#150 そして、旅立ち
10年の月日が経った。
あれから、いろいろとあった。幸い、大きな戦闘はなかったが、本当にいろいろな出来事があった。座席に座り、窓の外の星を眺めながら、私はそう考えていた。
私は今、駆逐艦0972号艦に乗っている。
「ダニエル中将閣下、定時連絡!戦艦ヴェルニーナまで、あと10分!間もなく、到着です!」
「そうか。」
若い副長による定時報告に耳を傾ける私。だが正直、今回はあまり応える気力がない。
というのも、今回はいつもと違う航海だ。今日は、パトロール任務ではない。
だが、今日の気分は憂鬱だ。憂鬱で、仕方がない。そんな気分に水を差すように、マデリーンさんが現れる。
「ねえ、ダニエル!早く行くわよ!」
「……まだ、戦艦ヴェルニーナに到着していないぞ。」
「何言ってるのよ!戦艦に着いたら、すぐに出発でしょ!?今のうちでしょうが!」
相変わらずマイペースな妻、マデリーンさん。そんなマデリーンさんに、私は渋々ついていく。艦橋の出口を出て、エレベーターの前へとたどり着く。
そこに立っていたのは、アイリーンだった。
「あ、パパ!」
脇には、ユリエルとラミエルがいる。この姉の出発の門出に、2人の弟が心配そうに話しかけている。
「ねえ、お姉ちゃん、本当に大丈夫かよ!?」
「何言ってんのよ!私を、誰だと思ってるの!?」
「いや、誰だと思ってるから、心配してるんだけど……」
そこに、金髪の女性がアイリーンの手を握る。フレアさんだ。
「アイリーンさん、あなたなら大丈夫だと思うけれど、本当に気を付けてね。」
「大丈夫だよ、フレアさん。これでも私、宇宙最速の魔女なんだから!」
そう、アイリーンは23歳になった。彼女は、この地球760で、最速の魔女として君臨している。
この10年でアイリーンは、最高速力300キロ、最大到達高度3000メートルという、圧倒的な性能を誇る魔女となっていた。
マデリーンさんでさえ、出会った頃は時速70キロ、最高到達高度2000メートルだった。いかに娘が圧倒的かが、よく分かる。
いや、300キロというのも、それ以上の速度では風圧で身体がもたないという理由でかかった制限だ。空気抵抗のない場所ならば、もっと速度を出せるはずだと、リュウジさんは言っていた。
空を舞う魔女は、この地球760にしか存在しない。このため、地球760最速ということは、宇宙最速でもある。少なくともアイリーンは、そう自称している。
そんなアイリーンは今日、宇宙に旅立つ。
この4年間、アイリーンは交渉官養成専門の大学に通い、そこで交渉官補佐の地位を得た。
そして最初の赴任先が決まる。ここから300光年ほど離れた、未知の惑星へと向かうことになる。
戦艦ヴェルニーナには、すでにアイリーンの迎えの船が到着していた。ここから2週間ほどかけて、その未知惑星へと向かう。
私は、アイリーンを見る。
宇宙最速だろうが、気の強い娘だろうが、私にとってはただの娘だ。
23年間、ずっと一緒に暮らしてきた娘。その娘が、未知の星へと旅立つ。
「どうしたの、パパ?」
私の浮かない顔をみて、アイリーンは心配そうに声をかける。
「あ、ああ……いや、何でもない。じゃ、なくてだな……」
エレベーターに乗り、艦底部へと降りていく。その途中、ガシャンという音が鳴り響く。どうやら、戦艦ヴェルニーナに接続したようだ。
私は、アイリーンの方を見る。
「なあ、アイリーン。お前、本当に行くのか?」
「何言ってんのよ!行くに決まってるでしょう!接触人としての、最初の仕事なんだよ!?」
交渉官補佐、別の名を接触人という。その名の通り、未知惑星で最初の接触を行うための交渉人だ。交渉官に準ずる権限を持つが、一方でその身を危険にさらす職業でもある。
「だがな、接触人とは危険な仕事なんだぞ?心配なのは当然だろう……」
「そんなパパだって、この星の最初の接触人だったんでしょう?魔女でもないパパにできたことが、私にできないなんて、ありえないでしょう!?」
随分と辛らつな娘だ。それを聞いて、マデリーンさんが応える。
「あっはっはっ!そうよ、アイリーン!その意気よ!この宇宙で、魔女の力を見せてやりなさい!」
「分かってるわよ、ママ!じゃあ、そろそろ行くね!」
「アイリーン!」
荷物を持って、エアロックへと向かうアイリーンを、マデリーンさんは抱き寄せる。
「……魔女はね、絶対に無事に、故郷へ帰ってくるんだよ。でなきゃ宇宙最速だなんて、名乗れないんだからね。」
「分かってるって、ママ。敵兵の真上を悠々と飛び回ったママの子だよ。絶対に、帰ってくるから。」
強気な親子だが、やはり一番心配しているのは、マデリーンさんだ。その気持ちが、ひしひしと伝わってくる。
「じゃあ!」
アイリーンは、走り出す。手を振りながら、通路を走っていく。私も、マデリーンさんも、そして家族みんなで、手を振る。
永遠の別れをするわけではない。だが、いつも私の腕の中にいた娘が今日、私の腕から巣立っていった。
いつかは、こういう日がやってくる。その覚悟はあったのだが、いざ迎えてみると、自分自身に覚悟がないことを思い知らされる。
「大丈夫よ!あんたと私の娘だよ!」
マデリーンさんは、私にそう語りかける。私は、ただうなずく。
エアロックが締められ、通路が切り離された。駆逐艦0972号艦は、出発する。
地球760への帰還の途につく我が駆逐艦。艦橋の窓から、娘がこれから向かう宇宙を、ずっと眺めていた。
(完)
長らく放置してましたが、マデリーンさんの物語を、閉じることにしました。
なお、接触人となったアイリーンの話はいずれ、アップする予定です。ご期待ください。