01-2/これは東京タワーですか? いいえ、バベルの塔です。
東京はジャングルだった。
見渡す限りの木、木、木。
東とて木くらい見たことがある。
しかし今までに見てきた田舎の山と東京の木々はまるで違う。
赤や青に黄色と緑以外の色に染まった木。
大人の全身よりも巨大な花を咲かせている木。
グネグネと生き物のように動いている木。
東が見たことのない植物だらけだった。
「これが、都会かぁ……」
さすがだった。
早くも完敗だぜ、といった気持ちになる。
こんな植物、田舎の村には全くなかった。
その大自然の景色の中で、さらに一際異彩を放つ建物があった。
それは雲をも突き抜けて、見果てぬ高さまで聳え立つ一つの巨塔。
石造りの壁面には蔦が絡んでいるものの、まるで動じない頑強さをもって、雄大に天を衝くその姿はある種の神々しさすら感じさせる。
まるで太古から息づく遺跡の様にも思えた。
「スッゲー……」
間違いない、と東は直感した。
東京に来て、一番巨大なタワーと言ったらアレしかない。
これが、これがあの有名な――
「これが東京タワーか!」
「んなワケないでしょ!」
急に突っ込まれて、驚いて振り返る。
そこには一人の少女の姿があった。
少女は「しまった」とばかりに口元を手で覆い隠し、バツの悪そうな赤ら顔で目を逸らす。
それは東の知っている顔だった。
東の乗ってきたバスの後ろに座っていた少女だ。
見たことのないような銀色の長い髪を複雑に編み込んだ、いかにもオシャレな雰囲気で、東は実はずっと気になっていたのだ。
だが東には同年代の異性と接する機会が妹のヘラを置いて皆無だった。
なぜなら田舎の村に子供が自分と妹の二人きりだったからだ。
見た所、銀糸の少女は三つ年下のヘラよりは大人びて見える。
だとしたら同い年くらいかも知れないと親近感も沸こうというものだが、いかんせん女子にどう接していいのかがわからない。
だが、少女の口からでた言葉の意味を理解した瞬間、そんな問題は消え去った。
もう、女子だとか全く関係ない。
「あんた、もしかして東京の事、詳しいのか……?」
恐る恐ると言った様子で尋ねてくる東に、少女は諦めるように一つ大きなため息をついた。
「……別に。ただ、アレが東京タワーじゃないってことくらいは知ってるってだけよ」
「そうなのか? でも、東京で一番デカイ建物って聞いたぞ」
「良く回りを見てみなさいよ。デカイ建物なんてそこら中にあるわよ? だってここは東京なんだから」
呆れたように少女が指さす方向を見ると、確かに似たような建物がいくつも見える。
けれど、一番高いのは東が最初に見た建物だ。
それも桁違いに大きい。
だが、東はなぜかこの少女の言葉には力強さを感じた。
嘘をついているようには見えないし、東を騙そうとしているようにも感じない。
「まだ納得していないようだから、ついでにもう一つ教えてあげるわ。東京タワーは赤いのよ」
キョロキョロと辺りを見回す東に、「仕方がないわね」とばかりに少女が言う。
それを聞いて、東も確かにそうだったと思い出した。
ラジオでもそんな事を言っていた。
東京タワーは赤いのだ。
それに比べて、目の前の巨頭は白い石壁の色をしているではないか。
「た、確かにそうだ! あんた、やっぱり詳しいんだな!」
「だから、別にって言ってるでしょ。そもそも、これくらい常識よ?」
これくらい常識……!
その言葉に東に電流が走る。
東の村では東京の話なんて出たことがない。
それを当然のように知っているなんて。
「やっぱりか。やっぱりそうなんだな……」
東は、歓喜に震えた。
「薄々そうなんじゃないか思ってたんだ! あんた、都会人なんだな!」
「え? いや、私は……」
「スゲー! いきなり都会人に出会えるなんて、俺はツイてるぞ!」
「ちょ、ちょっと待って! 手を離しなさい!」
喜びのあまり少女の手を握りしめる東に、少女は顔を赤らめる。
「こ、コラ! いきなりレディの手を取るなんて失礼でしょう!?」
「あ! す、すまん!」
振り払った手を胸元に抱きかかえるように隠し、少女は困惑していた。
「いや、いきなりあんたみたいな都会人に会えて、つい、興奮しちまった。ごめんなさい」
真夏の星空よりもキラキラと輝く東の目に、少女の調子も狂ってしまう。
バスに乗ってきた時から変な奴だとは思っていた。
最前席でバスの運転手と話しているのを聞いて、この少年にだけは関わるまいと思っていたのだが、東京について早々、あまりにもぶっ飛んだ事を言い出すものだからついツッコミを入れてしまった。
しかし、いきなり乙女の手に触れてきたかと思えば、以外にも礼儀正しく謝罪してきたりと、初めての『東京』で興奮状態にあるとはいえ、なんとも不思議な少年である。
それに『都会人』などと良くわからない事を言い出す始末だ。
多分、東京に詳しい人間の事なのだろうとは察しがつくのだが。
「そ、そこまで謝らなくても良いのだけれど……」
「いや、俺が悪かった。次からは気を付ける」
本当に申し訳なさそうにする東に、今度は逆に少女の方が悪い事をしてしまっている気持になってくる。
確かに急に男の子に触れられたのには驚いたが、何もそこまで落ち込まなくても良いではないか。
(うぅ、なんか変な空気になっちゃったじゃない。全く、なんで私がこんな気持にならないといけないのよ……)
とにかく、この重たい空気を払拭したい。
「もう大丈夫だから。そ、それより、アナタ、東京は初めてなんでしょう? 良かったら一緒に進まない?」
そう思って、少女は気づけばそんな事を言ってしまっていた。
「え? 良いのか!?」
途端に、東の表情が再びキラキラと輝きだす。
その表情に「やってしまった」と少女は少し後悔したが、もう遅い。
「わ、私も一人じゃ心細いからね。東京にいるからには単独行動は控えるべきだし……うん」
とても「いや、勢いで言っちゃった……」などとは言えず、少女自身に言い訳するように、もごもごとしてしまう。
「いや、助かるよ! 良かった! 俺、東京タワーに行きたいんだ!」
東京と言えば東京タワー。
東は東京に行くならまず、そこに行こうと決めていた。
「い、良いわ! 案内してあげる」
都会人とまで言われ、キラキラと尊敬の眼差しを向けられ、少女にはそう答える意外に選択肢がなかった。
「それで、東京タワーってどれなんだ?」
「全く……さっきも言ったでしょう? 東京タワーは赤いタワー」
そういって少女は周囲を見渡して、一つの塔を指さした。
「つまり、アレが東京タワーよ!」
「おぉ、アレかー!」
そこには巨塔に比べるとまるで玩具のような小ささに見えるが、人間から見れば十分に巨大な一つの塔が立っていた。
血に浸したようにドス黒い色をした、螺旋の塔だ。
そう、全然違う。
それは全くもって東京タワーではない。
だが少女は嘘をついているつもりなど毛頭ない。
そう、少女もまた本当の東京タワーなど見たことがないのだ。
なぜならば、彼女も東と同じく、東京に憧れたオノボリサンなのだから。