来ることになった。あちらの生活が、さらに賑やかになりそうだ。
それから2週間はデータ採りの毎日が続いた。何かいいデータは取れたのか?我々にはさっぱりわからないが、研究者の顔を見る限りは満足のいく何かが得られたように見える。
「いやあ、いいデータが取れました!1ヶ月間、ありがとうございます!これで重力子研究は飛躍的に発展しますよ!」
地球001出身のリュウジさんは、最後にマデリーンさんに感謝の言葉を言ってくれた。本当に嬉しそうだ。
マデリーンさんとロサさん、この間も飛行方法の改良が進み、マデリーンさんは最大速力90キロ、最大積載量はほぼ自分の同じ体重と同じものを載せても飛べるほどになった。
ロサさんも、最大速力は70キロに達する。以前のマデリーンさん並みである。2人にとっても得るものは大きかった。
こうして、我が故郷、ロージニアをあとにすることになった。ここから10日間かけて、地球760に帰る。
駆逐艦6707号艦は上昇する。眼下には、ロージニアの市街地が見える。
私にとって、ここは生まれ育った街。人生の大半を過ごしてきた場所だ。
だが、何故だろうか?私にとっての帰る場所は、もう地球760になっていた。いつのまにか、王国や帝国のあるあの星に安らぎを抱くようになってしまった。
こうして我々は、マデリーンさんの生まれた星へと旅立った。