01-4/東京ロンリーウルフ
急になんとかしろと、一体どうしたものか。
ファッションに怒っているのなら、着替えるしかないと思うのだが、なにせ二人ともが手ぶら状態である。
急にオシャレなど出来はしない。
――いや、待てよ。
アズマは気づいた。
こんな時だからこそ試されているのではないか? と。
ラジオで聞いたことを思い出せ。
今こそが勉強の成果を発揮する時だ。
オシャレ――
オシャレって何だ?
さり気ない事さ!
そして、飾らない事……
「そうか! わかったぞ!」
そういってアズマはシャツを脱ぎ始め――
「って何やってんだアンタは!?」
ミヤコに止められた。
直角に曲げた肘を起点に、キレッキレのツッコミである。
「なにって、まずはオシャレを……」
「だったらなぜ脱ぐ!?」
上下セットがダメなら、いっそ男らしくシャツは脱ぎ捨てて短パンだけのクールビズスタイルで攻めようと考えての行動だったのだが、なにか間違えてしまったらしい。
「ってそうじゃない! 違うでしょ!? こいつを倒すのよ!」
ミヤコが背中から指示を飛ばす。
「倒すって、相手は犬だぞ! 動物には優しくしろってジッちゃんが……」
「あ~、もう、バカ! そいつは狼! 犬じゃなくてもっとヤバいの! しかも『モンスター』なんだから! 人を襲う人類の敵よ!」
狼。
確か、犬の先祖だっただろうか。
アズマもその存在は大人たちの話に聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだった。
「そ、そうだったのか! だったら野犬みたいなモン、なんだな……!」
ちょうどその時、牙をむいてグルグルと威嚇していた狼が、「バウッ」と一吠え。
「きゃ――!」
それに驚いて声を上げたミヤコを狙い、恐らくは怯んだと感じたのだろう、耳元まで裂ける大口を開けて飛びかかる。
飛び掛かってくる狼に、アズマは怯む様子もなく突っ込んでいった。
そのまま腰を落とし、弧を描くように飛び掛かる狼の真下に滑り込み、尻尾の方へと抜ける。
すれ違いざまにアズマが狼の尻尾を掴むと、急ブレーキをかけられた狼の体は自然と地面に叩きつけられる形となった。
その隙にアズマは狼の背にまたがると、首に両腕を回して一気に締め上げた。
ハリガネのように細い狼の首は、窒息するよりも先に砕け折れ、断末魔すら上がらなかった。
「もう大丈夫だぞ」
「……へ?」
襲われると思って反射的に目を閉じていたミヤコが目を開けると、狼はぐったりと静まり返り、もう動く気配はないようだった。
「うそ、どうやって……?」
「絞めただけだ。こういうのは慣れてるから。一気に絞めれば死ぬより先に意識が飛ぶ。苦しむ間もないらしいから、心配すんな」
それは生き物を殺してしまった事への配慮のつもりなのだろう。
ミヤコは驚きを通り越して呆れてしまった。
そもそもミヤコは狼の苦痛よりも自分の命の心配をしていた。
相手に気遣いをするような、そんな余裕のある状況ではなかっただろうに。
「こんなにオシャレはしてなかったけど、俺の住んでた田舎の山にもこんな野犬はわんさか居たからよ。可哀そうだけど、野犬は殺すしかないからな……」
「……それ、本当にただの野犬なの?」
こんなバケモノじみた野犬っていったい何なのだろうか。
そもそもどんな田舎に住んでいたのか。
というか田舎だからとかいう以前の問題ではないか。
ミヤコの中でそんな疑問がいくつも沸いてくるが、今は突っ込む気力もなかった。
本気で命の危険を感じ、寿命が減る思いだったというのに、アズマはそれをあっけなく解決してしまったのだ。
一方で、無視できない疑問も湧いてくる。
野犬の話が本当なら、もしかしてこの狼もアズマのいう野犬の仲間なのだろうか。
だとしたら、この狼は『モンスター』ではなかったのかも知れない。
(どちらにしても、よくこんなバケモノに向かっていけたわね。無謀なのか、無知なのか……)
なんとなく後者な気がするわね。
などとミヤコが失礼なことを考えていると、目の前の狼がピクリと動いた。
「ひっ!?」
「え?」
まだ死んでいなかったのか!?
二人がそう思った瞬間、狼の体が光の粒子に変わる。
粒子はサラサラと風に舞い、次の瞬間には狼の姿はどこにもなくなっていた。
「き、消えた……?」
「やっぱり『モンスター』だったんだ……。『東京』の『モンスター』は死体を残さないって聞いたことがある……!」
「そ、そうなのか。やっぱ都会ってスゲーな……!」
生き物が光に変わってそのまま消えるという、あまりにも非現実的な光景を前に、二人は思わず「ほへ~」などと言う間抜け面で狼が消えた場所を眺めてしまった。
そしてミヤコは気づいた。
反射的にアズマに飛びついてしまった事に。
しかも、何故かアズマは上半身裸の状態である。
(結局脱いだんかい!)
と突っ込む余裕はなかった。
同年代の異性にここまで接近するのは、ミヤコにとっては初めての事である。
ひょろっとしていて頼りない少年だと思っていたが、触れてみるとその体は意外にも筋肉質で引き締まっていた。
鍛えられているのは得体の知れない田舎で暮らしのせいなのだろうか。
張りのある肌。
狼に触れたばかりのせいだろう、少しだけする獣臭に交じってかすかに香る汗の匂い。
地元の友達たちとは決定的に違う、男の子の匂いだった。
それを認識してしまった瞬間、ミヤコの顔が火が出る勢いで朱に染まった。
「~~~~ッ!?」
恥ずかしさのあまり悲鳴すら上げられなかったのは不幸中の幸いである。
「こ、ここ、こいつは、そう! 『東京ロンリーウルフ』よ!!」
出会ったばかりの男子を相手になんて事をしてしまったのだろう!
異性への免疫がなさすぎるのはアズマも同じだったが、兄弟すらいなかった分、ミヤコのほうが重傷だった。
そして火照った脳みそは恥ずかしさを紛らわそうと、咄嗟に訳の分からない知ったかかぶりをしてしまう始末である。
「し、知っているのか!? ミヤコ!?」
やってしまったと後悔するには遅すぎた。
アズマの瞳のキラキラが眩しすぎて、今更、知らないなどと白状できるわけがなかった。
「……お、狼は普通は群れで行動するものなのよ? だけど、このロンリーウルフは単独行動を好むの。そう、だからロンリーウルフなのよ!」
「そうだったのかー!」
「じょ、常識ね!」
(うん、ボロが出る前に話を逸らしましょう……)
ミヤコがそう考え始めた時、無人のはずのバスから甲高いクラクションが鳴り響いた。