00-4/つまみ
ラジオは野球の実況しかしてくれない。
朝から晩まで、ボタンを押せば野球実況。
人工知能には眠る事もしないようだが、それ以前に休むという概念がないのかもしれない。
そもそもこのラジオはどこで野球を見ているのだろう。
シゲさんに聞いても「遠い場所」としか教えてくれなかった。
とにかく遠い場所で見た野球の試合の光景を、このラジオが詳細に言葉として遠くへ伝えているのだという。
遠い場所から「電波」という見えない物で繋がっているのだ。
良くわからなかったが、その仕組みは東を胸を高鳴らせた。
それから数日が経ったある日の事だった。
未だラジオに進展はなく、ボタンを押せば野球実況が流れてくる日々。
ヘラが言っていた「ラジオが野球実況以外の事をしゃべる」というのも、もしかしたらただの噂話だったのかも知れないと諦めかけていた頃。
その日は、両親が仕事の用事で出かけてしまい、家にいるのは東とヘラの二人だけだった。
「お兄ちゃん、調子はどう?」
「ぼちぼちだよ」
もはや日課ともなりかけているヘラとの朝の掛け合いだが、その日だけは何やら妹の様子が違うことに東は気が付いた。
「どうかしたのか?」
「ううん、別に。そう言えば、ちょっと試したいことがあるんだけど……」
ヘラはそう前置きしてラジオを見せて欲しいと言ってきた。
頭の良い妹の事だ、壊すような真似はしないだろうと承諾し、ヘラを自分の部屋に招き入れる。
東の部屋で唯一の窓の、その前に置かれた机の上が今ではラジオの特等席だ。
「電源ボタン、入れていい?」
ちらりと窓辺から家の外を見やると、おもむろにヘラが聞いてきた。
今更断りを入れなくとも、何度もボタンは押させている。
「おう、別に良いぞ。あいかわらず野球の事しか喋らないけどな」
やはり少し様子が妙だと、東は気になってきた。
ヘラはそれを隠しているつもりらしく、いつも通りの振る舞いを続けている。
「うーん、変化なしだね。お友達にはなれなかったの?」
「まぁな。ラジオは意外とシャイな奴なんだ」
人工知能は内気らしい。
などと意味不明な事を呟いている兄を微笑まし気に眺めながら、ヘラがもう一つ、今度はいつもと違うお願いをしてきた。
「お兄ちゃん、これ少しだけ動かしてもいいかな?」
ヘラが触れようと指さした場所を見て、一瞬、東はドキリとした。
それは父親から動かすなと言われていた「つまみ」の部分だった。
「おいヘラ、それは触っちゃダメだって親父が……」
「うん、だけど。そんな事を言ってたら何も触れないよ?」
確かにそうだ。
ラジオにはアンテナと丸いつまみといくつかのボタンしかない。
父親の言う通りにしていたら、いじれる場所はアンテナと電源ボタンだけになる。
だからこそ東は人工知能への「友情」というアプローチを試みたわけだが、結果は今の通りだ。
そもそも、ヘラはその東の認識の誤りに気が付いていた。
ラジオは人工知能などではない。
ラジオが本来はどういう機械なのか、村のジジババ達はそれを知っている。
それに気が付いたヘラは、兄の居ない時に密かに聞き込み調査をしていた。
いつも通り、他愛のない話の中で、誰にも悟られないように情報を聞き出していたのだ。
「お願い。すぐに元の位置に戻すから、ちょっとだけ、ね?」
ただでさえ東は妹に甘い。
その上、そうやって切なそうに上目遣いでもはや言われるとダメだった。
「ってく、仕方ないな……ちょっとだけ、だからな?」
「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」
パァッと雲間から差し込む太陽のように笑顔を輝かせるヘラ。
仕方ない。これもお兄ちゃんの役目だ。
自慢するわけではないが、東は手先が器用な方だと自負している。
かなり器用なのだ。
大抵の道具は壊れても分解や修理ができる。
ついでに言うと知らないボタンをすぐ押してしまいたくなるタイプである。
非常ボタンやら緊急停止ボタンやら、押すなと言われたボタンは一通り押しては父親のゲンコツと母親のビンタを食らってきた。
しかし、このラジオに至っては下手に弄るのは控えていた。
それは相手が人工知能という未知の科学技術の結晶だと思っていたからだ。
もし壊れでもしたら手も付けられないと思い、安全に慎重にと考えてきたのだ。
しかしこれ以上の進展がないのなら、壊れずともこのまま野球実況するだけの機械では意味がない。
東は「丁度良かったんだ」と半ば自分に言い聞かせるように、妹の指先を見据えた。
一線を越える時が来たのだと。
「じゃあ、動かすよ……」
ヘラのほっそりとした指先が、丸いつまみを掴む。
覚悟を決めたような力強い眼光がギラリとラジオを捉えて逃がさない。
そして、グイとヘラの手に力が込められるのが見て取れた。
指先が込められた圧力でフニとヘコみ、手首が小さく捩じられて――――
「あれ、動かない?」
何と、つまみは動かなかった。